今の時代のように、便利ではなかった時代には、たくさんの感動を味わえた。ヤマモモに山葡萄、草むらを跳ねる青いバッタ、ギンヤンマにカラスアゲハ、河に飛び込んで捕まえた大ウナギ、メダカ、フナ、そして鯉…。海の中は、どんな人工の遊園地よりも優れた遊びの全てがあった。心を豊かにしてくれる天国があった。時折思う。携帯を一日でいいからストップして、一ヶ月でいいから千円だけで過ごして、一日に一回だけの食事にして、コンビニからは一週間遠ざかってみたり、電気も水道も無いところで1週間過ごしてみたりと、不便の世界に身を投じると、不便であることの喜びを発見するかもしれない。生きていることを実感できるかもしれない。僕らは大自然の子供である。人工の産物の真っ只中で生きているこの時代から抜け出して、忘れてしまった何かを取り戻したい。
パスカルは面白いことをいう。でもその意図は?なぜ葦なの?そんな疑問が投げ掛けられた。
葦という植物から様々なものができる。紙もできるし、布にもなる。家でも船でも造れる。でも考える力はない。植物だから、考える力があるはずもない。人間は、どんな物にでも応用変身かつ創造できる知恵を持つ動物だ。まさに人間は考える葦である。人間から考える力を取り除けば、ただの役立たずの葦だ。中身のない卵の殻だ。新しい時代は、人間を考える世界から開放しようとしている。人はあまり考えなくなった。考える必要がなくなった。喜びも、苦しみも、考えない世界からは何も生まれない。人間はいつまでも、考える葦であって欲しい。
葦という植物から様々なものができる。紙もできるし、布にもなる。家でも船でも造れる。でも考える力はない。植物だから、考える力があるはずもない。人間は、どんな物にでも応用変身かつ創造できる知恵を持つ動物だ。まさに人間は考える葦である。人間から考える力を取り除けば、ただの役立たずの葦だ。中身のない卵の殻だ。新しい時代は、人間を考える世界から開放しようとしている。人はあまり考えなくなった。考える必要がなくなった。喜びも、苦しみも、考えない世界からは何も生まれない。人間はいつまでも、考える葦であって欲しい。
![DSC01825 DSC01825](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/05/82/e87ffb7131c5497f7a13d6cd44746cc6_s.jpg)
そして、現在のIBS外語学院と歴史が流れていきました。IBSの名前がまだ浸透していないせいか、IDなら知っているけどIBSってどんな学校と尋ねられるそうです。世界中の人々が、兄弟姉妹のように支えあったら、きっと地球は素晴らしい平和の星になるだろうと願いを込めて、インターナショナル(I)・ブラザーズ(B)・シスターズ(S)すなわちIBS外語学院と改めました。長い歴史の中で、何よりもの感謝は、いつも思い出すのは、どんなに辛い時も、苦しい時も、非難中傷も陰口も悪口も全て乗り越えて、ただ一身に学院を支えてくれた人々です。学院の創立20周年の記念式典を思い出します。学院内で共に生きているスタッフや講師のみなさん、そして学院を巣立って行った、元スタッフや卒業生の皆さん、いろんなことがありました。でも僕はみんなが大好きです。
4月25日発行の「随筆かごしま」に「叫び」というタイトルで随筆を書いた。大きな心の悩みを抱えて学院を訪れる若者達の代弁者になればと願ってのことだ。多くの評論家達は、世の中が間違っている、時代の流れだ、資本主義が問題だと、短絡的に、抽象的に、形而上的に批判することで満足しているようだが、事は思っているより深刻だ。一人一人が勇気を持って、目に見える形で行動すれば、道が開けるのだが、周りの目を気にしすぎる日本人社会というか、右へ習いの民と言うのか、農耕民族の間違った調和が邪魔しているような気がする。先ずは、「随筆かごしま」の僕の叫びを読んで欲しい。