言葉には命がある。言霊という。アメノコヤネという神様が言葉の神様だ。
だから日本人は、言葉を発することに物凄く神経を使う。変に言葉を発して誤解されるよりは、黙っていたほうが良いと口をつむぐ。だから必然的に寡黙になってしまう。発する言葉に責任を持て!と言われると、何も言えなくなってしまう。
でもこの寡黙さは、いつかはストレスとなる。このストレスを発散する場所が、お酒の場である。飲んだ勢いでとか、お酒の上だからと、言動の無礼が許される。ちょっとなさけない。
言葉の世界には、男尊女卑の概念も生きていた。女性は男性より低い身分で扱われていたので、女はおしゃべりだ!とか、女のようにしゃべるな!とか言われていた。かなり失礼だ。ともかく、おしゃべりは、日本人にとっては下品なこととして教えられてきた。
さて、国際社会のど真ん中で生きることを余儀なくされている我々新世代日本人にとって、口下手はもはや美徳ではなくなった。アメリカも、中国も、日本の周りのほとんどの国々は、話し言葉に卓越している。我々日本人は、数千年の間刷り込まれてきた言霊の封印を如何に解けばよいのか。これからの日本の大きな課題である。