KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

大連の町

2006-09-22 18:30:31 | インポート

Dsc00210_1 Dsc00293_1 学院第31期卒業生の宋東君のお誘いで、中国は大連の町を訪問することになった。大連と言う町の語意はダーリニー、ロシア語で「遥かな」という意味である。ロシアが清王朝から租借し、後に203高地の戦いで有名な日露戦争を経て、日本が租借権を手にし、大連市民は日本の植民地支配下におかれた。Dsc00294_1 中国でありながら、ロシア、日本と全く異なる二国の支配を次々と体験した町である。「ロシアの人は中国人を労働者として扱った。日本人は中国人を殺した。」宋東君の叔父さんの言葉である。僕らを温かく歓迎してくれた叔父さんの言葉にショックを覚えた。60才そこそこの叔父さんだが、悲惨な戦争の中で、銃を片手に戦ったようにかのように話してくれた。だが僕には、話題のいくつかは、中国の戦後教育の刷り込みのように聞こえた。叔父さんの話とは矛盾するほど、大連の町にはたくさんの日本人町の名残がある。日本人街をそのまま残そうという運動さえある。新しく再現された日本人街の建物の前に飾られたこけし人形、松の木、日本庭園の風景は、「日本人は中国人を殺した」という言葉は信じられないほどに、日本が残っている。日系外資企業が大多数を占めるせいもあるのだろうが、日の丸がよく目に付いた。日本語もかなり盛んだ。今回で中国訪問は3回を越えるが、大連の町の風景は、他の中国の町と異なる。日本人が何の違和感もなく歩ける町のような気がする。でも欧米化し過ぎて、民主主義化していく中国が本来の中国の文化を忘れようとしている。では、中国の文化とは何なのか?の問いには、孟子や孔子の教えであるとの答えが返ってきた。文化の問題もさることながら、環境問題、水不足、子供を作りたがらない若者と、凄まじい経済発展を続ける中国にも尽きない悩みが数多くあるようだ。Dsc00233_1


スタンフォード大学流の起業術

2006-09-08 13:46:34 | インポート

Dsc00185_5 世界の学府の最高峰、スタンフォード大学大学院教授、ウィリアム・F・ミラー博士そして、福岡のアメリカ大使館ジャン・ダイソン領事をお招きして、「米国の成功例から学ぶ新産業起業戦略と技術経営」と題して講義が行われた。本学院第32期生の受講の心構えや熱心な受講態度に感心され、スタンフォードのMBA(大学院生)のようだと誉めて頂いた。アメリカには人材発掘の基盤が徹底して整っている。起業精神の情熱や発想の豊かさに失敗を覚悟の上で投資する。何かを担保にしろとか、失敗したら借金してでも返金しろとかではなくて、投資家が大丈夫だと確信した起業家に、たくさんのお金を投資する。教授は22の起業家に投資して12の失敗の体験を誇らしげに話していた。多額の損失を嘆くどころか、失敗は成功への道の素晴らしい体験、人生は数多くの失敗により造られてきたこと、失敗の体験のない人生はつまらないこと、失敗を体験したことのない企業は成功しないことなどを話してくれた。たくさんの失敗を体験として入学してきた多くの学院生に素晴らしい激励のメッセージとなった。Dsc00186_2


使わなければ退化する

2006-09-05 20:07:02 | インポート

5928 無重力の宇宙の世界に飛び出せば直ぐ解ることだが、地球に帰還したときに真っ直ぐに立って歩けない自分に驚く。足を使う必要がなかったからだ。手、足、目、鼻、口、体、そして頭と人間の体は使えば使うほど研かれるし、使わないでほって置くと、使用不可になる。退化していく。最近つくづく思う。体中至る所の感覚が、五感が、肉体の至るところが退化している人々が多い。様々な文明の利器に毒されているからだ。社会が、環境が、教育が、まことしやかに矛盾の世界を奨励している。常識と思っていたことを、非常識かもしれないと、時々立ち止まって考える必要がある。依存、無感情、無感覚、無気力と退化を重ねていくと、人類の末路が見えてくる。破滅だ。天に与えられた五感を、天に与えられた肉体を、もっともっと活用しよう。


言い尽くされてもやはり・・・

2006-09-02 14:56:09 | インポート

Dsc00185_2 ポジティブに考えるように!とか、プラス思考が大切だ!とか、笑顔を!とか、言い尽くされて古い。でも、ポジティブに考えられないから悩むし、プラス思考を持てないから絶望する。笑顔を持てと言われたって、つまらない人生の中では無理な話だ。そこで考えた。どうしたら人間は幸せになれるのか?何を学んだらいいのか?答えは明確だ。ポジティブに考えられるような、プラス思考が持てるような、笑顔があふれるような、そんな訓練を受ければよい。そんな学問を学べばいい。僕は、そんな学問を研究し、教え続けてきたような気がする。


人の命

2006-09-01 22:55:35 | インポート

「人の命は地球のそれよりも重い」、そういわれて僕は育ってきた。毎日のように人が殺されてこの世を去っていく。衝動殺人も多いが、計画殺人も後を絶たない。勉強嫌い。仕事も嫌い。ただ好きなように生きて行きたい。遊びたい。同じことを継続してできない。人に命令するのは大好き。主張大好き。注意される事は大嫌い。とにもかくにも我慢できない。そんな日本人が増えてきた。昔から日本人は忍従の民と言われてきた。耐え忍ぶ精神力に優れた民であると言われてきた。悲しいことなのか、新しい時代においては当たり前のことなのか、忍従という言葉は死語になった。嫌なものは全て抹消しようとする。気に食わないものの存在を許すことができない。自分とは異なるものの存在を認識できない。自分の思い通りにならないものがあることが許せないのである。野生の獣と同じである。命の尊さは、人間が人間らしく生きるための教育の中からしか学べない。人間が人間らしく生きるための教育とは・・・?