KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

マエストロ尾崎晋也氏との対話

2006-08-17 16:34:45 | インポート

Dsc00074_1 世界的に著名な指揮者、ルーマニア国立トゥルグ・ムレシュ交響曲楽団音楽監督、トランシルヴァニア室内管弦楽楽団音楽監督、ロンドン・シューベルト室内管弦楽団主席客演指揮者であり、トゥルグ・ムレシュ市より「名誉市民」の称号の栄誉を持つ、マエストロ尾崎晋也氏と楽しい談笑の一時を過ごした。忙しいスケジュールの合間を縫って、学院を訪問して頂き、僕の部屋で4時間近く芸術談話を楽しんでもらった。芸術が足りない、教育の方向性が歪んでいる、日本は素晴らしい国なのだから、世界に通用する素晴らしい国にするための努力をしないといけない。学校教育の問題点は、人間力を育てないところにある。人間力さえあれば、既成の学力は自ずと身に付く。今の日本人に足りないのは人間力だ。シャンパンの黄金の泡がキラキラした瞳に映って、僕らの会話は留まることがなかった。同じ思いだ。僕の祈りを代弁してくれているかのような尾崎氏の熱い語りが、夏の暑さを吹き飛ばしてくれた。


矛盾

2006-08-09 10:11:16 | インポート

Imgp4687_1 矛とは敵を切り倒すための武器、盾とは敵の刃を防ぐためのもの。矛を作らなければ、盾もいらない。世の中は、とかく矛盾だらけだ。何が正義か悪なのか?何が常識で非常識なのか?そんな自分ですら、ブログを書きながら考える。昨日書いたことと、今日書いたことは、相反することではないのかと?肝心なのは、しっかりした自分を創り上げることだ。多種多様の視点観点から分析された確固たる教養としての学問や数多くの人生体験の中から自分を磨き上げるしかない。自分がしっかりしていないと、とんでもない似非宗教家の啓発やお金の欲に溺れてしまう。騙されてしまう。人は弱い動物だ。心は特に弱い。環境に簡単に左右される。矛盾だらけの世の中のカラクリに騙される。負けてはいけない。矛盾の壁を壊していこう。矛も盾もいらない社会は来ないかもしれない。でも、あきらめてはいけない。


花火

2006-08-08 16:03:16 | インポート

Imgp4710_1 夏の夜空に欠かせない花火。ただ一瞬の輝きに人々は魅せられる。刹那の喜びに魅せられる。でも、刹那の喜びが奨励されることはない。せいぜい、気分転換のための生き抜きぐらいのものだろう。永遠の喜びなんて存在しないと解ってはいるのだが、人は、永遠の喜びがあるかのように生かされる。人は解りもしない将来の安堵のために一生懸命働き続ける。哀れかな、人は、そんな不確実な夢に全てを託しながら、死ぬまで頑張り続ける。この世で報われなければ、あの世で報われると固く信じながらたくさんの財と苦労の足跡を残して死んでいく。その日その日を楽しむことは善ではないと、心にもないことだが、世間体を気にするばかりに、勤労精神の素晴らしさを訴える。遊んではいけないと自らを戒める。刹那の喜びに浸ってはいけないと戒める。蟻とキリギリスの寓話ではないが、明日を心配し、日々を楽しむことを悪として、ただひたすらに働き続けることが美徳かのように。5年後、10年後、100年後を心配して、当てのない未来のためにとせっせと頑張り続ける。錯覚だ。「日々之好日」、毎日毎日を充分に楽しめなくて、何が将来のためだ。思考を変えろ。思考を変えさえすれば、同じことをしていても、毎日が素晴らしい日々の連続となる。人は、本当は、今日の喜びのために生きていたい。たとえそれが一瞬の刹那的喜びであろうと。素直になろう。夏の花火は美しい。夏の花火は青春だ。


自分の道を貫くための和

2006-08-07 18:53:30 | インポート

Dsc02206 自分の道を貫くには大変なエネルギーがいる。貫こうとすれば、道を拒む何かが、必ずと言っていいほど登場する。嫉妬、中傷、挫折、無気力、あきらめ、誘惑、忍耐力の欠如、資金不足など、挙げればきりがないほど、後から後から登場してくる。拒む何かとは、拒む対象だけではない。自分自身の能力を理解できないおごりと愚かさもある。自分の道を貫くことは、わがままを貫き通すことではない。我が道を貫くために、意外と理解されていない大きな力がある。和である。なごみの和であり、調和の和である。和と言う人間関係力のパワーは、目的達成のための最大の力となる。人間は心の動物であることを忘れてはいけない。心は和の中から生まれる。敵をも味方にする和の力である。嫌いな人も、苦手な人も、本当は良い人だと思える心である。他人の悪口や噂話はもってのほかだ。自分が素敵な花になれば、ポカポカのお日様も、心地良いそよ風も、蝶も、蜂も、笑顔も、みんなみんなやってくる。咲いた花をへし折るように、好んで敵をつくる人がいるが、救いようがない。和の行動が伴わない道の探求は認められない。天才と言われた人々ですら、花を咲かすまでの道筋には、和の環境造りのための艱難辛苦があった。イエス・キリストやレオナルド・ダ・ビンチ、お釈迦様やシェークスピア、アインシュタインやホーキンスのようなズバ抜けた天才ですらそうである。天才ですらそうであるのに、凡人である僕らは、「何をか言わんや」である。自分の道を貫くためには、自分の姿を鏡に映し出して、よくよく眺めて欲しい。自分を知れば知るほど、何をすべきかが見えてくる。和は自分の姿を写し出してくれる魔法の鏡となる。されば、恐れるものが消えていく。恐れが消えれば、その瞬間に自分の道を貫けた本当の喜びが生まれる。