KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

師走

2005-12-29 12:36:26 | インポート

先生(師)も走り回るほど忙しい年末ということで、師走という言葉が生まれた。

時代が変わると装いも変わる。あちらこちらで伝統文化の灯火が消えた。三歩下がって師の影を踏まずと云われるほど、毅然として、沈着不動の威厳で徳を説いていた先生までもが大忙しの年末が文化だった。しかし、今や、先生の威厳も地に落ちた。マスコミから揶揄され、PTA、教育委員会、そして校長先生や教頭先生からは叱責されて、師走どころか、年から年中、朝から晩まで、学生のために走り回り、ベイビーシッターのような先生たち。もっと気楽に、人生を楽しんで、餅つき、大掃除、お墓参り、お歳暮、忘年会、お正月の準備など年末は文化を楽しむ思いで過ごしたら、心豊かに新しい年が迎えられるのにと戯言を言いながら、年賀状に追いまくられている自分がいた。


「ぎを言わせて!」

2005-12-24 16:30:40 | インポート
「ぎを言わせて!」というKKB鹿児島放送の番組に久々に出演した。外国人(英、米、韓、中)4人と日本人4人の計8人で議論を戦わす番組だ。テーマは鹿児島と国際社会だ。鹿児島の変なとこ?良いとこ?鹿児島を素晴らしいと思う人もいれば、閉鎖的という人もいる。国際人か否かの問いに、英語ができないから国際人ではないと思っている人々がたくさんいるのには驚いた。鹿児島の人間が本当に鹿児島を国際社会にアピールしたいと思うのか否かが、先ずは大前提だが、もしそうなら、ジェームス・ボンドの007の舞台に坊津が選ばれたように、海外の映画を取り込む方法があるなど、様々な意見がでた。司会の馬場アナウンサーの、ディスカッションという議論の舞台への誘導は巧みであった。しゃべり過ぎるぐらいしゃべるのがディスカッションだ。ほとんどの場合がパネルディスカッションではなくてパネルスピーチになってしまい、聴衆は飽き飽きしているのが現状だが、この番組だけは、まさにディスカッション番組であった。こんな番組に出演する時は、反発を覚悟で、誰が何と言おうが、徹底して議論することにしている。議論を戦わすことに慣れていないほとんどの日本人にとって、とても有意義な番組であったと思う。

トールとミナミと言う名の牛

2005-12-22 18:56:56 | インポート
cow31ネパールから友人が帰国した。ネパール奥地のパタンのシルバリ村に僕の名前の牛がいる。トールとミナミの2頭だ。僕の所属する鹿児島西ロータリークラブの国際奉仕委員会でこの村の人々に牛を寄贈することにした。僕はイタリアからのゲストを招聘する勤めがあったためネパールへは行けなかったが、友人の川畑さんが、約束どおり、しっかりと命名してきてくれた。近い将来訪れて、是非対面したいと思っている。



自然は人間によって守られた

2005-12-21 15:51:50 | インポート
DSC02521昨日、オーストラリアから帰国した。もう渡豪は50回を超えるだろうか?毎年、オーストラリアの旅が終わると、一年が終わったような気がする。オーストラリアは不思議な大陸だ。古代人の足音が聞こえる。太古の風が吹き抜けていく。ところが、このオーストラリアも例外に漏れず、世界の異常気象の影響で寒い夏を迎えた。艶やかな紫色のジャッカランダーの花が咲き終わると、クリスマスツリーという黄金の花(宿木の仲間)が咲き乱れるのが通例だ。しかし、今年はこの二種類の花が同時に開花した。環境破壊は人間の手によるかのように人は言う。でも、ふと立ち止まってよく考えると、賢い人間たちの手によって、とっくに滅びてもおかしくない大自然がしっかりと生き延びている。もし、人間がこの地上に誕生しなかったら、地球の大自然はとっくに消滅していたかもしれない。人間は自然を養育するために誕生した。人間は大自然の守り神だ。人間はそんな風に生きてきた。森の動植物、川や海の生き物たち、命ある全てのものに魂を吹き込んできた。人間の心が大自然と共にあるとき、人間は人間でいられる。




二億年の時を越えて

2005-12-04 16:20:41 | インポート
DSC02410黄金の銀杏(いちょう)が公園の並木道で冬の風に誘われるように舞っていた。二つに分かれた一枚の銀杏の葉が、永遠に離れることのない二人の愛を教えているかのようだ。そんな愛らしさを、詩人ゲーテも詩の中に表現している。銀杏と書いて、イチョウともギンナンとも読む。現存する野生の銀杏の木は、中国の深い山の中にひっそりと存在しているだけだそうだ。時を越えて二億年の昔、恐竜が地球を支配していた時代、地球上いたるところに生えていた銀杏。恐竜にとっては大切な食料(イチョウの実でギンナン)、銀杏にとっては、その種を広い地域に蒔いてくれる、繁殖のためのアシスタント。そんな銀杏が恐竜の絶滅に伴って、地上からほとんど姿を消した。かろうじて生き延びた銀杏が、中国から日本に渡ってきたのが、今から500年ほど前。その当時、銀杏ではなくて、ギンチョウと呼ばれていた。このギンチョウがヨーロッパに渡り、ギンコと発音され、英語でgingkoと言うようになった。晩秋の銀杏舞い散る並木道には、二億年昔の風が吹いていた。