KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

創造力

2005-04-26 11:29:53 | インポート
ノーベル賞受賞者が共通して教えている言葉がある。Creative Failure 、すなわち失敗に失敗を重ねて初めて偉大なる発見に導かれていくと言う意味である。創造するということは、傷つけられ、傷つけられて、造りあげることである。失敗を許さない環境からは、絶対に生まれることのない感動である。「失敗しないように頑張りなさい。そして創造力を身につけなさい。」と、矛盾した教育をしたり、されたりしていると、人間はその環境から本物の希望を見出すことが難しくなる。満身創痍で生きてきた人間の知恵とエネルギーは爆発的なパワーがある。



地上最強の武器

2005-04-22 15:58:57 | インポート
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第31期学院生の最初の合宿である霧島研修(3泊4日)が無事終了した。地上最強の武器とは何かを理解し、創造し、手にするための第一歩の研修である。どんな武器なのかは、学院を訪問してくれた人々に紹介する(ちょっと、もったいぶって)ことにして、研修最後の学生のコメントにこんな件(くだり)があった。今まで高校で、大学で、受けてきた授業は一体何だったんだろう?と。答えは簡単である。自分の喜びのために学んでいると言う実感がないからだ。人間は、心から燃えるもの(パッション)を求めて生きている。人間として生きていくために、心から燃えるものがないと生き甲斐を感じれない。高校や大学という高等教育の現場に学問をパッションとして感じ取れる雰囲気が少ないからだ。人間一人一人が皆、主人公と自覚できる学問が求められる。その他諸々の人間として生きて生きたい人間なんて誰もいないのである。



夕日

2005-04-18 19:52:37 | インポート
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一日のうちで最も美しい風景は夕日だと思う。どれぐらいの人々が夕日をゆっくりと観賞できるほどのゆとりを持って生活しているのだろう。苦しみや悲しみ、そして一日の疲れを、しっかりと包み込んでくれる真っ赤な太陽。太陽の大いなる恩恵を決して忘れてはいけない。大自然の全ては、森や水、海、空、空気、雑草から小さな昆虫まで、太陽によって生かされている。太陽から奇跡の距離のバランスで地球は生きている。小高い丘の上に登り、波静かな白砂の上に腰掛けて、いや防波堤でもいい。夕日が沈む光景を、静かな時の流れを、無心に感じれる一時が欲しい。それだけで充分だ。僕が生きている証になる。



動物園

2005-04-16 11:37:58 | インポート
新しい学期が始まると、いの一番の研修が平川動物公園で行われる。幼い頃から何十回も訪れた動物園に、なぜ?答えは簡単である。ただ単に動物の見学に行くのではない。植物と動物が如何にバランスをとりながら人間と共存できるのかを学ぶことが、地球の常識、国際社会の常識だからだ。動植物を観察すると、人間が生きていくための答えが全てある。「一寸の虫にも五分の魂」と言うが、五分どころではない、無限の答えが潜んでいる。人類が豊かに生き抜く知恵は、目前の雑草の中にある。



中国反日感情の見解

2005-04-15 12:11:41 | インポート
反日感情に火を点けることで、必ず得をする人、特別な団体、グループが存在していると見たほうがいい。僕が日本に帰国した25年ぐらい前には、歴史認識問題や謝罪問題などはほとんど存在しなかった。きっかけは、当時日本のマスコミが中曽根総理を批判するためにとった方法で、日本のメディアが日本の政府を攻撃するような報道をしたことが原因である。中曽根首相の靖国神社公式参拝などの行為を過剰に取り上げ、中国や韓国の政府関係者にそれを批判させる、という手法をとった。こうして中国において反日感情が醸造されていくことになる。国民党の蒋介石も共産党の周恩来も偉大な政治家であり、思想家であった。国民党と共産党が共に協力し合い、新しい中国の在り方を見出そうとしていた。今のような一党独裁的な、国民をまとめるためのナショナリズムを煽るような考え方ではなかったように思う。江沢民政権から歴史は変わった。「愛国主義教育実施綱要」なる教育綱要が実施され、幼稚園から大学まで全ての学校で愛国教育を「義務付ける」ものとなり、バラバラな内部をひとつにまとめるには、外に「仮想の敵」を設定するのが一番よいと考えたのである。「仮想の敵」となる格好の相手は日本であった。一党独裁が生み出す陰謀である。反日感情を持たされている中国の人々の存在は、中国と言う国を掌握しているある特定の国家組織の目論みであることを忘れてはいけない。我々の祈りは、アジアの民が、共に手を取り合い、支え合って生きて行くことである。