伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

年末を前に、自宅に籠り 「水石・鉱物標本」 などのコレクションを整理

2020年12月23日 | 三重県の鉱物など


鳥羽市菅島産・希産鉱物の一つ 「含クロム灰礬石榴石」

 寒波の影響で外気もかなり低温となり、日中の日差しも乏しい中、師走もいよいよ下旬となった。
 年末を目前に、不要・不急の外出を控えてはいるものの、一日中自宅に籠り、寝転んでばかりはいられず、水石や鉱物標本などの蒐集コレクションの内、室内に置いている比較的大きな石の整理や片づけを始めた。

志摩市磯部町・広の谷産 「サメ水晶の晶洞」


 水石は、殆どが名石ばかりなので勝ち破れず、外庭や玄関の土間に出して、部屋の空間を少しずつ空けたが、手のひら大以上もある鉱物標本は、破って小形化出来るもののみ、いい部分を残してカットをすることにした。
 何年ぶりかに取り出した水石も、手に取ってみた鉱物も、大塊となると、それぞれに見つけた当時の感慨や、採集の苦労・苦行のプロセスが鮮明に思い出され、改めて暫し見入って、一つひとつの鑑賞を余儀なくされた。

朝熊山産・巨晶斑糲岩の晶洞から産した 「異剥石の群晶」


 今回は、平成年代に入ってから三重県内で採集をした鉱物標本の内、観賞に値する比較的きれいな標本を幾つか紹介してみよう。
 なお、本稿に掲載の標本写真の実物のサイズは、全て手のひら大か、それ以上のものを選んであります。

度会郡南伊勢町・河内の採石場産 「鉱層を成す赤鉄鉱」


 当地方原産のかなり大きな 「水石」 については、新年に入ってから、改めて紹介をしたいと思います。


北牟婁郡紀北町海山区・橡山産 「水晶の群晶」


四日市市宮妻峡・冠山林道の露頭産 「リチア電気石を含む晶洞」


松阪市西野町・スス谷産 「巨大な白雲母の群晶」

松阪市・阪内不動滝付近の露頭産 「鉄電気石」


多気郡多気町古江・櫛田川産 「角閃石の巨晶」(転石)

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三重県産の 「きれいな非金属鉱物」 ~ 伊勢すずめの鉱物コレクションより

2019年08月24日 | 三重県の鉱物など

紀州鉱山産の 「入鹿鋪石」 (蛍石の群晶 ~ 高さ約15cm)

 昨年の12月に、長年蒐集をして来た鉱物コレクションの中から、金属鉱物をピックアップし、 「三重県産の 『きれいな鉱石標本』 」 として、このブログに標本写真とその説明文の記事を掲載させて頂きました。 (バックナンバー・2018年12月07日 参照)

 今回は、三重県産の非金属鉱物の結晶に重点を置き、筆者の鉱物コレクションの中から、特に見栄えのする標本を幾つか取り上げ、 「三重県産の 『きれいな非金属鉱物』 」 として、同様に写真を掲載して紹介を致します。
 なお、産地名につきましては、採集当時の行政区画のまま記載を致しました。


水晶山産の「庇面式トパーズの巨晶」


 1.四日市市宮妻町山之坊、水晶山産の 「庇面式トパーズの巨晶」

 昭和の終戦間際に、水晶山のリチウム・ペグマタイト脈を坑道掘りで掘削し、含リチウム雲母を採掘していた鉱山跡真下(林道直下)の山林斜面から産した、戦後では最大の結晶標本です。
 当地は、平成4年(1992年)に筆者が再発見した場所で、山林斜面の表土のさらに下に、隠れるように埋没していたトパーズを含むペグマタイト・バラストのズリの中から、その翌年にかけて500個ほど採集したトパーズの内の最大の単晶です。
 結晶は淡黄白色半透明 ~ 不透明ですが、こぶし大程の大きさがあり(高さ約6.5cm)、四周完全な庇面式の巨晶です。 重量は約280gです。


堀坂山産の 「底面付きの黄水晶」


 2.松阪市伊勢寺町、堀坂山産の 「錐面を切る底面付きのきれいな黄水晶」

 この黄水晶は、昭和40年頃に、堀坂山の雲母谷(きらだに)上方の尾根沿いにあった珪長石鉱山跡のズリで見つけたものです。
 柱面はやや平板(ひらばん)になっていて、晶面はスリガラスのように光沢が鈍いものの、半透明黄白色、こぶし大の四周完全なきれいな黄水晶です。
 当地には、標準的な結晶形の水晶と共に、平板形や変形・奇形水晶も多産しますが、この標本は上端に、上下軸(C軸)に直交し、錐面を切る格好で底面(C面)が付いている大変珍しい結晶です。高さは約6.5cmです。


堀坂山産の 「鉄礬石榴石」(単晶)


 3.松阪市伊勢寺町、堀坂山産の 「県内最高級の鉄礬石榴石の単晶」

 堀坂山の雲母谷林道を登り詰めた谷筋にある、珪長石の試掘場跡のズリに何回か採集に通い、ズリの土砂に埋没した結晶粒をパンニングによって選別採集し、ひとまとめにした標本です。
 中にはかけらもありますが、主に酒赤色の偏菱形24面体形の遊離した単晶を成し、完全結晶の最大径は約1.2cmです。
 三重県下では一番きれいな鉄礬石榴石です。


白山鉱山産の 「鉄礬石榴石」(母岩付の美晶)」


 4.一志郡白山町山田野、白山鉱山産の 「母岩付き鉄礬石榴石の桃赤色の結晶」

 稼行当時の昭和40年頃に、鉱山のズリにて採集した標本で、桃赤色、梅干大の母岩付きの鉄礬石榴石の結晶です。 偏菱形24面体式の真っ黒な結晶が多い中で、全体がやや丸まっていますが、かなりきれいな良質の結晶標本です。
 結晶の最大径(長径)は約2.2cm、母岩全体の横幅は約10.5cmです。


青川産の 「灰鉄石榴石」


 5.員弁郡北勢町新町、青川産の 「晶洞に群晶粒を成す灰鉄石榴石」

 この標本は、青川上流の治田鉱山跡付近か流出したと思われる、スカルン鉱物を伴う川原の転石です。 レンズ状に細長く開いた空隙(晶洞)を2つにかち破って得た片破れの標本です。 小粒ですが、きらびやかな橙赤色の結晶が簇生しいてます。
 母岩は、半ばホルンフェルス化した緻密な緑色岩(角閃岩?)で、標本全体のサイズは、左右の横幅約11.5cmです。


名張市長坂産の 「灰礬石榴石」


 6.名張市長坂、方解石採掘場跡産の 「灰礬石榴石のきれいな単晶」

 長坂産のこの灰礬石榴石は、昭和39年頃の採集標本です。当時、現地は集落上方の段々畑の背後に、畑の肥料用として、方解石を採掘したような素掘りのほら穴があり、その直前の畑に無数の方解石片がばら撒かれていました。
 この中に、標本のような橙色の斜方12面体や偏菱形24面体の灰礬石榴石の単晶が混じっており、かけらなどは方解石の結晶粒(劈開破片)と共にいくらでも拾えました。
 当地のこの産状は、明らかに接触変成によるスカルン型で、他にも珪灰石や透閃石等があったと思います。
 この結晶標本のサイズは、直径約1.5cmです。


海山町木津産の 「電気石の美晶」


 7.北牟婁郡海山町木津、橡山林道産の 「電気石の美晶」

 この電気石は、筆者の発見した原産地での採集標本です。 昭和48年(1973年)の夏頃に、海山町の相賀(あいが)から銚子川の左岸を遡った「魚飛渓」上方の橡山林道の工事場に立ち寄った際に、その新設林道の切通しの崖面で、かなり粘土化したペグマタイト質脈を見つけ、この鉱脈中に遊離状態で晶出していた内の最大級の単晶と、放射束細柱状の集形になります。
 柱状を成す単晶は、親指大サイズで黒色不透明ながらも、ガラス光沢の著しい四周完全な端面付きの美晶です。
 サイズは、写真左側の柱状結晶の長さが約3.4cmです。


紀州鉱山産の 「蛍石の見事な群晶」


 8.南牟婁郡紀和町板屋、紀州鉱山産の 「蛍石の見事な群晶」

 かつて、国内屈指の複合型熱水性銅鉱床の鉱山であった紀州鉱山は、大・小さまざまな晶洞に富む銅鉱脈から成り、脈石や晶洞鉱物として、数々の美・巨晶を多産していました。
 特に蛍石は、立方体を成す無色透明の単晶から、淡青色(水色)や青色、緑色、黄色、桃色、紫色など、数多くの美・巨晶の群晶を産し、黄銅鉱や黄鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、磁硫鉄鉱、方解石、マンガン方解石、緑泥石、水晶、紫水晶などの群晶と共に、観賞用の 「入鹿鋪石」 (いるかしきいし)の代表鉱物として、盛んに販売されていました。
 この淡青色の蛍石の見事な群晶は、鉱山が稼行していた昭和48年、鉱山事務所を訪ねた際に、 「入鹿鋪石」 として販売されていた美晶クラスターの一つで、その当時産出の購入標本です。
 標本のサイズは、左右の横幅約10.5cmです。


紀州鉱山産の 「方解石の美晶」


9.南牟婁郡紀和町板屋、紀州鉱山産の 「晶洞晶出の母岩付き方解石の美晶」

 この母岩付き方解石の美晶は、稼行当時の昭和48年、「入鹿鋪石」の購入に何度か紀州鉱業所を訪ねた時に、居合わせた所長様から、じきじきに教材用の参考標本にと、特別に譲与して頂いたものです。 極めつけの完全な結晶です。
 この結晶のサイズは、径約3.8cmで、母岩全体の左右の横幅は約10cmです。


鳥羽市白木町産の 「マスカット色の葡萄石」


 10.鳥羽市白木町、藤原重機採石場産の 「大変きれいなマスカット色の葡萄石」

 かつての鉱産地として、白木町にあった採石場の跡は、近鉄志摩線の「白木駅」前の国道167号線沿いで、新設の第二伊勢道路の 「白木トンネル」 を志摩方面に出た、ループ道路のある辺りです。
 現在は、地山が完全にカットされて、平坦化した跡地の殆どは造成された住宅地と化しています。
 当地は、安楽島-五ヶ所構造線に沿って貫入している蛇紋岩体の最大肥大部です。昭和時代の戦後に、バラストを稼行の対象とした複数の採石場が開かれ、現在もすぐ近くで丸又鉱業が採石を継続しています。

 元あったこの場所には、昭和40年頃には丸又鉱業と藤原重機の二社が、隣り合わせで採石を稼行していて、その当時、蛇紋岩体に捕獲された形で、ロジン岩 ~ 斑糲岩・橄欖岩相の巨大な岩塊が露出し、そのコンタクト部や内部に、白色の炭酸塩-珪酸塩鉱物より成る複合脈状体が多数貫入し、脈内の空隙(晶洞)には、多数種のきれいな鉱物の結晶等が簇生していました。

 その中の一つに葡萄石があり、ソーダ珪灰石やソーダ沸石、霰石、方解石、脈性の灰礬石榴石等と共に産し、僅かながら単独脈もあって、掲載写真のようなマスカット色の大変きれいな葡萄石を晶出していました。
 この標本のサイズは、左右の横幅約8cmです。


伊勢市辻久留産の 「小球状を成す蛋白石」


 11.伊勢市辻久留三丁目産の 「小球状を成す蛋白石」

 この標本は、伊勢市辻久留三丁目にある新谷土建の採石場にて、昭和39年頃に採集した蛋白石の一つです。
 現地は、通称 「論出(ろんで)の土採り場」 と称し、三波川変成帯の石墨千枚岩や緑色片岩等に貫入した蛇紋岩の岩脈があって、この岩脈内とその周辺に、破れ目を充填する炭酸塩鉱物の白色脈の貫入がみられます。
 レンズ状に膨縮したこの鉱脈の中空(晶洞)には、時に方解石や苦灰石の表面を被覆する形で、仏頭状や小球状(魚卵状)のきれいな蛋白石や玉髄が皮薄層を成して晶出しています。
 現在は、切羽(露頭)の直前まで住宅が立ち並んでいて、土採り場は休業のまま放置され、立入り禁止の状態となっています。
 この小球状標本の直径は約0.4cmです。


伊勢市西行谷産の 「霰石の美晶」


 12.伊勢市宇治館町、西行谷産の 「菊花状の放射束を成す霰石の美晶」

 この菊花状に晶出した、放射束針状集形を成す霰石の美晶は、昭和37年頃の産出標本です。
 その当時、内宮側から朝熊山に登る新設道路 「伊勢志摩スカイライン」 の工事が、急ピッチで進められていましたが、その折に、西行谷を跨ぐ小橋架橋の基礎工事で、両岸の岩盤を成す蛇紋岩体が大規模に発削されていました。
 その工事に伴って、脈幅1mを超える程の海綿状を成す霰石脈が谷壁に露出し、この空隙(晶洞)に方解石や水苦土石、ジュエイ石、蛇紋石を伴い、一時的に産出したものです。 まもなく谷壁の晶洞はコンクリートで固められました。
 黄色の色合いや産状は、束沸石と見間違う程の美晶で、全国的に見ても、極めつけの希産標本と言えると思います。
 この標本全体のサイズは、左右の横幅約7cmです。


大野浜産の 「玉髄 ~ 瑪瑙質の漂礫」


 13.志摩市大王町名田、大野浜産の 「玉髄 ~ 瑪瑙質の漂礫」

 大野浜産のこの漂礫は、こぶし大程度のやや大きい目の浜砂利ですが、表面が玉髄 ~ 瑪瑙質に変質しています。 破れば内部は、貝殻状断口を示す灰色っぽいフリント質チャートと思われます。
 この漂礫は、不整合を成して基盤の中生代・白亜紀の地層(的矢層群)を被覆する、海成段丘堆積層(更新統)由来の珪質岩の亜円礫のようですが、変質のプロセスは定かではありません。
 この漂礫のサイズは、長径(長軸幅)約6cmです。

大野浜産の 「玉髄 ~ 蛋白石質の漂礫」

 14.志摩市大王町名田、大野浜産の 「玉髄 ~ 蛋白石質の漂礫」

 大野浜は、中生代白亜系(白亜紀の地層)である的矢層群由来の砂質岩や泥質岩、珪質岩(チャート)などの漂礫の堆積する砂利浜(じゃりはま)ですが、それらの扁平円礫 ~ 亜円礫に混じって、表面が黄土色 ~ 茶褐色の卵形や不規則で歪な小礫がごく僅かに打ちあがっています。
 この小礫は、的矢層群を被覆する形で不整合を成して堆積する海成段丘堆積層(鵜方層)由来の珪質岩の漂礫と考えられますが、元は礫層中の灰白色~灰黒色のフリント質チャートのようで、大野浜に広がる浜砂利とは別物です。
 それがなぜか表面のみならず、内部までが玉髄や瑪瑙、時には蛋白石と言ってもよい程の質感に変質し、著名な青森県袰月海岸産の玉髄 ~ 蛋白石の漂礫である、舎利石(地元で言う錦石)と見比べても、見分けがつかない程の美観を呈しています。
 掲載写真の内の、かち破っていない小礫のサイズは長径(長軸幅)約4.5cmです。


 「アクアマリン級の緑柱石の美晶」


 15.員弁郡大安町石榑南、水晶谷上流谷奥・晶洞産の 「アクアマリン級の緑柱石の美晶」

 この標本は、1992年(平成4年)に、石榑南の砂山に南側から登る登山道中腹沿いのカラト谷にある蛍石坑(日産鉱山)跡、並びに花崗岩ペグマタイトの調査に行った時に、偶然にその途中で晶洞を見つけて採集した標本の内の2個です。
 その当時、水晶谷上流の谷奥では砂防ダムの新設工事が成されていて、えぐられた谷壁の花崗岩の岩盤に、人頭大程のポケット状の晶洞が僅かに開口していました。

 晶洞の中は袋状に広がり、黒褐色の晶洞粘土(黒ボク)が詰まっていて、煙水晶の錐面とカリ長石の頭が見えていましたが、内部は未開口、未採集のままでしたので、黒ボクを掻き出してパンニングを試みた処、多くのチンワルド雲母や煙水晶、曹長石などと共に、小型のトパーズ数個と、ライトブルー(淡青色・水色)で透明な、細柱状 ~ 柱状を成すきらびやかでクリアランスな緑柱石の美晶、大・小合わせて30個ほどが採集出来ました。
 これらの結晶の内、特に細柱状の殆どは、柱面と共に両端に底面(C面)の揃った、無傷で四周完全な美晶です。

 掲載写真は、採集標本の内、プリズムを彷彿とするアクアマリンに匹敵する、一番細長くてきれいな細柱状の結晶と、宝石レベルの一番太い柱状結晶を選びました。
 標本のサイズは、右側の細柱状の結晶が長さ約3.6cm、左側の柱状の結晶が最大径約0.6cmです。

 ちなみに、三重県下では緑柱石は、阿山郡大山田村(旧行政企画になります)の三谷や広瀬の珪長石採石場(跡)で、淡黄緑色の不透明な小指大の柱状結晶が、一時期僅かに産出しただけで、このような宝石レベルの緑柱石の産出例は、三重県内はもちろん、全国的にみても、滅多に無いのではないかと思われます。


 以上の他、未公開ですが、三重県内の各地で採集した美・巨晶を含む鉱物標本を、私物コレクションとしてたくさん所持しています。又、機会をみて紹介をしたいと思います。

 

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三重県産の「きれいな鉱石標本」 ~ 伊勢すずめの鉱物コレクションより

2018年12月07日 | 三重県の鉱物など

紀州鉱山産・黄銅鉱の結晶(群晶 ~ 左右幅約7cm )


 石に興味を持ち、鉱物趣味を経て水石美の探求に没頭し、観光地等の土産物品を始めとする国産の石製品なども、僅かではあるが主なものは集めてみた。 既にブログのバックナンバーに記してきた通りである。紀州鉱山産・方鉛鉱の結晶(群晶 ~ 左右幅約11.5cm )

 さて、我輩の鉱物コレクションの中には、かつて県内外の鉱山から採掘された鉱石や、各地の採石場での産出標本も数多くあり、自採集品のほか、全国各地の鉱山等から取り寄せた標本や、ミネラル・フェア等での購入品も多少は含まれている。
 特に貴金属鉱物や宝石の原石鉱物、飾品用鉱物種などの美晶等は、高価極まりないので、特別なものを除いてはあまり購入していないが、国産品として入手出来ないものは若干買い求めた。

 コレクションの中でも、標本への特別な愛着となると、やはり自らの手で苦労をしながら採集し、また偶然に見つけた美・巨晶などに尽きる。
 今回はその鉱物コレクションの中から、三重県産のきれいな金属鉱物(鉱石)の標本10数点(産地15箇所)を選び、北勢地方から順に掲載写真にて紹介する次第である。


 1.治田鉱山跡産の 「斑銅鉱」治田鉱山跡産・斑銅鉱

上掲写真の部分アップ


 昭和60年代に北勢町の青川を遡り、治田鉱山跡の大通洞坑の前で、幾つかの黄銅鉱を含む鉱塊の転石を採集した折に、その一つの表面に二次的に生じていた標本です。 茶褐色の水酸化鉄等(ヤケ)でコーティングされた表面の一部に、実にきれいな青紫色の鉱山用語で言う「トカゲ鉑」(とかげばく)を呈しています。
 標本全体の左右幅は概ね15cmで、鉱石の全重量は1.95kgです。


 2.四日市市 水晶山産の 「錫石」


水晶山産・錫石


 四日市市宮妻町山之坊の「宮妻峡」左岸の水晶山にある、Li ペグマタイト坑跡直下のペグマタイト・バラストのズリにて、トパーズや水晶などを採集していて見つけた微細な小塊です。 標本の丸箱の直径は5.6cmです。
 ちなみに、当地のトパーズ量産の再発見は、我輩によるものです。


 3.多気町 丹生鉱山産の 「辰砂・黒辰砂」丹生鉱山産・水銀鉱石(辰砂・黒辰砂)
 昭和40年代の初めに、丹生の在所の東方にあった当地の史跡のひとつ、「保賀口坑」が再開発されて辰砂や黒辰砂を出鉱し、数年間稼行した後に閉山となりました。
 その閉山間際の昭和48年に、坑内底の最大富鉱脈から採集をさせて頂いた、全体が鉱脈を成す辰砂と黒辰砂の共生した塊鉱標本です。
 この標本のサイズは、最長幅約14cm、重量約1.46kgで、大変きれいな水銀鉱脈の一部(鉱塊)です。


 4.鳥羽市 赤崎鉱山産の 「孔雀石」 と 「銅藍等の銅鉱石」
赤崎鉱山産・孔雀石

赤崎鉱山産・各種の銅鉱石


 赤崎鉱山は、鳥羽市の市街地はずれ(鳥羽5丁目)の旧国道167号線沿いにある、赤崎神社の隣の切り崩された崖の山です。 明治時代の末頃に発見され、大正時代から昭和の初期にかけて採掘が成されていましたが、戦後の休山を経て、現在は母岩の蛇紋岩や角閃橄欖岩などのバラストを、不定期に採石している採石場となっています。
 昭和30年代までは、坑道が一つ坑口を開けていましたが、40年代には埋められてしまいました。 当時は銅鉱脈の露頭も見られ、黄銅鉱のほか孔雀石や珪孔雀石などの二次鉱物も多産し、脈石には曹長石のほか、燐灰石や緑簾石も豊富に見られ、幾らでも採集出来ました。
 この標本の内、孔雀石は最長幅約4cmで、別の銅鉱石の集合標本の写真右上の真鍮色の円盤は、研磨した黄銅鉱で、直径は約2.5cmです。


 5.鳥羽市 志州鉱山跡産の 「孔雀石・珪孔雀石」
志州鉱山跡産・「孔雀石・珪孔雀石」
 志州鉱山は、赤崎鉱山と並行して開発され、同時期に一時的に坑道掘りで採掘をしていた、赤碕鉱山類似の銅鉱石を産出した小規模鉱山です。
 昭和40年代から50年代にかけては、鳥羽シーサイドホテルの北側の海岸に、水没した坑道があり、付近の海岸一帯にズリ石が散乱していました。 この中に黄銅鉱や孔雀石、珪孔雀石がたくさん見られました。 当地からは、黄銅鉱に共生する磁硫鉄鉱も少量産出しました。
 この標本のサイズは、左右の横幅が約12cmです。


 6.鳥羽市 船津町の 「黄鉄鉱」


船津町産・黄鉄鉱(単晶)


 鳥羽市船津町の国道167号線から分岐して入る、鳥羽レストパーク(墓地公園)に至る道路の工事の際(昭和50年代の半ば頃)に、ちょうど峠になった切通しの崖の斜面に露出していた、緑色片岩の破砕によって生じた青緑色の粘土中に産し、数mm程度の単晶(主に六面体式)が遊離状態でたくさん散在していました。
 この標本はその頃の採集品であり、この産地は我輩の発見地です。


 7.伊勢市 朝熊山の山麓産の 「クロム鉄鉱」朝熊山の山麓産・クロム鉄鉱
 昭和40年代に、朝熊山麓の五十鈴トンネル横の岩井田山の通称「水晶谷」(施餓鬼谷) 下の流出土砂(土石流)の中から採集した現地性の転石で、この中に磁鉄鉱類似の黒っぽい粒塊が入っていました。 弱磁性があるものの、条痕色が茶褐色味を帯ていたので、その後の検討でクロム鉄鉱(一部は苦土磁鉄鉱?)と鑑定された標本です。
 この標本のサイズは、左右の横幅が約12.5cmです。


 8.伊勢市 旧・白石山産の 「褐鉄鉱」旧 白石山産・褐鉄鉱

 この標本は、昭和30年代の現地での採集品です。 原産地は、現在三重県立宇治山田高校のグランドとなっている場所です。 但し、褐鉄鉱は鉱石名で、鉱物種としての正式な名称ではありません。
 当時、この場所一帯の丘陵地は「白石山」(しらいしやま)と呼び、梨や葡萄畑の広がる果樹園でした。 その果樹園の中に、旧宇治山田高校の校舎の裏(八日市場町)から、徳川山(秋葉山・二俣町)に至る、ちょっとした峠越えの小道があり、宮川右岸に位置するこの高位段丘堆積層を切り開いた「切通し」があって、ここの砂礫層の中に幅1~数cmの褐鉄鉱のきれいな鉱層が露頭を成していました。
 この鉱層は、路面にも横切る形で露出していたので、当時は道端で幾らでも良質の褐鉄鉱が採集が出来ました。
 当地は小学生時代の新発見の産地になりますが、現状は上述の通りですので、本品は絶産標本になります。
 標本3個のサイズは、最長幅が左からそれぞれ7cm、4cm(中央上)、5.5cmです。


 9.伊勢市 上野町産の 「珪ニッケル鉱」


上野町産・珪ニッケル鉱


 この標本は、上野町を流れる横輪川左岸の蛇紋岩の露頭で採集してきたものです。 スリッケンサイド(鏡肌)を成す断層面内に、きれいな青緑色の皮殻を成していました。 母岩全体は含ニッケル蛇紋岩のようです。
 かつては、近隣の円座採石場など、付近一帯の蛇紋岩地帯からも、滑石やクロム雲母などと共にごく少量産しましたが、現在この場所はほぼ絶産となっています。
 ちなみに、珪ニッケル鉱は鉱石名で、鉱物種としての正式名称ではありません。
 この標本のサイズは、大きな断片が最長幅約12cmです。


 10.伊勢市 二見町産の 「自然銅」


二見町産・自然銅(朱色の丸枠内)


 二見町の立石崎から続く音無山を貫く、国道167号線の二見トンネルをその横に新設する際に、「新二見トンネル」の発削工事で掘り出された、廃石中の石英片岩の中から見つけました。
 母岩の節理の間隙に、ごくわずかに生成していたもので、細かな樹枝状を成す米粒程度の微粒です。 表面は錆びてしまいましたが、立石崎付近の類似の石英片岩を調べてみても皆無であり、その後は見つかっていません。 赤銅鉱を伴う貴重な標本です。
 囲いマークの朱丸は、直径約0.5cmです。


 11.度会町 栗原鉱山跡産の 「バラ輝石・菱マンガン鉱・他」


栗原鉱山跡産・マンガン鉱石(桜マンガン石)


 この標本は、鑑賞用の「桜マンガン石」として研磨したもので、ピンクの濃い部分がバラ輝石です。 薄いピンク色は殆どが菱マンガン鉱ですが、バラ輝石中にも共生し、混在が認められています。 茶褐色の鉱石は、ベメント石を主とするいわゆる「鰹節鉱」です。
 この鉱石(水石)のサイズは、左右の横幅が約10cmで、高さが約7cmです。重量は約600gです。


 12.度会町 火打石産の 「赤鉄鉱」
火打石産・赤鉄鉱
 当地方の赤鉄鉱は、中生層や古生層中のマンガン鉱床に伴って産したり、赤色チャート中の鉄石英などに伴って産するほか、石灰岩地帯や広域変成帯の結晶片岩などにも若干見られます。 この鉱石は、火打石の彦山川の現地性の転石で、内部にも赤鉄鉱が含まれています。
 この標本のサイズは、左右の横幅約10cmです。


 13.紀北町 海山区船津の船津鉱山跡産の 「輝安鉱」


船津鉱山跡産・輝安鉱


 紀北町海山区の新田から、上(かみ)に往古川を1㎞ばかり遡った右岸の支流の小谷に、輝安鉱を採掘していた船津鉱山跡があり、幾つかの坑道が残存しています。
 谷筋を少し入った所にあった坑口は、近年の土石流と砂防ダムの工事等で、その直前の貯鉱場跡の小屋の残骸と共に埋没してしまっていますが、昭和年代まではこのあたり一帯に鉱石が残存していて、鉱塊をはじめ、脈石の陶器状石英に伴ってきれいな放射状や柱状結晶がかなり見られました。
 鉱石の一部は、支流の小谷から往古川の合流地点まで流下していて、幾らでも採集が出来ました。
 この標本のサイズは、左右の横幅約6cmです。


 14.紀州鉱山産の 「黄銅鉱」


紀州鉱山産・黄銅鉱(結晶)


上掲写真の部分アップ


 この標本は、冒頭に掲載の標本(鉱脈の晶洞に晶出した群晶 ~ 標本の左右の横幅約7cm)と共に、稼行当時(昭和40年代)に紀州鉱山(石原産業株式会社・紀州鉱業所)で、鉱山土産の鑑賞用鉱石「入鹿鋪石」(いるかしきいし)として販売されていた鉱石の購入標本です。 四面体式の黄銅鉱の三角の結晶が大変きれいです。
 標本のサイズは、左右の横幅約11cmです。


紀州鉱山産・入鹿鋪石(観賞用の銅鉱石~ 左右幅約10cm)


 かつての紀州鉱山は、本邦屈指の熱水性の複合鉱脈型の銅鉱山で、銅・鉛・亜鉛鉱、及び硫化鉄鉱(黄鉄鉱)を量産し、ほかにもいろんな鉱石鉱物を伴い、豊富な晶洞からは黄銅鉱や黄鉄鉱の結晶をはじめ、蛍石や方解石、水晶、紫水晶などの脈石鉱物も美・巨晶がたくさん産出していました。
 閉山後は、鉱山資料館や鉱山電車(人車・トッコ)の運行と共に、湧出した温泉を売り物に観光化され、リゾート地となって現在に至っています。


 15.紀州鉱山産の 「方鉛鉱」

紀州鉱山産・方鉛鉱(塊鉱)

 この標本は、粒塊を成す方鉛鉱のみの小型の鉱石です。 銀ピカの金属光沢がきれいで、重量感があります。 他の方鉛鉱の結晶標本は、冒頭の掲載写真(鉱脈の晶洞に複数晶出した単晶 ~ 標本の左右の横幅約11.5cm)もそうですが、いずれも表面の輝きが失せてしまい、光沢が鈍く灰色っぽくなっています。
 この標本のサイズは、幅が概ね5 ~ 6cmです。 重量は約270gです。


 以上のほか、見栄えのしない各種のマンガン鉱物や含ニッケル鉱物、希元素鉱物を除いて、三重県下で量産した金属鉱物としては、治田鉱山や紀州鉱山産の磁硫鉄鉱がありますが、空気中では表面が茶褐色に風化し、ボロボロになってしまい、新鮮な結晶や断面でないときれいな鉱石とは言えません。 その他の金属を含む主な鉱石鉱物としては、下記のものがあります。

 砂金(北勢町青川)、自然銀(治田鉱山跡、他)、自然水銀(丹生鉱山、他)、砂鉄(熊野市新鹿海岸、他)、輝銀鉱(治田鉱山跡・紀州鉱山、他)、チタン鉄鉱(砂鉱 ~ かつての名張鉱山)、硫砒鉄鉱(治田鉱山跡、他)、閃亜鉛鉱(治田鉱山跡・紀州鉱山、他)、輝銅鉱(紀州鉱山・赤崎鉱山、他)、赤銅鉱(赤崎鉱山、他)、藍銅鉱(赤崎鉱山、他)、白鉄鉱(伊勢市小俣町大仏山 ~ 硫化鉄鉱質ノジュール中、他)、藍鉄鉱(四日市市桜町・伊勢市小俣町大仏山、他)、磁鉄鉱(鳥羽市菅島・志州鉱山跡・伊勢市朝熊山、他)、ペントランド鉱(鳥羽市菅島)、輝水鉛鉱(大安町石榑南・旧一志郡美杉村 ~ かつての美杉鉱山・竹原鉱山・丸松鉱山・松阪市堀坂山、他)、車骨鉱(紀州鉱山)、鉄マンガン重石(いなべ市大安町石榑南、他)、含マンガン赤鉄鉱(志摩市立神鉱山跡・南伊勢町河内の採石場・栗原鉱山、他)、武石(鳥羽市安楽島町・朝熊山・海山区船津・海山区木津、他)、クロム雲母(伊勢市円採石場)、含Li 雲母(四日市市水晶山、他)、燐灰ウラン鉱(旧一志郡白山町 ~ かつての白山鉱山)



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伊勢志摩地方の消滅した鉱産地と、当時採集した鉱物標本について

2018年04月29日 | 三重県の鉱物など

少年時代に採集した「赤崎鉱山の銅鉱石」の標本

 歳をとったせいか、昨今は水石の探石に明け暮れていて、鉱物採集に出かける機会が殆ど無いままに、ここ数年が過ぎた。 小学生の頃、伊勢市とその近郊から始めた鉱物採集は、中学・高校へと進むにつれて、県内各地の著名な産地から近府県、そして全国の主産地へと広がっていった。
 その間、幾つかの鉱山へも行ったが、大学を出て郷里に戻って奉職してからは、もっぱら三重県下の鉱産地に絞って採集を続けて来た。

 水石も、県内の石は探石がてらたくさん見てきたが、地元の伊勢志摩から奥伊勢(主に度会郡)にかけては、かなり良質の水石(名石)が得られる事もあり、殆ど遠出をする機会が無くなって、今日に至っている。

 昨年から、揚石した水石の整理と共に、長年ダンボール箱に封印していた、昔の鉱物標本のコレクションを引っ張り出して、整理をしはじめた次第である。
 少年時代に、マッチの空き箱に入れていた小型の標本も、何十年ぶりかに手にして見ると、懐かしさはもとより、今は消滅したそれらの産地や、当時の採集行の想い出がいろいろと回想される。
 当時幾つかあった伊勢市内の産地も、今は住宅街となっていたり、雑草に被われて立ち消えとなっていたり、痕跡すら消滅してしまっていて、絶産となった鉱物種が殆どである。


絶産となった辻久留産の「オパール脈」の標本


 今回は、当地方を代表するような、見て判るレベルの鉱物種にしぼり、知られざる産地の絶産種や産地の消滅標本も含み、写真にてその幾つか取り上げてみよう。

 少年時代に、何度か採集に行ったのは、まず五十鈴公園背後(伊勢市宇治館町)の通称 「水晶谷」 (古名は、施餓鬼谷・せがきだに)であり、よく祖父に連れられて 「針水晶」 を拾って来たものだ。
 その後、この鉱物は方解石であることが判ったが、ここは伊勢市の人々には、「針水晶の産地」 としてかなり知れわたっていた。
 水晶谷のある岩井田山(通称、菩提山・ぼだいせん)には、左隣りに似たような 「西行谷」 が並んでいて、ここでも方解石がよく採れた。
 その後、この山に 「伊勢志摩スカイライン」 の工事が始まり、続いて志摩方面に行く為の伊勢道路の 「五十鈴トンネル」 の掘削工事が成され、西行谷の切り破った岩盤やトンネルの廃石から、放射束針状の集形が実に綺麗な菊花状や、カリフラワー状を成す霰石が多産した。


当時採集した西行谷産の「霰石の標本」


 次によく行ったのは、鳥羽市赤崎にあった赤崎鉱山(当時は、赤崎銅山と呼んでいた)であった。 そのきっかけは、二見街道沿いの二軒茶屋の勢田川の土手に、この鉱山のバラストが運ばれて来ていたのを、中学校の同級生らが見つけてきて、金が入っていると見せびらかしていた事による。 その後、その石の出所が鳥羽の赤崎鉱山である事が判明し、その金色の鉱物は黄銅鉱であった。
 当時、坑道は塞がれていて、切り崩したズリ山のバラストには、希に黄銅鉱があり、鉱脈の酸化帯の二次鉱物である孔雀石や珪孔雀石などは、幾らでも採集出来た。

 さらに、何度か祖父に連れられて行った場所は、朝熊山の金剛証寺の周辺であった。 当時は、尾根伝いの旧道をボンネットバスに乗って登り、途中の急坂に差しかかるとエンストをするので、乗客全員が降りてバスを押したものだ。
 少年時代の記憶であるが、山上には金剛証寺の門前まで、無人の古びた木造の家屋が何軒か並んでいて、一番奥に 「野間万金丹」 の立派な店舗があり、老婦人が営業をしていた。 参詣者はこの店の軒先の縁台で休み、暫しお茶をご馳走になっていた。


朝熊山上・野間万金丹前産の「母岩付きの武石」

下記の文献に自然銅として記載(誤記)された「武石の図」

 実はこの店の真ん前の路上に、一辺数ミリ程の 「武石」 の単晶が産していた。 よく探さないと見つからなかったが、2~3個見つけた記憶がある。
 明治期の書物や文献にその記載があって、鉱物の専門家らには産出鉱物としてかなり知れわたっていたのだが、最初の文献と思われる 「三重県管内鉱物属一覧・三重本草巻の29」 (北勢 鎌井松石 自著、発行年不明)には、「一種自然銅、度会郡朝熊岳、野間氏万金丹見世 前なる坂道、又渓間に産出す。」 とある。 これは今にすれば誤記であるが、図入りで紹介がなされているので、貴重な記録である。
 当時の採集品は無くしてしまったが、その後、拡幅されたこの路面にて、母岩付きのごく細かな標本を採集して来たが、現在は絶産となっている。


 鉱物採集の思い出を綴ると切がないので、上述の場所を除き、その頃よく行った当時の産地と、採集した鉱物種を記し、並びに近年の採集鉱物を付記し、その内の主な標本写真を掲載しておきます。


産地の消滅した藤里団地産の「ドーソン石」


産地の消滅した藤里団地産の「菱鉄鉱」


 ◆ 主な産地
  ・ 伊勢市白石山(褐鉄鉱。 現在は宇治山田高校のグランドになっていて、産地消滅)
  ・ 伊勢市藤里町・藤里団地の造成地(ドーソン石、菱鉄鉱、苦灰石、他。 現在は住宅街となっていて、産地消滅)
  ・ 伊勢市朝熊山上の山上広苑内の崖(異剥石の巨晶。 斑糲岩ペグマタイト脈中に晶出)
  ・ 伊勢志摩スカイライン中腹の崖(球顆状の水苦土石、絶産)
  ・ 伊勢市辻久留の通称 「論出の土採場」 (玉髄、蛋白石、苦灰石、方解石、黄鉄鉱、珪ニッケル鉱、他。 ほぼ絶産)
  ・ 伊勢市辻久留の宮川河床の礫岩層( 「くい違い石」 の産地。 繊維状の含ストロンチウム霰石)
  ・ 伊勢市円座採石場(繊維状蛇紋石、灰鉄柘榴石、方解石、透輝石、滑石、石綿、クロム雲母、他。 立入り禁止)
  ・ 伊勢市上野町・沼木中学校手前の道路のカッティング(滑石、蛇紋石。 産地消滅)
  ・ 伊勢市小俣町の大仏山( 「植物化石」 の産地。 亜炭、藍鉄鉱、白鉄鉱質団塊、琥珀。現在は 「県営大仏山公園」 となっている)

絶産となった大仏山産の「藍鉄鉱」


  ・ 伊勢市二見町松下のマンガン鉱山跡(二酸化マンガン鉱、黄鉄鉱、石英。 産地ほぼ消滅)
  ・ 伊勢市二見町溝口の切通し(黄鉄鉱、石綿、蛇紋石、石英、葡萄石、スチルプノメレーン、他。 現在は切通しが消滅)
  ・ 度会郡玉城町積良の滑石山(滑石。 滑石掘り場の跡で、産地は立ち消え)
  ・ 度会郡度会町栗原・栗原鉱山跡(菱マンガン鉱、バラ輝石、ベメント石、ヨハンセン輝石、二酸化マンガン鉱、他)

栗原鉱山跡希産の「菱マンガン鉱の結晶」


  ・ 志摩市磯部町の石灰岩採石場跡、及び通称 「廃窯の穴」 (方解石、緑簾石、各種の鍾乳石、菱マンガン鉱、他)
石灰岩採石場跡産の「鍾乳石を置換した菱マンガン鉱」
  ・ 志摩市阿児町立神・立神鉱山跡(含マンガン赤鉄鉱、二酸化マンガン鉱、他)
  ・ 志摩市阿児町裏城・裏城団地造成地(高師小僧、褐鉄鉱。 現在は住宅街となっていて、産地消滅)
  ・志摩市浜島町大崎・浜島鉱山跡( 「合歓の郷」 郷内の海岸にあった。 含マンガン赤鉄鉱、二酸化マンガン鉱、他)
  ・ 鳥羽市菅島・鶴田石材採石場(ソーダ珪灰石、ソーダ沸石、透輝石、霰石、含クロム灰礬石榴石、他)
  ・ 鳥羽市安楽島町安久志・志州鉱山跡( 「鳥羽シーサイドホテル」 下の海岸。 黄銅鉱、磁硫鉄鉱、孔雀石、珪孔雀石、他)
  ・ 鳥羽市船津町・鳥羽レストパーク付近(黄鉄鉱の単晶、金武石、緑簾石)
  ・ 鳥羽市河内町奥河内・鳥羽鉱山(黄鉄鉱の単晶、二酸化マンガン鉱、含マンガン赤鉄鉱、菱マンガン鉱、他)
  ・ 鳥羽市白木町・丸又鉱業採石場(ソーダ珪灰石、ソーダ沸石、葡萄石、バニア石、霰石、方解石、他)
  ・ 鳥羽市安楽島町白根崎付近の海岸(水晶。 主に砂岩中の石英脈に微粒が簇生)


 ◆ 近年になって採集した鉱物
  ・ 菱マンガン鉱(伊勢市矢持町菖蒲の、国見山鉱業の開発した 「伊勢鉱山跡」 から下ろした貯鉱場跡の鉱石中)
  ・ 珪ニッケル鉱(伊勢市上野町の河岸の露頭、及び度会郡南伊勢町河内の採石場)
  ・ 緑簾石の結晶(伊勢市上野町の河岸の露頭、及び度会郡南伊勢町河内の採石場)
  ・ 黄鉄鉱の美結晶(鳥羽市河内町の、第二伊勢道路の 「鳥羽河内トンネル」 の廃石中)
  ・ 蛋白石(度会郡南伊勢町河内の採石場、及び志摩市大王町名田の海岸 ~ 蛋白石化した漂礫)

名田の海岸産の「内部が蛋白石化した漂礫」


  ・ 碧玉の転石(度会郡度会町火打石の彦山川)

彦山川産の「碧玉脈を含む転石」


彦山川産の「研摩した碧玉(ジャスパー)」


  ・ 瑪瑙 ~ 玉髄質鉄石英の転石(伊勢市宇治今在家町高麗広の五十鈴川)
  ・ ジェットの転石(黒玉となる無煙炭。 度会郡度会町日向の一之瀬川)
  ・ 方解石の巨晶(度会郡南伊勢町村山の、国見山石灰鉱山の敷地内のズリ)
  ・ 鏡鉄鉱(赤鉄鉱。 度会郡南伊勢町河内の採石場)

南伊勢町河内の採石場産の「鏡鉄鉱」


  ・ 重晶石(度会郡度会町栗原・栗原鉱山跡)



栗原鉱山跡産の「重晶石含むマンガン鉱石」


上掲写真の「重晶石のアップ」のEP

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ちょっと気になる「三重県産の宝石鉱物」

2012年02月25日 | 三重県の鉱物など

 

水晶山産 最高級のトパーズ~伊勢すずめ採集のコレクションより・高さ3.5㎝

 

 三重県下の宝石鉱物の産地

 三重県からも、宝石鉱物が産するよ・・・。と言えば、「ええっ、ホントですか?」と返される。鉱物コレクターやトレジャー・ハンターらには、そのような情報が各県にあるのはごく当たり前の事であるが、そうでない人々には、「まさか・・・。」の話である。しかし、最近、ちょっとばかり気にせずにはいられないようになった。

 と言うのは、小学生の頃より石に興味を持ち、三重県下の鉱物を採集すべく鉱産地を巡り、鉱山(跡)を訪ねたりしながら、何十年と山野を跋渉して来た。そんな中で宝石鉱物の新産地も発見し、幾つかの鉱産地の記載や報告文なども書いて来た。今になって、「伊勢すずめ」が、自らの鉱物歴を振り返る時、気になるのは、やはり三重県下の宝石鉱物の産地情報である。

 中学生の頃知ったのは、「奥鹿野のサファイア」、「種生のオパール」、「水沢のトパーズ」、「三谷のベリル」であった。後年、「三谷のベリル」(採石場跡ゆえ、戦前、既に絶産地となっていた)を除けば、現地での採集も含めて、全ての標本を手に入れたが、これらの産地で今も健在なのは、「水沢のトパーズ」ぐらいである。

 当時の行政区画を書いておくと、

  ・ サファイア ・・・ 名賀郡青山町奥鹿野・奥山谷
  ・ オパール ・・・ 名賀郡青山町種生
  ・ トパーズ ・・・ 四日市市水沢村山之坊・宮妻峡の水晶山
  ・ ベ リ ル ・・・ 阿山郡大山田村三谷

 以上の内、サファイアだけは、紅柱石と珪線石をふんだんに含む脈性ペグマタイトに伴うもので、紅柱石と珪線石の内部に青色を成し、斑点状に介在するタイプであるが、芥子粒程度で、とても「宝石」とは言えない代物である。それでもルーペで観察すれば、青色半透明の結晶面が見られて、結構美しい。確か林道から道なき小谷の笹薮を掻き分け、奥山谷の産地に行きついたのは、30年も前の話である。

 種生のオパールの産地を訪ねた時は、産出場所そのものが既に消滅していたが、その前に知人からサンプルとして、黄土色塊状の小さな採集品を譲って頂いていた。この地のものは、質感は正にオパールであるが、不透明で美観に欠如する小脈を成すものであったようだ。

 水沢のトパーズはと言うと、その情報源は戦前の学術論文で、水晶山のリチウム・ペグマタイトに巨大な晶洞が見つかり、当時、神戸中学校の生徒らによって大小多数の美・巨晶を成すトパーズが掘り出され、同校の理科の訓導(教諭)らによる論文が世に出て、一躍有名になったものである。
水晶山産 美晶トパーズ~伊勢すずめ採集のコレクションより・高さ2.5㎝  それ以前にも別の沢などから小さな結晶が希に採集されていたようではあるが。さらに明治期にまで遡ると、当地よりはむしろ、宇賀渓(旧、員弁郡大安町石榑南)の砂山の方が著名な産地として、全国的に知られていた。

 そして、終戦間際の昭和19年頃に、トパーズを産したこの水晶山のペグマタイト脈は、軍需資源確保の目的で、含リチウム雲母(リシア雲母・チンワルド雲母等)の採掘が成され、その当時の坑道が今も残存している。

 後年、我が輩は、坑道直下の林道下の表土(山土)のさらに下深くから、その当時のペグマタイト・バラストの多量のズリを発見し、大・小全部数えると、500個を優に越えるトパーズの美晶を採集している。この内の約20 個は、正に宝石級の原石サイズと質感を有する美・巨晶である。

 又、さらにその後の話であるが、宇賀渓・砂山直下の小谷の花崗岩体中に、ポケット状を成すペグマタイトの晶洞を偶然に見つけ、三高理研・地学部会のメンバーらと共に、その晶洞粘土の中からアクアマリン級のベリルの結晶10数個を運よく採集している。
砂山直下の水晶谷産 アクアマリン級のベリル~伊勢すずめ採集のコレクションより・長さ約3㎝  この内の一個は、単四の乾電池サイズの淡青色透明で、ブラジル産と見間違う程の見事な柱状結晶である。後にも先にも、当地からこのようなベリルの産出情報は聞かない。

 なお、三重県下のオパールについては、その後複数の産地が記載されているが、高校時代に我が輩が発見した、伊勢市辻久留三丁目の採土場(通称、論出の土採り場)産のオパールは、三重県下では一番きれいであり、既にブログのバックナンバー(伊勢・志摩の鉱物~2010年8月)で紹介ずみである。


辻久留産 小球状のオパール~伊勢すずめ採集のコレクションより・径約0.4㎝


 準宝石鉱物~美・貴石、他

 鑑賞石や装飾品に用いられる美・貴石は、水晶や煙水晶、ローズ・コーツ、玉髄、バラ輝石、蛍石、鉄礬石榴石、ベスブ石、鉄電気石などをはじめ、かなりの種類があって、鉱物ハンターやビギナー・コレクターの好みであろう。三重県各地の花崗岩ペグマタイトやスカルン帯から、美しい結晶も頻繁に採集されている。特に、蛍石の美晶クラスター(群晶)は、以前は紀州鉱山からたくさん産出し、鉱業所で観賞用に銅鉱石などと共に販売されていたが、閉山して久しくなった今は容易くは手に入らない。

 装飾用鉱物については、宝石のような基準は無く、見た目が美しければ何でもよい。但し、加工が容易な事と、量産し採算上見合うことがベースとなる。実際手にとってみると、美石(貴石・半貴石)や美晶鉱物が原石として使用されているケースが殆どであるが、中には宝石小片のくず石(ジェムストーン)から黒曜岩、紅簾片岩に至るまで、実に多くの鉱物、岩石と様々である。さらに、小型のアンモナイトの化石さえも研磨され、高値で取引されている。


 宝石の三条件と4C

 宝石は、一部の例外(生体鉱物である真珠や珊瑚など)を除けば、殆どが鉱物(これには、天然の原石と化学合成された人造鉱物とがある)である。

堀坂山産 鉄礬石榴石~伊勢すずめ採集のコレクションより・最大径約1.2㎝  宝石学の定義する三つの条件を記すと、
  1.比類なく美しいこと。
  2.不変の耐久性を持つこと。
  3.希少価値のあること。
である。

 又、宝石の品質鑑定には、一般に4つのCがその価値(価格)を決定する要素とされている。この4Cとは、
  ・ カラット(Carat)・・・宝石の重さを表す数値。1カラットは、0.2g
    である。
  ・ クラリティー(Clarity)・・・ 輝きを決める透明度。一般に合成宝石
    の方が天然品より勝る。
  ・ カラー(Color)・・・ 宝石独自の色のこと。
  ・ カット(Cut)・・・ 研磨された理想的な切子面等の総合状態。


 その他の三重県産の宝石鉱物

 以上に記述した以外にも、三重県下からは幾つかの宝石鉱物が産する。
水晶山産 リチア電気石~伊勢すずめ採集のコレクションより・最大長約2.8㎝  それらを記すと、
  ガーネット(鉄礬石榴石、他)、リチア
  電気石、アメシスト(紫水晶)、琥珀、
  ヒスイ(硬玉)、ムーンストーン(月長
  石)、アマゾナイト(天河石)、メノウ
  (瑪瑙)、ジャスパー(碧玉)
と、まあ、こんなところでしょうか。


 詳しく述べると、マニアックなコレクターやトレジャー・ハンターの方々を刺激しないでもないので、各々の鉱産地情報などの紹介は差し控えます。


砂山直下の水晶谷産 アマゾナイト~伊勢すずめ採集のコレクションより・左右の長さ約6.5㎝

 

大仏山産 コハク~伊勢すずめ採集のコレクションより・コハクの最長約2.5㎝

 

橡山産 アメシスト~伊勢すずめ採集のコレクションより・晶洞の左右幅約5.5㎝

 

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伊勢志摩に一番近い「水晶」の産地

2010年10月07日 | 三重県の鉱物など

少年達のお宝、「水晶」

 今は、百円ショップで、 パワー・ストーンとかラッキー・ストーンとかの名前でいろんな鉱物が売られており、水晶は「コーツ」や「クリスタル・ストーン」などと名付けられ、ピカピカに研磨した小石が小袋に入って並んでいる。昔からの言い伝えでは、無色透明の水晶玉は「魔除け」の御守りになった。そして、この六角のとんがり帽子の頭と柱から成る天然の結晶は、「六方石」とも呼ばれ、近くの岩山などで採れようものなら、少年達の探検心を煽るお宝であり、宝石に匹敵する憧れの鉱物であった。

 伊勢市では本物の水晶は、高麗広の大滝谷口の五十鈴川の岸でごく細かなものが産するが、伊勢道路が出来る以前は、五十鈴公園付近の小谷(施餓鬼谷)から「針水晶」なるものがたくさん採れた。それゆえ、この小谷を誰もが「水晶谷」と呼んでいた。見かけは白色~無色透明の針状の水晶さながらの鉱物であり、蛇紋岩の空隙に群生して産したが、この鉱物の正体は、後になって針状~柱状の方解石や霰石だという事が判った。

 伊勢市内の少年達は、それでも水晶だと信じ、この「針水晶」をよく採りに行った。学校には、幾つかの立派な本物の水晶の標本があったが、夏休みの宿題として学童らが集めた石の標本の中にも、岩から細かな水晶が生えたものを何処からか採ってきて出していた子がいた。その水晶の生えた石は、大杉谷で拾ってきたものだと言っていたのを覚えている。

 

三重県下で「水晶」の採れる所

 ブログのバックナンバーで、志摩市磯部町産のきれいな水晶の写真を紹介したが、この標本は、鸚鵡石付近の広の谷より産したものである。他では、鳥羽市安楽島町の海岸や青峰山の砂岩から砂糖粒のような微細な水晶(群晶)が採れるが、目ぼしい産地となると、伊勢志摩地方には殆ど知られていない。

 三重県下の水晶の産地は、幾つかあるが、現在でも拾える場所は、まず鈴鹿山脈の花崗岩地帯やスカルン帯が上げられ、ペグマタイト(巨晶花崗岩)の見られる宇賀渓や宮妻峡、朝明渓谷、スカルン鉱物(接触変成帯特有のCaに富む珪酸塩鉱物)の出る青川の上流などに行けばよい。さらに、伊賀市や名張市にもペグマタイト地帯は幾つかあり、県の南部では、紀北町海山区の船津や木津(こつ)、栃山、大杉谷(多気郡大台町)などがよく知られており、和歌山県に近い紀州鉱山やその周辺にも産地が点在する。

 伊勢志摩に一番近い場所で、誰もが手軽に行ける所としては、 松阪市の堀坂山(ほっさかさん)に古来の大産地がある。それゆえ、ここを紹介しよう。

 

松阪市丹生寺町から眺めた堀坂山(中央の山)

松阪市堀坂山の水晶の産地

 堀坂山は、奈良朝の昔から雲母石(きららいし・白雲母)の産地として有名な場所である。終戦後の昭和20年代には、珪石(石英)や長石を採掘し、陶磁器の原料鉱石として出鉱していた鉱山跡もある。雲母谷(きらだに)をはじめ、山の各所にペグマタイトと鉱脈があり、美しい水晶や柘榴石(ざくろいし)が採集されている。

 詳しくは、引き続いて記す「産地のガイド文」(筆者の著作「堀坂山の鉱物」より引用)を参照されたい。

1. 堀坂山について

 松阪市の西方に、山ひだの発達した険しそうな山々がそびえています。そのうちひときわ高い2つの頂きが目につきますが、向かって右側が観音岳(605.9m)、左側が堀坂山(757.4m)です。堀坂山には、東に下る尾根の中腹に電波の反射板が2つあり、銀色に輝いているのが眺められます。観音岳と堀坂山との間には堀坂川が流れ、ちょっとしたV字谷を形成し、小滝(乙女の滝、他)やきれいな渓流が見られます。谷の入り口を横切る高速道路付近の地形は扇状地で、山すそには活断層も走っており、以前は河床に段差のある露頭が見られましたが、平成に入ってからの改修によって消滅しました。

 山地へは、伊勢寺町から県道(合ヶ野-松阪線)が堀坂川の河谷に沿って通じており、松阪市森林公園を過ぎ、堀坂峠(468m)越えると与原の在所に至ります。 又、堀坂山の南・西方背後の山間地へは、辻原町で国道166号線から分岐し、阪内町を経て細野峠(450m)越えに分け入る県道(小原-辻原線)が通じており、伊勢山上(飯福田寺の行者岩で名高い山)のある飯福田町に至ります。さらにここから与原や一志方面に回ることもできます。

 松阪市の高峰堀坂山は、昔から白雲母(古名を"きらら"と言う)の産地として名高い場所です。伊勢名勝志という本によれば本朝年代記に元明天皇和銅6年(西暦713年) 伊勢大和両國より水銀雲母を貢す 今堀坂山に雲母石あり 往年紀伊和歌山藩主へ此の石献せしことあり 勢國見聞集 」 との記述があります。 又、終戦後の一時期に、珪・長石(珪石と長石、珪石は石英の鉱石名)を採掘し出鉱していた鉱山跡が、雲母谷とその上方の尾根付近にあり、現在も索道の一部(ワイヤー)が残っています。

 昭和30~40年代には、鉱山跡のズリ(捨て石場)や貯鉱場の跡付近から、巨大な白雲母、水晶がたくさん採集されました。これらの鉱物は、いずれもペグマタイトと呼ばれる鉱脈から産出するものです。堀坂山には、この鉱物の宝庫とも言えるペグマタイト脈が、今も各所に眠っています。

 

2. 堀坂山の鉱物

堀坂山産の水晶  堀坂山には、ペグマタイト鉱脈のほか、アプライトの岩脈や石英脈、含炭酸塩粘土脈などがあり、雲母谷の鉱山跡をはじめ、小谷やガレ場、河床の転石、道路沿いの崖などから、各種の鉱物が産出しています。雲母谷の鉱山跡では、常に石英、カリ長石、白雲母など、数種類の鉱物を採集することができますが、当地の鉱物は、松阪市森林公園と松阪市図書館(1階のロビー)に展示されています。

 堀坂山の主な鉱物種は、次の通りです。

【 ペグマタイト鉱物 】

  1. 珪酸鉱物:石英、水晶、煙水晶、玉髄
  2. 珪酸塩鉱物
    a.長石類
    :カリ長石(正長石、微斜長石)、曹長石、紅長石※、文象長石※
    b.雲母類
    :白雲母、加水白雲母、絹雲母、黒雲母、鉄雲母
    c.粘土鉱物
    :カオリナイト、モンモリロナイト、加水白雲母、絹雲母、緑泥石
    d.その他
    :鉄礬石榴石(てつばんざくろいし)、鉄電気石、普通角閃石(母岩中)、緑簾石、緑泥石
  3. 炭酸塩鉱物: 方解石、苦灰石

【 金属鉱物 】

    輝水鉛鉱、黄鉄鉱、赤鉄鉱、褐鉄鉱※、二酸化マンガン鉱※、忍石※
  ( ※ 正式な鉱物名ではありません )

 

3. 雲母谷の鉱物採集

 松阪市森林公園から、堀坂峠に至る県道に出て右に折れると、すぐ先の左手に「林道雲母谷線」が分岐しています。この簡易舗装された林道を500mほど登って行くと、終点付近に貯鉱場の跡があり、路面に白っぽい石英の小片が散乱しているのが目につきます。この前方の小谷が雲母谷です。谷の入り口左手の山の斜面に当時の試掘跡のズリがあり、ここで水晶や煙水晶、鉄礬石榴石、白雲母、カリ長石などを採集します。ズリの土砂をザルですくって水洗いをすると、時々サッカーボールのような感じの、コロコロしたきれいな鉄礬石榴石の結晶(最大数ミリ程度)を採集することができます。

 石英塊の散乱するこの谷を少し奥に入ると、作業小屋跡の石積みがあり、純白のきれいな石英を拾うことができます。さらに、ブッシュをかき分け谷を上り詰めると、谷壁を成す岩盤の一部に、小さなレンズ状の晶洞を伴うペグマタイト脈の貫入露頭が見られます。(この晶洞内の水晶はすでに採集されてしまいました )

 以前は、採集の度に小型の水晶(平板タイプが多い)が拾えましたが、今は結晶面のあるかけらが拾えればよい方です。整った形のきれいな水晶を採集するには、この山の上方の尾根付近にあるもうひとつの鉱山跡に行かなければなりません。 ただし、ここからさらに40分ほど、立ち消えになった当時の山道をたどらなければなりません。

 雲母谷では、次の鉱物をチェックし、採集して下さい。

石英、水晶(かけら)、煙水晶(かけら)、鉄礬石榴石、カリ長石、紅長石、曹長石、文象長石、白雲母、黒雲母、鉄雲母、絹雲母、緑泥石。

 

4. 堀坂山の水晶

 六角の柱面と、とんがり帽子の錐面から成る水晶は、珪酸( SiO2 )を成分とする石英の結晶を言います。地方によっては俗に「六方石」とも呼び、昔から蛍石(ほたるいし)や石榴石(ざくろいし)、とともによく知られ、親しまれてきた庶民的な日本人好みの鉱物です。石英を鉱石として掘り出す時は、「珪石」(けいせき)と称し、主にガラスの原料などになります。

 堀坂山では昔から「きらら石」がたくさん採れ、これといっしょに水晶も産出し、珪石・長石を目的とした鉱山が開発された当時は、鉱脈中の晶洞よりビールびん大を超える巨大な結晶が出たそうです。近年、雲母谷南隣のスス谷において大きな晶洞が発見され、煙水晶の巨晶が採集されていますが、堀坂山の水晶は正しい形のものとともに、薄っぺらな「平板水晶」(ひらばんすいしょう)と言うタイプの結晶が数多く見られます。

堀坂山産の煙水晶  鉱物は産地によって結晶の形や色、出方に癖があり、平板水晶もその「晶癖」のひとつです。このほか、双晶を成すもの、幾つもの小型の結晶が「笙の笛」のように行儀よく並んでくっついた状態の平行連晶を成すもの(笙状水晶や鎧水晶)、太さの違う2本の水晶が連結したような「松茸水晶」(平行連晶の一種)、そして頭の一部にアクセサリー的な小面を備えた「右水晶」や「左水晶」などが見られます。色ついては、無色透明のものを外国では「Rock Crystal」と呼びますが、普通の水晶は無色透明か白色です。堀坂山ではこのほか、乳白色の「乳水晶」(ちちずいしょう)、焦げ茶色の「煙水晶」(けむりずいしょう)、やや黄色味がかった淡い「黄水晶」しか採れません。色が単色でないものは俗に「二色水晶」などと呼んでいます。

 また、異質の水晶として、結晶の内部に小型の水晶や別の鉱物、気泡、水泡などが入り込んでいるものがあり、見え方によって、それぞれ「山入り水晶」、「草入り水晶」、「泡入り水晶」、「水入り水晶」などと称します。結晶内部のこれらの包有物は「インクルージョン」と言い、ひとつの水晶が結晶として成長する以前に、すでに鉱液の内部にその鉱物が晶出していたものです。 堀坂山の水晶にも時折、電気石の針状結晶や絹雲母の微片などを取り込んだ、いわゆる「ススキ入り」や「箔入り」タイプが見られます。

 

5. 水晶の本

水晶だけを取り上げて解説した書物となると、以外と少なく、 鉱物図鑑以外にはなかなか見つかりません。そこで、手ごろな初心者向けの一般書を幾つか紹介します。

  • カラー自然ガイド 鉱物 -やさしい鉱物学-
    (益富寿之助 著・初版 1979 , 保育社)
  • 鉱物採集フィールドガイド
    (草下英明 著・初版 1982 , 草思社)
  • 楽しい鉱物学
    (堀 秀道 著・初版 1990 , 草思社)
  • 山の結晶 -水晶の鉱物学-
    (秋月瑞彦 著・初版 1993 , 裳華房)
  • たのしい 鉱物と宝石の博学事典
    (堀 秀道 著・初版 1999 , 日本実業出版社)
  • 「鉱物」と「宝石」を楽しむ本                    (堀 秀道 編著・初版 2009 , PHP文庫)

 中には絶版となった本もあるかも知れませんが、 最寄りの書店に依頼すればどれかは入手できるはずです。この内「山の結晶」は専門書ですが、他はアマチュア向けのやさしい読み物(解説書)です。中でも、「カラー自然ガイド 鉱物 -やさしい鉱物学-」は、色々な水晶のカラー写真を掲載した文庫本で、内容のあるとてもよい本です。なお、小学生向けの手軽な図鑑としては、学習研究社のポケット図鑑シリ ―ズの「鉱物・岩石」をお薦め致します。

     

    写真上から

    • 松阪市丹生寺町から眺めた堀坂山(中央の山)
    • 堀坂山産の水晶
      (上3個は普通の水晶、下の2個は平板水晶-ひらばんすいしょう。左上の標本で、長さ約4㎝)
    • 堀坂山産の煙水晶(左の標本で、長さ約3.5㎝)

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