9月に入って早や半ばが過ぎた。 彼岸前なのに今年の初秋は、先週末までは梅雨にも似た曇天と地雨(じあめ)が一週間以上も続いていた。 残暑の中にも晴天の秋らしさが忍び寄って、次第に爽やかな秋半ばへと移行してゆく、例年のような秋晴れの日がなかなかやってこなかった。
天気図を見ると、ずっと秋雨前線が当地を含む東海地方の沿岸に居座っていて、狂ったように暑かった今夏の猛暑から開放されたのは良いが、うっとうしい日々の連続で、伊勢市の宮川も五十鈴川も水流はずっと満水で流れ、川原が殆ど水没してしまっている。
今月に入ってからは、長々と無続く悪天候に閉口し、フィールドに出ることなしに、石の整理に明け暮れていた。 これまでに蒐集した当地方の水石や、県内外の各地から採集してきた鉱物標本などの取捨選択に、気も滅入り疲れも蓄積してきた。
気晴らしに、渓流や海岸に行こうとしても、スカッとした秋空のもとで爽風を感じなくては、とても気晴らしにはならない。
夜はと言うと、ヤフーのオークションやニュース等をパソコンで見ながら、連日何となく過ごしているだけなので、目が疲れ是も否も無く、気ままな生活だけに無気力になりがちである。 これではいけないと思いながらも、ガソリンの値上がりもあって、ドライブにも出る気がしない。
気が付けば、今春以降は、殆ど探石にも採集にも行っていない。 はて、さてどうしたものか … 。
今年の2月に、中学校の同級生で長年友人として交流を深め、探石や採集の良き連れであり、石好きだったY氏の持病が急変し、入院先の病院で急逝してしまわれた。 事前に見舞いに行ったものの、丁度インフルエンザが流行していた折でもあり、家族以外の外来者は面会をさせてもらえなかった。
それから半年が経った。 ふり返る度に悔やまれながらも、その時はただ葬儀に参列をしてご冥福を祈り、ひたすら見送るよりほかはなかった。
初盆になってお供え物を届け、拝ませて頂いて来てから1ヶ月が瞬く間に過ぎた。 秋の彼岸を前にし、かけがえの無い親友を失った心の空虚さと虚脱感は、未だに消えないでいる。 フィールドから少し足が遠のいたのは、多分にこの事も影響しているからだろう。
何事にも今ひとつ熱中出来なでいるのは、それ故なのかも知れない … 。
独りになっても、やはり伊勢志摩から奥伊勢にかけての名石などは、ヤフオク等を介して全国に発信し、彼のご夫人が自宅に保管している彼のコレクションも、かなり整理はしてあげたものの、ずっと残しておいてあげたい。
それよりも、我がコレクションの整理を、率先してしておかなければならないと思うのだが … 。
今年の採石品はと言うと、鑑賞に値するほどの水石は、先のブログとこのブログに掲載したほかは、僅か数点しかない。
彼岸には、自他の参墓と共に、動物供養の太江寺さんにも参詣し、翌10月には母親の卒塔婆の合祀供養に、朝熊山(奥ノ院)に登る予定でいる。