伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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続・伊勢志摩の 「 奇 石 」 について

2021年06月30日 | 石のはなし

二見砂丘産の 「砂岩の三稜石」 ~ 最長幅約6cm

 先月投稿したブログ 「伊勢志摩の『奇石』について」 の記述で、一つだけ書き忘れた石があった。かつて、伊勢市二見町の今一色海岸にあった二見砂丘産の 「三稜石」 である。
 二見浦海岸は立石崎を境にし、ここから東方の鳥羽にかけては、山地の山裾が荒磯を成し、岬と湾入が交互に繰り返すリアス式海岸の様相を呈しているのに対し、西方の五十鈴川河口の今一色まで続く4kmほどの伊勢湾南岸は、僅かに弧状を成す遠浅の砂浜海岸となっている。


昭和40年頃の 「二見町の空中写真」


 平成時代に入ってからは、護岸工事が何度も繰り返され、昔ながらの松林の防風林を除けば、嵩上げをした頑丈な防波堤や突堤が再整備され、原地形はかなり変わってしまった。
 立石崎から西方の五十鈴川右岸にかけての内陸の平坦地は、かつては立石崎から延びた砂州であり、この砂州は小高い海岸砂丘の痕跡と思われる高まりを断続的に残し、周囲は低湿地帯であった。
 現在は田畑となっているが、五十鈴川の流路 ( 分流 ) の変遷と共に、砂州は完新世になってから北方へと発達し、次第に低湿地の面積を増やしていった地史が読み取れる。


かつて今一色海岸に形成されていた 「二見砂丘」


 昭和年代まであった今一色の複数の海岸砂丘列は、現在では松林のわずかな高まりを残して、地ならしが成され、完全に消滅をしてしまっている。
 昭和年代には、西方に行くに従い波状に高度を増す松林が続き、比高3 ~ 5m、最大高度 8.5 m に達する砂丘列が見られ、この内の崩れた細粒砂の斜面や、海岸の漂礫等の中から、多少は波食を受けて頂角や三稜が少し丸まってはいたものの、明らかに 「三稜石」 と解る風食礫の形状を示す小礫があり、かなりの頻度で見つかった。
 これについては、筆者の著書 「二見町地学のガイド」 ( 初版 1983年10月20日 発行 ・ 再版 1984年10月20日 発行 ) に詳述し、地元の方々をはじめ広く紹介をさせて頂いた。

二見町地学のガイトに掲載の 「今一色海岸産の三稜石」 ~ サイズは数cm程度


 今一色の海岸砂丘の 「三稜石」 は、1980年の夏に筆者が発見したもで、砂丘の内部や裾地の砂に混じって産し、付近の路面にも散在していたし、浚渫砂礫の中にも比較的密集していたと思う。
 礫種の殆どは、宮川や五十鈴川から流出した小石で、漂礫となって海岸に打ち上げられた後、砂丘に取り込まれたのか、比較的短期間に伊勢湾から吹き付ける北西の卓越風によって形成されたとみられ、飛砂によって削られた風食面は、砂岩、頁岩、チャートなど、あらゆる礫種に兆候が見られたが、特に砂岩に顕著で形状もきれいであった。

 二見町今一色の海岸砂丘産の 「三稜石」 のサイズは、クルミ大からこぶし大に及び、大きいもの程、より波食の影響を受けたせいか、頂角や三稜がかなり丸っぽくなっている傾向にあった。
 三重県下では、「三稜石」 は当地が唯一の産地であったが、現在は砂丘が無くなり、全く見つからなくなっている。それ故、伊勢志摩の 「奇石」 に加えてもよいと思い、「続稿」 として加筆をした次第である。





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