伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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  感性の趣くままに-。

系外惑星とセカンド・アース(第二の地球)

2013年10月07日 | 科学エッセイ
Sun_shain

 宇宙科学の進歩と共に、ハップル望遠鏡など人工衛星による大気圏外からの観測や、大気の希薄な山岳高地に建設された、巨大口径の大望遠鏡での天体観測等がめざましい進歩を遂げ、コンピュータでのデータ解析も加わって、「系外惑星」(太陽系以外の惑星)の発見が相次ぎ、合成画像(グラフィックス化)による可視観測も夢ではなくなって来た。今やその数は数百個にのぼっている。 その殆どが、木星タイプの巨大ガス惑星のようだが、中には表面が岩石圏で出来た、「地球型」の非ガス惑星も幾つか含まれている。

 銀河系宇宙(天の川銀河)の中に限っても、地球に似た惑星の数は、数百億個はあるという。今までの我々の常識では、惑星と言えば太陽の周りを周回する「太陽系(内)の惑星」だけであった。昨今は、冥王星のはるか彼方に、幾つかの小型惑星が発見され、その数も1.5倍近くになっている。
Sedna 太陽系に限ってみれば、惑星のタイプも従前の「木星型」と「地球型」の2つの分類から、少し変わってきて、冥王星が「准惑星」に格下げされ、近年になってから、冥王星の外側に発見が相次いだ「セドナ」(2003 VB12)を初めとする冥王星サイズの小型惑星は、全て同様のタイプである。
 これらの共通点は、そのサイズの矮小性にあるが、多くは表面が氷で覆われた「彗星母体」のような小型の「氷球惑星」や、大気の存在は別として、「月」や小惑星のように、岩石圏がむき出しの高密度の「ロック型惑星」(仮称)である。
 このように見ると、従来の「衛星」の殆どは、元は太陽を回る小型惑星であったものが、母惑星に捕捉されて「衛星」となった感じである。「准惑星」を設けた事によって、それら本体の属性を考えると、「衛星」と「惑星」の区別も少しあいまいになったようだ。

 我々の知る太陽系の惑星を分類し直すと、惑星(系内惑星)には火星の外側に「巨大ガス惑星」があり、これらは木星、土星、天王星、海王星の4個で、各惑星の共通点は図体(ずうたい)の大きさに比べて、その密度の低さと共に輪を持ち、自転速度が速く、数個以上の衛星を従えている事である。 そして、太陽に近い所に存在している小型の「地球型惑星」であるが、現時点で表面に「海」を持つのは地球だけである。内側から見ると、水星、金星、地球、火星であり、これらの内、水星以外は大気を持ち、又地球と火星はそれぞれ1、2個の衛星を従えている。
 他のタイプは、既述の「准惑星」であり、一般にはさらに細かな「小惑星」となる。これらは、全地表が氷結状態の「氷球惑星」であったり、岩石圏の地表を持った「岩石球」のタイプである。将来、さらに増えるであろう准惑星の中には、地表が「金属質」や「全球砂漠」、さらに固相と液相のミックスした、「アイス・シャービック状態」のような地表を持つタイプ、さらに水とは異なる「異物質の海」を持つような、「木星や土星の衛星」類似の准惑星も無いとは言えず、やがては発見されるかも知れない。地表を取り巻く大気圏の存在の有無は、准惑星としての分類にはそれ程影響はしないようだ。
Keigai_wakusei_02
 さて、太陽系以外の「系外惑星」となると、それらの地表を直接観測するにはまだ先の事ではあるが、われわれの知らないタイプの惑星も結構見つかっている。太陽の出来損ないのような「ホット・ジュピター」(高温の巨大ガス惑星)や「褐色(矮小)惑星」、「スーパー・アース」(巨大地球型惑星)などの他、主星を持たない「浮遊惑星」(ジプシー・プラネット)や、複数の太陽(恒星)の周りを周回するKeigai_wakusei_01
「連星系の惑星」、さらに「双子惑星」や「三つ子惑星」もあるようだ。 
 系外惑星の中には、そのポジションやサイズが地球に似ていて、いわゆる「ハビタブル・ゾーン」(生命の可住領域)に位置する惑星が幾つか発見されているが、地表に程よい割合で「海洋」に相当する「H2Oの液相の水圏」を備え、酸素を含む程よい濃度の大気圏のある「セカンド・アース」的な惑星があるのかどうかである。
 さらに、親星のサイズや表面温度などが主系列の「太陽タイプの恒星」(赤色矮星)てあり、程よい地軸の傾きと自転速度、適度の重力や地磁気、バン・アレン帯のような有害宇宙線からの防御バリアの存在、程よい距離に程よいサイズの「月」のような衛星の存在も不可欠であろう。 加うるに地表の水・陸の面積比や大気圧、そして夜の適当な暗さ(これは銀河系内の星系の位置に起因)など、幾つかの条件をクリアするとなると、地球のように生命を宿し、長い地質時代を介して何度かのカタストロフィー(大破局・大破滅)と氷河期を経て、地上に人類のような知的高等生命にまで生物を進化させ、バイオスフェア(生物圏)を持ち、生態系を完成させた惑星が果たして幾つあるのだろうか。
Umi
 もし、このような「セカンド・アース」がたくさんあって、それらの何割かに動・植物がいて、その内のさらに何割かに知的文明が芽生え、人類が成し得たように、科学文明の産物である「非自然電波」(人工的な電磁波)を宇宙にばら撒き、アレシボ・メッセージのような呼びかけ電波を発し、ボイジャーのような探測機を宇宙に放出するレベル以上の「超・地球外文明」の存在を、近未来に果たしてキャッチ出来るのだろうか。 世界中の高性能のパソコンなどを駆使して、いわゆる「異星人からのメッセージ探し」は、かなり以前から試みられてはいるし、メガ・プロジェクトによるシステム化された「電波望遠鏡」も各地に建設されつつある。 
 しかしながら、このような人類の科学文明の寿命を考えてみると、この先1万年は持たないであろう。人口の増加がピークに達した後は、地表の資源はむさぼりつくされ、国家群の再編成とともに、一旦はスペース・コロニーに移住しても、やがてはその維持が出来なくなり、生理的寿命の頭打ちとともに、結局は病原菌との戦いや再生医療テクノロジーも、その生化学的、医学的、倫理的限界等から破綻をきたし、温暖化し続ける地表の空調システムもエネルギー不足となって、環境悪化に至る道筋は、想像に事欠かない。 
 地球文明の寿命を、この先約1万年と見積もって見れば、系外惑星の「セカンド・アース」のそれも似たり寄ったりであろう。移住など全くの空想科学に過ぎないのだ。このように考えると、地球外の知的文明が約1万光年より遠方において見つかっても、それは「異星人の文明があった」と言う過去形での発見に過ぎないのだ。

 天文学からスタートした「宇宙科学」や、太陽系の各惑星の探査、宇宙ステーションの建設等を主とする「宇宙開発」の進歩は、日夜目覚しいものだと感心する。 今や太陽系の各惑星の素顔等が明らかになり、かつてあった「火星の海洋」や河川の営力による「堆積岩」の存在、そして、分厚い大気に覆われた土星の衛星「タイタン」の地表も、物質こそ違え、地球的な水・陸・空にまたがる極低温下での諸現象の酷似なども明らかになって来た。
 しかし、宇宙を観測し科学する人間も、社会環境から切り離されれば、幾ら知的であっても、各個体は地球上に生じた生命物質の、一世紀にも満たない短い命(生理的寿命)の営みに過ぎない。 周りにいろんな生物がいて、生態系の保存された環境下で「生物の多様性」を感じれば感じる程、一握りの政治家による国政の結果としての、「歪んだ社会進化」から導かれる地球文明の加速度的な動脈硬化は、どの国家においても不可避なのかと思う次第だ。 おそらく、宇宙の遥か彼方の「セカンド・アース」においても、そこの知的生命(異性人)が形成した「超・文明社会」の成熟後の行く末は、「我が地球」と似たり寄ったりではないのだろうか?





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ロシアへの隕石落下被害から…。

2013年02月20日 | 科学エッセイ
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 先日、ロシアのチェリャビンスク州を中心に、白昼、隕石の落下があり、猛スピードで大気圏に突入し、通過後に上空で爆発した。その際の衝撃波が複数の都市に被害を及ぼした。隕石の落下に伴って生じた、このような空振による間接的な被害は、近年希に見る現象で、紛れも無く天災そのものであった。死者こそ出なかったが、建物の損壊と共に、多数の怪我人など人的被害も少なく無く、写真や映像によって、全世界に大きく報道された。 現地一帯に落下した隕石のかけらも、幾つか発見された。 そもそも隕石の落下現象は、我が国においても、昔から数年~10数年に一度はあった事であり、屋根に穴が開いたなど、被災らしき例も数10年に一度の割合で記録されている。それゆえ、さほど驚く事でもないのだが、小惑星起源の隕石が少しばかり大きかったのと、丁度、別の小惑星が、観測史上最も近くまで地球に接近した日時と重なってか、国際的に話題を呼んだ。 もし、日本の大都市だったらとの憶測もはたらき、おりからの原発施設内の活断層の問題や、北朝鮮のミサイルの発射問題、そして最悪だった先の関東・東北大震災や、その後の除染問題等々もあってか、日本中に衝撃が走った。このような被災現象は、全くの「想定外」だと、為政者や原発関係者からは、お決まりの文言も飛び出した。  地球上には、目撃例こそ少ないが、10分間に一個は、ソフトボール大の隕石が落下しているとさえ言われている。その多くはだだっ広い海洋と大陸なのだが、数年に一度は日本列島にも落ちている。 ところで、我が国は世界で一番数多くの隕石保有国であり、その殆どが南極大陸の雪氷原で採集された「南極隕石」である。その数現在では優に10,000個を越えている。国内で発見されたものや、各地に落下した隕石についても、数10個が国立科学博物館等に保管され、一部は展示されている。 そのほか、歴史上の過去に拾得された隕石も幾つかあって、各地の神社仏閣の御神体や寺宝として、人目に触れる事無く秘蔵されていると言う。
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 我輩もコレクションとして、海外の隕石を数個持っている。いずれも東京にて開催された国際ミネラルフェア等で購入したものだが、海外では隕石ハンターやバイヤー、それに集積した標本を取り扱う標本商も多数いて、我が国とは大きく事情が異なる。 今回のロシアの隕石も、拾得者は既にオークションに出品していたり、酒代として売却するなど、アカデミー当局の採集量より、商品となったものや個人の所有物となったものの方が多いとみられる。 隕石の種類は、大きく分けると「石質隕石」と「鉄質隕石」(隕鉄)、そしてそれらの入り混じった中間的な「石鉄隕石」である。ロシアへの落下隕石は、どちらかと言うと鉄を一割ほど含んだ「石質」のようだ。 石質隕石の特徴としては、大気中での燃焼皮殻と母斑(粘土を親指で押したような表面の窪み)が見られ、又、内部組織の特徴として、コンドリュールと呼ばれる輝石などから出来ている小さな「球粒」を有する事である。Mitouroku_inseki_02
 このような組織のあるものが多くて、一般に「コンドライト」と呼ばれているが、中には小球粒の全く見られない非コンドライトや珍しい炭素質隕石もある。 隕鉄の方は、殆どがニッケルを含む一種の鉄合金であり、強い磁性と共に比重が大きくて重さがあり、切断した研磨面には、「ウィドマン・ステッテン模様」と称する独特のモザイク状の模様が現われる。Gibeon_intetu_02
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 中間的な石鉄隕石には、ニッケル鉄などの含有比率や、含まれる鉱物の種類や組み合わさり方などで、様々なタイプがあるようだが、一番珍しくて貴重なものは、「パラサイト」と呼ばれる、半透明の橄欖石(オリビン)の結晶とニッケル鉄より成るタイプだ。非常に高価な隕石である。おそらく、地球内部の奥深いマントル下層(外核付近)には、たくさんあると思われる物質なのだが・・・。
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 日本では、落下した隕石や新発見の化石など(遺跡から出土の埋蔵文化財としての遺物を除く)が話題となると、かつては、研究用の名目で大学の大先生や博物館等の研究機関が、保管証一枚を残して引き取って行ったり、特に子供の場合は、取り上げ同然に、寄贈をよぎなくされたりするのが慣例であった。 中には私物としてこっそり持っている秘蔵家もいるようだが、この「天の恵」の貴重品に対して対価を払わずに、発見者(拾得者)にはその名誉だけを与え、いつの間にか公共物?に化けてしまった例が、数知れずにあるのだ。新種の恐竜の化石などもしかりであろう。 そんな話しを聞く度に、地方公共団体にしろ国家にしろ、何て国なんだ・・・ と、よく思ったものだ。 砂漠や大草原、裸氷よりなる氷床原などのある大陸の国家などでは、落下の確率も高くて、隕石ハンターらが多数くいる。金属探知機はもちろんの事、ヘリコプターなども繰り出し、上空から日夜探索をしていると言う。 特に北アフリカの砂漠で見つかった隕石は、最近、鉱物標本として業者により国内に輸入され、鉱物標本商を経て首都圏などに出まわっている。海外の例に倣って、グラム単位で計って幾らの売り買いが多い。 さて、隕石の落下に関連して気になるのは、我輩の居住地の伊勢市の界隈や、三重県下における過去の落下例である。伊勢市では、子供の頃に聞いた話として、戦前だったか戦時中だったか昭和の初期に、尾上町の「虎尾山」に隕石らしき物がぶつかった、との言い伝えを記憶している。
Toraoyama
 又、鳥羽市では生浦湾(おうのうらわん)の湾口にある大村島だったか麻倉島(おぐらじま)だったかにも、隕石が落下したとの話を聞いた事があった。真偽のほどは定かではなく、いずれも眉唾ものの話ではあるが、地元民の一部に伝承されている事も事実である。 三重県下となると、もっと数多くある話だと思うが、記録も記述も無くては調べようが無い。 ただ、昔からの地名に、「星」にまつわるものが幾つかあって、興味をそそられる次第だ。そのひとつに、「星落石」(ほしおちいし)と言う場所が櫛田川中流の香肌峡(松阪市飯高町作滝)にあるし、「星合」という地名も三雲町(松阪市)にある。他には「星川」が、桑名市と名張市にある。 地名については、昔からの伝承でもあり、別に学術的に検証する気はないが、隕石の落下に由来しそうな地名なので付記した次第だ。やはり地名の研究は、その土地の郷土史家に委ねるのが一番である。 さて、このブログを締め括るにつき、我が国では、隕石についての物珍しさはあったが、市井においては商品としての価値観が未だに乏しく、庶民が「隕石ハンター」や埋蔵金探しのような振る舞いを社会生活の中ですれば、即「気印」(キじるし)と思われかねない。 学校の先生ならともかく、学者を装ってもそれ程真剣に相手にされないであろう。巷の何々博士(はかせ)や自称研究者、そして石キチガイ的なコレクターらは皆、我が日本では特殊な人種なのであろう。
 ? ブログに掲載した隕石(隕鉄)は、全て「伊勢すずめのコレクション」です。




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