戦後歌謡史の概要
戦後はやった流行歌をみると、海外ポップスの日本語のカヴァー曲に始まり、やがて時代はオリジナル・和製ポップス歌謡の量産へと移る訳だが、戦後のヒット曲を回想すると、「リンゴの歌」(並木路子)や「みかんの花咲く丘」(川田正子)がまず頭に浮かぶ。続いて、「銀座カンカン娘」(高峰秀子)、「青い山脈」(藤山一郎・奈良光枝)、「リンゴ追分」(美空ひばり)、「お富さん」(春日八郎)、「この世の花」(島倉千代子)、「ここに幸あり」(大津美子)、「東京アンナ」(大津美子)、「有楽町で逢いましょう」(フランク永井)等と続く。但し、主流はまだ蓄音機で聴くSP盤と、ラジオから流れる歌番組の放送であった。
やがて和製ポップスの時代へ
和製ポップスのヒット曲を見ると、坂本九の「上を向いて歩こう」や、大ヒットとなった橋幸夫・吉永小百合の夢の黄金コンビのデュオ曲「いつでも夢を」がまず思い出される。このような、ある意味では当時の世相を反映した歌をはじめ、そのほか喜怒哀楽を歌った男女の恋物語のヒット曲も幾つかあった。浜村真知子のデビュー曲「バナナボート」のようなアチラもののカヴァー曲も意外とヒットしたし、森山加代子がビートをきかせて歌いまくった「じんじろげ」のような意味不明のヒット曲もあった。厳密に言えば、この頃はまだ、ポップスやニュー・ミュージックと演歌とが、今ほどはっきりと分かれていなかったように思う。
昭和30年代から40年代の流行歌事情
昭和30年代には、コロムビア・ローズや美空ひばりなど、第一線の実力派スター歌手が歌えばまずヒットしたし、アイドル歌手らが台頭する昭和40年代後半以降の歌謡曲とは、歌そのものの中身も違えば、歌を介して大衆を魅了する、流行歌ならではの大衆向けの娯楽文化がそこにはあった。30年代の後半頃からレコード盤は、いわゆるドーナッツ盤(EP盤)や33回転のLP盤となり、リーズナブルなEP盤は一気に主流を占め、喫茶店等にはジューク・ボックスさえ置かれていた。そして、少し遅れて、さらに安価な写真雑誌を兼ね備えたソノシートが出回る時代、昭和40年代へと移行して行った。
スカウトやオーデションの最盛期
当時は、歌手と言えば、庶民には映画俳優やスチュワーデスのように、正に雲の上のあこがれの人々であったし、高名な唯一のスター育成の専門学校「宝塚」を出れば、即スターの座は約束されていた。又、オーデションも盛んに行われ、ヤング向けの二大芸能月刊誌であった「明星」、「平凡」が新人スターの発掘をやっていたし、プロダクション間のスカウト合戦も盛んであった。それに加え、新人作詞家や作曲家らの歌謡曲の「売り込み」も効いた時代であった。ちなみに、「明星」、「平凡」に付いてくる付録の「歌本」や「ブロマイド」は、実に魅力的であり、女学生らにもてはやされた。
女優歌手・男優歌手の登場
引き続いて、一流女優や男優も歌えば当たるという神話が生まれ、吉永小百合の他、山本富士子、浅丘ルリ子、松原智恵子、岩下志麻、星由里子ら、そうそうたる女優らのドーナッツ盤が次々と売り出され、石原裕次郎をはじめ、勝新太郎、小林旭、鶴田浩二、渡哲也、松方弘樹らの有名俳優も、こぞってステージに立ち、映画の主題曲等を歌った。女優の場合は、特定のスター歌手以外は、一過性に終わったが、男優の場合は、たとえ歌が失敗に終わってもそれ程ダメージは無く、後々もよくネーム・バリューがきいていた。ヒット曲の中には、「月よりの使者」(三浦洸一&香山美子)のように、一流歌手とのデュオ曲も幾つか見られる。
「東京」、「銀座」、そして「京都」に「長崎」などの歌がヒット
さて、地名を冠した当時のヒット曲であるが、今で言う「ご当地ソング」とは訳が違う。特に多かったのが「東京」と「銀座」であり、「京都」と「長崎」がこれに続いていた。戦後の昭和半ば頃は、「東京」と言えば国の広大な首都であり、地方人には大都会ゆえの憧れの場所であった。そして、「銀座」はその中心地で、流行やファッションの最先端をゆく、華やかでゴージャスな究極の繁華街であった。「京都」はと言うと、純日本的な雰囲気の古都の筆頭であり、又、「長崎」はと言えば、郷愁、旅愁を帯びた遠い最果ての町と言うイメージがあった訳である。これらの町を歌った新曲の発表番組やリリースに、大衆はこぞって耳を傾けていた。
三重県出身の歌手と三重県のご当地ソング
本稿では、そんな戦後の時代を経て世に出た、三重県出身のメジャー歌手のデビュー・ヒット曲や、三重県を歌った、いわゆるご当地ソング等を、戦後のドーナッツ盤から幾つか拾い出してみた。過去に大ヒットを飛ばした三重県出身の芸人歌手は植木等(故人)ぐらいであったが、現在は、当代第一人者とも言える演歌歌手に鳥羽一郎さんがいる。正に今をときめく第一線のビッグ歌手であり、大ヒットした「兄弟船」は息長く歌われており、知らない人はいない。
◆ 三重県出身の主な歌手と、そのヒット曲(メジャー盤デビュー)
- ・ 植木 等
- : スーダラ節
- ・ 鳥羽 一郎
- : 兄弟船
- ・ 山川 豊
- : 函館本線
- ・ あべ 静江
- : コーヒー・ショップで
◆ 三重県の主なご当地ソング(音頭、小唄、民謡、盆踊り歌、祭囃、
市民歌、及び紹介済みの曲を除く)
・ 砂丘姉妹: 桑名の女(桑名の殿様)(C/W:尾鷲の姉妹(尾鷲節)。日本コロムビア)- ・ 川崎千恵子
- : 桑名名物(C/W:あゝ五十鈴川。ビクター音楽産業)
- ・ 三滝 洋
- : 四日市の夜(C/W:拝啓僕です。メイリュウレコード)
- ・ 藤堂輝佳
- : 四日市哀歌(A面:四日市小唄。エムプレスレコード)
- ・ 神戸一郎・八代政子
- : 恋の湯の山(A面:湯の山音頭。日本コロムビア)
- ・ 八汐亜矢子
- : 湯の山しぐれ(B面:冬航路。東芝EMI)
- ・ 春本 薫
- : 鈴鹿セレナーデ / 阿漕のちどり(ビクター音楽産業)
- ・ 田代京子・坂 康夫
- : 鈴鹿の空は微笑む(A面:鈴鹿おどり。テイチクレコード)
- ・ 楊敏・楊?(王偏に攵)
- : 湯の町つばき(○注 榊原温泉を歌っている。C/W:海螢。ビクター音楽産業)
- ・ 三宅 敏
- : 松阪の夜(B面:松阪ひとり。東芝EMI)
- ・ コロムビア・ローズ
- : お伊勢詣り(C/W:新調深川ぶし ○注 ジャズ端唄。コロムビアレコード)
- ・ 三波 春夫
- : 伊勢はよいとこ(他の収録曲:赤垣源蔵、信玄おどり。テイチクレコード)
- ・ 北島 三郎
- : 伊勢の女(B面:さすらい花。クラウンレコード)
- ・ 岩井きよ子
- : お伊勢まいり~伊勢音頭入り~(C/W:仲乗りさんだよ-歌:大塚文雄-。キングレコード)
- ・ 国崎 ゆり
- : 伊勢志摩ブルース(C/W:恋の涙は真珠いろ。マーキュリーレコード)
・ 大門まきほ : 恋真珠(A面:恋は艶歌かブルースか。キングレコード)
- ・ 下谷二三子
- : 尾鷲恋しや(C/W:尾鷲節。キングレコード)
- ・ 青木 玲二
- : 尾鷲雨情(SIDE 1 ベラ・チッタ名古屋。東芝EMI)
- ・ 山本たかし
- : 尾鷲ブルース(C/W:傷心。テイチクレコード)
- ・ 鳥羽 一郎
- : 熊野灘(SIDE B:海の航空便。クラウンレコード)
以上は、現在掌握している、筆者のE.Pレコード・コレクション等によるリストであるが、まだまだたくさん埋没している「三重県の歌謡曲」があるはずである。発掘出来次第、紹介をしてゆきたいと思っている。
なお、参考文献としては、1964年に出版された文庫本サイズ(横開き)の「三重県民謡集」(奥付がないので、出版元の詳細は不明。但し、裏表紙に三重県の文字とそのマークが印刷されている)が、一冊、筆者の手元にあるのみである。
写真上から
- 「若さで歌おう 第2集」東芝フォノブック
- (ソノシート盤。1962年12月発行、\250)
「お伊勢詣り」歌:コロムビア・ローズ (EP盤。1959年11月、コロムビアレコード)
- 「コーヒーショップで」歌:あべ静江
- (EP盤。1973年5月、キャニオン・レコード)
「伊勢志摩ブルース」歌:国崎ゆり (EP盤。制作年の記載なし、マーキュリーレコード、 \370)