伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

二月の終わりに・・・。

2014年02月27日 | 随筆・雑感・回想など
妙見山(伊勢市岩渕3丁目)から眺めた「雪の青葉台」

 雨水(2月19日)が過ぎたと思ったら、もう月末である。二月もあと一日となった。二月の事を旧暦では「如月」(きさらぎ)と言っている。古典書では「衣更着」とも書くが、「着物をさらに重ねて着る」意と解釈するのは誤りだそうで、広辞苑によれば、「草木の更生することをいう」とある。冬を越した草木の新芽が生え始める、春間近なこの季節にふさわしい二月の異称である。
 二月は水仙と共に梅花の2月にふさわしい銘石「梅林石」~ 一之瀬川産、左右約12㎝
香ばしい季節でもある。水石にも「梅林石」(ばいりんせき)や「梅花石」(ばいかせき)があるが、言うなればこれらの鑑賞石は、正に二月の銘石であろう。 梅林石は、伊勢から奥伊勢にかけて多産する、「杏仁状輝緑凝灰岩」である。  今月の出来事をあげるとすれば、上旬~中旬にかけての二度の大雪であろう。何十年ぶりかの大寒波にみまわれ、日本列島はどこもかしこも大雪となった。首都圏をはじめとする都会のみならず、甚大な被害が出た地方も数え切れない程で、従来の積雪量の記録を更新した県も複数に及んだ。市街地の雪景色 ~ 伊勢市岩渕2丁目の御幸道路市街地の雪景色 ~ 近鉄・宇治山田駅前 冬場は暖かくて、滅多に積雪をみない伊勢の街も、今月は二度ともかなりの積雪となった。しかも二回目の大雪は終日降りやまず、明くる日の午後の陽射しでも融けずに、日陰などでは数日間残雪として残った。その雪融け水で道路は泥だらけであったが、幹線道路だけは車の轍の跡が雪を掻き散らせて、早くから雪解け状態となったものの、街なかは、2~3日は水浸しならぬ「雪浸し」状態であった。自宅の屋上では、降雪量は25㎝を越えていた。市街地の雪景色 ~ 錦水橋より眺めた勢田川(川上方向)
 今回、太平洋側の平地にまで大雪を降らせた豪雪の原因は、上空への寒気の南下と共に、今は禁句となっているが、かつては気象用語でもあった「台湾ボウズ」のしわざである。戦後に生まれた昭和世代の我輩には、未だにこの言葉はクリアされずにいる。  2月から3月にかけての春先に、台湾沖で発生した温帯低気圧が、発達しながら日本列島の南岸に沿って東に進む時に、表日本の平地にも大雪をもたらすケースがあり、これを「台湾ボウズ」と称していた。少し古い気象学書や気象歳時記を見れば、必ずと言ってよいぐらいに出ている。 雪合戦など雪遊びのできるような積雪は、小学生の頃に幾度か体験したきりで、こんな豪雪は伊勢に生まれ育って見た事が無く、数十年来おそらく初めてであろう。



城ノ崎(志摩市阿児町甲賀)の海岸 今年になってからは、寒さのせいもあり、殆どフィールドには出ずじまいであった。昨年末からほぼ二ヶ月半の間、家に閉じ篭り切りであったが、好天の2月24日(月)に、暖かさにも誘われて志摩の海を見に行った。冬篭りから目覚めた、「伊勢すずめ」の気晴らしである。城ノ崎から眺めた志摩の海景 辿り着いたのは、阿児町甲賀の城ノ崎である。海風がまだ少し冷たかったが、寒さのやわらいだ春先の甲賀漁港は、のどかな志摩ならではの昼下がりの情景を呈していた。

のどかな昼下がりの甲賀漁港 ~ 手前は日干しのエビ網。対岸は阿児の松原






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日本の玉石工芸の地方都市や町を訪ねて

2014年02月05日 | 石のはなし
碧玉の産地である出雲の花仙山と、明治期のその採掘坑

 日本の石細工の工芸品(宝飾・調度品)については、バックナンバー(2013年8月1日参照)にも書いた通りであるが、その補稿として、国内の主な産地の状況ついて少しだけ述べてみよう。国産の幾つかの宝飾用鉱物や特殊な岩石については、今は殆ど量産しないので、原産地などでは伝承されて来た伝統工芸の技巧を生かしながらも、その原石は殆どが海外からの輸入品にたよっている。
勾玉マークのあるJR・玉造温泉駅の駅舎
 我輩は、かつて現職だった頃の平成4年~平成5年にかけて、全国各地の宝飾用鉱物等の産地の中で、古代より著名な玉石(ぎょくせき)の産地であり、それらの石細工が当地で現在も続いている、市や町などを探訪した事がある。 いずれの場所でも、地元で加工されて中国製の緑玉(軟玉ヒスイ)のミニ香炉 ~ 高さ約6㎝、国産品だとこのお値段は?いる石の工芸品は、質やデザイン、センスなど極めて繊細で大変高質・高尚であるが、中国などの品々に比べれば値段が一桁も二桁も高い。 観光土産の物産品等はともかく、装飾品や調度品となると、一般庶民にはウインド・ウォッチングするだけの高値の花であった。
 日本を代表する宝飾・工芸品細工のメッカは、かつて水晶の多産した山梨県(甲府市、他)であろう。江戸時代から受け継がれてきた水晶細工をはじめ、昨今は瑪瑙製品や美・貴石の類も加わり、宝石類から印材まで、各種の石の加工・生産業者が集中している。石の工芸品が地場産業としてのみならず、全国的に隆盛を極めた町は、御影石(花崗岩類)等の石材の産地を除けば、他にはまず見当たらない。 この山梨でも昭和年代の半ば頃までは、幾つかの場所で盛んに水晶や珪石(石英)を採掘していたものだ。その筆頭である竹森の水晶山(塩山市)や、乙女鉱山(東山梨郡牧丘町)も閉山して久しく、原石の多くはブラジルや中国などからの輸入品である。 我輩も学生時代には竹森にも行ったし、水晶細工の盛んな甲府市や観光地の昇仙峡の売店なども見て回ったが、乙女鉱山までは足を延ばしていない。
小滝川(姫川支流)上流の翡翠の里にて
 特に古代史に注目すると、装飾品や神器としての勾玉が浮かび上がるが、国産の勾玉のルーツとなると、その原料鉱物の多産した原産地に行き着く。中でも翡翠(硬玉)の原産地である糸魚川市(新潟県)と、玉造石(たまつくりいし。碧玉・ジャスパー)の原産地の玉湯町(島根県八束郡)界隈は、古代ロマンの双璧を成す。 純和製の他の宝玉類となると、水晶や瑪瑙、玉髄(蛋白石を含む)、黒曜小滝川上流の翡翠峡の俯瞰石、琥珀などがあるが、古代の宝玉類の生産遺跡(玉造部・たまつくりべ)の分布を調べると、北海道は当時はアイヌの先住地ゆえ皆無であり、本州を中心に見ると、姫川流域の長者原遺跡や細池遺跡(糸魚川市)から極楽寺遺跡(富山県中新川郡上市町)にかけてと、出雲の出雲国玉作遺跡群(松江市玉湯町玉造、他)から長瀬高浜遺跡(鳥取県東伯郡羽合町)にかけての地域、加賀の片山津玉造遺跡(石川県加賀市片山津町)から河和田遺跡(福井県坂井郡坂井町)にかけての地域の3箇所に集中しており、いずれも日本海側の海に近い場所である。  これらの遺跡に続くのが大阪市で、田能遺跡・八尾遺跡の周辺から大和の曽我遺跡(奈良県橿原市曽我町)にかけてと、東京湾奥の沿岸から利根川流域の八代玉作遺跡や大和田玉作遺跡群(いずれも千葉県成田市)にかけてである。他では、全国各地に数箇所ぽつんと散らばる中、佐渡の新穂玉作遺跡群(新潟県佐渡市)は、赤玉石(レッド・ジャスパー)や錦紅石(鉄石英、玉髄、他)の現産地でもあり、注目に値するが、我輩は佐渡には行けずじまいでいる。  上述の糸魚川市では、戦JR・北陸本線の糸魚川駅後の観光・物産事業として発展して来た翡翠細工が今も盛んであり、糸魚川駅(JR)の駅前に整備されたロータリーの築山には、翡翠の巨塊が据えられているし、市内には「糸魚川市観光物産センター」もある。  市内を流れる姫川上流・小滝にまで駅前に据えられた翡翠の巨塊 足を延ばすと、翡翠のふる里である翡翠峡(原産地)があり、西隣りの青海川の翡翠とともに、天然記念物に指定され、貴重な観光資源となっている。 市北のひすい海岸等で拾われている「海翡翠」は、遥か昔にここから流下し海に運ばれたものが、悠久の時を経て浜辺に打ちあげられたものである。 
観光物産センターで買い求めた翡翠製品(右・中央)と、海岸で拾った翡翠の原石(左)
 いっぽう玉造の方は、温泉街としてあまりにも有名で、濃緑色の勾玉のストラップや根付けなどが観光土産になっているが、花仙山をはじめとする原勾玉の原石である、花仙山産の碧玉
産地では、今は原石は殆ど採れない。出雲大社のある大社町や近隣地方、松江市などにおいて、外来の瑪瑙や青瑪瑙(染色玉髄を含む)などを用いて、観光土産品や装飾用の勾玉などに加工されおり、その技巧の伝承館(民営)などもある。 特に玉造温泉に行くと、町立の「出雲玉作資料館」があって、数々の出土品や写真・パネルの展示を介して、古代出雲地方における勾玉製作の史・資料を、つぶさに見聞する事が出来る。
勾玉石(碧玉)ゆかりの玉造の温泉街
温泉街のはずれにある「出雲玉作資料館」
資料館の展示品の一部(勾玉・他)
玉造近郊、松江市にある「伝承館」~ 民営施設
  他に量産した宝飾用の石材と言えば、石鏃などの石器としても利用された黒曜石とサヌカイト(安山岩の一種)、それに仏像の体内や納骨塔に霊骨の代わりに入れた舎利石(しゃりいし)であろう。古来、舎利石として名のある小石は、津軽の袰月海岸(ほろつきかいがん、青森県東津軽郡今別町)等から産する漂礫の錦石(主に玉髄、瑪瑙、蛋白石)である。
袰月から続く、津軽半島・高野崎の海岸~海湾の対岸は竜飛岬である
錦石(玉髄・瑪瑙礫)の打ち上がる、高野崎の砂礫の浜辺 
 錦石は、当地では観光名物とまではいかないが、青森市内などにおいて、床の間の飾り石や水石、根付け、アクセサリーなど、ちょっとした鑑賞石や地元の土産物に使われている。青森市内で売られていた、錦石を使った観光土産品 ~ 黒目がクルクルと動く 原石は、袰月や高野崎(たかのざき)の海岸のほか、津軽半島の竜飛岬から小泊(おどまり)、市浦(しうら)、十三湖、鯵ヶ沢、深浦あたりまでの日本海側の海岸に行けば、どこにでもあり、白いものからいろんな色の付いた浜砂利として、幾らでも拾う事ができる。 この小石の母岩は海底にある火山岩で、母岩付きのものを「舎利母石}(しゃりぶいし)と称した。  黒曜石は、今では北海道の「十勝石」が広く知られているが、古代においてのルーツは、和田峠(長野県)など本州の火山地帯が主で、遺跡や古墳から出土する石鏃やナイフ型石器などに用いられている。 サヌカイト(讃岐石)は、名前の通り主に四国の讃岐地方(香川県坂出市国分台周辺)原産の特殊な火山岩で、別名「カンカン石」とも言い、その小気味良い金属音から「磬石」(けいせき)としても利用されて来たが、各地の古代遺跡の出土品を見ると、石鏃や石斧などいろんな石の道具(石器)に使われている。
久慈琥珀博物館 あと国内で宝飾品として利用されて来た、特筆すべき歴史のある鉱物としては、岩手県久慈市の琥珀があげられる。現地には、江戸時代から掘られていた採掘坑が残っており、「久慈琥珀博物館」となっていて、その一部始終を見る事ができる。 琥珀博物館では、この坑道跡が観光順路となって整備され、琥珀の産状の見学とともに、展示室では宝飾加工の実演と琥珀製品の販売も行われていて、当地きっての観光名所になっている。
久慈琥珀博物館の館内
製作された、きれいな琥珀製品の並ぶショーケース
駐車場の裏山にある、見学順路の坑口
琥珀採掘坑跡の解説板
琥珀鉱山跡の、整備の行き届いた坑道の内部
坑内に残存する、琥珀塊の産状の様子
久慈産の琥珀の原石と加工品 ~ 右から原石、根付け、ストラップ(2個)
 他では、福井県小浜市の瑪瑙細工もかなり古くからの伝統があり、かつては当地方から良質の瑪瑙が産したが、なぜか古代史には登場しない。小浜へも行ってみたいと思いながら、探訪出来ずにいる。





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