伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

志摩の先志摩半島 ~ 地形と地質について ~

2010年04月30日 | 志摩

 先志摩半島

 志摩市の最南にある先志摩半島は、元々は船越(大王町)で途切れた一つの離れ島で、崎島(転じて崎志摩)と言い(注1)、英虞湾を取り囲む東西に細長く伸びた後背地を成す離島であったが、現在は狭小な陸繋砂州で地続きとなり、志摩半島の退治崎から西方に突出した小半島を呈している。ちなみに、当地の最南端は麦崎である。

 先志摩のリアス式海岸の成因

 先志摩半島の大地の骨格が誕生したのは、中生代の白亜紀以降であるが、その後の地質時代を通して、幾度かの地盤の昇降運動(隆起・沈降)に侵食輪廻が加わり、何段階かの複雑なプロセスを経て、現在見るようなリアス式海岸を備えた隆起海食台(有湾台地)となった。

 英虞湾と外洋の海岸(太平洋岸)

 地形は、現在およそ標高20~40mの東西に続く定高性の台地をベースに、氷河期(第四紀更新世)及びその後に刻まれた小谷が、後氷期の海進により一部は湾入(溺れ谷)となり、特に英虞湾側は、その後はさほど海食を受けていないので、そのまま出入りの激しい鋸歯状の海岸線となっている。一方、太平洋側は激しい外洋の海食作用によって、かつて低所(凹地・堆積台)に一度堆積した地層(海成段丘堆積層・鵜方層と言う)が小規模な離水後に海食作用で抉られて湾入となった後、岬角部の基底岩層より供給された砂礫が再度堆積し、湾を埋積、その結果比較的なだらかな砂浜や礫浜海岸が岬角間に断続する直線的な海岸地形(対置海岸)となった。
 沿岸低地の一部には、砂州によって内湾が閉塞されて生じた小型の海跡湖的な池沼(注2)や、さらにこれが埋積され、淡水化して生じた湿地帯のほか、汀線には、堆積微地形であるビーチカスプも見られる(日和浜海岸ほか)。

 岬に見られる激しい海食作用

 先志摩半島先端の御座岬や岩井崎、麦崎等、外洋側の突端部は、現在も進行中の激しい海食作用に晒され、険しい岩石海岸(荒磯)となり、海食崖、海食台、海食洞、海食洞門(注3)、離れ岩等の海食地形の他、ミニサイズの陸繋島や、海岸線の後退による岩礁、暗礁が多数点在する。
 なお、独立標高点を成す御座の金毘羅山(標高99.0m)と、陸繋島として地続きになっている御座岬の小山・黒森(標高96m)は、いずれも残丘状の孤峰である。

 先島半島の地質 

 先志摩半島の地質は、西南日本外帯地質区に属し、主として四万十累帯北半の日高川帯を構成する上部白亜系の付加体(当地では、中生代白亜紀頃の地層を的矢層群と呼ぶ)と、これを不整合に被覆し、隆起海食台の上位に広がる鵜方層(第四期更新世時代の海成段丘堆積層)から成る。

 的矢層群は
 北方(一部南方)に急斜する厚さ5~10cmの砂岩・泥岩互層を主とし、一部にチャートや凝灰岩(輝緑凝灰岩)層のほか、グレイワッケ型砂岩、アルコーズ砂岩、石灰岩レンズ、含マンガン鉄鉱層(膨縮するレンズ状鉱体)等を介在させている。本層は先志摩半島一帯の道路のカッティング(切り割り)や海食崖等において詳しく観察され、見かけ上は、一般走向N50~70°E及びE-W、北傾斜(傾斜角65°以上)の単斜構造であるが、化石に乏しく、層内には激しい地殻変動の跡を物語る褶曲(背斜及び向斜構造、一部に等斜褶曲)や小断層群が複雑に発達する。特に、御座岬付近や越賀の阿津里海岸、麦崎灯台直下の海食崖等に好露頭が見らる。
 鵜方層は
 厚い箇所では厚さ20m以上あり、未固結の粘土(白色、青灰色、黒褐色、黄土色等)、砂(一部シルト)、礫(注4)等から成り、ほぼ水平に成層し、凹凸のある明瞭な不整合面を見せて基底の的矢層群を被覆する。特に粘土層の一部には埋もれ木等の植物遺体を含み、有孔虫や貝化石、ウニ等の海生軟体動物化石とともに、コンクリーションの一種である高師小僧を形成している場所もある。

 なお、礫層の中には海成起源とは考えにくい、由来不明の径1cm前後のきれいな乳白色チャートや珪岩等、石英質の円磨度の高いきれいな円礫が多数含まれている。(注5) 

  • 注:1 科学画報 11巻・1 号 P.94 掲載記事 「志摩の先島半島」 参照
  • 注:2 大王町船越の大池や、志摩町大野の中スカ池など
  • 注:3 大王町波切の米子の浜には、かつて大きな海食洞門があった
  • 注:4 主にチャートの円礫・亜円礫より成る。但し基底礫には分級不充分な砂
        岩角礫も介在する。
  • 注:5 「志摩町史」によれば、「俗に鳩目石と呼ばれている」とある。

<参考文献> 「志摩地方の地形と地質」(1985) 編集・発行:志摩マリンランド

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伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など・・・・・。

2010年04月21日 | 伊勢志摩国立公園の自然と風物

 伊勢の山々

 伊勢市の山と言えば、まず第一に観光名所で最高峰の「朝熊山」がありますが、市内の町なかや町のはずれなどにある、ちょっとした小山などは案外知られていませんね。それらを西方から挙げると、

  1. 大仏山(小俣町)
  2. 秋葉山(徳川山)
  3. 三郷山
  4. 喜倉山
  5. 白石山
  6. 高倉山
  7. 藤岡山
  8. 蓮随山
  9. 檜尾山(外宮の宮域)
  10. 高神山(宮山、外宮の宮域)
  11. 坊山
  12. 瀧浪山(世義寺山)
  13. 船山
  14. 船江山
  15. 丸山(藤里町と宇治今在家町の2箇所にある)
  16. 妙見山(隠山)
  17. 八幡山
  18. 虎尾山(笠松山)
  19. 朝日山
  20. 永代山
  21. 桃山
  22. 倉田山
  23. 貝吹山
  24. 松尾山
  25. 男山
  26. 岩井田山
  27. 昼川山(ひるごうやま)
  28. 豆石山(二見町)
  29. 五峯山(二見町)
  30. 音無山(二見町)

などが掲げられます。
(注:岩井田山は、宇治館町の西行谷のあたりの山、古地図や名所図絵にその記名があります)

 皆さんは、どれだけ知っていますか ? 他に伊勢の両神宮の間の山として「間の山」(あいのやま。別名、尾上山・おべやま)がありますが、ここは山と言うよりは坂(旧名、尾部坂)なのです。この坂道を上ると、旧道は倭町を通り、古市から中之町、桜木町を経て牛谷坂まで続く高台の家並み道で、ちょっとした尾根筋となりますが、この高台を昔は「長峰」(ながみね)と言っていました。
 又、町街地の背後にそびえる少し大きくて、険しい山となると、朝熊山以外では、五十鈴川の源流のある「神路山」と「島路山」(いずれも地域名で、伊勢神宮の宮域林となっています)、そして伊勢の町の南方に聳えるのは、誰もが目にしている鼓ヶ岳、その続きの前山、さらに南方奥の鷲嶺(袴越山)などがあげられます。

 山には、谷が刻まれ、川が流れ、渓流や滝があり、山肌には常緑樹が育ち、広葉樹が繁り、それぞれが四季折々変化に富んだ風景となり、時にはそこに生息する野生動物達も一体となって風物詩を奏でてくれます。

 又、地下には、岩盤があり、褶曲した地層があり、岩石や鉱物、化石、そして鍾乳洞など、無生物の世界にも目を向けると、不思議な謎を秘めた地球のお宝や、クリスタルにも出会えます。

 私-伊勢雀は、ここかしこをぶらぶら歩きながら、これから先、このブログで色々とおしゃべりをさせていただきます。

伊勢の山・鷲嶺(袴腰山・548m)


 志摩の海

 志摩の海と言えば、まずは、海女のふるさと、真珠の海、近鉄線の終着地でもある「賢島」の浮かぶ「英虞湾」でしょうね。そして、多島海や、リアス式海岸プラス有湾台地の織り成す美しい志摩半島の海景は、伊勢志摩国立公園として多くの人々に知られていて、三重県きっての観光地となっています。

 さて、みなさんは、「志摩半島」の地理学的な位置をご存知でしょうか? 志摩半島は、自然地理学では、
「鳥羽市小浜町と志摩郡(現在は志摩市)浜島町南張を結ぶ線から東の地域を指す」
となっています。

 志摩半島に行くと、なだらかな丘陵地(アップ・ヒルやダウン・ヒル)が続き、その先の海岸は、小高い岬となって突き出している場所や、岬角間(こうかくかん→岬と岬の間)が溺れ谷となっていたり、広々とした弓なりの砂浜海岸が続いていたり、実に変化に富んだ絶景やリゾート地が展開しています。

 おしゃべり雀は、この鳥羽・志摩地方の、一般には知られていないような隠れた観光名所や、自然史スポット、そして秘密の場所での掘り出し物など、興味津々の情報を紹介させて頂きます。


志摩の海・大井浜(志摩市大王町)
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OCN・ブログ人で、ブログを始めました。

2010年04月07日 | ブログ

 はじめまして。
OCNの「ブログ人」で、ブログを始めました。
タイトルは「伊勢すずめのすずろある記」としました。
このブログでは、郷土「伊勢志摩」の自然史スポットや、とっておきの情報等について、感性の趣くままに、解りやすく書いていきたいと思います。

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