鉱物趣味と並行して、書物による水石の鑑賞から始まり、水石関係の書籍の探書・収集と、地元中心の探石にとり憑かれて数十年、伊勢志摩から奥伊勢地方にかけて跋渉した山野の行跡を振り返りながら、今は愛石コレクションの再鑑賞と整理に追われている。
その間、採集した鉱物標本は 1,000点を超え、揚石した大小の水石も数百点にのぼる。特別な愛石や二度と見つからないであろう名石は残し、鉱物標本と共にヤフーのオークション等にも出品し、徐々に放出処分をしている次第だ。
しかし、今でも絶好の日和となると、体がフィールドへとムズムズし、つい川歩きなどに出てしまい、時間の経つのを惜しむ間も無く、唯我独歩の「石の世界」に浸り込んでしまう。
さて、水石趣味者の人口は、昨今は少しずつ増えていると言うが、昭和40年代に全国的に広まった「石ブーム」とは程遠いのが現状と言える。
敗戦後の日本の国勢が復活し、経済活動が徐々に脈動し始め、国民生活が落ち着きを取り戻し始めると、食う為だけの「生産活動」や日々の生活に追われる「その日暮らし」から脱却して、少しずつゆとりを生み出し始めたのが、昭和30年前後である。
それまでの新聞・雑誌・ラジオ放送に加えて、マス・メディアにテレビジョンが登場し、モノクロのテレビ放送が開始され、電化製品が一般家庭まで浸透し始めた時代である。
隠居したお歳寄り達の「盆栽いじり」に加えて、かつては茶の湯の世界や、一部の文人墨客、政・財界人らの高尚なたしなみでもあった「水石の鑑賞」が、やがて一般人にも広まってゆくのだが、その趣味のはしりは、村田憲司・圭司 父子らの手によって出版された、盆栽・水石趣味者向けの雑誌や著書が、地方にも出回り出した昭和30代の半ばと言える。
三重県においても、その影響を受けてか、昭和30年代の後半になると、各都市部に水石の同好会等が出来て、水石や庭石を生業とする業者も急増し始めた。
全国的な大ブームとなった昭和40年代の当初から半ばにかけては、各地から銘石や名石が続々と世に出され、「水石成金」や一攫千金狙いの「盗掘者」や「盗石者」も後を絶たなかった。
三重県においては、古くは江戸時代の木内石亭の著書「雲根志」に、幾つかの石の類(たぐい)を見るが、さらに古くから産出が知られていた銘石は、まず熊野地方原産の「那智黒石」であろう。他の書物にも幾つかの知られざる石名(せきめい)を見るが、その後、それらの石の類が銘石や名石として世に出たものは無い。
明治の初期に出版された古文書に「三重縣鑛物誌 全」(明治14年2月刊行)があるが、この中に記されている水石らしいものは、
・ イタイシ(板石=伊勢青石で、緑色片岩に相当。度会郡二見町江村 産)
・ ボンセキ(盆石?。英虞郡片田村・答志郡菅島村、他 ~ 岩石種は不詳)
・ ヘゲイシ(変化〔ヘンゲ〕石の略?、又は「剥げ石」の意か。
度会郡山田宇治舘町字島路山 ~ 岩石種は不詳)
・ ヨロヒイシ(鎧石。多気郡鳶?谷村字滝廣 ~ 岩石種は不詳)
・ ブドウセキ(葡萄石=蛇紋岩の古名。度会郡朝熊村字永船・宇治舘町字下舘)
・ コウコクセキ(光黒石。度会郡崎村字苅子 ~ 岩石・鉱物種は不詳)
・ アヲイシ(青石?。多気郡薗村字桂山 ~「花崗岩ナリ」とある。
他に複数記載がある他産地のものは、岩石種不詳)
・ ヒウチイシ(火打石・燧石=青白~赤白チャート。
度会郡火打石村・英虞郡立神村叶小路・答志郡河内村字七石山谷、他)
・ スイコウセキ(垂虹石。「英虞郡船越村石海岸ニ産ス」とある ~ 岩石種は不詳)
である。正式な岩石の種名などは、当時の説明(記述)があるものもあるが、殆どが不詳のままである。
昭和の石ブームの頃に、一気に世に出された三重県下の名石(銘石)は、度会郡七保村(現 大紀町)から大内山村(現 大紀町)、及び度会郡宮川村(現 大台町)にかけてが原産地の、「鎧石」(当時は、赤鎧・白鎧・青鎧・黒鎧など種々あった)と「七華石」(しちかせき~当時、旧七保村の地名にちなんで命名の色彩石)、伊勢古谷石、紫雲石、梅林石、宮川桜(宮川上流産の紋様石の一種)、宮川五色(石灰岩~チャート系の五色石)と、いわゆる「伊勢石」(いせいし)である。
伊勢石としての筆頭は、何と言っても「伊勢古谷石」であろう。その後、他に「伊勢青石」や「伊勢赤石」「朝熊石」「神代石」なども加わり、とにかく伊勢地方の石なら「五十鈴川石」だろうが「宮川石」だろうが、何でもありであった。
他の名石としては、早期より揖斐川石に似た各種の「員弁川石」や、和歌山県原産の著名な「古谷石」に酷似した「熊野化け石」が著名であった。これらの銘石としての価値観は、現在も全く変わっていない。
最後に、水石の参考文献であるが、三重県については、各地の同好会主催の「水石展」の開催時などに出された、写真図集や案内冊子の部類しか見当らない。
伊勢志摩から奥伊勢地方の水石については、かつて筆者がプリントしたパソコン打ちの「伊勢・志摩・度会水石誌」(2009年・全22頁)があるに過ぎない。
◆ 上載写真の水石の殆どは、筆者(伊勢すずめ)の自採石の所蔵品です。
昨年末から今年の正月三が日にかけては、1月3日の午前中まで、一週間ほど晴天に恵まれた。日中はそれ程冷え込みも無く、冬季の北西季節風も穏やかで、さほど寒さを感じなかった。
12月30日は、朝から度会町の山林に、神棚用の榊と仏前に供えるシキビ(シキミ)を切りに行った。
午後は新年を迎えるにあたって、玄関の注連飾りの刷新や、室内・外の掃除と片付け物の後、夕方は食料等の買い込みに市内のスーパーへと出向いた…。
31日の大晦日は、昼前になって最後の探石を思い立ち、度会町へと向かった。どこに行っても、もう良石は揚がらないだろうと思いながら、行きつけの彦山川沿いの火打石林道に入り、その中ほどに付けている新設林道の所まで行って、渓流に降りてみた。
ここは、谷川の中程にちょっとした石溜まりがある。飛び石を伝って渡った処、堆積した転石群がここ一ヶ月程の間にかなり動いていた。少し見回してみると、鑑賞に値するレベルの小塊が2つあった。
丸っぽい鎧石状の 「化け五色石」 と、小物ではあるが、赤チャートの一風変わった形状の滝石である。
その後、一之瀬川に架かる天祥橋まで戻り、さらに上流の小萩川の渓流に向かった。この谷川も行きつけの探石場所である。
小萩の村落を越えて、獅子ヶ岳に登る林道 「小萩-麻加江線」 を少し入ると、路肩に石灰岩の露出するエリアが複数ある。
その一つに、崩れた鍾乳洞の洞口らしい土砂に埋まった窪みがある。ミニ・カルスト地形のようなおもしろい場所である。
ここには、洞口壁等に突出する溶食石灰岩の奇形石があり、中には出来かけたフロー・ストーンの皮膜に覆われたものもかなりあるが、これらの突起岩は破り採る事が出来る。
谷川に下りるのは止めにして、この石灰岩を勝ち破る事にした。オブジェ風ではあるが、感じの良い奇形石が幾つか得られた。
昼過ぎに家に戻り、遅昼(おそびる)ながら腹ごしらえをしてから、午後は我が家の神棚の大掃除と、新しい御札の入替えを行ない、例年に倣いお供え物を供えた。
神様には誠に申し訳ないが、あら塩をきらしていたので、米・水と共に、やむなくモンゴル産の岩塩を供えた。
それから、外宮神苑の勾玉池のほとりにある 「あこねさん」 (豊川茜稲荷神社)に、早ばやと年越しの参詣をした。
いつもなら大晦日のこの日には、日が暮れてから夜中にかけて年越し参りをするのだが、少し体が疲れていた事もあって、日が落ちて寒くなる前に参拝を済ませた次第だ。
以前は、この勾玉池の周囲を一周ぐるりと回れたが、今は途中に囲いがあって、そこまでしか散策出来ない。少し池を眺めてから、外宮前の様子を見に行った。
まだ参拝客はまばらであったが、夜になると 「どんど火」 が焚かれ、社殿へと続く参道には篝火が灯り、年越し参りと初詣での人出で大混雑をする。
外宮前の火除橋(ひよけばし)手前の入口広場には、その 「どんど火」 用の薪(たきぎ)が高々と積んであり、すぐ前で消防士が周囲の木立に、事前の 「防火放水」 をしている光景を眼にした。
ホース先端のノズルから水しぶきが勢い良く飛び上がり、噴霧が気流に舞い上がり、実に壮観であった。むろん初めて見る光景である。
昨年の元旦は、好天に誘われて干上がった横輪川を歩いたが、今年は大晦日の夜になって、長野県から高校時代の同級生が年越し参りに急遽やって来たので、少し予定が狂い、夜半を跨いでパソコンの情報等のチェックに終始してしまった。
その結果、翌朝の元旦はかなり寝過ごし、年賀状の返事を少し書いて午前中が過ぎた。午後は、パソコンの古いデータの整理や、昨年の入力情報の処理作業等で過ごす。
夜は、今年は何をしようかと、一年の計画を練る。
「一年の計は元旦にあり」 とか、「積善の家には余慶あり」 など、年頭ならではの格言が浮かび、各部屋のカレンダーの表紙をめくるのを忘れていた事に気付き、慌てて引き千切る。
うっかり日遅れになる処であった。
やはり、蒐集し過ぎた鉱物標本や水石の整理と、そろそろ蔵書や資料物の始末を考えなければいけない…。
それに、昨秋より投稿し始めた youtube への楽曲のアップも、順次続けなければならない。
高島易の運勢暦では、今年は去年よりは少しましで、「七赤金星生まれ」 の項目は、白の三角印になっているが、やはり乏しい年金だけでは余力が無く、「食う事に追われる」 だけの、その日暮らしになるのは間違いがない。
「正月も 普段着ままにすぐ過ぎる 根岸の里の侘び住まい」 なのか、「 ・・・・・・、それにつけても金の欲しさよ」 と言った、江戸時代の和歌川柳にある万能の 「下の句」 2つがぴったりの、「貧乏暇無し」 の生活が続くのは必至のようだ…。