伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

三重県下のペグマタイト鉱物の主産地を回想 「 伊賀地方 」

2022年10月25日 | 三重県下の鉱山・採石場など


大山田村の 「大栄鉱業三谷採石場」 の俯瞰

 三重県の青山高原から西方は、伊賀地方と呼称されているが、かつての阿山郡大山田村を中心に、各地に花崗岩ペグマタイトがあり、戦前から戦後にかけて珪石や長石の試・採掘が成されていた。 その主な鉱山跡や産地は以下の通りであるが、昭和年代には電気石や鉄礬石榴石、緑柱石等の美・巨晶が産し、全国的によく知られていたエリアである。


大山田村の 「大栄鉱業三谷採石場」 の全景

大栄鉱業三谷採石場の切羽に露出する 「ペグマタイト脈」


 ◆ 主な産地 ( 地名は、旧行政区画で記載 )
  阿山郡大山田村三谷( 珪・長石試掘場跡 ) かつての緑柱石の主産地であるが、昭和30年代に完全に消滅。
  阿山郡大山田村三谷「大栄鉱業採石場」 現在も稼行中の大規模なバラストの採石場で、切羽にはペグマタイトの岩脈が複数露出している。
  阿山郡大山田村奥馬野「大地建設採石場」 現在も稼行中のバラストの採石場で、ペグマタイトの岩脈が僅かに露出している。
  阿山郡大山田村中馬野( 珪・長石採掘場跡? ) 山林の奥に採石場のような露天掘りの跡があったが、今は杣道と共に完全に消滅。
  阿山郡大山田村広瀬( 珪・長石採掘場跡 ) 広瀬の村落背後の山林にあり、林道際の斜面にペグマタイトのズリが残存。
  阿山郡大山田村子延( ねのぶ・珪石採掘場跡 ) 子延の在所の北方約3kmの山中にあったが、現在は跡地も完全に消滅。
  阿山郡青山町奥鹿野・奥山谷( 山林斜面の露頭 ) かつてはサファイアの微粒を伴う珪線石や紅柱石が多産したが、現地は完全に埋没。
  上野市上友生( 珪石鉱山跡 ) ペグマタイト質石英脈を露天掘りで採掘。山上の跡地には無色透明のきれいな水晶の小晶が散乱。
  名張市上比奈知( 珪長石採掘場跡 ) 水晶の産地として、地元民にはよく知られた場所であったが、ダム工事で消滅。

大山田村広瀬の採石場跡のある山地( 左側の低い山 )


 以上の他、近鉄電車の旧「あお駅」( 現在の青山町駅 ) の北方に、かつて「水晶山」と呼称していた水晶の産地があったが、宅地の造成開発で昭和40年代に既に消滅し、当時採集を試みたがカラ振りに終わった。


大山田村子延の  「珪石鉱山跡」

子延の珪石鉱山跡産 「黄水晶」 ~ 縦の長さは約4cm


上野市上友生の 「珪石鉱山跡」

上野市上友生産の 「水晶」 ~ 左側の結晶の長さは約1.5cm

 ◆ 産出鉱物
  石英( 水晶 )、バラ石英、玉髄、玉滴石、緑柱石、電気石、カリ長石、鉄雲母、黒雲母、白雲母、絹雲母、霰石、方解石、鉄礬石榴石、ジルコン(文献上の鉱物種)、ユークセン石(文献上の鉱物種)、褐簾石(文献上の鉱物種)、トルゴム石(文献上の鉱物種)、黄鉄鉱、褐鉄鉱


大栄鉱業三谷採石場産 「電気石」 ~ 長さ約1.5cm


大栄鉱業三谷採石場産 「霰石」 ~ 左右幅約6cm


 各地の現状は、久しく出向いていないので不明であるが、広瀬の採石場跡ではかなりの収穫があった。 現在も稼行中の三谷の採石場には、平成15年の夏に地学部会の巡検で採集に行ったきりである。 その当時は、黒墨色の電氣石と薄いピンクのバラ石英が多産していた。
 当地の幻の鉱物である「緑柱石」は、この時は見つからず、以前に広瀬のズリで5mm程の細かな結晶を1つだけ採集したのみである。


広瀬の珪長石鉱山跡産 「緑柱石」 ~ 左の単晶は長さ約5mm

広瀬の珪長石鉱山跡産 「鉄礬石榴石」 ~ 結晶の直径約2.5cm

広瀬の珪長石鉱山跡産 「バラ石英」 ~ 左右幅約3cm


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鉱物趣味を始めた頃に憧れた 「水晶の事」 など … 。

2020年08月26日 | 三重県下の鉱山・採石場など

堀坂山・スス谷のペグマタイト脈中の 「水晶の大晶洞」

 以前にも少し書いてみたと思うが、鉱物趣味を始めた小学5年生から中学時代にかけて、最初は遊び仲間らと自転車で珍しい石 ( 鉱物 ) を探しに、伊勢市内の川原や地山の切り崩し現場などを見回ったものだが、その頃採集出来た 「光る石」 と言えば、二軒茶屋の土手にあった、鳥羽市の赤崎鉱山から運ばれた土砂の中に雑じっていた 「黄銅鉱」 と、桜木町付近の宅地の造成地の崖などで見つけた、石墨千枚岩の中の 「黄鉄鉱」 の微粒ぐらいであった。

木津産の 「水晶のきれいな群晶」


 小学生時代には、よく祖父に連れられて朝熊山に登ったものだが、その当時、まだ開業していた 「野間万金丹店」 前の路面が原産地であった細かな 「武石」 を2粒程を拾ったのと、斑糲岩中にキラキラと輝く 「異剥石」を至る所で目にしたが、最初は雲母だと思い殆ど採集してこなかった。





 その頃、 「針水晶」 の産地として地元民らに知られていた宇治の 「水晶谷」 に、やはり祖父に連れられて何度か行っては、蛇紋岩の中に簇生する白色針状の鉱物を 「水晶」 と思い込み、幾つも採集して来たものだ。
 しかし図鑑で見るような錐面が無く、すぐに折れてしまう程柔らかくて、かなり疑問に思っていたが、やがて理科の先生 ( 博物に詳しい植物学者・孫福 正 教諭 ) から、水晶谷の 「針水晶」 は本物の水晶では無くて、 「方解石」 である事を教えられるに至った。

砂山付近の晶洞産の 「煙水晶の巨晶」

 理科少年だった頃は、誰もがそうであったように、何と言っても本物の 「水晶」 に憧れ、コレクションとして欲しがったものである。
 当時、水晶と言えば、三重県では北勢の宇賀渓付近や伊賀地方、山深い大杉谷で採れるという話しを聞いていたが、いずれも伊勢市からは大変な遠方で、採集行など思いもよらず、最初に手に入れたのは、友達からもらった岐阜県苗木産の 「煙水晶」 であった。


松阪城址より眺めた 「堀坂山」 ( 左側の峻峰 )


 こうなると、是が非でも自分で 「水晶」 を採集したいとの思いが募り、幸いな事に父親の実家が松阪市の堀坂山の北麓近くだったので、よく単車に乗せられて実家へ行ったついでに、水晶の採れる 「雲母谷」 ( きらだに ) へと連れて行ってくれた。
 その頃の雲母谷には、試掘坑跡やバラック小屋の跡があり、白色の石英バラストの中に手のひら大の白雲母が散乱し、晶面の付いた水晶のかけらや平板水晶は、谷間でかなり採集出来たが、なかなかきれいな錐面付きの六角柱状の水晶は見つからなかった。
 二度目に行った時に、父親が手のひら大の半面像の見事な 「水晶の巨晶」 を見つけてくれた。
堀坂山・鉱山跡産の 「きれいな水晶」
堀坂山産の 「煙水晶」  ( 左はスス谷産・中央と右は雲母谷産 )

 当時は、雲母谷の近くから、さらに上方の尾根筋にまで錆びたワイヤーが延びていて、下端に積み出し用の貯鉱場の跡があり、珪・長石のバラストが散乱していたので、その先端に鉱山跡があるのは判っていたが、そこに行く山道がわからずに、暫くはその山に登る事が出来なかった。
堀坂山・鉱山跡産の 「きれいな平板水晶」

 確か小学校卒業後の春休みだったと思うが、上天気の日に父親が弁当持ちでその鉱山跡に行ってみないかと、声をかけてくれた。 それが鉱山跡での水晶採集行の最初で、ワイヤー下の貯鉱場跡に単車を置いて、父親が尾根筋から登山道らしき杣道を登って行くのについて行った。
 何度も草分け道を探りながら、ワイヤーの先端を目指して1時間以上かけて、汗だくでどうにか鉱山跡 ( 坑口 ) へとたどり着く事が出来た。
 目の前には、坑道前の棚場に敷かれたトロッコレールの端から急斜面の下にかけて、母岩を含むペグマタイトのズリがあり、大小の石英バラストや白雲母の巨晶、カリ長石の大塊などがごろごろしており、水晶のきれいな破片や平板水晶などは幾らでも採れた。


堀坂山・鉱山跡産の 「珍しい菱面体水晶」

上載写真 ( 菱面体水晶 ) の裏面です


 最初はズリでの表面採集だけであったが、ズリのあちらこちらを夢中で探しまくり、親指大程の完全な水晶を数個見つける事が出来た。
 昼時になって弁当を開けて、握り飯をほおばりながら山裾を見下ろすと、はるか前方に伊勢湾が眺められた。
 この次来るのは、いつになるかわからなかったが、ハンマーやタガネよりも、ズリを掘る道具の必要性を痛感した次第だ。

堀坂山・雲母谷奥の晶洞産の 「結晶のきれいな水晶」

堀坂山・雲母谷奥の晶洞産の 「水晶の群晶」


 その後、この鉱山跡へは、一人でも何度か行ったし、友達らを案内しながら採集を試み、中学時代のみならず成人してからも、自分だけの楽しい遊び場としてかなり通っている。
 数えたことは無いが、平成の初め頃に、雲母谷の尾根を跨いだ南隣りのスス谷にて、自ら発見したペグマタイト脈中の大晶洞も含めると、堀坂山への鉱物採集は50 回ではきかなかったと思う。

堀坂山・スス谷産 「煙水晶の牛乳瓶サイズの綺麗な巨晶」


 ◆  鉱物趣味の時代に自ら発見した 「三重県下の水晶の産地」
     ( 地名には当時の行政区画を含みます )

 高麗広 ( 伊勢市宇治今在家町 ) ・ 新谷土建の採土場 ( 伊勢市辻久留3丁目 ) ・ 湯田の造成地 ( 度会郡小俣町湯田 ) ・ 堀坂山スス谷の大晶洞 ( 松阪市西野町 ) ・ 広の谷 ( 志摩市磯部町 ) ・ 長野城址登山口の露頭 ( 津市美里村桂畑 ) ・ 木津の橡山林道の露頭 ( 北牟婁郡海山町木津 ) ・ 船津鉱山跡 ( 北牟婁郡海山町 ) ・ 砂山付近の大晶洞 ( 員弁郡大安町石榑南 )
小俣町湯田の造成地産の 「石英脈の晶洞より産した水晶」


磯部町広の谷産の 「砂岩中のサメ水晶」


木津産の 「晶洞中の水晶の群晶」

船津鉱山跡産の 「半球状の花水晶」



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奥伊勢・度会町栗原の「栗原鉱山跡」探訪記

2016年04月09日 | 三重県下の鉱山・採石場など

一之瀬川に架かる栗原橋と、鉱山跡のある本郷背後の山々

 志摩地方から伊勢市に隣接する度会町(奥伊勢地方)にかけては、中央構造線外帯の三波川変成帯、及びさらに南の秩父累帯(古生界)や四万十累帯北半の日高川帯(中生界)に、地層の走行方向に沿って膨縮・断続して胚胎するマンガン鉱床が分布し点在している。

栗原鉱山跡に残存する坑道の一つ

 その殆どは、明治の末頃から大正時代に発見され、昭和初期から戦後にかけて、一時的に採掘し、出鉱していた小規模なマンガン鉱山で、今もそれらの鉱山跡10数箇所が各地に程残存する。

 その主なものは、二見恵方鉱山(通称「松下鉱山」、伊勢市二見町松下)、伊勢鉱山(国見山鉱業株式会社「伊勢鉱山」、伊勢市矢持町菖蒲)、鳥羽鉱山(旧 加茂鉱山、鳥羽市河内町奥河内)、三平福徳鉱山(鳥羽市川内町奥河内)、松尾鉱山(鳥羽市松尾町)、池畑鉱山(鳥羽市白木町?)、大阪旭鉱山(志摩市磯部町)、鸚鵡石鉱山(志摩市磯部町恵利原)、浜島鉱山(志摩市浜島町大崎)、立神鉱山(志摩市阿児町立神)、畔名鉱山(正式名不明につき仮称、志摩市阿児町畔名口の付近にあったらしい)、小川鉱山(度会郡度会町小川)、栗原鉱山(度会郡度会町栗原)、第二栗原鉱山(度会郡度会町栗原)、日向鉱山(度会郡度会町日向)、南勢鉱山(度会郡度会町脇出付近?)である。

栗原鉱山跡に残存する埋没した別の坑道


 この内、通商産業省鑛山局発行、昭和30年度の「鑛山製錬所名簿」(第一部「金属鉱山の部」)の三重県欄に記載されているのは、三平福徳鉱山と栗原鉱山だけである。但し、その年度に両鉱山が稼行していたかどうかは定かではない。
 又、昭和43年度の同名簿では、三重県のマンガン鉱山の記載は、鳥羽鉱山と山田鉱山(阿山郡大山田村真泥)の2鉱山だけであり、昭和45年度の同名簿を見ても同様であるので、この当時に稼行していた当地方のマンガン鉱山は、鳥羽鉱山だけである。
 詳しいマンガン関係の書物や文献によると、「鳥羽鉱山」は戦後は経営者が度々変わり、名称も加茂鉱山から鳥羽鉱山へと変更されて、断続的に採掘・出鉱をしいていたらしく、学生時代に何度か見学・採集に行った折、鉱夫さんからそのような話を聞かせて頂いた記憶がある。


 当地方のマンガン鉱山は、殆どが坑道掘りであ栗原鉱山跡に残存する往時のまの坑道 り、各地に坑道跡が残存しているが、比較的良質の鉱石を出鉱し、大々的に採掘をしていたのは、鳥羽鉱山、三平福徳鉱山、立神鉱山(戦前)、浜島鉱山(戦前)、栗原鉱山(主に戦前)である。
「日本のマンガン鉱床」(吉村豊文 著・1952年発行)等の書物には、三平福徳と栗原を除いた3鉱山については詳述されているが、他の文献を調べても、「栗原鉱山」については、下記に転載する文献の記述があるだけで、稼行当時の鉱山の状況や産出鉱物種についての調査報告書等は、皆無と言ってよい。

 7万5千分の1 地質図幅「鳥羽」(飯塚保五郎 編纂・1929) の「地質説明書」によれば、「應用地質 一、滿俺鑛  滿俺鑛ハ志摩郡加茂村、磯部村、度會郡中嶋村及ヒ小川郷村ニ存ス、内重ナルモノハ加茂村及小川郷村ノモノナリトス(…中略) 小川郷村ニ於ケルモノハ字栗原東山ニアリテ約三十年前ノ發見ニ係リ附近ノ地質ハ粘板岩、砂岩、及角岩ノ互層ニシテ地層ノ走向ハ北六十五度西乃至東西ニシテ南方ニ五十二度乃至八十二度傾斜セリ、鑛層ハ粘板岩中ニ介有セラレ西部ニ於テハ一鑛層ナルモ東部ニ於テハニ鑛層ニ分岐セルモノヽ如シ、鑛層ノ厚サハ平均一・二乃至一・五米ニシテ最肥大部ハ約三米アリ、延長約七百米ニ亙リテ膨縮断續ス、鑛石ハ主ニ硬滿俺鑛及菱滿俺鑛ニシテ薔薇輝石ヲ伴ヒ月産額三百噸、品位ハ百分中四十「パーセント」、八幡製鉄所渡シ一噸二十四圓七十五銭ナリシモ巡囘後約半ヶ年ニシテ廢業セリト云フ」

 以上の他に、栗原鉱山の記述が見られるのは、昭和12年12月5日発行の「三重教育」(三重県教育會発行・No.498)で、その中に「探鑛の旅」と言う紀行文(地質旅行記)があり、その内の「度會・志摩の巻」の文中ぐらいである。その内容については、以下に記す通りである。

「(…前文省略) 栗原の村外に栗原鑛山事務所がある。立寄って休息し鑛山の様子を聞き鑛石を見せてもらった、黒色の酸化滿俺と、灰紅色の炭酸滿俺とを産してゐる。(…後文省略)」

 栗原鉱山の沿革や稼行当時の様子については、地元の古老に聞く以外に無いが、栗原でもこのマンガン鉱山の事を知っている人は殆どいない。
栗原鉱山産のピンク色のきれいなマンガン鉱石(主に菱マンガン鉱・横幅約8cm)

カット石(ルース・最長約5.5cm)にした栗原鉱山産のマンガン鉱石
鑑賞石(桜マンガン石)に研磨した栗原鉱山産のマンガン鉱石


 さて、栗原鉱山跡には、学生時代より20回は行ったと思う。伊勢市岩渕の自宅からだと約15km、自動車で約20分~30分の距離である。ここ3年程行っていなかったので、その後、ズリや山の尾根に沿って数箇所穿たれた坑道跡がどうなっているのか、少し気になっていたし、きれいな菱マンガン鉱等の鉱石が、どれだけ残っているのかと言う期待もあって、4月6日の水曜日に探訪の機会を得た。
 この日は、前々日まで停滞気味だった前線がかなり南の海上まで南下していて、本州はすっぽりと高気圧に覆われて、朝早くから上天気であった。鉱山跡へは、かねてから懸案になっていた大阪のI氏のご案内である。


小谷の奥に放置され、荒れほうだいとなっている野面積の棚田


 栗原鉱山へは、県道22号線(伊勢-南島線)を宮川の右岸に沿って遡り、途中の川口から先は、支流の一之瀬川の左岸を数分走ると栗原に付く。バス亭前の栗原橋を渡って本郷の村道に入り、山際のお寺(清光寺)の前を通ってから右折し、東方の小谷に入る坂道を少し登る。この先の林道の入口までは、道は狭いが簡易舗装が成されている。
 栗原橋からおよそ750m行った所で、左手の民間施設に行く道と、目の前の谷川に沿って山に入る林道に分岐するが、ここから先は、車一台がどうにか通れる幅の、荒れたままのガタガタ道である。この右手の林道を250m程登って行くと、鉱山跡直下の上り口の山麓に至る。
 林道奥の行き止まりには、車止めの駐車スペースがあるが、ここから先は判りにくい細い山道になる。すぐ先に、放置され荒れほうだいとなっている野面積(のづらずみ)の棚田が数段あるが、これを横切りU字型の木馬道の跡を越えて暫く登ると、ズリ石の散乱する擂鉢状の急斜面(ガレ場)に至る。

山道を少し登った所にある、鉱石の降ろし場跡

 ここを、西向きにせり出した海抜220m程の上方の尾根まで、約80mぐらい登る。途中、半ば立ち消えとなった九十九折の草分け道や炭焼き窯の跡に出くわすが、この辺りから真っ黒な鉱石が散在し、山土にまみれて見え隠れしているので、ピンク色の出そうな塊鉱をかち破って探す。

急斜面上端の廃坑前の小広い棚場

 木立ちのブッシュを潜りぬけると、急斜面の上端は廃坑前の小広い棚場になっていて、坑口の崩れた坑道や往時のままの坑道が尾根を挟んで10数箇所残存しているが、いずれも比較的浅い感じである。

斜面一帯に散乱する真っ黒な鉱塊や鉱石のバラスト

 当たり一帯に散乱する真っ黒な鉱塊やバラストは、見かけ上は全て二酸化マンガン鉱である。どの坑道から菱マンガン鉱やバラ輝石が産出していたのかは良く解らないが、見分けるのにはコツがあって、慣れればかなりの高確率でピンクの良質の鉱石が採集出来る。
 栗原鉱山は、マンガン鉱物の種類が豊富な事と、特にピンク系の鉱石は他所の鉱産品と比較して、その色合いが大変きれいで、研磨をするとカット石のきれいな裸石(ルース)や、見事な色彩の鑑賞石(水石の「桜マンガン石」)になる。


この日採集した菱マンガン鉱の大塊(左右幅約24cm、重量約5.6kg)

 この日は、久しぶりに良質の菱マンガン鉱を袋一杯採集する事が出来たが、I氏共々獲物が重たすぎて、急斜面を降り下るのが大変であった。
 参考までに、これまでに採集した栗原鉱山産の主な鉱石鉱物と、脈石鉱物を記載しておきます。

 二酸化マンガン鉱(軟マンガン鉱、硬マンガン鉱、忍石、他)、ヤコブス鉱、チョコレート鉱、緑マンガン鉱、含マンガン赤鉄鉱、バラ輝石、菱マンガン鉱、マンガン方解石、方解石、ベメント石、テフロ石、ヨハンセン輝石、パーセッテンス石、ペンウィス石、マンガン石榴石、マンガン緑簾石、重晶石、燐鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、赤鉄鉱、石英(水晶)、玉髄質石英、鉄石英、碧玉


菱マンガン鉱に伴うバラ輝石(中央の色の濃い部分)

鶯色のテフロ石

マンガン方解石とマンガン緑簾石

淡青色のヨハンセン輝石

二酸化マンガン鉱に伴う重晶石

二酸化Mn鉱の中に介在する燐鉱(粉末状の燐灰石)

碧 玉(写真の栗原鉱山産の鉱物は、全て筆者の採集品で、標本のサイズは3cm~7cmです)

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