伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

日本国内の石の工芸品と、余技製作の 「 石細工品 」

2023年09月29日 | 石のはなし


紫雲石に伴う石灰岩を加工した 「菊花の紋石」 ~ 左右幅約7cm

 今夏は、初夏の豪雨の後、雨天と好天が暫く繰り返し、地球全体が温暖化したせいか、7月の半ばを過ぎてから酷暑の日々にみまわれ、太陽光線も異常な程の強烈な日射となって降り注ぎ、お盆を過ぎてからも全く秋の気配が漂わず、その後も残暑が続き9月も月末となった。
 今月は中旬に発生し、日本海に延びていた停滞前線が本州を横切り、太平洋の東北沖に抜けてもまだ残暑が続いて、ずっと蒸し暑かったものの、23日の彼岸を境に、伊勢地方にもようやく秋の気流が流れ込み、朝夕はひんやりとした秋風と共に、天空には巻雲(すじ雲)や巻積雲(うろこ雲)が広がり、ようやく秋らしくなった。


 今夏は、趣味の水石探しには殆ど出向かずに過ごし、氾濫後の五十鈴川の川原と二見浦の海浜に行き、何度か見回ったきりで、あっと言う間に3ヶ月が経った。
 その間にしていた事と言えば、所蔵の水石の再吟味と、余技作品として手がけた幾つかの「石細工品」の製作である。


梅林石をスライス・カットして加工した 「飾り物石」 ~ 上下幅約5.5cm


 日本国内の全国各地には、地方色豊かな石細工や石の工芸品などが色々と見られ、かつてそれらの生産地を訪ねた事があり、各地の各々の石製品についてはブログにも何度か書かせて頂いてきた。
 三重県では、熊野地方で多産する「那智黒石」(黒色珪質頁岩や粘板岩)の加工が、昔から原産地で盛んに行われ来ているが、三重県下で工芸品用の石材として採石されているのは、この「那智黒石」だけである。
 他には、度会郡の七保村(現在は大紀町永会)辺りで産する「七華石」(縞状の混色石灰岩)を研磨した水石や美石が、昭和の半ば頃に一時的に出回り、タイピンやカフスボタン、帯留めなどに試・製作されたことがあったが、昭和の水石ブームの終焉と共に消えて行った。


加工研磨した 「紫雲石の置物石」 ~ 右側の石の上下幅約9cm


 石製品のルーツと言えば、人類の祖先が最初に使用した道具としての古代の石器類に行きつくが、その後の文明の開花に至ってからは、古墳時代の勾玉や管玉など各種の鉱物・岩石を加工研磨した装飾品があげられる。 そしてその原産地では、地場産業の一つとして、今も石細工が続けられている。
 その主な生産地をあげると、北海道各地の瑪瑙・玉髄と、十勝地方の黒曜石。 青森県津軽地方の錦石(瑪瑙・玉髄・蛋白石・碧玉・赤玉石など)。 岩手県久慈市の琥珀。 福島県宝坂の蛋白石。 新潟県糸魚川市の翡翠と、佐渡の赤玉石・その他。 山梨県の水晶・その他。 福井県小浜の瑪瑙(現在は外来の原石を加工)。 島根県玉造の碧玉(青玉石)と、隠岐の黒曜石。 香川県屋島付近のカンカン石(磬石 ~ 安山岩の一種)等が列挙される。

観光鍾乳洞の一般的な 「鍾乳石のみやげ物品」 ~ 台座石の左右幅約8.5cm


 以上の他、全国各地の観光鍾乳洞では、みやげ物品に必ずと言ってよい程、鍾乳石や大理石、石灰岩を使った石の工芸品や置き物などの調度品が製作され、みやげ物店の店頭に並べられている。 これらの原石は、付近の無名の鍾乳洞などからの採掘品であると思って間違いがないが、無尽蔵ではないので、外来の原石もかなり使用されていると思われる。

五十鈴川産の転石を加工した 「朝熊石の提げ物」 ~ 石の上下幅約8cm
 

 最後になってしまったが、今夏に製作を試みた余技製作の石細工品を、幾つか掲載して本稿を締め括ろう。 使用した岩石は水石の切断端石のスライス・カット片や、形状良いの手頃なサイズの転石などである。
 この作業も、熱中すると時間を忘れ、ハマってしまう程楽しいし、出来栄えによっては座右に飾っておいたり、販売してみたい気分になってしまう。


紫雲石( 左側 ~ 上下幅約9cm )と 珪質岩( 右側 )を加工した 「瓢箪石」

二見浦海岸産の漂礫を加工した 「緑色岩の蛇の彫り物石」 ~ 上下幅約8cm

紫雲石を加工した「ペーパー ・ ウエイト用の置物石」 ~ 底面の直径約6cm

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「 形象石 」( 姿 石 ) の楽しみ

2023年05月31日 | 石のはなし


藤川産 ・ 赤鎧石の 「座人形の姿石」 ~ 高さ約15cm

 形象石は、「姿石」とも言い、石全体の形状があたかも人物や動物 ( その一部や古生物、カッパなどの架空のものも含む ) 、乗り物、建物、地物、野菜、果実、履物、道具(釣鐘や瓢箪など)、創造物(仏像や雪ダルマなど)等、様々な姿や形を呈する自然石です。 数多くの水石の中でも、自然界の営力 ( 風化作用、溶食作用、地質的作用 ~ 変質・変形 等 ) によって、全く偶然に生じた奇形の自然石 ( 化け石の部類 ) と言えます。

宮川産 ・ 珪質岩の形象石 「銘 ・ 河童」 ~ 高さ約16cm


 探石行でも滅多に出会えず、偶然の遭遇でしか揚石し難い水石です。 どちらかと言えば、風化や溶食を受けやすい堆積岩類に偏よりがちですが、その限りでは無く、時には火成岩や変成岩にも見られます。

 筆者も幾つかの形象石を所蔵していますが、名石として書物に紹介されるものの多くは、観音像や達磨、亀 ( 亀甲石 ) 、鳥類、魚類、船形、茅舎、灯篭、キノコ、冠、武者鎧等です。 著名な銘石の「鎧石」は、殆どが珪質岩 ( チャート ) と他の堆積岩類との互層岩で、本来は形象石になりますが、その多くは「段石」( 山水景石 ) として扱われています。

 伊勢市で著名な形象石と言えば、まず五十鈴川原産の人の足形をした奇形の河床礫である「神足石」 ( しんそくせき ) があげられ、志摩地方の海浜では海水の差別的な溶食作用によって生じた漂礫の「キノコ石」があり、その他、鵜方地方の海成段丘堆積層から多産する「高師小僧」は、鉱物になりますが、正に特殊な形象石と言えます。

志摩市大王町名田 ・ 大野浜産 「漂礫のキノコ石」 ~ 長さ約10cm
鵜方産 ・ 竹刀のような形状の 「高師小僧」 ~ 長さ約7cm
 一旦「形象石」に凝りだすと、なぜか「干支の12種類」を集めてみたくなる傾向にあります。 自ら揚石をしたり、購入して得た形象石は、自然石の絶妙の「名石」となると、所有者はまず手放さないと思いますので、何年かかけてもなかなか思うような絶品は得られません。

 今月も梅雨入りと共に月末となりましたが、筆者の所蔵品の中から、妙形の「形象石」を2~3紹介をしたいと思います。

藤川産 ・ 七華石の 「観音像」 ~ 高さ約18cm

  1.七華石の「観音像」
 藤川産の色彩石である横長の鰹節形の七華石を立ててみた処、「観音像」のように見えましたので、台座を彫り込み据えてみました。 高さは約18cmです。

一之瀬川産 ・ 狸の置物のような 「姿石」 ~ 高さ約12cm

  2.狸の置物風の「姿石」
 一之瀬川産の珪質岩の風化岩ですが、その中に取り込まれたような軟弱な泥質岩の箇所が腐食し、溶失の結果、狸の置物のような形状になった転石です。 高さは約12cmです。

小萩川産 ・石灰岩の 「ヘビ石」 ~ 横幅約12cm
上載写真の 「ヘビの頭」 の角度変えの部分アップです


  3.とぐろを巻いたような石灰岩の蛇の頭形の「姿石」
 この石は、小萩川で数年前に見つけたものですが、何気なく石灰岩の転石をひっくりかえしてみた処、まるで造形美のような蛇の頭が乗っかった様に突出していました。偶然に生じた自然の溶食作用には、ただ驚愕するばかりです。左右の横幅は約12cmです。
藤川産の 「イチジク石」( 右 )と、五十鈴川産の 「松茸石」 です
  4.藤川産の「イチジク形」と、五十鈴川産の朝熊石の「松茸形」の形象石
 いずれも握れば隠れる程の、長さ10cm ( イチジク ) と長さ8cm ( 松茸 ) 程度の小形の転石ですが、自然の妙形には驚かされます。2石共に軽く研磨を致しました。 気長に探石を続けておれば、時にはこのような珍石に出会います。




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春暖の4月もラストとなり、今月も中 ~ 大型の「水石の再吟味」で終了

2023年04月30日 | 石のはなし

栗原鉱山跡産のバラ輝石を含む 「桜マンガン石」( 研磨水石 ~ 横幅約8cm )

 桜のシーズンが瞬く間に終わり、春暖の4月もラストとなってしまった。 今月も何処へも出かけずじまいのままに過ぎてしまった。 月末の連休には、天気が良ければ久しぶりに志摩の海岸に行こうと思っていた処、29日と30日の土曜・日曜ともにあいにくの雨天であった。
 この4月に自宅で成した事と言えば、販売用のミニサイズの鉱物標本の製作と、先月に続いての中~大型の観賞用の水石の再吟味である。
 以下に掲載の画像3点は、先月のブログの続きになります。
栗原鉱山跡産 「桜マンガン石」( 中型の原石 ~ 殆どが菱マンガン鉱 )

1.栗原鉱山跡産の「桜マンガン石」 左右の最長幅約17cm、重さ約1.9kg

 数年前に現地で採集し、その後保存していた「菱マンガン鉱」の大塊を勝ち破って整形し、観賞用に研磨をしようとしていた原石です。 結局磨かずじまいのままに、桜のシーズンが過ぎてしまい、来年までの課題として保存する事にしました。 今春研磨したこの種の原石は、冒頭に掲載したような小形水石ばかりで、観賞用の「置物石」として10個程製作をし、全て出荷を致しました。
彦山川産の中型の 「紫雲石の遠山石」
2.山水景を呈する横長の「紫雲石の遠山石」 左右の最長幅約25cm、重さ約1.34kg

 長期間ダンボール箱に仕舞い込んでいた彦山川 ( 度会郡度会町火打石 ) 産の荒石ですが、底面を程良くカットし、表面の風化被殻を削ぎ落として、原形のまま艶消し研磨をし、仮台に据えてみました。 前面の中央左寄りにくびれ気味の大きな穿ちがあり、右サイドにも枯れ滝風の穿ちがあって、時間をかけて艶出し研磨をすれば、鑑賞用の名石になるかと思います。
藤川産の大型の鎧石系珪質岩の 「山水景石」( 岩山形の遠山石 )

3.藤川上流支流産の鎧石系珪質岩の「横長の岩山形の山水景石」 左右の最長幅約33cm、重さ約3.2kg

 平成年代の半ば頃に、藤川 ( 度会郡大紀町藤 ~ 木屋 ) の探石行で、上流支流の谷川にて揚石をし、そのままずっとダンボール箱に仕舞い込んでいた現地性の大型水石です。 殆ど未風化のゴツゴツとした鎧石系の珪質岩 ( 主に白チャート・表面は茶褐色に変質・変色 )ですが、節理群の一部には方解石の細脈が程よく貫入し、ほぼ定高性の「遠山石」( 岩山形 ) となっています。 風化の進行によっては「伊勢古谷石」にもなる良質石です。
 底面を程良くカットし、自然石 ( 転石 ) のまま仮台に据えてみました処、かなりの名石になりました。

 これから先も、蒐集した鑑賞用の所蔵水石の中から、見応えのある佳石を再吟味し、画像にて幾つか紹介をしたいと思います。


  
 
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続・長年仕舞い込んでいた 「 水 石 」の再吟味

2023年03月26日 | 石のはなし


彦山川産 「紫雲石の山水景石」 ~ 左右幅約30cm ~ 左右幅約10cm

 先月は、長年仕舞い込み放ったらかしにしていた荒石の中から、標準サイズの手ごろな水石を幾つか取り出し、再吟味をしてみましたが、彼岸が過ぎ桜のシーズンを迎えた今月も、いつの間にか下旬となった。伊勢の街路にも桜が開花し、春らしくなったものの雨天が続き、今月も引き籠もりに終始し、どこへも出ずじまいの内に、このまま4月を迎えそうである。

 例年なら温暖な志摩の海辺行き、春の日射しのもとで海浜を歩くのだが、高沸した車のガソリン代の高止まりと共に、加齢のせいもあってか、体がおっくうになっているみたいである。仕方がないので、もう少し暖かくなるまで、蒐集した水石の再吟味を続ける事にした。

 今回は、少し大型の水石を幾つか紹介しよう。大型の水石となると普通は60cm以上であるが、土間に積まれているのはせいぜい20cmから60cm程度のものであり、それ以上のサイズの石は「庭石」として扱われるので、いくら名石でも保管場所に困る次第である。

 大型の水石で誰しもが思い浮かべるのは、自然石なら自然美の凝縮された「山水景石」であろう。詳しく見れば、遠山石、滝石、土坡、段石、溜り石、雨宿り石、洞窟・洞門石などであるが、この他、ピカピカに研磨された色彩石や紋様石、自然石のままの形象石や化け石( 奇石・オブジェ石 ) にも見事な秀石がある。それに加え鉱物の大きな群晶なども、「美石」として鑑賞の対象となるケースが少なくない。
 水石ブームの昭和年代の半ば頃には、旅館やホテルのロビーには大型の銘石が幾つか飾られ、座敷の床の間にも立派な水石が置かれていたものである。

 伊勢志摩から奥伊勢や奥志摩地方にかけての水石としては、これまでに数々の鑑賞石が世に紹介されているが、銘石としての筆頭は、何と言っても「伊勢古谷石」と「鎧石」の自然石であろう。それらと共に、奥伊勢産の研磨された大型の「七華石」の美しさも格別である。
 残念ながら大型の「七華石」は手元には無いが、手つかずのままにしていた幾つかの当地方の「大型水石」の中から、鑑賞に値するレベルのものを取り出し、再吟味がてらそれらを紹介させて頂こう。

小萩川産の 「伊勢古谷石」 ~ 左右幅約24cm~ 左右幅約10cm


1.伊勢古谷石の 「遠山石」
 この石は、小萩川上流の沢谷より揚石した芯出し状の自然石で、左右幅は約24cmです。底面をカットし、仮台をあてがった処、深山・仙境を彷彿とする嶺峰の「遠山石」になりました。

彦山川産 「紫雲石の滝石」 ~ 左右幅約25cm


2.紫雲石の 「滝石」
 この石は、彦山川の上流にて揚石した現地性の転石で、左右幅は約25cmです。貫入した一条の方解石脈が中央に程よく懸垂し、趣きのある山水景を呈し、「滝石」としての景観は絶景です。底面をカットし、仮台に据えてみました。

伊勢路川上流産 「黒鎧石の山水景石」 ~ 左右幅約30cm


3.黒鎧石の 「山水景石」
 この石は、伊勢市南方のサニー・ロードの鍛冶屋トンネルの南口を出たすぐ下の谷川 ( 伊勢路川上流 )の産で、谷川岸の互層岩の露頭から破り出した岩盤の一部です。左右幅は約30cmです。
 節理や割れ目を充填する複数の方解石の白脈が、黒鎧石を形成する珪質岩 ( チャート ) と輝緑凝灰岩の互層岩の表面に、程良い差別溶食を受けて露われ、あたかも岩山から滴る滝流れのような景観となり、見飽きる事がない程見事な「自然美」を呈しています。
 右側の破断面と底面のみ少し擦ってあります。 仮台の台板は、欅の輪切り材を加工した市販の化粧板です。

4.紫雲石の 「山水景石」
 本稿の冒頭に掲載した写真のこの石は、彦山川の上流にて揚石した現地性の転石で、左右幅は約30cmです。嶺峰を成すチョコレート色の紫雲石 ( 輝緑凝灰岩 )のみの一枚岩ですが、貫入した複数の方解石脈が前面に3列の白滝となり、遠山形の山水景を呈しています。底面のみカットをし、仮台に据えてみました。

小萩川産 「小萩青石の滝石」 ~ 左右幅約20cm


5.小萩青石の 「滝石」
 この石は、小萩川に広く見られる緑色准片岩の薄型の転石で、 左右幅は約20cmです。「小萩青石」は仮名です。石質は剥離破れしやすく脆弱で、鑑賞石として良質とは言えませんが、割れ目や節理を充填する大小の純白の方解石脈が豊富に貫入しており、この筋脈が差別溶食によってきれいな「滝石」を形成しています。
 殆どが「鉢巻滝」ながら、小萩川は当地方きっての「滝石」の多産地であり、時には惚れ惚れする程のきれいな名石レベルの「滝石」も揚がります。
 この石の台座は、平石に合わせた彫込みの仮台で、荒石のまま据えてあります。

彦山川産 「珪質岩 ~ 珪質石灰岩の滝石」 ~ 左右幅約20cm


6.伊勢古谷石系の「山水景石」
 この石は、彦山川にて揚石をしました。左右幅は約20cmです。おむすび形の頂峰の前面中央の右寄りに、一条の小滝が程良く中腹まで流れ落ち、孤峰を成す山体の形状も佳いので、台座を彫り込み荒石のまま据えてみました。石質は、風化が進行すれば「伊勢古谷石」となる良質の珪質岩 ~ 珪質石灰岩で、方解石脈を伴うこのタイプの転石には、遠山形の名石が少なくありません。


 以下に掲載の写真は、展示用の花崗岩ペグマタイトの晶洞の一部で、昭和40年代に、岐阜県恵那郡蛭川村田原の採石場にて採集をさせて頂いて来ました。煙水晶や長石類の群晶を、「美石」として鑑賞出来ると思います。


岐阜県産の美石「観賞用ペグマタイトの晶洞」 左右幅約20cm

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2月は自宅に引き籠もり、長年仕舞い込んでいた「 水 石 」の再吟味

2023年02月22日 | 石のはなし

志摩市大王町名田・大野浜産の 「鉄丸石」 ~ 左右幅約10cm

 今年の冬は、伊勢の町も冷たい寒風に晒される日々が多く、パソコンを見る事以外には何をするでもなく、自宅に引き籠もりがちのままに2月も下旬となった。 この間に成した事と言えば、玄関続きの土間の片づけぐらいである。
 2畳半ほどのスペースに、運び込んでから手つかずのままの大型水石がごろごろと転がり、幾つかのダンボール箱には封じ込めた未手入れの中型~小型の水石やら、長年にわたって採集をして来た鉱石を含む大・小の鉱物、そして標本の整理で生じた数多くの標本小箱やケース箱などが無造作に詰め込まれ、山積みされている。
 山積みの間隙には、採集用具とディスクグラインダーが数個、さらに工具などの道具箱が所狭しとひしめき、置きっぱなしになっている。

 毎日少しずつ片付けても、丸2ヶ月はかかりそうである。 この土間を片付けるべく、2月に入ってから箱を開け、その中から手頃な水石を幾つか引っ張り出してみた。
 昭和年代からずっと当地方で揚石をして来た良石ばかりなので、丹念に芯出しをし、底面の切断も含め研磨をすれば、結構感じの良い水石になるレベルのものである。
 どれもこれも手間暇がかかる荒石なので、長年放っておいたダンボール箱の中から、昭和年代以降は殆ど知られていない当地方( 伊勢志摩 ~ 奥伊勢 )の水石を幾つか選んで、何とか観賞用に仕上げてみた。


藤川産のやや風化した 「七華石の芯出し研磨石」 ~ 左右幅約10cm


1.風化した「七華石」の芯出し研磨石
 既に何度も紹介をして来た、奥伊勢・藤川産の銘石であるが、昭和30年代の半ば頃から世に出始めた石灰岩質の「色彩石」である。 かつての度会郡七保村永会( 現 大紀町 )付近を原産とする、縞帯模様など多彩な色模様の大変きれいな片状岩( 研磨石 )である。
 少し風化した表面の粗雑な薄汚いような転石でも、丹念に研磨をし、手入れや見立て、台座等の工夫によっては、かなりの絶品となる。 上載写真の赤味がかった「七華石」は、時間をかけての芯出し研磨と、底面の程良いカットによって、仙境を彷彿とする山水景のちょっとした名石となりました。
奥伊勢産の 「神代石」 ( 昭和年代の呼称 ・ 形状は 「伊勢古谷石」 ~ 左右幅約16cm )

2.昭和年代に「神代石」として紹介された、輝緑凝灰岩の風化芯出し石
 この石は、最初は五十鈴川上流の高麗広が原産地だったと思われるが、薄い藤色系の輝緑凝灰岩の風化岩で、穿ちや皺( しゅん )に富み、風化した表面は白っぽい肌色 ~ 黄白色で、山水景石( 主に遠山石、滝石、土坡 等 )や奇形石( 化け石 )を形成する土中石( 山石 )である。
 五十鈴川に流下した転石は、母岩を覆っていた表面の風化残渣土や表層皮殻が水流によって自然に拭われ、そのまま見事な鑑賞用の水石として紹介されたが、原産地は伊勢神宮の宮域なので、高麗広に住む現地住民の方々以外には、揚石はもとより、表立っては持ち出せなかった名石である。 今にして思う事は、当地の山野は一般人には立入禁止の宮域ゆえにか、目にしていたのは希代の絶品ばかりであった。
 その後は、伊勢市の矢持町・横輪町の界隈から度会郡内( 度会町の火打石や小萩 )にかけても、同様の石質の水石が産し、チョコレート色系の銘石「伊勢古谷石」( 石質は輝緑凝灰岩、及び泥質石灰岩 ~ 珪質石灰岩 )と同一視され、水石趣味者の激減もあってか 「神代石」の名前は殆ど聞かれなくなり、石質の共通性から「伊勢古谷石」に吸収されたのではないかと考えられる。
 上載写真の石は、かつて度会町火打石の彦山川で揚石をした川流れの転石で、ダンボール箱の中から荒石を引っ張り出し、底面のみカットをした同質の風化岩です。

伊勢市南方産 「赤肌石」 ( 右側は芯出し研磨石 ~ 左右幅約9cm )   

3.伊勢市南方の鍛冶屋トンネル付近産の「赤肌石」( 仮名 )
 この石は、珪質岩 ~ 珪質石灰岩の土中石( 山石 )ですが、芯出しをすると結構良い感じの赤身を帯びた肌色や、淡橙色 ~ 薄桃色の色彩石となります。 石質も良く、中には表面が「伊勢古谷石」類似の山水景を呈する風化岩も見られますし、方解石の細脈等の貫入もあり、きれいな「滝石」を呈するもあります。
 カットをした断面は、ハムやベーコンのような感じで、同じ珪質岩 ( チャート ) の「伊勢赤石」のそれとは明らかに異なります。今では全く知られていませんが、鍛冶屋トンネルの南出口下の林道沿いが原産地です。
志摩町片田・麦崎産のミニサイズの 「鉄丸石」 ~ 左右の長径約5㎝

4.志摩の海岸産の「鉄丸石」
 静岡県の安部川や富士川、三重県の東紀州から和歌山県の南紀海岸などに産する「鉄丸石」は、球形の泥質岩等のノジュール( 団塊 )である事が殆どで、表面が川泥等に含まれる水酸化鉄の浸潤で茶褐色 ~ 黒褐色に変色・変質し、外面を覆う褐鉄鉱質の薄い被殻と、緻密な内部の泥質岩の芯から出来ている。 鑑賞石としての「鉄丸石」には、外皮が半分程削り取られ、程よく芯のむき出した半くずれのものが珍重されている。
 サイズは、ソフトボール大程のものが大半であり、中には内部の芯まで完全に水酸化鉄( 褐鉄鉱 )や、時には硫化鉄鉱( 黄鉄鉱 )に置換した鉱物質のものも見られる。
 さて、志摩地方各地の海岸に産する「鉄丸石」は、表面が二酸化マンガン鉱に置き換わった、麦崎( 志摩町片田 )の泥質岩中のノジュールやコンクリーション( 結核 )を除けば、他のものは全て表面のみ変色をした現地性の漂礫( 亜角礫 ~ 亜円礫 )である。
 ぐるりが水酸化鉄等に置換し、変質した皮膜や皮殻を持つものは滅多に無く、しかも角ばったものの方が多くて、水石としての「鉄丸石」の形状には程遠く、「…丸石」と称するのは少し可笑しな気がしないでもない。 さりとて「鉄角石」とも呼びがたいので、あえて「鉄丸石」とした次第である。
 冒頭に掲載した写真の「鉄丸石」は、大王町名田の大野浜産の類似礫( 珪質頁岩 )を、程良く研磨してみたものです。



   

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伊勢市の 「水石と美石鉱物」 について

2022年06月13日 | 石のはなし


横輪川産の 「景観の優れた滝石」 ~ 高さ約15㎝

 六月に入って「入梅」となった。今月も、先月より続いていた好天と悪天の繰り返す日々が続いており、晩春から初夏にかけての天候としては、例年とはどこか違った感じがする。 五月には夏日があったと思えば、次の日は曇天や雨天で、その翌日にはまた天気が回復して五月晴れとなり、外気の気温差も甚だしく、かなり身体に堪えている。
 さて、今はまだ梅雨前線が南の太平洋の海上にあり、前線に沿って発生した温帯低気圧が足早に東進を繰り返しているが、七月から八月にかけての今夏は、いったいどのような「夏の日」となるのだろうか …。

 水石や鉱物採集も、今年は儘にならないでいるが、やはり夏の期間には納涼を兼ねて、良石の探石に近郊の河川や林道に分け入り、まぶしい程の夏陽 ( なつび ) を受けながら、体の動くうちに、趣味を介して心身のリフレッシュに努めたいものである。


五十鈴トンネル産の 「霰石脈の美石」 ~ 脈幅約10㎝


 今夏は、特に横輪川の未知の石溜りを見つけ、2 ~ 3個はこれと言った「名石」をゲットしたいと思っている。 歳のせいか、昨今は原産地の激減した鉱産地巡りよりは、人知れずの渓流の奥などで、意のままに水石趣味ならではの「探石」にチャレンジしようかと、密かな意欲の沸くのを禁じ得ないでいる。
辻久留産の美貴石 「蛋白石」 ~ 横幅約9㎝


 さて、表題の「伊勢市の水石と美石鉱物」であるが、「水石」は何度も河川や林道奥の渓流を跋渉しない事には、良石には巡り遭えない。
 「美石鉱物」の方は、もはや過去の産物でしか無く、かつての原産地の消滅がはなはだしく、伊勢市内の現存の鉱産地となると、ごく限られた場所しか無い。 新道の建設工事や新たなトンネルの掘削がない限り、目ぼしい鉱物には滅多にお目にかかれない。
 真夏を前に、今回はこれまでに揚石をした秘蔵の「水石」と「美石鉱物」を、幾つか取り上げてみようと思う。

藤里町産の美石鉱物 「菱鉄鉱」 ~ 横幅約10㎝

 水石は、伊勢市内では五十鈴川の上流と、その支流の島路川が名石の宝庫であるが、いずれも神宮宮域ゆえに、公然とした探石はまず不可能で、親子連れの子供らの川遊びに入り混じって忍びで探すか、宇治橋より下流の川原を、時間をかけてじっくりと探すしかない。
 自由に探石の出来る場所はと言えば、横輪川と朝熊川だけである。 宮川は何処の川原に降りても、丸っぽい「ごろた石」ばかりでつまらない。


高麗広産の極上質の美石 「赤瑪瑙石」 ~ 横幅約10㎝


 横輪川は、五十鈴川とよく似た堆積岩の良石の宝庫でもあり、昭和の水石ブームの頃には、奥伊勢の五里山川や彦山川、小萩川、藤川 ( いずれも度会郡 ) などと共にかなりの名石が産し、爾来世に出回っている。
 当地の主な水石は、赤鎧石、白鎧石、伊勢赤石、伊勢古谷石、紫雲石、龍眼石、石灰岩の五色石などであるが、これらの堆積岩類は、風化や河川の差別溶食 ( 溶解侵食 ) 等により、時には見事な滝石や段石、溜り石、島形石、遠山石などの「山水景石」の他、紋様石や形象石 ( 姿石 ) 等も産し、地元の愛石家や伊勢市内・外のコレクターらによって、かなりの名石が揚石され、秘蔵されている。
 横輪町の交流施設の「風輪」(「道の駅」風のレスト・ハウス )には、小形の「水石」が置かれていて、販売もされている。

朝熊川産の 「異剥石の巨晶」( 晶洞の転石 )~ 横幅約9㎝

 朝熊川では、大した水石は揚がらないが、奇抜な形状の「朝熊石」や、巨晶斑糲岩の「晶洞の転石」が流れ出ており、希に美石としての「異剥石」の群晶が得られる程度であり、岩石の種類も三波川変成帯の広域変成岩類と、朝熊山から流下した塩基性深成火成岩類の転石のみである。
 伊勢市内で、かつて産した鑑賞石に値するレベルの「美石」としては、五十鈴川上流の高麗広産の「赤瑪瑙石」と「赤玉石」があるだけで、他には昭和40年頃に五十鈴トンネルの掘削工事で産出した、蛇紋岩に伴う「霰石」の美晶脈ぐらいである。 後は、結晶等のきれいな幾種類かの鉱物も、かつて市内の各地から産したが、いずれも標本程度のレベルに過ぎない。


五十鈴トンネル産の 「霰石脈の美石」 ~ 脈幅約10㎝

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「 季節感のある水石 」 についての雑感

2022年02月13日 | 石のはなし


雪山の情景を呈する 「遠山石」( 横幅約11cm の珪質石灰岩・彦山川産 )

 水石の趣味を始めてから数十年が経ち、健康維持の為もあって、今も時々伊勢市近郊の山や川、海岸などへ探石に出かけている。 昨今は、目を見張るような見事な山水景を呈する転石や、奇抜な形状の奇形石などには、滅多に出くわさないが、それでも自然の真っ只中で、時を忘れていろんな石を見回るのは、趣味者ならではの又とない楽しみである。

 ここ1~2年は、新型コロナウイルスの蔓延もあって、遠出は控えているが、市内には五十鈴川と宮川が流れ、伊勢湾の南岸には二見浦から神前岬 ( こうざき ) にかけての砂利浜や荒磯がある。 このうち宮川は、川原がだだっ広くて丸っぽい転石ばかりなので、滅多に行く事はないが、少し遡った支流の横輪川や一之瀬川には、これまでに何度も出かけている。

 最近は、自採石の水石コレクションの整理をしながら、四季折々に合うような名石を吟味し、座右に持って来て置き、しばしば眺めるようにしている。 そんな中で「季節感のある水石」をいろいろと、以下のように考えてみた。
栗原鉱山跡産の 「桜マンガン石」( 研磨水石 ~ 左右幅約10cm )

 春から初夏にかけては、何と言っても桜のシーズンがメインなので、「桜マンガン石」を筆頭にし、新緑を彷彿とするような「ヨモギ石」や淡緑色の「遠山石」などがあげられる。
 夏はと言えば、まず見応えのある涼しげな景観の「滝石」を置いてみたい。 さらに複数の滝筋を伴う峻険な嶺峰や連峰の山水景の「遠山石」( 古谷石や伊勢古谷石など )、さらに程良いサイズの「溜り石」があれば、柄杓などの添配を添え、水盤に置いてみるのもよさそうだ。
伊勢市南方産の名石 「伊勢古谷石」( 珪質石灰岩 ~ 左右幅約14.5㎝ )
 秋は何といっても、全国的な銘石である「菊花石」が究めつけであるが、残念ながら三重県下では産出しない。 しかるに、類似の花柄模様の入った紫雲石などの「紋様石」で我慢をするか、購入水石の「菊花石」があれば、引っ張り出して眺めるしかない。
 他に取り上げるとすれば、晩秋の紅葉に合わせた「五色石」や「錦紅石」、侘び寂を感じさせるような「茅屋石」( くずやいし ) も、石によっては晩秋向きかも知れない。

スライスカットをした一之瀬川産の 「梅林石」( 研磨水石 ~ 左右幅約15cm )


 初冬から初春にかけては、季節感のある紋様石として「梅花石」や「梅林石」があるが、頂峰や嶺峰に白雪のかかった情景の「遠山石」や、残雪の景観を呈する「山水景石」の他、霜の降りたような「土坡」や「段石」「島形石」なども捨てがたい。


厳冬の季節にふさわしい積雪を呈する 「山水景石」( 横輪川産の蛇灰岩 ~ 左右幅約15cm )


 そして新年 ( 新春 ) の年頭には、その年の干支にちなんだ「姿石」( 形象石 ) や「紋様石」があれば、是非とも玄関や床の間など、部屋飾りの「置物石」にすべきであろう。
 本年は「寅年」なので、水石としては、著名な滋賀県・瀬田川産の「虎石」なのであろうが、三重県下では、類似の「黄鎧石」しか産しない。
奥伊勢・藤越え付近の小谷産 「残雪景の遠山石」(「紫雲石」 の化け石 ~ 横幅約17㎝ )

 さて、最後にいろんな名石の中で、季節感の難しいのが、三重県産では「那智黒石」と「鎧石」で、他にも「龍眼石」や「朝熊石」「巣立ち石」などがある。
 この他にも、付記をするとすれば、近年に志摩の海岸で筆者自らが見つけ出した、稲妻模様の紋様を呈する「断層石」があるので、これは夏季の水石にしてみたいし、「七華石」のきれいな研磨水石などは、哀愁の漂う黄昏暮色の夕映え空に見立て、夏から秋への水石にはと思いつつ、さらに多種・多様の県内産の「紫雲石」( 層状岩 ) の研磨水石に至っては、夜明け前の東雲 ( しののめ ) に見立ててみたい。



加工をした 「造形の菊花石」( 母岩は伊勢市南方産の珪質石灰岩 ~左右幅約18cm )

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続・伊勢志摩の 「 奇 石 」 について

2021年06月30日 | 石のはなし

二見砂丘産の 「砂岩の三稜石」 ~ 最長幅約6cm

 先月投稿したブログ 「伊勢志摩の『奇石』について」 の記述で、一つだけ書き忘れた石があった。かつて、伊勢市二見町の今一色海岸にあった二見砂丘産の 「三稜石」 である。
 二見浦海岸は立石崎を境にし、ここから東方の鳥羽にかけては、山地の山裾が荒磯を成し、岬と湾入が交互に繰り返すリアス式海岸の様相を呈しているのに対し、西方の五十鈴川河口の今一色まで続く4kmほどの伊勢湾南岸は、僅かに弧状を成す遠浅の砂浜海岸となっている。


昭和40年頃の 「二見町の空中写真」


 平成時代に入ってからは、護岸工事が何度も繰り返され、昔ながらの松林の防風林を除けば、嵩上げをした頑丈な防波堤や突堤が再整備され、原地形はかなり変わってしまった。
 立石崎から西方の五十鈴川右岸にかけての内陸の平坦地は、かつては立石崎から延びた砂州であり、この砂州は小高い海岸砂丘の痕跡と思われる高まりを断続的に残し、周囲は低湿地帯であった。
 現在は田畑となっているが、五十鈴川の流路 ( 分流 ) の変遷と共に、砂州は完新世になってから北方へと発達し、次第に低湿地の面積を増やしていった地史が読み取れる。


かつて今一色海岸に形成されていた 「二見砂丘」


 昭和年代まであった今一色の複数の海岸砂丘列は、現在では松林のわずかな高まりを残して、地ならしが成され、完全に消滅をしてしまっている。
 昭和年代には、西方に行くに従い波状に高度を増す松林が続き、比高3 ~ 5m、最大高度 8.5 m に達する砂丘列が見られ、この内の崩れた細粒砂の斜面や、海岸の漂礫等の中から、多少は波食を受けて頂角や三稜が少し丸まってはいたものの、明らかに 「三稜石」 と解る風食礫の形状を示す小礫があり、かなりの頻度で見つかった。
 これについては、筆者の著書 「二見町地学のガイド」 ( 初版 1983年10月20日 発行 ・ 再版 1984年10月20日 発行 ) に詳述し、地元の方々をはじめ広く紹介をさせて頂いた。

二見町地学のガイトに掲載の 「今一色海岸産の三稜石」 ~ サイズは数cm程度


 今一色の海岸砂丘の 「三稜石」 は、1980年の夏に筆者が発見したもで、砂丘の内部や裾地の砂に混じって産し、付近の路面にも散在していたし、浚渫砂礫の中にも比較的密集していたと思う。
 礫種の殆どは、宮川や五十鈴川から流出した小石で、漂礫となって海岸に打ち上げられた後、砂丘に取り込まれたのか、比較的短期間に伊勢湾から吹き付ける北西の卓越風によって形成されたとみられ、飛砂によって削られた風食面は、砂岩、頁岩、チャートなど、あらゆる礫種に兆候が見られたが、特に砂岩に顕著で形状もきれいであった。

 二見町今一色の海岸砂丘産の 「三稜石」 のサイズは、クルミ大からこぶし大に及び、大きいもの程、より波食の影響を受けたせいか、頂角や三稜がかなり丸っぽくなっている傾向にあった。
 三重県下では、「三稜石」 は当地が唯一の産地であったが、現在は砂丘が無くなり、全く見つからなくなっている。それ故、伊勢志摩の 「奇石」 に加えてもよいと思い、「続稿」 として加筆をした次第である。





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伊勢志摩の 「 奇 石 」 について

2021年05月29日 | 石のはなし


大王町名田・大野浜産の 「稲妻模様の断層石」 ~ 左右幅約12cm

 三重県の伊勢志摩地方は、志摩半島を中心に岬や島嶼、大小の溺れ谷より成る湾入が続き、この複雑なリアス式海岸が織り成す四季折々の風光は、伊勢神宮の周辺と共に旅情にあふれ、三重県下最大の観光地である 「伊勢志摩国立公園」 ( 海の自然公園 ) となっています。
 当地方のこの複雑な地形の骨格を成す地質構造は、殆どの地域が中央構造線より南の 「西南日本外帯地質区」 であり、西方の紀伊山地へと続いています。

 外帯の地質区を細かく見ると、北より広域変成岩の 「三波川変成帯」 、古生代 ~ 中生代の堆積岩より成る 「秩父塁帯」 、中生代の地層 ( 付加体と考えられている互層 ) より成る 「四万十塁帯」 と、これを不整合に覆う新生代更新世の海成段丘堆積層 ( 鵜方層 ) で構成され、各ゾーンが帯状に東西に広がり、火成岩である塩基性深成岩類 ( 斑糲岩、橄欖岩、蛇紋岩 等 ) も貫入し、朝熊山 ( 海抜 555m ) 等の高峰を形成しています。

 このような地質環境にある伊勢志摩には、古来より神聖視された二見浦 ( ふたみがうら ) の夫婦岩をはじめ、数多くの謂れ石や名物岩等が点在し、山地や谷川等から産する優れた水石や盆石、庭石類と共に、「奇石」 の産出も少なくありません。
 江戸時代には、 「勢州八奇石」 と題した書物も書かれています。

 今回は、一般には殆ど知られていない、手に取って観察の出来るサイズの伊勢志摩地方産出の 「奇石」 を幾つか取り上げ、まとめて紹介を致します。


 ◆ 伊勢市 … 神足石、食いちがい石、褐鉄鉱質の団塊 ( 鈴石を含む )、白鉄鉱質団塊 ~ 結核
            
五十鈴川産の 「神足石」 ~ 右側の長さは約10cm

 1.神足石 ( しんそくせき )
   産 地 伊勢市宇治今在家町、宇治橋付近より下流の五十鈴川

 神足石は、五十鈴川の宇治橋上流の法度口 ( はとぐち ) 付近の川原の転石として産した記録のある、人の足形をした河床礫 ( 亜角礫 ~ 亜円礫 ) です。
 発見並びに命名は、寛政年間 ( 1789年 ~ 1800年 ) に、宇治今在家町在住の里人 ( 民間人 ) であった山中明海によってなされ、その後は伊勢神宮 ( 内宮 ) の参詣者らによって拾われて来た経緯があります。
 江戸時代の旅行案内書である 「伊勢参宮名所図会」 や、明治初期の 「神都名勝誌」 ( 神宮司廳 発行 ) 等の古文書にも、神足石の写図入りの記述が見られます。
 神足石の大きさは、記述によれば 2cm ~ 20cm で、小判形等の長軸の一端にV字形の欠刻を生じています。
 この欠刻の多くは、2方向に斜交する節理 ( ヒビ破れ ) の交線付近の一端が差別的に水流の侵食を受けて、あたかも足袋のような足形や、ハート形に凹んだものと考えられます。
 五十鈴川の川上原産の緑色岩 ( 角閃岩 ・ 斑糲岩 ・ 輝緑岩 ・ ヒン岩 ・ 緑色片岩 等 ) の場合は、地学的な成因に基づき必然的に生じた川流れの奇形礫ですが、五十鈴川ではなぜか輝緑凝灰岩や砂岩、硬砂岩等の堆積岩類にもよく見られます。
 詳細は、既にブログのバックナンバー ( 伊勢 ・ 志摩 ・ 度会の石紀行 その5 ) に、記載を致しました。

宮川右岸の平岩露頭産の 「食いちがい石」 ~ 左右幅約10cm

 2.食いちがい石 ( くいちがいいし )
   産 地 伊勢市辻久留二丁目、宮川右岸の 「平岩露頭」 

 食い違い石につきましては、ブログのバックナンバー ( 伊勢 ・ 志摩 ・ 度会の石紀行 その 6 ) に既に記載を致しましたので、説明は省略し、写真のみ掲載を致しました。


かつて伊勢市白石山から産した 「団塊状の褐鉄鉱」 ~ 最大径約5cm

 3.褐鉄鉱質の団塊 ( 鈴石を含む )
   産 地 伊勢市浦口三丁目、旧 白石山の段丘堆積層

 この産地は、筆者が小学4年生の頃に、白石山の細道の路面から切通しにかけての丘陵地の地層 ( 砂礫層 ) の中で発見したものです。 鉱層を成して膨縮する褐鉄鉱の一部に球状の膨らみが見られ、振ると微かに音がするものがあって、当時は貴重な 「鈴石」 ( 鳴石 ) とは知らずに、中を見るためによく破ってしまいました。
 現在、この細道のあった場所は、県立宇治山田高校のグランドの一部になっていますので、 原産地は褐鉄鉱の鉱層と共に消滅し、絶産となってしまいました。


伊勢市大仏山公園産の 「白鉄鉱を含む団塊」 ~ 最長約5cm

 4.白鉄鉱質団塊 ~ 結核
   産 地 伊勢市小俣町東新村 「県営 大仏山公園」

 大仏山公園産の 「白鉄鉱質団塊 ~ 結核 」 は、かつて平成の初期に公園の造成工事中に露出した、新第三紀の細粒砂岩 ~ シルト岩の地層の中に、筆者が見つけたもので、表面は褐鉄鉱 ~ 黄鉄鉱ですが、その後内部を調べた処、硫化鉄鉱質の一部に 「白鉄鉱」 が混在する事が判りました。大仏山公園産の 「白鉄鉱を含む団塊とその内部」 ~ 右の長さ約4cm
 サイズは、丸っぽい団塊 ( ノジュール ) は梅干し大程度で、細長い結核 ( コンクリーション ) は、唐辛子程度です。
 現在、この露頭は舗装道路の下に埋没していたり、植え込み等でコーティングされていますので、当時多産していた植物化石類と共に絶産となり、現地に行っても僅かに地層の一部が出ているだけで、全く採集は出来ません。


 ◆ 鳥羽市 … 鏡  肌
鳥羽市安楽島町村山産の 「赤鉄鉱の鏡肌」 ~ 横幅約14cm
 1.鏡 肌 ( 鏡 石 ・ スリッケンサイド )
   産 地 鳥羽市河内町 ・ 鳥羽市安楽島町村山

 「鏡肌」 は、断層によって生じた鏡面を有する 「断層面」 の一部ですが、ズレの方向性を示す擦痕を伴っているのが普通です。 この鏡面は、断層粘土によってスベスベに磨かれていたり、赤鉄鉱の被膜が生じていたりするものがあり、まさに天然の 「石の鏡」 と言えます。
 巨岩を成すものは 「鏡石」 や 「鏡岩」 と称し、類似の 「鸚鵡石」 と共に全国各地にあり、古来の名所や名物岩となっています。
 伊勢志摩地方では、高麗広 ( 宇治今在家町 ) にある五十鈴川右岸川岸の 「鏡石」 が古来有名ですが、伊勢神宮の宮域になりますので、近づけません。
 当地のこの 「鏡石」 の事は、ブログのバックナンバー ( 伊勢 ・ 志摩 ・ 度会の石紀行 その11 ) を参照して下さい。


 ◆ 志摩市 … 鍾乳石、高師小僧、漂礫の断層石、黄色玉石
磯部町・廃窯の穴産の 「つらら石」 ~ 左端の長さ約12cm
 1.鍾乳石 ( 鍾乳石 )
   産 地 志摩市磯部町恵利原、通称 「廃窯の穴」 ( 鍾乳洞 )

 「鍾乳石」 は、特に珍しいものでは無く、 「つらら石」 や 「石筍」 などは、「 奇石 」 と呼べるものでは無いと思いますが、中にはいろんな形状やサイズの奇形を呈するものもあります。
 特に 「ヘリクタイト」 や 「ヘリグマイト」 、 「洞窟珊瑚」 などの特異な形態の奇形鍾乳石は、 「奇石」 に値すると思います。
 伊勢市から志摩市にかけての石灰岩地帯には、数多くの鍾乳洞がありますが、珍しい形状の鍾乳石の見られる場所は殆ど無く、いろんな形状の鍾乳石がたくさんあって、容易に採集が出来るのはこの鍾乳洞のみです。


志摩市裏城産の 「ウバメガシの根毛に生じた高師小僧」

 2.高師小僧 ( たかしこぞう )
   産 地 志摩市阿児町裏城、他

 「高師小僧」 は、その原産地が愛知県豊橋市近郊の 「高師ヶ原」 なので、この名前がついていますが、地下水や鉄バクテリアの作用によって生成する、粘土と水酸化鉄がミックス状態となって、植物根などを中心に被殻状に取り巻いた、地層中の二次生成物です。
 志摩市阿児町鵜方から神明にかけての海成段丘堆積層内に産し、多くは黄褐色樹枝状や円筒形ですが、中には鍔状の突起の生じたものや、落花生のような豆状 ~ 球状を成すものもあります。

裏城産の 「鍔付きの高師小僧」 ~ 最長約8cm
 全国各地の第四紀の地層 ( 主に更新統 )などから産し、俗に 「鬼わらび」 とか 「狐の小枕」 などと呼ばれていますが、志摩市ではかつて裏城団地の造成工事中に、地表に近い黄土色粘土層や、その下の灰黒色粘土層の中から無数に見つかりました。
 当地方の高師小僧は、現在も生成中であり、即成の二次鉱物 ( 沼鉄鉱の一種 ) になりますが、既に江戸時代から知られており、当時の唯一の石類書 ( 稀覯本 ) である 「雲根志」 ( 木内石亭 著 ) にも 「土殷孽 ( どいんけつ ) 」 ( 古名 ) として 取り上げられ、以下の記述が見られます。

 「志州シメの浦に産する物、花のごとく実のごとくなる物あり」 ( 注 : シメの浦 三重県志摩市阿児町神明の浦の事か? )

志摩市大王町名田・大野浜産の 「断層石」 ~ 横幅約12cm

 3.漂礫の断層石 ( ひょうれきのだんそういし )
   産 地 志摩市大王町名田、大野浜及び名田漁港の海浜

 「断層石」 は、層内断層の浮き出た珪質岩や泥質岩の漂礫 ( 浜砂利 ) ですが、中には階段状断層が 「稲妻模様」 を呈するものも見られます。 これまでに、幾つかのブログ ( バックナンバーを参照 ) に記載を致しましたので、写真のみ掲載をし、詳細は省略を致します。

志摩市大王町名田・大野浜産の 「黄色玉石」

 4.黄色玉石 ( きいろだまいし )
   産 地 志摩市大王町名田、大野浜及び名田漁港の海浜

 「黄色玉石」 につきましては、先月のブログ ( 伊勢 ・ 志摩 ・ 度会の石紀行 その 12 ) に記述を致しましたので、この記事を参照して下さい。



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伊勢市の清流・五十鈴川の石 ~ 水石の紹介

2019年07月14日 | 石のはなし

高麗広産の見事な「赤鎧石の段石」~ 左右幅約21cm

 皇大神宮 (内宮) への宇治橋の架かる、伊勢市の清流・五十鈴川は、御裳濯川(みもすそがわ)とも称し、その源流を高麗広 (こうらいびろ) 奥の剣峠付近に持つ、総延長20km弱の一級河川です。
 途中で小谷からの流れや幾つか支流を合流しながら穿入蛇行し、宇治今在家町の神路山(皇大神宮の宮域)から神域境内の御手洗場、宇治橋を経て、宇治中之切町、宇治浦田町、中村町、楠部町、鹿海町、一色町などを通り、二見町今一色 (いまいしき・対岸は大湊町) で勢田川と合流し、伊勢湾へと流出している。

五十鈴川産のきれいな「石灰質准片岩の段石」~ 左右幅約12cm

 支流の内の最大河川は、逢坂峠付近に源流を持ち、朝熊山の南麓から内宮の神域境内へと流れる島路川で、その次が朝熊山北麓の朝熊川である。
 そして、二見町の汐合 (しわい) の少し川上で二つに分流し、運河のように護岸整備が成された分流「江川」(えのかわ)は、二見町町街地の背後を周って江海岸へと流出している。


浦田橋付近の「五十鈴川の川原」


 五十鈴川の上流は、すべてが伊勢神宮の宮域ではあるが、渓谷美に富む景勝地でもあり、各所に奇岩や名物岩、謂れ石などがあって、江戸時代から探訪する人々の往来も盛んであった。
 その上流奥の隠れ里でもあった高麗広には、今も10数件の民家が点在している。 この地域の人達は、その祖先が狭小な流域を開拓して田畑を作り、林業や狩猟をも営みながら生活し、爾来宮域ながら先住権が認められている。
 それ故、五十鈴川やその流域の木石(ぼくせき)を生活の道具として利用し、家屋の石垣や棚田などの野面積み(のずらづみ) には、多くの現地の転石が使用されている。


五十鈴川上流の渓流 ~ 高麗広・大滝谷付近


 又、高麗広からは、剣峠を越えて遥か南海の五ヶ所浦へと通じる山越え道が古くから街道としてあった。 内宮前から五十鈴川の左岸を分け入るこの道路(県道12号線)は、昭和の時代には、伊勢の町からボンネット・バスが狭小な山路を走り、険しい九十九折りの剣峠を超えて五ヶ所浦へと発着していた。
 

 この五十鈴川川上の渓流には、鰒石(あわびいし)や御舟石(みふねいし)、鏡石(かがみいし・かがみいわ)などがあって、特異な形状の奇形礫(転石)である「神足石」 (しんそくせき・じんそくせき) と共に、伊勢参宮名所図会をはじめ、神都名勝誌や伊勢参宮道中獨案内など、幾つかの古文書にも記載されている。 かつては、渓流の界隈に牛石や碁盤岩、高麗岩などもあったらしい。

五十鈴川産の「遠山形の赤肌石」~ 左右幅約21cm


 既述の高麗広は、戦前から当地方きっての銘石の産地として知られており、今も昔も宮域や宇治橋より川上の五十鈴川での採集や採石は、動植物と共に厳禁であるが、昭和30年代から40年代にかけての、いわゆる「昭和の石ブーム」の頃には、「伊勢赤石」や「赤鎧石」「神代石」 (かみよいし ~ 伊勢古谷石系の化け石の類) など、多くの名石が出回ったが、元は先住権のある高麗広の住民によって紹介されたものと思われ、かつて民家の軒先などには名石が幾つも並べられていた。

高麗広産の「伊勢古谷石系の滝石」~ 左右幅約22cm


 しかし、当時あまりにも多くの「五十鈴川石」が銘石として世に出ていた事を考えると、神宮司聴直属の営林署員の見回りの目をかすめて、愛石家らの揚石や持ち出しがあったものと思われてならない。
 我輩も当時、高麗広出身の元住民の方に譲って頂いた「赤鎧石の段石」(冒頭の掲載写真)など、幾つかのちょっとした名石を持っているが、その殆どが後年、宇治橋下流の川原を丹念に見回って、自ら揚石をしたものである。
 今回は、その中の数個を写真にて紹介する次第である。

五十鈴川産の「遠山形の朝熊石」~ 左右幅約22cm

五十鈴川産の「景観の佳い滝石」~ 左右幅約13cm


五十鈴川産の珪質岩の山水景石~左右幅約11cm


五十鈴川産の粗粒砂岩・礫岩の化け石~左右幅約9cm
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