伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

古い写真や絵葉書などに見る 「昔の伊勢名所」

2020年02月28日 | 伊勢

明治期の版画に見る 「宮川橋の風景」

 今も昔も変わらない 「伊勢名所」 といえば、伊勢神宮 ( 外宮・内宮 ) や徴古館、夫婦岩のある二見ヶ浦に、朝熊山上の金剛證寺、そして、桜の名所として知られている 「宮川堤」 や 「五十鈴公園」 ぐらいであろうか …。


戦前の絵葉書に見る 「宮川の鉄橋」


 しかし、伊勢神宮のある当時の 「山田」 (外宮の門前町 ) や 「宇治」 (内宮の門前町) へは、江戸時代からお伊勢詣りの参詣人達が幾多と訪れ、勢州 ( 当時の伊勢国 ) への参宮街道が発達するにつれ、街道筋には次第に村落や宿場が発生し、それに合わせて数々の名所や名物も生じた。


江戸時代の伊勢名所 「宮川の渡し」 の版画絵葉書


 旅の案内書である 江戸時代の 「伊勢参宮名所図会」 や、 「伊勢参宮独案内」 「伊勢名勝志」 「神都名勝誌」 等の和本と共に、一枚刷りの 「伊勢参宮順路之図」 や 「伊勢参宮道中の双六」 等の版画、さらに絵葉書や写真帖なども盛んに作られた。


明治期の一枚刷りの版画 「伊勢参宮順路之図」


昔の伊勢名所の 「案内地図 (左) と写真帖」


参宮協會発行の 「戦前の観光パンフレット」


上載写真右側の 「参宮と櫻」 に掲載の地図


上載地図の 「伊勢電の路線」 部分のアップ


 明治期に入ってからは、省線 ( 旧国鉄の古い呼び名・現在のJR ) が多気駅から分岐して宮川駅 ( 小俣町 ) まで線路が敷かれ、すぐ東の宮川に西洋の技術によって鉄橋が架かると、すぐ先の山田上口駅へと繋がり、そして山田駅 ( 現在の伊勢市駅 ) にまで延びた。
 その後、さらに東方の二見から鳥羽へと延長され、現在の参宮線 ( 多気 ~ 鳥羽間 ) が完通した。


戦後間もない頃の「宇治山田市案内図」


 この間に宇治山田の町 ( 今の伊勢市 ) には、省線にあわせて市電 ( その当時は合同電車と称した ) が 「山田駅前」 を起点に内宮・二見・朝熊へと線路を巡らせ、又複数の私鉄が大阪や名古屋から開通した。
 現在は、伊勢への鉄道と言えばJRの参宮線と近鉄電車だけであるが、旧街道の沿道と共に鉄道の沿線には、今は無き数々の名所があったのだと思う。


昔の伊勢名所の絵葉書に見る、五十鈴川川上の 「飛び石」


上載写真の現在の 「飛び石」 の風景 ~ 2020年2月26日撮影


 かつての伊勢名所は、先に記した外宮・内宮や二見ヶ浦、朝熊山上等と共に、町街地内外の寺社仏閣の古刹や名勝地、旧跡等を除けば、かつての 市電と 「松尾駅」都市化や宅地造成等市街地の膨張に伴い、立ち消えていったか、忘れ去られたものが少なくない。
 例えば、市電の松尾観音駅の周辺 ( 二つ池・他 ) や、世義寺山の藤棚、外宮隣接の勾玉池、高倉山の天の岩戸 ( 三重県下最大の横穴式古墳 ) 、五十鈴川川上の渓流、並びに宇治橋上流の飛び石や鰒石、鏡石、大滝・小滝等々 …。
 最も勾玉池や五十鈴川の上流は、伊勢神宮の宮域であるので、現在では規制が厳しくなっていて、昔のように庶民が自由に見物出来る、伊勢の観光名所とは言えなくなってしまっている。
 古い写真や絵葉書などを調べてみると、戦後生まれの我輩には知らな風景なども含めて、かつての 「伊勢名所」 が郷愁のようによみがえるのである。



戦前の参宮線 「山田駅前の風景」
現在の参宮線 「伊勢市駅前の風景」 ~ 2020年2月26日撮影


 省線が通じ 「山田駅」 が出来た当時には、蒸気機関車の発着する 「停車場」 そのものが珍しく、駅舎や駅前はまさに 「伊勢名所」 の一つであったと思わずにはいられない。
 暖冬のままに初春へと移行する折に、かつての 「伊勢名所」 の中から、幾つか昔の風景を拾い出してみた次第である。


かつては伊勢名所の一つであった 「豊宮崎文庫」

「豊宮崎文庫庭園の銘木 「御屋根桜」

かつての豊川沿いに咲き誇る 「豊宮崎文庫の御屋根桜」



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする