伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

2010年処暑 … 奥志摩の果て、宿田曽にて

2010年08月23日 | 伊勢志摩旅情

田曽岬付近の入浜

田曽岬付近の入浜

 

志摩をめぐる「国道260号線」

 今夏も処暑となり、ひと夏が過ぎ行こうとしている折、奥志摩の果て宿田曽への国道を走った。先志摩先端の御座から英虞湾の海岸に沿って五ヶ所地方へと、当地の湾岸を巡るこの「国道260号線」は、今でこそ立派な幹線道路となっているが、昭和の時代までは、国道とは名ばかりで、かつては「幻の国道」とさえ囁かれていたこともあった。特に岬角部は、車の通行できない九十九折の細道が続くなど、陸路を阻む難所の連続であった。それが、最近は、バイパス道路の建設や幅広い明るいトンネルも複数掘られ、 随所に未整備箇所を残しているものの、立派な舗装道路となった。特に、浜島から南張を経由し宿浦に至るルートは、真新しくよく整備され、広々としたビュアーもよく、海を眺めてのドライヴは、四季を通じて快適そのものである。

 

奥志摩「五ヶ所湾」の海里

 浜島より西、五ヶ所湾(南伊勢町)辺りまでの熊野灘沿岸地域は、「奥志摩」とも呼ばれ、海浜に浜木綿の群落を見ながら、スケールの大きな急峻なリアス式海岸が続く。五ヶ所湾はその複雑に入り組んだ形から、別名「楓湾」(かえでわん)とも呼ばれ、志摩半島の英虞湾とは又、異なった風光明媚な海景を呈し、海里(うみざと)のすぐれた郷土文化を生み出している。

 

宿田曽漁港と田曽岬

 五ヶ所湾の周辺には、幾つかの隠れた名所や名勝地があり、奥志摩の観光資源となっている。宿田曽漁港は、遠洋漁船の基地港のひとつであるが、熊野灘に突き出した田曽岬付近は海釣りのメッカでもあり、大物ねらいの釣り人らの格好のポイントとなっている。

 

田曽岬の荒磯

 漁港の防波堤から田曽岬へと続く荒磯をたどると、巨大な岩盤を成す的矢層群の地層が崩落しており、風化と海食作用の相乗効果によって、海岸線が内陸へと後退してゆくすざまじい現場を目にする。 スケールの大きな海食地形とともに、岬角間には、汀線にビーチ・カスプ(礫堆)の続く小じんまりした人気(ひとけ)の無い入浜があり、様々な漂着物を探る事ができる。自然物では、流木や海草や貝殻、軽石の他、時にはサンゴのかけらが打ち上げられていることもある。

 

お宝探しのひと夏の探検

 少し危険ではあるが、奥志摩の岬の果て、誰もいないこのような隠れたビーチや荒磯は、新鮮な風景写真はもとより、何か未知のお宝に出会うかも知れない魅力がある。酷暑の熱波が、容赦なく体力を消耗させる真夏日の昼日中(ひるひなか)ではあったが、この日は、ひと夏のちょっとした探検を楽しんだ。

 

宿田曽漁港に入港するウィンド・クルーザー

宿田曽漁港に入港するウィンド・クルーザー

 

浜島海岸の浜木綿の群落

浜島海岸の浜木綿の群落

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志摩の海辺にて

2010年08月22日 | 伊勢志摩旅情

志摩の海辺

 伊勢志摩国立公園は、山と海が織り成すリアス式海岸の海景に富んだ、美し国(うましくに)である。特に志摩地方は、溺れ谷より成る二大湾入があり、深く蛇行した的矢湾と複雑に入り組んだ英虞湾が、それぞれ島々を浮かべ、その周囲は見晴らしの効く緑豊かな有湾台地となって旅情を誘い、旅を満喫させている。

 昨今は、展望台や遊歩道などの観光施設やリゾート施設も充実し、各地に温泉も掘られ、さらに海の幸を求めて当地を訪れる観光客への、食のメニューも色々と工夫されて豪華になった。

 さて、志摩巡りの見所を幾つか取り上げてみよう。筆者は、風景写真や地質調査、それに歌謡詞の素材を求めて、幾度となく志摩地方を訪れている。よく晴れた日、独りで志摩の海辺に遊ぶのは格別である。

海原翔るヨット  まず、目に付くのが真珠筏と、素潜り漁に勤しむ海女の姿である。そして灯台のある岬、広々とした砂浜海岸など・・・。志摩への旅は、近鉄特急が英虞湾に面した志摩・奥志摩への玄関口でもある、賢島まで運んでくれる。後は巡航船と路線バスになるが、マイカーでの探訪者も数多くなり、アクセス道路やバイパスもかなり充実してきている。

◆ リゾート施設、及び遊園地
賢島、合歓の郷、志摩スペイン村、登茂山公園
◆ 展望台
横山の各所、西山・慕情ヶ丘、安乗岬、大王崎、
登茂山(登茂山及び桐垣展望台)、
麦崎、磯笛岬(なごみの丘展望台)
◆ 灯台のある岬
安乗岬(公開・有料)、大王崎(公開・有料)、
麦崎(無人)、御座岬(無人)
◆ 砂浜ビーチ
国府白浜、甲賀白浜、市後浜、広の浜、御座白浜、安津里浜、次郎六郎海岸(人工砂浜ビーチ)、南張海岸、田曽白浜(度会郡南伊勢町)
◆ 夕陽の絶景地
西山・慕情ヶ丘(日本の夕陽百選認定地)、登茂山、
登茂地(桐垣展望台)、磯笛峠(日本の夕陽百選認定地)
◆ 奇 祭
わらじ祭(波切)、潮かけ祭(和具)、伊勢海老祭(浜島)、
お田植祭(磯部)
◆ 巡航船の通う離れ島
渡鹿野島、間崎(島)、
大島・小島(和具沖の無人島。夏場のみ大島行きの船便あり)
◆ 隠れた名所
石仏(潮仏地蔵、御座)、立石明神(立石、立神)、
鸚鵡石(響き岩、磯部)、天の岩戸(鍾乳洞、磯部)、
米子浜(海食洞門、波切)、阿児の松原(古の名所、甲賀)

 だいたい以上あるが、神社・仏閣はもとより、民俗、歴史、そして有形・無形文化財も各地に点在し、探訪の際には、見逃せない見ものがたくさんあるので、事前によく調べてから旅をする事をお奨めする。

 

志摩の海 ~ 夏の日のメモリー ~

        - 作詩:沢野夏穂 -

青波砕け 寄せる砂浜
滾る太陽 私に降り注ぎ
白い柔らな肌を 小麦色に灼いた
あれは志摩の海 夏の日のメモリー
波に遊び 砂に刻んだ
かがやく ロマンス

海原翔ける 白い帆の船
そよぐ海風 私をまどろませ
靡くほつれ髪に 潮の匂いつけた
あれは志摩の海 夏の日のメモリー
彼にもたれ 水面眺めた
ときめく ロマンス

落ちゆく夕陽 灯る漁火
磯の岩陰 私を呼び止めて
弾む小さな胸に 熱い想い詰めた
あれは志摩の海 夏の日のメモリー
満ちた入り江 心あずけた
きらめく ロマンス

 

志摩の海岸

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志摩半島に化石を訪ねて

2010年08月17日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

鳥羽市安楽島海岸の化石

貝化石

 かつて、鳥羽市の安楽島海岸から恐竜の骨化石が発見され、その後新種ゆえ「鳥羽竜」と名づけられ、マニアや子供達にちょっとした化石熱を呼び起こし、恐竜へのロマンをかきたてた。現地には案内板とともにレプリカが作られ、海岸の発掘現場へ降りる階段が整備されている。しかし、当時、現物が三重県教育委員会に持ち込まれた為か、鳥羽の町興しや化石イベントなども、一過性のブームに終わってしまった感が否めない。

 安楽島海岸には、中生代ジュラ紀から白亜紀にかけての地層が、古生代の地層とともに付加体コンプレックス(かつて、サンドウィッチ構造と呼んでいた。現在はこのような層相をメランジュと呼んでいる)を成して露出しており、江戸時代から「介化石」(貝化石)の産地として著名な場所であった。現在も、海岸の漂礫や海食崖・海食台を成す地層の中から、いろんな貝化石とともに、シダ植物や石炭、貝殻石灰岩などが採集できる。

 

化石採集は地球の歴史へのアプローチ

シダ植物  筆者は、「鳥羽竜」の化石骨が発見される以前に、「志摩半島に化石を訪ねて」と言うガイド・ブックを書き、志摩マリンランドさんから発行して頂いたことがある。その冊子の中で、安楽島海岸(二地浦)産の三角貝などを紹介させて頂いた。現地にあった石炭試掘跡辺りに、当時は珪化木とされていた、炭化した幹木のようなものが残存しているのは熟知していが、まさに、それが後年発見の恐竜の化石骨の一つだったと言う訳である。

 地元鳥羽では、地球科学への造詣が加速し、学校教育にも取り入れられたと聞く。私たちの住むこの大地の成り立ちを知るには、野外でじかに地層や化石に接する事が大切であり、教科書や書物だけでなく、私たちの居住地を取り巻く自然環境を理解しながら、山や丘、海岸をつくっている地質(岩石や地層)に接し、化石を調べる事により、地球の歴史(地史)を読み取る事が出来れば、素晴らしい学習となるに違いない。

 

化石について

 化石は、大昔(完新世以前の地質時代。少なくとも過去1万年前より古い時代)の生物(古生物)の体や生活の痕跡が地層(堆積岩や堆積物、永久凍土、氷床など)の中に残存しているものを言う。体と言っても、氷漬けのマンモスのような特殊なケース以外は、一般に残っているのは硬い部分(例えば骨、爪、歯、角、貝殻、木の幹など)だけで、このようなものは体化石と言うが、他に体の跡や木の葉の跡などが押印のように付いただけのものもあって、印象化石と呼ぶ。さらに、巣穴や這い跡、足跡、卵、排泄物(糞)、分泌物(樹脂)など、古生物の生活の結果生じた痕跡の残存物もあり、生痕(の化石)として扱う。

 

示準化石と示相化石

 化石には、その化石を含む地層の堆積した地質時代がどれぐらい古いのかという、過去の時代が相対的に判る、三葉虫やアンモナイト、ナウマンゾウのような標準となるものがあって、示準化石と呼んでいる。又、その化石を含む地層が、かつてどのような自然環境(古環境)に堆積したかという、当時の堆積環境を知る手がかりとなるタイプの化石もあり、例えば珊瑚や牡蠣貝のようなものを、示相化石と称する。

 示準化石の決め手は、生存期間が限られ、世界的に広く分布する事であり、示相化石の決め手は、現在生存している近縁種との比較が出来るなど、地質時代を通しての生存期間が長く、しかも限られた環境にだけ生息していた古生物である事と言える。中には示準化石であり、示相化石であるものもある。

 化石の研究は、古生物と現生種とのつながりの類推から、生物進化の様子を知る事ができる。

 

志摩半島の化石の産地

 志摩半島には、古生代から新生代にかけての各時代の地層が分布しており(但し、第三紀層のみ欠如)、各地に化石の産地がある。このうち、現在も採集可能な著名な場所のみ記すと、

  • 鳥羽市安楽島町二地浦~砥谷海岸
    (主に中生代ジュラ紀・後期~白亜紀・前期)
貝化石(二枚貝、巻貝、他)、羊歯植物、その他
    • 鳥羽市松尾町青峰山、登山道の中腹の崖
      (主に中生代ジュラ紀・後期~白亜紀・前期)
    貝化石、アンモナイト、羊歯植物、その他
      • 志摩市磯部町広の谷
        (中生代ジュラ紀・後期。鳥ノ巣石灰岩、及び泥岩中)
      珊瑚、層孔虫、パイプウニ、その他
        • 志摩市磯部町天岩戸付近
          (古生代二畳紀頃の石灰岩中)
        ウミユリ、紡錘虫、その他
          • 志摩市磯部町木場~迫間・付近一帯の地層
            (新生代第四紀・更新世)
          貝化石、有孔虫、亜炭等

              以上である。

               

              画像は上から

              1. 貝化石(鳥羽市安楽島町二地浦 産、写真左右約10㎝)
              2. シダ植物(鳥羽市安楽島町二地浦 産、上下約 8㎝)
              3. アンモナイト(鳥羽市松尾町青峰山 産、径約4㎝)

               

               この他、近隣の伊勢市小俣町大仏山公園内に、新第三紀層の露頭があり、メタセコイアや各種広葉樹など、木の葉の化石、並びに亜炭、コハク(生痕)が産し、採集できないこともない。

              青峰山産 アンモナイト(左右約4㎝)

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              伊勢・志摩の鉱物

              2010年08月11日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

              水晶

              水  晶(志摩市磯部町 産、結晶の長さ1.5cm )

              伊勢・志摩では、どんな鉱物が採れるのか?

               伊勢志摩地方は、三重県の鉱物採集のメッカである北勢の石榑南地方(いなべ市大安町)や、紀州鉱山(熊野市紀和町)に比べれば、水晶、カリ長石、黄玉など著名なペグマタイト鉱物や各種の主要金属鉱物には恵まれない。しかし、山野を歩き、谷間に分け入り、鉱山跡や採石場などを訪ねると、結構いろんな鉱物が出る事が解る。黄銅鉱や、赤鉄鉱、黄鉄鉱などの熱水性鉱脈を成す金属鉱物もあれば、蛇紋岩地帯に特徴づけられる磁鉄鉱や霰石(あられいし)、苦灰石、石綿、そして広域変成岩に伴う滑石や緑簾石や曹長石、さらに、一般には殆ど馴染みの薄い特殊な鉱物もカウントしてゆくと、100数十種に上り、これまでに記載のある三重県産鉱物種の3分の2以上となる。

               

              庶民派鉱物あれこれ

               最近、パワー・ストーンなる美石が話題を呼び、健康増進や癒し系のグッズとしてもてはやされている。たとえば、水晶パワーをはじめ、トルマリンやアメジスト、ヘマタイト(赤鉄鉱)やジルコンなど、100円ショップでも目にするようになった。各種誕生石の小石玉をはじめ、リスト・バンドや携帯ストラップ、キー・ホルダーなどに加工された美石の商品が色々とある。

               本物の天然石もあれば、着色品や模造品もあり、正に玉石混交の状態で、庶民には安くてありがたい話であるが、どれが本物の天然石で、しかも少しでも鉱物学的な価値のあるものかとなると、素人が見分けるのは実に難しい。きれいにカットされた「クリスタル」商品だけでも、コーツ(石英・水晶)もあれば、クリスタル・グラスもあれば、樹脂製品さえある始末である。見た目のきれいさに惑わされてしまう。

               

              宝石鉱物と貴金属

               鉱物の発見は、古代に遡ると、洋の東西を問わず生活の必需品や装飾品に始まる。まず目を惹くのは、色合いや結晶などの美しさ、硬さ(不変の耐久性)、希少さなどをそなえた紫水晶や翡翠、碧玉や瑪瑙などであるが、後世の宝石鉱物の三条件との見事なまでの一致を見、その基準の大元になっている気がする。次いで、青銅器や鉄器などの生活道具を、特別な鉱物から鋳造する技術を覚えるに及び、金属を含む各種の鉱石鉱物、並びに貴金属鉱物の発見ラッシュに至る。地下資源としての鉱物の発見に端を発し、歴史が進むにつれ鉱山師(やまし)達が活躍するに時代となる。

               金、銀、銅などは、かつて日本列島の各地において、自然金属(砂金などの砂鉱を含む)の形で結構採れたし、白金も北海道では砂白金の形で多少は産した。伊勢・志摩地方では、今のところ砂鉄ぐらいで、自然金は出ないが、朝熊山から金が出たと言う伝え話はある。宝石類も古代遺跡から出土した遺物以外は、目ぼしい鉱物の産出例は無く、水晶ですら微々たるものしか採れない。但し、宝石には生体鉱物である真珠が含まれており、志摩の海は昔から天然真珠の宝庫として知られていた。

               

              和名の鉱物

               さて、誰もが知っている昔からの著名鉱物を幾つか上げてみよう。明治期以前から知られていた和名の鉱物の内、美しいものとしては、勾玉石(翡翠、軟玉、碧玉)、石榴石(ざくろいし)、六方石(水晶)、蛍石、きらら石(白雲母)などである。 この他、漢方薬(石薬)として、滑石、石膏、石黄、鳴石(褐鉄鉱質ノジュールの一種)などや、岩絵の具として、紅がら(赤鉄鉱)、緑青石(孔雀石)、朱砂(丹砂とも言う。辰砂を指す)なども知られていたと思う。

               残念ながら、伊勢・志摩地方では、以上のものは古文書には記述を見ない。

               

              伊勢・志摩限定の特産鉱物

               伊勢志摩限定の特産鉱物をあげるとすると、何と言っても、鵜方の高師小僧があげられる。これは江戸時代に書かれた「雲根誌」(木内石亭 著)にも「土殷けつ」(どいんけつ)として記述されている。次に朝熊山の武石(ぶせき)が文献にはあるが、今は採れない。代わりに斑糲岩ペグマタイトに伴って多産する異剥石(いはくせき)の巨晶をあげておこう。これは全国何処に行っても自慢ができる。なお、東京の国立科学博物館の鉱物標本の中には、朝熊山産のハイドロガーネット(含水石榴石)が収蔵されている。

               あとは、日本初産となったヴァニア石(白木)、宝石鉱物である蛋白石(伊勢市辻久留)、美しいピンク色の菱マンガン鉱、並びにバラ輝石(栗原鉱山跡、他)、クロム石榴石(菅島)、クロム雲母(円座採石場)、ソーダ珪灰石(菅島、白木)、葡萄石(白木、他)、トムソン沸石(白木)、重土十字沸石(鳥羽鉱山跡)、藍閃石(二見町)、スチルプノメレーン(二見町)、燐灰石(赤崎鉱山)、含マンガン赤鉄鉱(立神鉱山跡、他)などであるが、肉眼では識別できないような、X線分析によって見つかった数々の新産鉱物は、一般向けではないので、ここでは割愛することにする。

               

              伊勢・志摩の鉱物標本(20種)

               最後に、伊勢・志摩地方で比較的多産する鉱物を20種選び、鉱物標本を作るとしたら、どのような鉱物がオーソドックスなタイプ標本種として選定されるであろうか。一応、筆者なりに選んでみた鉱物種を書いておく。

              ◆ 金属鉱物
              • 黄銅鉱
              • 黄鉄鉱
              • 褐鉄鉱
              • 高師小僧
              • 含マンガン赤鉄鉱
              • 菱マンガン鉱(又は、バラ輝石)
              • 二酸化マンガン鉱
              • 珪ニッケル鉱
              • 孔雀石(珪孔雀石)
              ◆ 非金属鉱物
              • 石英(水晶)
              • 玉髄
              • 方解石
              • 霰石
              • 鍾乳石
              • 緑簾石
              • 曹長石
              • 蛇紋石
              • 異剥石
              • 滑石
              • ソーダ珪灰石

               

               以下の写真画像は、上から

              霰 石(あられいし、伊勢市西行谷 産、左右約7cm)
              蛋白石(たんぱくせき、伊勢市辻久留 産、左右約5cm)
              葡萄石(ぶどういし、鳥羽市白木町 産、左右約7cm)
              貼り付け標本(ミニサイズ・20種)

              霰石(あられいし。伊勢市西行谷産) 蛋白石(伊勢市辻久留) 葡萄石(鳥羽市白木町産) 標本(ミニサイズ20種)

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              伊勢志摩地方の鍾乳洞を探る

              2010年08月05日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

              天の岩戸(瀧祭窟)

              天の岩戸(瀧祭窟)

               

              石灰石の採掘と鍾乳洞

               日本列島は、断続的ではあるが、北から南まで石灰岩が分布し、各地のセメント・プラントに必要な原料鉱石の供給源となっている。かつては、肥料や消毒剤としての石灰(いしばい)を作るのに、ごく小規模な石灰窯等もたくさんあった。このような石灰石鉱山や鉱山跡、石灰岩の石切り場には、必ずと言ってよいぐらい鍾乳洞があり、わが国で唯一自給自足の出来る地下資源である石灰石(せっかいせき。石灰岩の鉱石名)の採掘の陰で、消えて行った無名の洞穴も数少なくない。

               

              三重県の石灰石鉱山と鍾乳洞の調査

               三重県には、現在も稼行中の大規模な石灰石鉱山が4つある。最大規模の鉱山は北勢の藤原鉱山、それに続くのが鈴峰鉱山と篠立鉱山、そして南勢地区の国見山石灰鉱山(旧南島町神前)である。いずれの石灰岩も古生代の石炭紀から二畳紀のものとされているが、石灰石鉱山の界隈には大小さまざまな鍾乳洞が開口していて、主にケイビング・クラブや洞窟専門の生物学者らのグループによって、精細な調査が成されている。

               

              伊勢志摩地方の石灰岩の分布と、主な鍾乳洞

               さて、伊勢志摩地方に目を向けると、石灰岩は、北は神島から安楽島を経て磯部町へと広がり、さらに伊勢市南方の島路山から矢持町を経て南伊勢町へと分布する。特に石灰岩地帯として著名なのは、天岩戸から逢坂峠付近にかけての山地と、伊勢市矢持町下村から菖蒲にかけての山地である。他、伊勢志摩からは少し離れるが、さらに南の国見山(度会郡南伊勢町)から大紀町阿曽にかけての地域にも広く分布する。これらの地方には幾つかの鍾乳洞が点在し、古文書にも記され、古来探検が成されている著名な洞穴もあれば、まったく人知らずの無名洞も幾つかある。

               これまでに学術調査が成され、学術文献に記載されている伊勢志摩地方とその界隈の主な鍾乳洞を記すと、次のようになる。

              ◆ 伊勢市
              鷲嶺(しゅうれい)の水穴、覆盆子(ふぼんじ)洞、嫁穴(以上、矢持町)。燧石の穴、五知越の穴、旭の竪穴(以上、島路山から神路山にかけての神宮宮域内)
              ◆ 志摩市
              天の岩戸の水穴 ・「瀧祭窟」(たきまつりのいわや)、風穴、倉谷の穴、天の岩戸新洞、通称・廃窯(はいがま)の穴(以上、磯部町)
              ◆ 鳥羽市
              神島鍾乳洞(神島町)
              ◆ 度会郡
              木屋の蝙蝠(こうもり)穴、阿曽の風穴、藤ヶ野の穴(以上、 大紀町)。国見山石灰鉱山の鍾乳洞、河内の竪穴、船越の鍾乳洞(以上、南伊勢町)

               これらの内、一部は未調査洞であるが、大半は神聖視され信仰の対象となっていたり、危険防止上、立ち入り禁止や入洞が規制されている。誰でも簡単に入洞が出来て、ケイビングを楽しめる洞穴となると、ごく限られるが、整備が成され観光洞となっているものは皆無である。当地方の鍾乳洞は、小規模な洞穴が殆どで、奥行きも鷲嶺の水穴の約300mが最長である。

               

              鍾乳石の採集できる洞穴

               上記の鍾乳洞の内、洞内で鍾乳石を自由に拾えるのは、磯部町の通称・廃窯(はいがま)の穴(奥行き約80m)ぐらいである。

               

              覆盆子洞

              覆盆子洞

              覆盆子洞の内部(入口付近)

              覆盆子洞の内部(入口付近)

              コメント
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