伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

三重県産の石榴石( ざくろいし )の産地についての回想

2023年10月23日 | 三重県下の鉱産地


堀坂山 ・ 雲母谷産の 「鉄礬石榴石」 ~ 結晶の最大直径は約1.5cm

堀坂山 ・ 雲母谷産の母岩付きの 「鉄礬石榴石」 ~ 母岩の最大幅約5cm

 石に興味をもった少年時代には、小学生の級友達と伊勢市(当時は宇治山田市 )内を自転車で走り回りながら、石採りに出かけていたが、1年程経った小学5年生の頃に、「石榴石」(ざくろいし)を初めて知った。 当時私鉄に勤務していた父親が、旧「東青山駅」直下の谷からクルミ大の真っ赤な結晶を、手のひら大の黒雲母の巨晶と共に拾って来て、石集めをしていた理科少年の私に見せてくれた。


近鉄大阪線の「旧東青山駅」 ~ 写真の右下が鉄礬石榴石の産した直下の谷川


 結晶鉱物と言えば、実物は購入したブック型の標本に入っていた水晶や方解石、黄鉄鉱、蛍石などしか見ていなかったので、図鑑でしか知らなかった「石榴石」の実物の結晶には目を見張ったものだ。 その後、何度か現地に採集に連れて行ってもらったが、東青山駅の駅下を潜る暗渠の土管から流れ落ちる大きな滝があって、その真下の谷には、黒雲母に富むペグマタイトの転石がゴロゴロとしており、その中に大・小の酒赤色の石榴石(鉄礬石榴石)が幾らでも入っていた。
 勝ち破ると結晶がきれいにはずれ、谷川の水流の砂利の中にも転がっていたのを幾つか拾った。
 これらの殆どは、その当時の級友達や小学校の先生にあげてしまった。
旧近鉄東青山駅直下の谷川産 「鉄礬石榴石」 ~ 直径約2cm

 ずっと後の高校時代になって、東青山産の「鉄礬石榴石」と同じ結晶が、白山鉱山(当時は一志郡白山町山田野)で多産するのを目の当たりにしたが、中学生になってからも石榴石の結晶には目がなく、県内の主な産地に着目をしたが、その殆どは北勢地方であり、中学時代にはとても行けなかった。
 小学6年生から中学時代にかけは、もっぱら近鉄電車の沿線の鉱産地を探したが、東青山産の結晶を凌駕する美晶には出会わなかった。
名張市長坂産の 「灰礬石榴石」 ~ 直径約2cm

 只一度だけ、小学校の理科の先生に連れられて、名張市の「赤目の滝」に行った帰りに立ち寄った、「長坂」の村落背後の段々畑の最上段の表面に散乱していた、方解石に富むスカルン・バラストの中に、サイコロ大の石榴石(灰礬石榴石)の結晶や結晶質小塊の破片などがたくさん入っていたのに遭遇し、先生が勝ち破った方解石塊の中から、橙色・不透明な斜方十二面体式のサイコロ大の美晶が現われ、その場で私に下さったのは感激であった。
名張市長坂産の母岩付きの 「灰礬石榴石」 ~ 母岩の横幅約3.3cm
 小学時代は、図鑑の影響もあって、何といっても水晶や紫水晶、瑪瑙、蛋白石、電気石などの美晶に憧れ、三重県下では殆ど産出を見ない鋼玉や黄玉、緑柱石、翡翠などは諦めていたが、「琥珀」だけはまだ石炭ストーブの時代であったので、燃料用の石炭の中に時折入り混じっているのを見つけ、米粒大ではあったが標本にしたものだ。
 特に、小学校のあった岡本町の一角には、原産地はわからなかったが、この燃料用の石炭が山積みされている置き場があって、学校の帰りに回り道りをして物色するのが日常であった。

青山町奥山権現付近産の 「鉄礬石榴石」 ~ 最大結晶の直径約1cm

 高校三年生の後半には、天気が良ければ休日ごとに県内の鉱産地に出向き、鉱物採集に明け暮れた。 その頃及びその後に採集した石榴石の産地は、以下の通りであるが、その殆どは珪・長石鉱山やそれらの鉱山跡であり、ペグマタイト鉱脈中の黒色っぽい鉄礬石榴石である。
海山町木津産の 「鉄礬石榴石」 ~ 直径約1cm

  ・ 名賀郡青山町東青山(鉄礬石榴石)
  ・ 名賀郡青山町奥鹿野、奥山谷(鉄礬石榴石)
  ・ 名賀郡青山町勝地、奥山愛宕神社付近の小谷(鉄礬石榴石)
  ・ 名張市長坂(灰礬石榴石)
  ・ 阿山郡大山田村真泥、山田マンガン鉱山(満礬石榴石)
  ・ 阿山郡大山田村三谷、大栄工業採石場(鉄礬石榴石)
  ・ 阿山郡大山田村広瀬(鉄礬石榴石)
  ・ 松阪市伊勢寺町、堀坂山雲母谷~その上方の鉱山跡(鉄礬石榴石)
  ・ 松阪市西野町山口、スス谷(鉄礬石榴石)
  ・ 松阪市阪内町、阪内不動滝横の谷川(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡美杉村竹原、竹原鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡美杉村竹原、美杉鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡白山町山田野、白山鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 一志郡白山町福田山、福田山鉱山(鉄礬石榴石)
  ・ 安芸郡美里村桂畑、石墨採掘坑跡付近(鉄礬石榴石)
  ・ 員弁郡北勢町新町、青川上流の広川原・他(灰鉄石榴石)
  ・ 員弁郡大安町石榑南、宇賀渓~砂山~水晶谷(鉄礬石榴石)
  ・ 四日市市宮妻町山之坊、宮妻峡~水晶山付近(鉄礬石榴石)
  ・ 安芸郡芸濃町宝並(灰鉄石榴石・灰礬石榴石)
  ・ 度会郡宮川村大杉、父ヶ谷(灰鉄石榴石・灰礬石榴石)
  ・ 度会郡度会町栗原、栗原鉱山跡(満礬石榴石)
  ・ 北牟婁郡海山町木津、魚飛系上方の橡山林道沿いの露頭(鉄礬石榴石)
  ・ 伊勢市円座町、大日本土木(株)円座採石場(灰鉄石榴石)
  ・ 鳥羽市菅島町、鶴田石材採石場(含クロム灰礬石榴石)


 以上に記載の産地は、いずれも当時の行政区画で記しました。 なお、「含水石榴石」や「灰礬石榴石」等、優白質の脈性石榴石の産地は除外を致しました。


宮川村父ヶ谷産の晶洞中に群晶を成す 「灰鉄石榴石」 ~ 写真の横幅約5cm


 最後に、 高校卒後に進学をした大学時代になってから、堀坂山の雲母谷の珪長石試掘坑跡のズリの土砂のパンニングを思いつき、金ザルで試みた処、茨城県の真壁産の鉄礬石榴石の結晶に匹敵する程の、偏菱形24面体式のサイコロ大の酒赤色の美晶(完面体)を幾つか発見しました。
 その後、長年にわたって調査をした三重県内各地のペグマタイトの産地で、幾つかの鉄礬石榴石の結晶を採集しましたが、上述の東青山産や白山鉱山産をも凌駕する程の最高級の結晶は、冒頭に写真を掲載をした、堀坂山の雲母谷産のものであった事を付記しておきます。


北勢町青川上流産の 「灰鉄石榴石」 ~ 母岩の左右幅約5cm

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三重県下のペグマタイト鉱物の主産地を回想「 中勢地方・その1 」

2022年09月27日 | 三重県下の鉱産地


桂畑産の 「水晶」 ~ 左右幅約6cm

 ◆ 安濃郡美里村(現在は津市美里町)桂畑のペグマタイト

 笠取山(海抜828m)の東麓に位置する桂畑は、かつて良質の石墨(地元の俗名はオンニャク)を採掘した場所として知られているが、当地は花崗岩ペグマタイトの鉱産地でもある。 桂畑の村落より奥は、南長野川が西方に深い河谷を形成し、アスファルト舗装の林道が谷川沿いに通じている。この林道を進むと、村落から約1kmの地点に簡易水道の水源地があるが、この手前辺りから林道右下の南長野川に流下する小谷が現れ、土石流で埋まりながらも押し出された土砂が、時には林道にまで達している。


桂畑産 「電気石を含むペグマタイト礫」 ~ 最長幅約7cm


 小谷に散乱する角礫は、殆どが縞状黒雲母片麻岩であるが、この中に石英、カリ長石等より成るペグマタイトの岩脈由来の礫があり、黒雲母や電気石、鉄礬石榴石などの結晶を含み、特に小指大程の柱状結晶の電気石が目を引く。


桂畑産 「石英脈中の晶腺」 ~ 最長幅約8cm


桂畑産の 「白雲母」 ~ 左右幅約6cm


 途中で小橋を渡り、左岸沿いに進むと、積算距離2.5kmの地点に、右手の長野城址に登る新設林道(高狭ヶ野線)があり、その登り口の崖面に幅数mにわたって、片麻岩相の中に珪化帯がある。 この中に片状~レンズ状の石墨脈を含む幅数10cmのペグマタイト脈がある。 脈内からは、黒墨色の電気石や白雲母の結晶が採集出来るし、他にも同程度の脈幅のペグマタイト質石英脈があり、晶腺~晶洞を成すので、小粒ながらきれいな水晶の群晶が得られる。 この付近には、かつての石墨の採掘坑が残存するはずであるが、その場所は今は埋没し、既に消滅したと聞く。

桂畑産の 「石墨」 ~ 左右幅約7cm


 舗装された林道は、さらに奥へと続き、随所の小谷に花崗岩ペグマタイト脈やスカルンを含む転石を見るが、積算距離5.5kmの地点で、笠取山に登る瀬戸林道へと接続する。 当地で産出が記録されている鉱物種は、次の通りである。

 石墨、磁硫鉄鉱、黄鉄鉱、水晶(石英)、木蛋白石、氷長石、カリ長石、曹長石、電気石、鉄礬石榴石、ジルコン、紅柱石、珪線石、褐簾石、白雲母、黒雲母、鉄雲母、灰鉄輝石、燐灰石、菫青石

  ( 注:本文は平成初期に記述したものです故、現状はかなり変わっていると思います )



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三重県下のペグマタイト鉱物の主産地を回想「 北勢地方・その1」

2022年07月31日 | 三重県下の鉱産地


水晶谷登山道の中腹に残存する 「蛍石坑」(日産鉱山)の跡 ~ 昭和50年頃に撮影 ~ 昭和50年頃に撮影

 三重県下で、鉱物採集を本格的に開始した昭和40年頃以降は、休み毎に産地に出向いていた。当時はまだ県内に、金属鉱山以外にもかなりの鉱山があり、その殆どはペグマタイト鉱脈の珪・長石を採掘していた小規模鉱山であった。

 三重県は南北に長く、東に長々とした海岸線を持ち、山地と平地が半々ぐらいの、農・林・水産業の盛んな県であり、当時の鉱業と言えば、大規模な金属鉱山として紀州鉱山(全国屈指の著名な銅鉱山)があっただけである。それ以外の大規模鉱山となると、いずれも非金属鉱山で、石灰岩を採掘していた北勢の藤原鉱山と国見山石灰鉱山(度会郡南島町村山)、そして苦灰石の北山ドロマイト鉱山(いなべ市北勢町北山)の3箇所に過ぎない。
 後は中・小規模の各地のマンガン鉱山や、丹生の水銀鉱山、チタン鉄鉱を露天掘りの潅水法で採掘していた名張鉱山ぐらいであり、他には珪・長石の採鉱場や亜炭坑、粘土山、磨き砂やバラストの採石場などは各地に幾つかあったが、その殆どが個人経営の細々とした稼行であり、鉱業とは程遠いものであった。


1962年・三岐鉄道発行の冊子 「北伊勢地方の自然」 ~ 鉱物採集情報満載


上載の冊子に掲載の 「路線略図」 ~  宇賀渓 鉱物採集とある.


 そんな訳で、昭和年代の鉱物採集は、どうしてもペグマタイトの珪・長石鉱山や鉱山跡に集中していたが、これらの鉱山では鉱石の石英・長石類以外にも、脈石として随伴するきれいな結晶鉱物や、複数種の希元素鉱物が多産していたので、何度行っても飽きる事はなかった。

 珪・長石鉱山以外にも、県内各地にペグマタイト鉱物の産地がいろいろと知られており、かつて探訪した主な産地を回想しながら、北勢地方から順に、何回かに分けて、三重県下のペグマタイトの主産地を列挙してみようと思う。


昭和50年頃に撮影の 「石榑南地方の風景」 ~ 中央右側の山が鈴鹿山脈の 「竜ヶ岳」


◆ 員弁郡大安町石榑南、宇賀渓 ~ 砂山 ~ 水晶谷一帯の産地
 当地方は、すぐ北の青川と共に、県内では古くから著名な鉱物採集の大産地である。青川の上流には、かつての大規模な銀・銅山であった治田鉱山跡があり、各種の金属鉱物と共に、スカルン鉱物やペグマタイト鉱物も産し、出向く度にいろんな鉱物が採集出来た。黄銅鉱や磁硫鉄鉱の鉱塊の転石は重たくて高品位であり、特に石榴石類は晶洞や晶腺にきれいな結晶を産した。


筆者の描いた 「地学研究」 誌に掲載の 「石榑南地方の地図」


 又、宇賀渓の入口付近には、ペグマタイトを掘った廃坑があり、支流のコハゲ谷ではスカルン鉱物も採集出来たし、何と言っても、砂山の登山道でトパーズや水晶、きれいなカリ長石の晶洞を探すのは楽しみであった。特に、水晶橋から登る裏登山道の谷沿いには「蛍石坑」の跡(日産鉱山跡)があり、残存していた谷川のズリからは、パンニングによって、きれいな蛍石を幾らでも採集出来た。


旧道の 「水晶橋」 手前から登る 「砂山登山道」 の入口 ~ 平成初期に撮影


砂山登山道のカッティンクに露出した 「蛍石脈」 ~ 昭和50年頃に撮影


 当地の「蛍石」は、保育社発行の「原色鉱石図鑑」(木下亀城 著)に、「ガドリン石」と共にカラー写真で掲載されていた事もあり、既に全国的な著名産地となっていたが、当地方は早くから藤原岳と共に三岐鉄道の観光地の目玉でもあり、同社発行冊子「北伊勢地方の自然」(1962年)には、鉱産地としての関係記事がかなりのウェイトを占めている。


筆者の採集した 「石榑南地方の鉱物標本」 の一部


青川産の 「灰鉄石榴石」 のきれいな標本 ~ 左右幅約6cm


 後年になって、蛍石坑下の水晶谷の奥で緑柱石を含む晶洞に出会い、アクアマリン級の緑柱石を10数本採集する事が出来たのは、その上方斜面の水晶の大晶洞の掘削と共に、忘れがたい回想である。
 当地には今も鉱物採集者が絶えず、県内きっての花崗岩ペグマタイトの大産地である事に変わりはない。
水晶の付いた宇賀渓のかつての土産物品「ミニチュア石灯籠の置物」 ~ 高さ約6㎝

◆ その他の北勢地方 (北部) のペグマタイト鉱物の産地
 福王山の周辺、朝明渓谷 ~ 釈迦ヶ岳の周辺、湯ノ山の周辺



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