北牟婁郡海山町( 現 紀北町海山区 )から尾鷲市にかけては、中央構造線外帯地質区の四万十塁帯( 日高川帯北半の的矢層群に相当 )の中生代の地層等に貫入する、大規模な熊野酸性岩の分布があり、特に尾鷲市以南では、花崗斑岩や石英斑岩等を対象に幾つかの丁場が開かれ、石材用にかなり大々的に採石が成されている。 これらの切り石は、「紀州みかげ」として生産され県内 ・ 外の各地に出荷されている。
これらの酸性火成岩体( 熊野酸性岩 )の周辺には、輝安鉱や含銅硫化鉄鉱等の小規模な金属鉱脈や、水晶に富むペグマタイト質石英脈、岩体中にポケット状を成す晶洞や、茶褐色 ~ 黄白色 ~ 淡青色等の粘土脈( 主にカオリナイト ・ モンモリロナイト )を伴う花崗岩ペグマタイトの鉱脈があり、古くから海山町船津では「水晶」が多産し、地元では「六方石」と称して親しまれ、古文書などにもその記述が見られる。
筆者が、海山町の銚子川上流の「魚飛渓」( うおとびけい )にて、最初にペグマタイトの晶洞を見つけたのは、昭和48年の初夏の頃で、仕事の関係で紀伊長島町に赴任して、自家用車を購入し、周辺の景勝地などに遊びに行ったのがきっかけであった。
国道42号線の相賀から銚子川の手前で右折し、銚子川左岸の未舗装だった細道から林道に至る道路を辿り、「便ノ山」( びんのやま )の小散村を経て「木津」( こつ )の村落まで、約5km 程走ってから、本流に架かる左手の赤く狭い鉄橋を渡ると、すぐ先の右手に砂防ダムの工事場があった。 ここにあった沢落ちの大きな岩塊の表面に細かな水晶が認められ、その周囲を見回した処、カリ長石・水晶・黒色の短柱状の小指大程の電気石の結晶を含む晶洞が開口していた。
ここは工事中であったので、この上方の沢に登るのはその時は無理であり、次の休日に再訪し、この岩塊からかなりの電気石の美晶と水晶の群晶を、ほぼ全部採集する事が出来た。
その後、ここから先の銚子川支流の又口川の「魚飛渓」では、両岸に露出する節理の見事な酸性半深成火成岩類の岩盤や露岩、渓流に散在する巨岩塊を見回ったが、両岸ではペグマタイトの晶洞は全く見られず、渓流に点在する幾つかの現地性の巨岩塊( 節理崩れの転石 )の表面に、溶解浸食等によって既に中身の殆ど無くなった大 ・ 小のポケット状の晶洞跡の空隙を見つけたが、丸まった長石類の残骸結晶だけで、採集する程のレベルではなく、川原の転石や土砂を見ても水晶など、ペグマタイト脈や晶洞由来の結晶鉱物は全くなかった。
時を同じくして、「魚飛渓」のすぐ上流の左岸から、橡山( とちやま )に登る新たな林道の建設工事が行われており、工事関係者に尋ねると、1km ばかり上方まで道がつき、そこまでは登って行けるとのことであったが、昼間は平日、土 ・ 日を問わず油母( ゆんぼ )が岩盤を掘削し、土砂を運ぶダンプカーが頻繁に行き来をし、左岸道路の分岐点に「関係者以外は立入禁止」の表示もあって、現場へは入れてもらえなかった。
地図で調べると、この建設中の林道の最先端は、電気石を採集した下の沢谷の真上になるので、ペグマタイトの鉱化帯になっている可能性があり、きれいな結晶鉱物が採集出来るのではないかと考え、赴任先の仕事がひけ、林道の工事の終わる時間帯を狙って、午後6時過ぎに紀伊長島を出て、1時間ほどかけて「魚飛渓」に行き、ヘッドライトをつけながら、ガタガタでつづら折りのこの林道( 橡山林道 )を登ってみた。
真っ暗闇の中、ヘッドライトの先々に野生動物達の目が光り、空中にムササビらしい生き物が飛翔し、鳥類がギャーギャーと鳴き騒ぐ林道を、20分ほどかけてゆっくりと注意深く進むと、油母が道を遮りすぐ手前は、切通としてえぐられたままの岩盤があり、その先は山深い山林のままで、右下の沢谷はブッシュの繁る急斜面であった。
車を20m程慎重にバックをさせ、切り返しの出来そうなスペースに駐車し、後は大型の懐中電灯を照らしながら、再び徒歩で行き止まりの切通しの岩盤まで行ってみた。 その時は、花崗斑岩の岩盤の一部にごく小規模な晶洞を認めたが、この晶洞での採集は後日にする事にした。
それならばと、掘削したばかりの路面を丹念に見わたしながら、下りかけた時、黒光りをする小指大程度の結晶鉱物が散乱しているのを目の当たりにした。
路面をライトの光線で照らしながら探し回る事、30分は有に過ぎていたと思うが、至るところに椎の実程の完全結晶の小型の電気石が続々と照らし出され、あるわあるわで次々と見つけては拾い、夢中でポケットに詰め込んだ。 帰りに車内で調べた処、数十個の小晶全てにきれいな端面が付いており、殆どがほぼ四周の短柱面も整った完全結晶であった。
その後も5~6回程、連日夜間採集を続けたが、誰一人としてこの「含電気石ペグマタイト」の存在には全く気づかず、工事関係者らは当地で「水晶」の採れる事は知っていたが、電気石など見向きもせず、この産地を訪れる採集者など皆無であった。 その年の夏期間は、当地は全く筆者の独断場であった。
夏休みに入ってから、幾度か工事の無い日を狙って現地に出向き、さらに50m 程先まで進んだ林道工事場の現地調査を進める中、鉱物採集と共に、この産地の「ルート・マップ」を2年ほどかけて作成し、三重県高等学校理科教育研究会発行の「三重科学」( 第17号 ・ 1978年 )に、最初の報文を発表した。
その後、京都の益富寿之助先生にこの産地を紹介させて頂いた処、「地学研究」( 第29巻 第1号 ~ 第3号 ・ 1978年 )誌への発表を薦められ、原著( 短報 )の投稿と共に「標本玉手箱」用に、100個以上の当地の「電気石」のきれいな小晶を寄贈させて頂いた。
その後、コロナ社発行の「三重県地学のガイド」( 1979年 )にも、当地の「電気石」について、詳しく分担執筆を致しました。
以下は、当時発表した上記2つの報文からの概要の転載になります。
電気石の産状
1.花崗斑岩や石英斑岩の岩体中に、晶洞を伴うペグマタイト鉱脈に産するもの
2.以上の岩盤中に、ポケット状の晶洞に産するもの
3.節理の間隙や裂罅を充填する形の、黄褐色等の粘土脈中に産するもの
4.母岩の節理面にペグマタイト性巨晶帯を成し、このゾーンに伴って産するもの
5.母岩の組織を交代し、鉱染状を成して産するもの
電気石の結晶形態
当地の電気石は、柱面と共に端面の発達が著しく、他の産地のように脆弱ではなく、しっかりとしたガラス光沢の著しい条線を伴う柱状、及び端面の発達が著しい短柱状のきれいな結晶である。 採集した約数100個の結晶について観察、簡単な測角をした結果、次の諸面を認めた。
柱面 …… m ・ m ₁ ・ a 端面 …… r ・ o
主な随伴鉱物
石英( 水晶 )・ カリ長石( 正長石 )・ 斜長石( 曹長石 ~ 曹灰長石?)・ 鉄礬石榴石 ・ 蛍石 ・
武石 ・ 石墨( 捕獲状で、塊状や小球状等を成す )・ 鉄雲母 ・方解石 ・ 菫青石( 一部は雲母化 )・
粘土鉱物( 主にカオリナイト、モンモリロナイト )
付 記 「 三重県下のペグマタイト鉱物の主産地を回想 」の記事は、本稿で最終と致します。
なお、「 goo ブログ 」のサービスが11月で終了となりますので、筆者のブログ
「 伊勢すずめのすずろある記 」も、次回で終了を致します。
「 goo ブログ 」のサービス終了後は、他社への「のりかえ」が出来ますが、この
ブログは「のりかえ」をせずに、11月で閉鎖をさせて頂きます。
投稿記事のバックアップも致しませんので、三重県下の鉱産地や水石など、
バックナンバーをご参考資料としてご利用されます方は、必要記事のダウン
・ ロードにて、コピーを録っておいて下さい。
◆ 四日市市宮妻町山之坊、宮妻峡左岸・冠山林道奥の「水晶山」付近のペグマタイト
当地方は、県内では明治期から「黄玉」( トパーズ )の著名な産地として、鉱物学者や趣味者らには大変よく知られている場所である。 特に 「水晶山」からは、戦前の昭和 12 年1月 に、花崗岩ペグマタイトの鉱脈中に大晶洞が発見され、それまで水沢峠付近や入道ヶ岳下の内部川の川岸等で、時折採集されていた黄玉とは、比較にならない程の多数の黄玉の美・巨晶が産出し、採集された立派な数々の結晶標本が三重県の内外に紹介されてからは、当地がかつて水沢村であった事から、「水沢のトパーズ」として、岐阜県の恵那 ~ 苗木地方や滋賀県の田上地方と共に、全国に知れわたるに至った。
それまで、県内ではペグマタイト鉱物の著名な最大の産地であった、「石榑南」( いしぐれみなみ ~ いなべ市大安町 )の水晶や煙水晶、黄玉、カリ長石、曹長石、蛍石、鉄礬石榴石、電気石、方解石、輝水鉛鉱、鉄マンガン重石、ガドリン石など、きれいな結晶の諸鉱物が採集し尽くされていた事もあり、その後は北勢地方では「石榑南」と共に、双肩のペグマタイト鉱物の大産地となった。
特に、終戦の間もない昭和 19 年 には、水晶山のこのペグマタイト鉱脈に、紅色等の「含リチウム雲母」( リチア雲母 ~ チンワルド雲母 )が豊富に含まれていた事から、この雲母を対象に坑道が穿たれ、鉱石鉱物の「含リチウム雲母」の試掘が成され、それ以外の黄玉や煙水晶、水晶、紫水晶、カリ長石、曹長石、リチア電気石、電気石、錫石、ガドリン石などは、結晶いかんにかかわらず全てズリ石として、坑口のある山林の斜面から直下の林道にかけて撒き捨てられ、ペグマタイト・バラストとなって散乱していた。
筆者が当地を最初に訪れたのは、高校時代の昭和 40 年頃であり、伊勢市から長時間かけて電車と本数の少ない田舎のバスにゆられ、「山之坊」のバス停から先は、林道を1時間以上歩いての採集行であった。 この頃には、既に多数の採集者が訪れていた後であった事もあり、石英やカリ長石、雲母類ばかりで、斜面のズリにも未舗装だった林道の路面上にもトパーズは皆無であった。
その後、現職に就いてからは、自家用車で何度か当地に行き、坑道跡にも入坑して露頭を勝ち破ってトパーズの採集を試みたが、何度行っても目ぼしいものは「紅雲母」ぐらいであり、きれいな結晶の水晶や「黄玉」は全く採集出来なかった。
何度目かに行く内に、坑道の規模の割りには、山林の斜面や路面にばらまかれて散らばっている、ペグマタイト・バラストのズリの量が、あまりにも少なすぎる事に気付いた。 はてさて、当時掘り出した多量のズリ石は、いったいどこに行ったのだろうかと … 。
平成3年( 1991年 )の1月 の初旬、積雪の無い冬日和に同好者1名と共に当地に行き、いろいろと考え抜いた末、狙いをつけていた水晶山のリチウム坑の真下の林道直下に降り、植林された立木や雑木林の斜面に散乱するガレ石や表土にまみれ、ひときわ白いペグマタイト・バラストを求めて歩き回り、斜面を虱つぶしに調べ回った結果、多量のズリ石は今まで誰も気づかなかった道路下の表土層の内部、50cm~60cm 程の地下に隠されていた。
道具を持ち込み、本格的な穴掘り作業を開始したのは、平成3年の1月20日 以降で、大雪の日や積雪の真っただ中にもめげず、休みの日ごとに採集作業に終始した結果、この年の6月までに、美晶約 50 個を含む 500 個以上のトパーズ( 殆どが 50g 以下の結晶質小塊かカケラ )を採集したが、中には結晶の完全な 100g 以上の宝石質の美晶もかなりあった。
その内の最大の結晶は、a軸約 5.1 cm・b軸約 7.0 cm・c軸約 6.7 cm、重量約 284.5g の半透明・淡黄色、四周ほぼ完全なこぶし大の庇面式結晶である。
以下は、平成15年度に実施した「地学部会第2回野外巡検テキスト」( 平成15年11月14日 ・筆者の編集 )から抜粋した、当地の解説文の転載です。
水晶山のペグマタイトについて
鈴鹿山脈の鎌ケ岳( 1157m )と入道ヶ岳( 906m )に挟まれた、宮妻峡( 内部川上流の渓谷 )の奥には、終戦間際に一時的に含リチウム雲母を採掘した鉱山跡があり、水晶山のペグマタイトとして、著名な鉱産地となっている。当地のペグマタイトは、チンワルド雲母やトパーズ( 黄玉 )を豊富に含む、極めて珍しいリチウム・ペグマタイトであり、現在も林道直下の山林斜面に散乱する採掘当時のズリから、水晶やトパーズの美晶をはじめ、多数種のペグマタイト鉱物を採集する事が出来る。
現在、現地は鉱物採集家らにより掘り返されているが、数種類の鉱物と共に、花崗岩ペグマタイトの貫入岩脈や、接触変成作用を示す岩石片も採集が出来る。
当地は、宮妻峡キャンプ場から、水沢峠の方へ1km ばかり冠山林道を辿った右手の山林で、入道ヶ岳の真北 1.8 km の位置に当たる。 現地には路面一面に石英、カリ長石、雲母類のバラスト( ズリ石 )が散乱しており、そこだけ白っぽいのですぐ判る。 林道から 50° ~ 60° もあるズリ石をバラ撒いた急斜面を約 20 m 程よじ登ると、坑道跡が開口しているのが目に付く。 さらに、そこから崖伝いに左方に 10 m 程行けば、奥行きのある最大の坑道に至る。
複数穿たれたこれらの坑道は、いずれも戦時中にリチウム資源を得る目的で雲母類を採掘していた跡で、あたりには、よく見るとピンク色の紅雲母が混在している。 一見、リシア雲母の様であるが、分析結果は殆どがチンワルド雲母( Zinnwaldite )であると、一部の文献には記載されている。
ここのペグマタイトは、古生層の粘板岩やホルンフェルスに貫入した晶洞型で、晶洞の規模は高さ0.8m、幅約1m、奥行き( 深さ )約2m に及ぶと言う大規模なものである。 当地一帯のペグマタイト脈はレンズ状に膨縮、断続しながらかなり続いているものと考えられるが、最大の坑道跡も 10 数m で行き止まりとなっている。
かつて全国の鉱物関係者らを震撼させた多数のトパーズの美・巨晶は、いずれもこの坑道が掘られる前に、ここの晶洞から産したものである。
なお、トパーズと共に、水晶、煙水晶、さらに頭の部分( 錐面の頂部 )だけが薄紫色の煙水晶( 冠水晶 )や、薄水色のカリ長石( 天河石 )の美・巨晶もかなりあったと聞く。
産出鉱物
水晶山の坑道跡下のズリ、並びに周辺のペグマタイト鉱脈等から、これまでに産出が記録された鉱物は、下記の通りです。
1.一般的なもの …… 黄玉( トパーズ )、石英、水晶、煙水晶、カリ長石( 正長石 ・ 微斜長石 )、
曹長石、鉄電気石、カオリナイト、チンワルド雲母、白雲母、黒雲母、鉄雲母、
絹雲母、鉄礬石榴石、褐鉄鉱、忍石( 二酸化マンガン鉱 )、方解石
2.ごく希なもの …… 紅雲母( リシア雲母 )、紫水晶、天河石、玉滴石、蛋白石、リチア電気石、
蛍石、緑泥石、透閃石、方沸石、石膏、硫砒鉄鉱、黄鉄鉱
3.肉眼鑑定の難しいもの …… 錫石、ルチル、鉄スピネル、コルンブ石、ガドリン石、苦鉄石榴石、
鉄天藍石、ジルコン、アルミナ電気石、フェルグソン石、鉄重石、
苗木石、褐簾石、白鉄鉱
4.主要変成鉱物 …… 紅柱石、珪線石( いずれもホルンフェルス中に産出 )
参考文献
(1) 新帯国太郎 ( 1913年 ) 伊勢國水澤村の黄玉石 地学雑誌 第25巻 P. 55 ~ 63
(2) 春本篤夫 ( 1913年 ) 伊勢水澤村のペグマタイト 地球 第12巻 第6号 P. 63
(3) 松山外次郎 ( 1938年 ) 三重県水澤村の黄玉石 三重博物 1( 創刊号 ) P. 16 ~ 24
(4) 櫻井欽一 ・ 他 ( 1940年 ) 三重県水澤産トパズ 我らの鉱物1( 創刊号 ) P. 2 ~ 33
(5) 櫻井欽一 ・ 他 ( 1953年 ) 三重県水澤産トパズ 鉱物学雑誌 第1巻 第4号 P.231 ~ 241
(6) 下田信夫 ( 1955年 ) 三重県水沢産チンワルド雲母 地学研究 第8巻 第2号 P.58
(7) 長島弘三 ・ 他 ( 1963年 ) 四日市市宮妻峡産ガドリン石 地学研究 31周年記念特集号 P. 130
(8) 田端 茂 ( 1966年 ) 水沢の鉱物 断層(三重県高等学校理科教育研究会発行) 1号 P. 2 ~ 3
(9) 南平秀生 ( 1992年 ) 再発見 ! 水沢のトパーズ 地学研究 第41巻 第1号 P. 29 ~ 42
(10)南平秀生 ( 2003年 ) 平成15年度 地学部会第2回野外巡検テキスト(三重県高等学校理科教育研
究会 ・ 地学部会 発行)全4頁
◆ 一志郡美杉村 ~ 白山町( 一志郡は現在は津市に併合 )にかけてのペグマタイト
一志郡美杉村竹原の一帯には、領家変成帯の片麻岩や花崗岩、閃緑岩、トーナル岩などの岩体に貫入し、膨縮した鉱脈を成す中 ~ 小規模の花崗岩ペグマタイトの鉱脈があり、戦後の昭和50年代まで、各地で珪石( 石英 )と長石を稼行の対象として、小規模な鉱山が点在していました。 それらの中で全国時によく知られていたのは、竹原鉱山と隣り合わせの美杉鉱山で、いずれも坑道掘りで珪・長石を盛んに採掘をしていました。
この2つの鉱山が特に有名なのは、随伴鉱物としてモナズ石やゼノタイム、フェルグソン石、褐簾石、ジルコン等、各種の希元素鉱物の結晶が、主に紅長石に伴って産し、長島乙吉・長島弘三( 親子 )が共著で執筆した著書の「日本希元素鉱物」( 1960年・長島乙吉先生祝賀記念事業会 発行 )にも取り上げられ、その当時、鉱物趣味者らの同好会であった京都市の「日本礦物趣味の会」( 益富壽之助 主宰 )の会員らが、幾度となく当地に採集に訪れ、人伝えで三重県下にも広く知れ渡りました。
その後、白山町にも同様の白山鉱山が開発され、既に断続的に採掘が成されていた福田山鉱山などと共に、鉄礬石榴石や黒雲母( 鉄雲母 )の美・巨晶などが多産し、その後白山鉱山からは珪線石に伴う「燐灰ウラン鉱」が発見され、福田山鉱山からは「褐簾石」の長柱状の巨晶がかなり採集されました。
これらの鉱山跡は、 現在はその後の整地や宅地化、緑地化事業等で立消えたり、荒れはてたたままに残存するのみで、ズリ跡も確認が出来なくなっているようです。
以下に、現職の頃( 平成年代の初期 )に教材資料としてまとめたプリントを、その当時の回想記として記しておきます。
1.美杉村竹原 美杉鉱山・竹原鉱山
君ヶ野ダムの南西約1kmの、雲出川右岸の山中に、昭和40年代まで稼行をしていた2つの珪・長石鉱山がある。両者は300m程しか隔たっていないが、発電所に近い下流側にあるのが美杉鉱山、そして製材所(横谷木材)背後のものが竹原鉱山である。閉山後は、双方共坑内に溜まった地下水を生活用水源として利用しているが、現場はズリを残し、放置されたままである。
いずれの鉱山も、殆ど同じタイプのペグマタイト脈を採掘したもので、希元素鉱物に富む紅長石と灰色の石英を混じえ、脈幅は最大8mに及ぶ。 産出鉱物は、石英、カリ長石のほか、黒雲母、鉄雲母、白雲母、絹雲母、灰曹長石、鉄礬石榴石、緑泥石、カオリナイト等が豊富で、特に紅長石と灰色の石英には、モナズ石、フェルグソン石の巨晶や、ゼノタイム、ジルコン、テンゲル石、阿武隈石、褐簾石等の希元素鉱物を伴い、稼行当時は、輝水鉛鉱や錫石、黄鉄鉱、褐鉄鉱( 武石 )、忍石( 二酸化マンガン鉱 )等の金属鉱物も若干産した。
2.白山町山田野 白山鉱山
白山鉱山は、白山町山田野( 家城の西方約3.5kmの山中 )にある珪・長石鉱山であるが、雲出川支流の山田野川に架かる戸田川橋の左岸に、川を遡る林道がついている。途中に、分譲別荘地に入る舗装道路が幾つも分岐しているが、左サイドの貯水池を越え、川沿いの林道を約3.3km辿ると、右サイドに貯鉱場跡の石積みがあり、その上に細かなペグマタイトのバラストがひときは白く残存する。
鉱山跡へは、ここの小橋に流下する小谷の流れに沿って、縫うように入る杣道がついている。 途中、小谷が二度二又に分岐するが、最初は左、次に右の谷へと入る。 杣道や谷川の随所には、索道からこぼれ落ちたと思われる、目印となる細かなペグマタイトのバラストが散乱する。 鉱山跡は、最後の流れを登りつめた谷頭にあり、下の貯鉱場跡からは約800mの道のりである。
白山鉱山が稼行していたのは、昭和40年代( 昭和34年に発見、同39年頃開発 )で、休山して久しいにも関わらず、現場はさほど変わっておらず、小谷の両サイドの斜面にばらまかれたズリも、水が流れるせいか新鮮である。 トタン小屋等は、既に立ち腐れとなっており、井戸状に穿たれた竪坑も水没しているが、その後、人の入った様子は殆どない。
石英と微斜長石の豊富なズリでは、黒光りする黒雲母や鉄雲母などが目につき、少し探すと、遊離した黒褐色の鉄礬石榴石が拾える。 稼行当時に目を見張ったピンク色 ~ 酒赤色の鉄礬石榴石の美・巨晶は残っていないが、他の数々のペグマタイト鉱物は豊富である。
ここのペグマタイトは、領家変成帯の片麻岩類を貫く白色 ~ 淡青灰色の微斜長石及び灰曹長石、塊状の石英を主とする膨縮脈( 最大幅10m、走向はE-W、傾斜は45°S )で、鉄雲母( 黒雲母 )と鉄礬石榴石を豊富に伴い、他に珪線石、白雲母、緑泥石、燐灰ウラン鉱、燐ウラニル石、黄鉄鉱等を随伴する。 美杉 ~ 布引( 青山 )地方特有の黒雲母( 鉄雲母 )に富むタイプである。
3.白山町福田山 福田山鉱山
白山町から美杉村にかけては、20数ヶ所にのぼるペグマタイト鉱脈の露頭が古くから知られており、その幾つかは、かつて珪・長石を稼行の対象として開発し、一時的に採掘をしていた。 福田山地区には、3ヶ所の鉱山跡がある。 この内、黒雲母と褐簾石の巨晶の産地として、県外にも知れ渡っている鉱山跡は、上福田山のバス停から、メナード青山に登る道とは別の右手の道をとり、700m程入った山中にある。
現場は、約20m下の小谷までズリが斜面を覆い、その上に坑道が開口する。 坑内は入口のすぐ下が60平方メートル程のスペースの広間となっており、壁や天井一面に石英や長石、黒雲母等が、巨大なペグマタイト構造の粗面を成して露出する。 特にサイズが20cmを超える黒雲母の密集したゾーンには、褐簾石の結晶が豊富に含まれ、中には径1.5cm、長さ15cmに達する程の巨晶も見られる。 褐簾石に富むその周辺一帯は、構成鉱物が紅長石や灰色石英に変わるなど、顕著な放射能汚染による赤茶けた変色帯を形成している。
なお、坑口下の広間から、東方向の斜め下に坑道が一本穿たれ、約17m先で竪坑に変わるが、ここから下は地下水が溜り水没している。
主な産出鉱物は、上記のほか白雲母、鉄雲母、鉄礬石榴石、ジルコン、ゼノタイム、それに白色石英で、場所によっては小さな水晶や煙水晶も産する。
福田山鉱山跡は、ペグマタイト構造の観察と共に、坑内の鉱脈露頭から各種の鉱物が直接採集出来る、当地方では唯一の鉱山跡である。
【 参考文献 】
Ⅰ.荒木慶雄・山田 純 ( 1957年 ) 一志郡美杉村珪長石調査報告 地下資源調査報告書 P.46 ~ P.52
三重県商工水産部商工観光課・三重県鉱産資源開発協会 発行
Ⅱ.益富寿之助 ( 1958年 ) 三重県松阪市西方の含希元素ペグマタイト鉱床 地学研究 第10巻 第4号 P.153
日本礦物趣味の会 発行
Ⅲ.長島乙吉・長島弘三 ( 1960年 ) 三重県美杉地方のペグマタイト鉱床 「日本希元素鉱物」 P.374
長島乙吉先生祝賀記念事業会( 日本礦物趣味の会内 ) 発行
Ⅳ.益富寿之助 ( 1970年 ) 第133回 京都地学同好会「巡検テキスト」 P.1~ P.2 京都地学同好会発行
石に興味をもった少年時代には、小学生の級友達と伊勢市(当時は宇治山田市 )内を自転車で走り回りながら、石採りに出かけていたが、1年程経った小学5年生の頃に、「石榴石」(ざくろいし)を初めて知った。 当時私鉄に勤務していた父親が、旧「東青山駅」直下の谷からクルミ大の真っ赤な結晶を、手のひら大の黒雲母の巨晶と共に拾って来て、石集めをしていた理科少年の私に見せてくれた。
結晶鉱物と言えば、実物は購入したブック型の標本に入っていた水晶や方解石、黄鉄鉱、蛍石などしか見ていなかったので、図鑑でしか知らなかった「石榴石」の実物の結晶には目を見張ったものだ。 その後、何度か現地に採集に連れて行ってもらったが、東青山駅の駅下を潜る暗渠の土管から流れ落ちる大きな滝があって、その真下の谷には、黒雲母に富むペグマタイトの転石がゴロゴロとしており、その中に大・小の酒赤色の石榴石(鉄礬石榴石)が幾らでも入っていた。
勝ち破ると結晶がきれいにはずれ、谷川の水流の砂利の中にも転がっていたのを幾つか拾った。
これらの殆どは、その当時の級友達や小学校の先生にあげてしまった。
ずっと後の高校時代になって、東青山産の「鉄礬石榴石」と同じ結晶が、白山鉱山(当時は一志郡白山町山田野)で多産するのを目の当たりにしたが、中学生になってからも石榴石の結晶には目がなく、県内の主な産地に着目をしたが、その殆どは北勢地方であり、中学時代にはとても行けなかった。
小学6年生から中学時代にかけは、もっぱら近鉄電車の沿線の鉱産地を探したが、東青山産の結晶を凌駕する美晶には出会わなかった。
只一度だけ、小学校の理科の先生に連れられて、名張市の「赤目の滝」に行った帰りに立ち寄った、「長坂」の村落背後の段々畑の最上段の表面に散乱していた、方解石に富むスカルン・バラストの中に、サイコロ大の石榴石(灰礬石榴石)の結晶や結晶質小塊の破片などがたくさん入っていたのに遭遇し、先生が勝ち破った方解石塊の中から、橙色・不透明な斜方十二面体式のサイコロ大の美晶が現われ、その場で私に下さったのは感激であった。
小学時代は、図鑑の影響もあって、何といっても水晶や紫水晶、瑪瑙、蛋白石、電気石などの美晶に憧れ、三重県下では殆ど産出を見ない鋼玉や黄玉、緑柱石、翡翠などは諦めていたが、「琥珀」だけはまだ石炭ストーブの時代であったので、燃料用の石炭の中に時折入り混じっているのを見つけ、米粒大ではあったが標本にしたものだ。
特に、小学校のあった岡本町の一角には、原産地はわからなかったが、この燃料用の石炭が山積みされている置き場があって、学校の帰りに回り道りをして物色するのが日常であった。
高校三年生の後半には、天気が良ければ休日ごとに県内の鉱産地に出向き、鉱物採集に明け暮れた。 その頃及びその後に採集した石榴石の産地は、以下の通りであるが、その殆どは珪・長石鉱山やそれらの鉱山跡であり、ペグマタイト鉱脈中の黒色っぽい鉄礬石榴石である。
・ 名賀郡青山町東青山(鉄礬石榴石)
・ 名賀郡青山町奥鹿野、奥山谷(鉄礬石榴石)
・ 名賀郡青山町勝地、奥山愛宕神社付近の小谷(鉄礬石榴石)
・ 名張市長坂(灰礬石榴石)
・ 阿山郡大山田村真泥、山田マンガン鉱山(満礬石榴石)
・ 阿山郡大山田村三谷、大栄工業採石場(鉄礬石榴石)
・ 阿山郡大山田村広瀬(鉄礬石榴石)
・ 松阪市伊勢寺町、堀坂山雲母谷~その上方の鉱山跡(鉄礬石榴石)
・ 松阪市西野町山口、スス谷(鉄礬石榴石)
・ 松阪市阪内町、阪内不動滝横の谷川(鉄礬石榴石)
・ 一志郡美杉村竹原、竹原鉱山(鉄礬石榴石)
・ 一志郡美杉村竹原、美杉鉱山(鉄礬石榴石)
・ 一志郡白山町山田野、白山鉱山(鉄礬石榴石)
・ 一志郡白山町福田山、福田山鉱山(鉄礬石榴石)
・ 安芸郡美里村桂畑、石墨採掘坑跡付近(鉄礬石榴石)
・ 員弁郡北勢町新町、青川上流の広川原・他(灰鉄石榴石)
・ 員弁郡大安町石榑南、宇賀渓~砂山~水晶谷(鉄礬石榴石)
・ 四日市市宮妻町山之坊、宮妻峡~水晶山付近(鉄礬石榴石)
・ 安芸郡芸濃町宝並(灰鉄石榴石・灰礬石榴石)
・ 度会郡宮川村大杉、父ヶ谷(灰鉄石榴石・灰礬石榴石)
・ 度会郡度会町栗原、栗原鉱山跡(満礬石榴石)
・ 北牟婁郡海山町木津、魚飛系上方の橡山林道沿いの露頭(鉄礬石榴石)
・ 伊勢市円座町、大日本土木(株)円座採石場(灰鉄石榴石)
・ 鳥羽市菅島町、鶴田石材採石場(含クロム灰礬石榴石)
以上に記載の産地は、いずれも当時の行政区画で記しました。 なお、「含水石榴石」や「灰礬石榴石」等、優白質の脈性石榴石の産地は除外を致しました。
最後に、 高校卒後に進学をした大学時代になってから、堀坂山の雲母谷の珪長石試掘坑跡のズリの土砂のパンニングを思いつき、金ザルで試みた処、茨城県の真壁産の鉄礬石榴石の結晶に匹敵する程の、偏菱形24面体式のサイコロ大の酒赤色の美晶(完面体)を幾つか発見しました。
その後、長年にわたって調査をした三重県内各地のペグマタイトの産地で、幾つかの鉄礬石榴石の結晶を採集しましたが、上述の東青山産や白山鉱山産をも凌駕する程の最高級の結晶は、冒頭に写真を掲載をした、堀坂山の雲母谷産のものであった事を付記しておきます。
◆ 安濃郡美里村(現在は津市美里町)桂畑のペグマタイト
笠取山(海抜828m)の東麓に位置する桂畑は、かつて良質の石墨(地元の俗名はオンニャク)を採掘した場所として知られているが、当地は花崗岩ペグマタイトの鉱産地でもある。 桂畑の村落より奥は、南長野川が西方に深い河谷を形成し、アスファルト舗装の林道が谷川沿いに通じている。この林道を進むと、村落から約1kmの地点に簡易水道の水源地があるが、この手前辺りから林道右下の南長野川に流下する小谷が現れ、土石流で埋まりながらも押し出された土砂が、時には林道にまで達している。
小谷に散乱する角礫は、殆どが縞状黒雲母片麻岩であるが、この中に石英、カリ長石等より成るペグマタイトの岩脈由来の礫があり、黒雲母や電気石、鉄礬石榴石などの結晶を含み、特に小指大程の柱状結晶の電気石が目を引く。
途中で小橋を渡り、左岸沿いに進むと、積算距離2.5kmの地点に、右手の長野城址に登る新設林道(高狭ヶ野線)があり、その登り口の崖面に幅数mにわたって、片麻岩相の中に珪化帯がある。 この中に片状~レンズ状の石墨脈を含む幅数10cmのペグマタイト脈がある。 脈内からは、黒墨色の電気石や白雲母の結晶が採集出来るし、他にも同程度の脈幅のペグマタイト質石英脈があり、晶腺~晶洞を成すので、小粒ながらきれいな水晶の群晶が得られる。 この付近には、かつての石墨の採掘坑が残存するはずであるが、その場所は今は埋没し、既に消滅したと聞く。
舗装された林道は、さらに奥へと続き、随所の小谷に花崗岩ペグマタイト脈やスカルンを含む転石を見るが、積算距離5.5kmの地点で、笠取山に登る瀬戸林道へと接続する。 当地で産出が記録されている鉱物種は、次の通りである。
石墨、磁硫鉄鉱、黄鉄鉱、水晶(石英)、木蛋白石、氷長石、カリ長石、曹長石、電気石、鉄礬石榴石、ジルコン、紅柱石、珪線石、褐簾石、白雲母、黒雲母、鉄雲母、灰鉄輝石、燐灰石、菫青石
( 注:本文は平成初期に記述したものです故、現状はかなり変わっていると思います )
三重県下で、鉱物採集を本格的に開始した昭和40年頃以降は、休み毎に産地に出向いていた。当時はまだ県内に、金属鉱山以外にもかなりの鉱山があり、その殆どはペグマタイト鉱脈の珪・長石を採掘していた小規模鉱山であった。
三重県は南北に長く、東に長々とした海岸線を持ち、山地と平地が半々ぐらいの、農・林・水産業の盛んな県であり、当時の鉱業と言えば、大規模な金属鉱山として紀州鉱山(全国屈指の著名な銅鉱山)があっただけである。それ以外の大規模鉱山となると、いずれも非金属鉱山で、石灰岩を採掘していた北勢の藤原鉱山と国見山石灰鉱山(度会郡南島町村山)、そして苦灰石の北山ドロマイト鉱山(いなべ市北勢町北山)の3箇所に過ぎない。
後は中・小規模の各地のマンガン鉱山や、丹生の水銀鉱山、チタン鉄鉱を露天掘りの潅水法で採掘していた名張鉱山ぐらいであり、他には珪・長石の採鉱場や亜炭坑、粘土山、磨き砂やバラストの採石場などは各地に幾つかあったが、その殆どが個人経営の細々とした稼行であり、鉱業とは程遠いものであった。
そんな訳で、昭和年代の鉱物採集は、どうしてもペグマタイトの珪・長石鉱山や鉱山跡に集中していたが、これらの鉱山では鉱石の石英・長石類以外にも、脈石として随伴するきれいな結晶鉱物や、複数種の希元素鉱物が多産していたので、何度行っても飽きる事はなかった。
珪・長石鉱山以外にも、県内各地にペグマタイト鉱物の産地がいろいろと知られており、かつて探訪した主な産地を回想しながら、北勢地方から順に、何回かに分けて、三重県下のペグマタイトの主産地を列挙してみようと思う。
◆ 員弁郡大安町石榑南、宇賀渓 ~ 砂山 ~ 水晶谷一帯の産地
当地方は、すぐ北の青川と共に、県内では古くから著名な鉱物採集の大産地である。青川の上流には、かつての大規模な銀・銅山であった治田鉱山跡があり、各種の金属鉱物と共に、スカルン鉱物やペグマタイト鉱物も産し、出向く度にいろんな鉱物が採集出来た。黄銅鉱や磁硫鉄鉱の鉱塊の転石は重たくて高品位であり、特に石榴石類は晶洞や晶腺にきれいな結晶を産した。
又、宇賀渓の入口付近には、ペグマタイトを掘った廃坑があり、支流のコハゲ谷ではスカルン鉱物も採集出来たし、何と言っても、砂山の登山道でトパーズや水晶、きれいなカリ長石の晶洞を探すのは楽しみであった。特に、水晶橋から登る裏登山道の谷沿いには「蛍石坑」の跡(日産鉱山跡)があり、残存していた谷川のズリからは、パンニングによって、きれいな蛍石を幾らでも採集出来た。
当地の「蛍石」は、保育社発行の「原色鉱石図鑑」(木下亀城 著)に、「ガドリン石」と共にカラー写真で掲載されていた事もあり、既に全国的な著名産地となっていたが、当地方は早くから藤原岳と共に三岐鉄道の観光地の目玉でもあり、同社発行冊子「北伊勢地方の自然」(1962年)には、鉱産地としての関係記事がかなりのウェイトを占めている。
後年になって、蛍石坑下の水晶谷の奥で緑柱石を含む晶洞に出会い、アクアマリン級の緑柱石を10数本採集する事が出来たのは、その上方斜面の水晶の大晶洞の掘削と共に、忘れがたい回想である。
当地には今も鉱物採集者が絶えず、県内きっての花崗岩ペグマタイトの大産地である事に変わりはない。
◆ その他の北勢地方 (北部) のペグマタイト鉱物の産地
福王山の周辺、朝明渓谷 ~ 釈迦ヶ岳の周辺、湯ノ山の周辺