伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

続・古い写真や絵葉書などに見る 「昔の伊勢名所」

2020年03月28日 | 伊勢

明治期の版画に見る 「朝熊岳雪之景」

 戦後の昭和30年代までは、伊勢の町の 「伊勢名所」 となっていた場所も、昨今はすっかり様変わりをしてしまった。
 伊勢神宮の内宮・宇治橋前の広場は、殆どが駐車場となってしまったし、規制が厳しくなった五十鈴川上流へは、観光客は全く足を踏み入れ無くなった。
 外宮前を含む神苑のスペースも、隣接の勾玉池も大きく変貌し、観光客や地元民らの憩いの場所では無くなってしまっている。


古い写真に見る、五十鈴川上流の名所「鮑石」


 又、伊勢志摩国立公園の最高峰である朝熊山朝熊山ケーブル・カーへの乗換え駅であった「平岩駅」の山上へは、戦前は市電の楠部駅から、通称 「岳電」( たけでん ) と称していた単コロ電車に乗り換えて、終点の平岩駅まで行き、そこから当時東洋一の急勾配を誇っていた、ケーブル・カーに乗換えて登る事が出来た。
 その軌道も終戦間際の昭和19年には、戦争への鉄資材の供出で撤去され、戦後暫くは、山上の観光地としての名所度は失われていった。


 その後は、尾根道をボンネット・バスが途中でエンストを繰り返しながら、ダラダラと数少ない観光客らを運んでいたが、昭和39年に至って、伊勢志摩スカイライン ( 全長 16.3km の有料道路 ) が朝熊山上を経由して鳥羽へと開通し、山上広苑も漸次開発が進んで、観光バスやマイカーで容易に登れるようになった。


 かつての一大名所であった、ケーブル・カーの山上駅舎や駅前通りの風景は、駅舎の残骸を残すのみとなり、付近は雑草に蔽われていて見る影もない。
 名物旅館の 「とうふ屋」 や、金剛證寺門前の 「野間万金丹店」 などは、跡形すら無くなっている。


戦前の絵葉書に見る「朝熊山上駅」駅舎上の風景」

戦前の絵葉書に見る「朝熊山上駅前」の風景

戦前の絵葉書に見る「朝熊山上駅前沿道」の風景


 近年は、当時に代わって山上広苑の一角にレスト・ハウスや展望台が造られ、様変わりをした新名所となって、観光客が絶えないものの、金剛證寺の境内やその鬼門に位置する奥の院 ( 呑海庵 ) は、昔のままで殆ど変わっていない。


赤福の版画「伊勢だより」に見る奥の院・冨士見台


 昨今を顧みて、寂れた伊勢名所や様変わりをした伊勢名所を拾い上げてみると、朝熊山山上広苑の他、徴古館を含む 「倉田山公園」 や、二見町音無山の 「山上遊園地」 、宇治の 「五十鈴公園」 、そして伊勢市駅前通りや河崎の勢田川筋の風景、古市から中之町にかけての高台 ( 長峰 ) にあった、参宮街道沿道の昔ながらの旅籠街 ( はたごがい ) などが数えられる。


赤福の版画「伊勢だより」に見る宮川堤の桜


度会橋の袂にある、桜の名所「宮川堤の解説板」

上載写真の「解説板のアップ」


 今も昔も変わらないような、人出のある伊勢名所となると、前にも記したと思うが、二見浦 ( ふたみがうら ) の夫婦岩と、宮川岸の「 桜堤 」( 春季限定 ) ぐらいであろう。


中橋より川下を眺めた、昭和30年代の「河崎の勢田川」


 最後に、近年に新名所となった場所をチェックすると、内宮前のお祓い町通りの一角にオープンした 「おかげ横町」 や、二見町の 「シー・パラダイス」( 水族館 ) と 「伊勢戦国時代村」、そして横輪町の 「風輪」 界隈の里山ぐらいであろうか …。



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