伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

冬の志摩半島

2012年12月24日 | 随筆・雑感・回想など

Gokashyowan_izumi
 冬至が過ぎて、冬期にしては穏やかな日和となった日曜日に、久しぶりに志摩方面へと車を走らせてみた。 サニー・ロードを走り、五ヶ所湾へと抜ける。この複雑な入江の風景は、かつて「陸の孤島」とも呼ばれていた宿田曽への道路(国道260号線)が、一部を除いて拡幅され、真に国道レベルの沿岸道路として整備されたので、このルートの高台に差しかかると、波静かなリアスの海湾が一望できる。 宿浦第三トンネルから、順に第二、第一と矢継ぎ早にトンネルを抜け、宿浦の漁村に入って、漁港の船溜りを跨ぐ跨水橋を渡り、田曽岬から続く漁港先端の荒磯まで行く。 車を降りると、潮風は冷たいものの、陽射しは南国を彷彿させるようにまぶしい。誰もいない海食崖直下の小礫の溜まりには、宝貝や法螺貝などの貝殻、真っ白いキクメイシ(珊瑚の仲間)、ウニの殻などが打ち上がっている。ゴミ溜まりには流木や魚網の切れ端、発泡スチロール片、その他の生活廃棄品に混じり軽石も漂着している。 少しだけぶらついてから、国道に戻り、田曽白浜を眺めながら、南張トンネルを潜り抜け、浜島へと向かう。今はこの国道(260号線)も大変良くなり、途中の磯笛峠など、かつては「幻の国道」と呼ばれていたものだ。九十九折の難所だった旧道をよそに、一直線のトンネルでひと潜りである。 道幅の広いバイパスや、新設の農免道路なども幾つか出来、すべてが完全舗装である。鵜方へ出るのにも、ずいぶん楽になった。 五ヶ湾もそうだったが、英虞湾の湾奥も海苔養殖の網が竹竿に張らていて、どこもかも突き立てた竹でいっぱいである。風景写真を撮るのには全くのじゃま物であるが、志摩の冬場の風物詩として捉えれば、それも又一興である。
Fuyuno_ohnohama_2
 ものの数分で、近代化した鵜方の町街地を抜け、志島の市後浜(いちごのはま)へと向かう。白砂のきれいな弓なりのこのビーチは、年間を通してサーファーのメッカである。連休とあってか、この日もウェットスーツをまとった黒装束のサーファーが行き交い、まばらではあるが海の中にも見え隠れしている。高台からは、海面に浮かんだヴイのように見える。 冬期の志摩の外洋は、真っ青であり、南国さながらの陽射しがよどみなく降り注ぐものの、今の時期、観光客は殆どが志摩スペイン村に入ってしまうので、全く見当たらず、どこに行ってもひっそりとしている。 夏季の賑わいとは、表裏を成すかのように静かであり、各漁村の情景は、近代的な建造物を除けば、北国のような素朴なまでの美しさを醸し出している。けれども今は、高台に広がる畑地も狭まり、何十年か前に眺めたような、一面に大根や切干芋を晒す風景は、殆ど見られなくなった。高台での宅地造成や道路の増設が、ここ数年間に急ピッチで進んだ結果であろうか ・・・。
Fuyunoagowan_2
 高台と高台の間の窪みとなった、丘陵地の小谷を覆う雑木林を眺めると、ウバメガシやヤブツバキなどの常緑樹に混じって、ウルシやクリ、クヌギなど冬枯れの広葉樹が、色づいた残り葉をわずかにとどめている。 この日は、殆ど浜歩きはせずに、志島から畔名、名田を通り、登茂山先端の桐垣展望台辺りにまで足を延ばした後、鵜方からパールロードを経て、的矢湾沿いに穴川へと迂回し、帰路についた。
Matoyawan






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大寒が過ぎて、強烈な寒波の到来 !!

2012年12月11日 | 随筆・雑感・回想など

Yukinosuzuka  師走に入って、日暮が一段と早まり、「大雪」を過ぎたとたんに、猛烈な寒波がやって来た。北国や裏日本の各県は一面の大雪 ・・・。 冬暖かな東海地方も、極度の低温にみまわれ、初霜、初氷と共に、雪、雪、雪 ・・・。鈴鹿山脈も早やばやと雪化粧となり、伊勢地方にまで冷たい雪風のような気流が流れ込んだ。 初冬早々に、「おお寒、こ寒、山から小僧が飛んで来た」 ような、例年にない程の厳しい寒気に包まれ、北西季節風が吹き荒れた。10年ぶりの事である。 伊勢すずめ事、我が輩もこの並み外れの寒波に閉口し、お宿に籠もりきりである。飼い猫共も、やぐら炬燵の中で身を寄せ合って動かない。正に、「猫はコタツで ・・・ 」 丸くなっている。人間は、暑くても寒くても馬齢を食むにつれ、耐えられなくなっているようだ。その点、獣の体表は保温の利く分厚い体毛に覆われ、氷河期を生き延びて来ただけの事はある。もし、氷河期がもっと長く続き、人類の祖先が火を起こせずに、又、洞窟を住み家とせずにいたら、毛むじゃらな姿のままに、現代人へと進化せざるを得なかったかも知れない ・・・、などと思う次第だ。
 ドテラを羽織り、エアコンの暖房をきかせ、猫(大グロ)を引っ張り出して枕にしてみる。寝ころんでアラレをつまみ、雑誌を読むのだが、猫は5分もせずに力まかせに抜け出してゆく。仕方なくボアの座布団を二つ折りにして枕代わりにしてみたが、首筋が冷たい ・・・。やむなくマフラーを巻く。 冬型の気圧配置は、「西高東低型」 と言い、東の北海道からオホーツク海にかけて、発達した低気圧の渦があって、西に大陸から張り出したシベリア高気圧が、日本列島の本州以南を覆うのだが、問題は天気図に見る等圧線の間隔と、そのタテ縞模様である。線が多くタテ縞の間隔が狭く込み入っていればいる程、北西季節風の吹き出しが強いのだ。気圧傾度が急なのだから、日本海を渡る気流にも勢いがつき、衛星画像では、低気圧の渦に向かって幾重にも筋状の列状雲が生じている。特に、敦賀湾から関が原を経て木曽川の河口に至る低地は、この吹き出しによる列状雲の通り道で、濃尾平野の南部から三重県の北勢にかけての大雪は、このような地形の影響にもよるのだ。 冬型の気圧配置の時は、当然北極圏の寒気団も温帯域にまで南下し、上空の大気も-30℃の低温ラインが、舌を出すようにすっぽりと日本列島を覆ってしまう。 日本海側の裏日本では、寒冷かつ乾燥したシベリア高気圧からの北西季節風が、日本海を渡る間により湿潤となって中部山岳などの背梁山脈にぶつかり、強制的な上昇気流の断熱変化で、次々と雷雲や雪雲を発生させる。その為、平野部でも里雪が降り、積雪も人の丈を越えてしまう程の大雪となる。Fuyunonihonkainozu

 一方、表日本の太平洋側では、山越えの気流がフェーン現象により、乾燥した北寄りの薄ら寒い程度のからっ風となるのだが、今冬だけは、朝夕の底冷えも度が過ぎていて、近年になく異常である。こんな年の瀬は、何かが起こる ・・・。 忘れた頃にやってくる天災に大災害。自然現象の前には、いた仕方の無い事かも知れないが、もう巨大地震だけはお断りである。数年に一度の大事件や大事故なども怖い。原発直下の 「活断層」 など、昨今はやりの言葉で言う 「想定外」 だけでは済まされない。 人の世は、知らぬが仏で 「能天気」 なのが、平穏なのかも知れない ・・・。 師走の寒い冬の日は、足早に暮れてゆく。あと数日もすれば冬至、そしてクリスマス、大晦日と続く ・・・。数える間もなく、新年が明けて正月三が日~松の内となる。子供の時分は楽しかった年末年始も、今は只、時の過ぎゆくままに、真冬の自然と社会の営みを、ひと冬の歳時記として眺めるだけである。 我が家も母親の逝去で、年明けの年始は、喪中ゆえに寝正月となりそうだ。




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