伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

夏の終わりに遊んだ 「川と海」

2014年08月30日 | 随筆・雑感・回想など

浅瀬を成す、日向郷付近の一之瀬川

 5月以降、雑事に追われて、ブログを書く時間がなかった。やっとゆとりが出来たものの、気がつけば8月も、もう終わりである。
 今夏は、お盆を過ぎてから天候不順の日々が続き、各地で記録的な大雨や土砂災害に見舞われた。日本列島は北から南まで、速度の遅い温帯低気圧や停滞前線によって、真夏の好天を妨げられ、下旬には殆ど真夏日らしい日が無かった。異常気象もいい処で、こんな夏はまず記憶に無い。 偏西風やジェット気流の蛇行が、日本列島付近で南下してうねり、気圧の谷や停滞前線を形成し、太平洋高気圧の北方への張り出しを弱め、梅雨空のような状態となったに違いない。



 近所の屋根に巣くっている親雀の子育ても、晩春からお盆にかけて、今夏はもう5回に及んでいるし、梅雨の切れ間のような薄陽が射す日は、町なかの雑木林から聴こえてくる蝉の鳴き声もごちゃ混ぜである。クマゼミやミンミンゼミだけでなく、ニイニイゼミやツクツクボウシまでも鳴き競い、昼下がりのアブラゼミだけの蝉しぐれ処ではない。  
 それでも曇天が晴れると、陽射しはまだ真夏のように厳しくて汗ばむのだが、時折わたって来る気流は冷んとやりし、秋風の感がある。 今夏は、このままひと夏が終わってしまうのではないかと思い、特に下旬に入ってからの晴天の日には、ついつい川や海に誘われてしまった。

清流の淵を成す、火打石付近の一之瀬川

 川遊びは、まずいろんな水石の産地でもある一之瀬川(宮川の支流)である。度会町の日向橋あたりの川原から、その上流の火打石の彦山川、さらに上(かみ)の小萩川へと向かう。この日は残暑の中、石よりも浅瀬歩きの水遊びに終始した。



夏の日の安乗漁港

 海へは、志摩へ行った。的矢湾南岸の三ヶ所漁港に立ち寄ってから、潅木の繁る地山(じやま)の細い林道を横切って国府(こう)に抜け、安乗漁港まで行き、港の写真を撮った。
 その後は、サーフィンのメッカである広々とした国府の白浜から、甲賀漁港を経て、志島(しじま)の市後浜(いちごのはま)に立ち寄る。 そして帰りには、我輩貸切のような海浜である、名田の大野浜でたっぷりと遊んだ。

ビーチ・カスプの連らなる、名田の大野浜

層内断層の入った漂礫の打ち上がる、大野浜の渚

 この大野浜は、殆ど人が来ない、こじんまりとした礫(さざら)の堆積する、弧状のきれいな浜である。小形のビーチ・カスプが連らなり、浜を埋める漂礫には地層や断層、時に褶曲構造の入ったものが幾らでもある。

層内断層等の入った漂礫 ~ 大きなもので拳大

 渚には、時折、フリント(燧石)のような黄土色の小礫が転がっている。石そのものは堆積岩のチャートのようであるが、中は白っぽくて玉髄や蛋白石さながらである。玉髄質チャートであるが、「鉄マン」黄土色したフリントのような、玉髄質チャートの漂礫 ~ 左下のコインは10円玉
タイプのマンガン鉱床の珪化作用によって、類質の鉄石英の中には瑪瑙化したものもあるかも知れない。 この付近一帯は、浜島の小矢取島から、大崎半島(合歓の郷)の先端、そして土井ヶ原島、西山半島の金山(立神鉱山跡)と、英虞湾を横切り、畦名口(あぜなぐち)付近を経て大野浜沖合いに至る、含マンガン赤鉄鉱を主とする東西性の鉱床帯である。

 
 午後3時をまわったので、この日は、「層内断層」の入った少し大きい目の漂礫数個を拾って、岐路についた。磨けば、この石はちょっとした飾り石にもなるし、自然史記念物の地質標本としては類例が無く、当地の特産物であろう。掌に載る小さくてきれいな漂礫は、「地震のお護り石」にもってこいである。


大野浜産の「奇形漂礫」

 


コメント
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