
霜月に入って瞬く間に下旬となり、少しずつ肌寒くなって来た。 今春以降は、志摩の海へも奥伊勢の山へも、そして伊勢市内外の川や谷間の渓流へも、全く出向いていない。 夏の期間を自宅に引き籠もって過ごした。
猛暑に複数の台風の来襲と、今夏は日本列島の気象がかなり異常だったせいもあり、愛車の調子も、まるでこの異常気象に合わせたように不調続きで、古い車ゆえに修理をするにもいろんな部品が無くて、買い物などはもっぱら自転車か徒歩でしのいで来た。
何とか修理の見込みが付き、紅葉も見ごろとなった11月19日、全く久しぶりに借りてきた代車で、志摩から奥志摩を経て奥伊勢の藤川へと廻ってみた。
最初は、気になっていた志摩市の安乗 ( 阿児町 ) の外海岸と、名田 ( 大王町 ) の大野浜に行ってみた。 安乗の海岸は、観光地でもあってか比較的きれいであったが、大野浜は浜砂利が防波堤の上まで、泥っぽい土砂といっしょくたになって、無造作に打ち上がっていた。
きれいだった弧状の砂利浜は、流れ着いた流木や海草、プラスチックゴミなどに覆われていて、惨々たる状態であった。
目当ての「層内断層入りの礫漂」や「茸石」 「黄色玉石」など、とても探す気になれなかった。
そして昼少し前に、思いついて立神の西山 ( 半島 ) にある立神鉱山跡に行ってみた。 ここは、英虞湾に面する真珠養殖の作業小屋におりる小道を、慕情ヶ丘に至るメイン道路から分かれて下るのだが、場所がわかりにくいので、訪れる鉱物関係者らも殆ど無く、閉山後は放置されたままで、旧坑がブッシュの中にぽっかりと穴を開けている。
英虞湾の入り組んだ目前の海岸には、二酸化マンガン鉱や含マンガン赤鉄鉱などの鉱塊がかなり散乱している。
少し立ち寄っただけで、午後は奥志摩の田曽浦 ( 南伊勢町 ) に行ってみた。 漁港を囲む防波堤を超えて田曽岬へと続く荒磯に出てみたが、風浪が荒く、しかも小潮のせいか真昼の引き潮時にもかかわらず潮位が高く、普段なら小気味よいほどの潮騒も、時折り強烈な波しぶきをあげて打ち寄せ、海は少し荒れ狂っていた。
頭上に見上げる海食崖は、土砂崩れも夥しく、大潮の頃でないとここの荒磯は危険だなと思い、「虹の石」の採れる露頭までは行かず、海景を眺めただけですぐ引き返した。
まだ日が高く、どうしようかと迷った末に、思い切って奥伊勢の藤川へと車を走らせた。 五ヶ所 ( 南伊勢町 ) 経由でサニー道路へと入り、度会町に出て裏道を走ったので、1時間ちょっとで藤川に着いた。
最初は、いつも行く「板取」の川原に降りた。 夏の台風を挟んで半年ぶりだったので、期待通りに川原の状況が変わっていて、転石もかなり動いていた。
新たな七華石の転石が幾つか転がっていて、手のひら大の形状の佳い水石を4個揚石する事が出来た。
この後、藤川では「西の瀬橋」下の川原や、その少し下流の堰堤付近の川原に降りてみたが、揚石すべきレベルの転石は一つも無かった。
陽も傾き、山影が道路にかかり始めたので、本格的な探石はせずに、ちょっと見回った程度で切り上げて、そのまま岐路に着いた。
自宅への帰着は、薄明かりの夕暮れ時となり、時計を見ると午後4時を何分か回っていた。
