伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
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伊勢市・二見浦海岸の「 漂 礫 」について

2023年08月27日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

立ち昇る旭に神々しく輝く二見浦東端の 「 神前岬 」 ~ 2023年8月26日に撮影

 伊勢湾の南岸に位置する、伊勢市二見町の二見浦(ふたみがうら)の海岸は、立石崎を境に、西方には緩やかな弧状を成す遠浅の砂浜海岸が延々と4km程続き、その先端は五十鈴川の河口で、今一色の突堤が突き出し、対岸は大湊の三角州となっている。 この砂浜海岸の原地形は、立石崎から西方に突き出した波状の高まりを有する砂州 ( 砂嘴 ) であり、完新統の時代を通して南方から北方へと低湿地として成長を続け、昭和40年代までは防風林の松林の続く比高数mの海岸砂丘となっていた。


二見町の昭和年代の地形図 ( 国土地理院発行 5万分の1より )


 この砂丘群の最大の高まりは、最西端の今一色にあった「二見砂丘」であり、付近には波食により頂角のやや丸まった「三稜石」がかなり見られたが、今は防波堤等の護岸工事で原地形が消滅し、見る影も無くなっている。
 一方、伊勢神宮の海の玄関口にあたる「夫婦岩」のある立石崎から東方は、鳥羽市の池の浦湾までリアス式の岩石海岸となり、砂礫の海浜と荒磯が神前岬 ( こうざき ) まで続いている。 神前岬には注連縄の掛け飾られた「海食洞門」(「潜り島」と称する ) があり、直前に「アレサキヒメ」を祀る小さな祠がある。
 二見地方では、古来「立石」とのセットで、それぞれが男性神・女性神として崇拝されて来ている。 この事は、以前にブログに記述をしているので、今回は地形や地質、伝承等の詳述は控えさせて頂く。


二見浦 ・ 江海岸の突堤から眺めた夫婦岩のある 「 立石崎 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 さて、この二見町の立石崎より東方の「江の川」を挟む海岸の漂礫であるが、海食崖や海食台、離れ岩、岩礁等を形成する岩盤は、全て中央構造線直南の外帯「三波川変成帯」の広域変成岩であり、緑色片岩が卓越する中に、千枚岩や石英片岩、砂岩片岩等が介在し、それぞれが現地性の漂礫となって砂利浜を断続的に形成している。


二見浦 ・ 神前岬手前の荒磯から眺めた 「 江海岸 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 漂礫はよく淘汰され、殆どがこぶし大以下の亜円礫であるが、神前岬の手前には角礫や亜角礫も散在している。 普通に考えれば、結晶片岩や千枚岩の漂礫は、偏平な片ペラ石になり勝ちで、含有鉱物も限定され面白みに欠けるので、これまでは殆ど見回ることが無かった。
 しかし、今夏は遠出をせずに、水石の探石も小石( 岩石・鉱物 )の採集も伊勢市内限定にしているので、退屈凌ぎ程度に2回に分けて立石崎より東方の海浜を歩いてみた。


二見浦 ・ 神前岬手前の荒磯の小狭い 「 砂利浜 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 思っていたより、多くの堆積岩の浜砂利が見られ、これらはかなり昔に、五十鈴川の上流から運ばれて来たと思われる珪質岩 ( チャート )や砂質岩、泥質岩、輝緑凝灰岩などであり、現地性の結晶片岩類の漂礫と共に、石英脈由来の白色の「白石玉小石」( 石英礫 ) もかなりの頻度で混じり、赤石や赤玉石の漂礫と相まって、狭いながらも神前岬付近の砂利浜はきれいな感じであった。
 立石崎から神前岬まで続く当地の海浜は、およそ2km程度の距離であるが、漂礫の種類は思っていた程単調では無く、珍奇な奇形礫 ( キノコ石 ・ 穴あき石 ・ 波食皿石など ) も見つかり、結構楽しめた2日間であった。
二見浦海岸産 「 きれいな結晶片岩のカット小片 」 ~ 左右幅約4cm
今夏採集の二見浦希産の砂岩片岩の 「 波食皿石 」 ~ 左右幅約5cm

 帰宅後に、思い立って「二見浦海岸の石」( 9種類 )のミニ標本を試作してみました。 この中には、長年唯一保存をしていた「二見砂丘」直前の海浜から産出の那智黒石の「三稜石」を組み入れました。( このミニ標本は、ヤフオクに出品を致しました処、即落札されました。)


今夏に試作のミニ標本 「二見浦海岸の石」 ( 漂礫等9種類  )
唯一保存していた二見砂丘直前の海浜産、那智黒石の 「 三稜石 」( 絶産標本 )

二見浦・神前岬の砂利浜産 「 緑石英のカット石」( ルース )

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