新年が始まって早や1週間、正月の「松の内」が過ぎようとしている。 今朝も外は明るく、晴天のようだ。 しかし、屋外に出ると、陽射しはあるものの、空には高層雲が東方に流れ飛び、微風ながら外気は雪風のように冷たく肌寒い。
今年の年頭は、薄曇りや寒風の冷たい日々はあったものの、昨年末の大晦日からは雨も雪も降らずに、冬型の気圧配置による好天がずっと続いている。
大晦日の夕方は、ひときわ寒かったので、例年おこなっている茜(あこね)神社への夜の年越し詣りは取り止めて、銭湯に行き体を暖めてから布団にもぐりこんだ。
この分だと明日の元旦も寒いだろうと思いながら、夜半過ぎまで寝床で横溝正史の推理小説を読んで過ごした。
そして迎えた元旦の朝は、朝冷えに震えながらも午前6時前に目が覚め、外はまだ真っ暗であったが、丸餅を三つ焼いて朝食代わりにした。 むろん布団の中で、ラジオのニュースを聞きながらの食事である。
いつものように、飼い猫共に餌をやってから又ひと眠りをした。
そして、午前9時前に再び目が覚めると、暫くして年賀状の配達があった。 数えてみると70枚ほどあった。 毎年少しずつ減って来てはいるが、賀状のやりとりだけの方々には、古希が過ぎたのと、少し眼病をかかえている事を理由に、ご辞退を申し出ているのだが、なかなかごそっと減らない。
今年も20数枚は、返事を書かなければならない。
買い溜めの年賀はがきに返信を20枚ほど書いてから、賀状を出しに郵便局に行くのに外に出てみると、驚いたことに天空は雲ひとつない真っ青な快晴で、しかも無風 …、太陽もかなり昇っていて、春さながらのホカホカ陽気であった。
昨日の大晦日の晩の寒さが一変し、今年の元旦は嘘みたいな日和であった。
朝の10時半を過ぎた頃、外宮に隣接する茜神社へ初詣に自転車で出かけ、お詣りを済ませてから、どこか郊外にでも行ってみようかと車を出した。
伊勢市内の街中(まちなか)の道路はガラ空きであるが、高速道路から続く二見・鳥羽方面への伊勢~二見~鳥羽ラインもまずダメで、志摩方面に向かう伊勢道路に入るにも、内宮前の渋滞の混雑を潜り抜けなければならない。 こうなると、向かうは逆方向でしかない。
こんなによく晴れた穏やかな元旦なら、おそらく大勢の人々が日の出(ご来光)を拝んだ事だろうと思い、我輩もどこかで遥拝すればよかったかなと、少し悔やみながらも、結局は今年も一之瀬川方面へと、宮川右岸の県道22号線へと向かった。 逆方向への道路だけに、しかも元日のせいか対向車はあるものの、普段よりはずっとすいていた。
はてさて、どこに向かおうかと思案しながら、たどり着いた先は火打石のバス停であった。 午前11時半頃であったと思う。
とにかく、デジカメを引っさげて天祥橋の下の川原に下りた。 当然の事ではあるが人っ子ひとりいない。 川の水量もぐっと減っていて、せせらぎの音すら響かずに、辺りは冬枯れの静寂そのものであった。
ちょうど正午前で、太陽が橋の南方の真上に来ていて、まぶしい程の陽光が暖かい日差しとなって川筋を照らしていた。
朱塗りの鉄製アーチの天祥橋の橋桁で日差しを遮りながら、ご来光に見立てた日輪を遥拝し、暫し写真を撮った。
そして …、やはり今年もここ一之瀬川の川原を歩いて、水石の探石で新年の一年が始まった次第だ。
欲張らず、拘らず、梅林石でもあればと思いながら、気ままに数10m程の川原を歩いた。
梅林石は見当たらなかったが、細い滝流れのある形状の佳い珪質岩~珪質石灰岩の山水景石と、ちょっとした水石になるような転石2個を見つけた。
久しぶりに歩いた火打石の川原は、昨秋の増水で流れや川原の状態がかなり変わっていたので、馴染みきった一之瀬川の一角ではあるが、年始に恰好の新鮮味が感じられた。
帰りには、昨年末に探検をした駒ヶ野の隆祥橋のさらに下(しも)の、人知らずの「秘境」に立ち寄って写真を撮った。
この正月の2日と3日は、又寒さがぶり返したが、4日は暖冬を感じさせるような暖かい日であった。 5日と6日の日曜日は、例年並みの冬日となって、週明けの今日7日に至った。
松の内の経過と共に、学童や学生達の冬休みも終り、程なく「成人の日」を迎え、いよいよ本格的な寒(かん)のシーズンである。
真冬日の多い睦月(むつき)も、二月のように「逃げて走って」過ぎて行って欲しいものだ。