今年の夏は、7月から8月にかけて猛暑日の連続で、8月最後の31日まで体に応える程の暑さに見舞われた。 夏バテと熱中症を避ける為に、夕方までは外出を控えた日々が多く、お盆前に参墓用のシキビ(シキミ)と榊を切りに度会の林道へ行ったぐらいである。
例年のように、何度も川歩きや志摩の海に行く事はなかった。
台風の影響で、涼しい日があったのはお盆明けの17日からの数日間で、朝から秋風のような西寄り~北寄りの冷やりとした肌寒さを覚えるような涼風が吹いていたものの、日が昇るに連れて真夏の青空と灼熱の太陽の熱射が暑さを呼び戻し、夏と秋が同居したような日々は下旬までは続かなかった。
台風一過の下旬半ばには、又暑さが倍増したかのようにぶり返し、このままでは今夏は川へも海へも行けずじまいに終わるのかと、焦燥感に見舞われたので、8月最後の日曜日の26日になって、朝から猛暑を押し切って志摩の海に出かけた。
別に目的はなかったが、夏になると毎年ドライブがてら遊びに行っていたので、志摩の海を見なくては、ひと夏を終えられないような気持ちもあった。
まず最初は、安乗の海岸まで直行した。 自宅から約45分で10時過ぎに着いた。 灯台にまでは行かず、安乗漁港のある的矢湾とは反対側の外海に面する海岸を少し歩いた。 ゴム草履が砂に食い込む度に、昼前だと言うのに熱砂の熱さが容赦なく足首にまて伝播し、夏の海辺を体感させた。 この浜には親子連れの行楽客が複数いた。
次に国府白浜に立ち寄った。 8月最後の日曜日とあって、ここもサーファーを含め、かなりの海水浴や肌焼きをしているの若者らがひしめきあっていた。 阿児の松原へと続く、寄せ波のきれいな弧状の海岸を暫し見渡しただけで、甲賀の城の崎へと車を走らせた。
甲賀漁港を仕切る防波堤下の突端の海岸は、大潮の引き潮時とあって岩礁がむき出しになっていたが、ここにも家族連れの行楽客と思われる人々が、遊びがてら磯ものを採集していた。 引き潮時の城の崎は、砂浜が無く、テチラポットもむき出しになり、満ち潮時の雄大な寄せ波の海景とは打って変って、意外と殺風景であった。
その後は、猫の額ほどしか無い海岸のスペースに、船着場程度の拵えの名田漁港に行って海女漁を見ようとしたが、昼時のせいか、海女船も海女も出ていなかった。 猛暑日の真昼だったので、さすがに当地には釣り人も外来者もいなかった。
最後立ち寄ったのは、いつもなら我輩貸切りの名田の大野浜である。
大野浜は、出鼻に囲まれた程よいスペースの、寄せ波の実にきれいな弧状の砂利浜である。 ここの漂礫の中には珍しい地層(葉層)や断層(層内断層)、時には褶曲模様や、階段状断層が示す「稲妻模様」の小石が混じっている。
他にも段丘堆積層由来の、我輩が名づけた「黄色玉石」(きいろだまいし)が打ちあがっていたりする。 数は少ないが、渚にぽつんと黄色い瑪瑙のような小石が見つかる。 中身はフリント質チャートであるが、潮かぶれのせいか、表面が瑪瑙や玉髄質、時には中身までオパール化したようなきれいなものまである。
以前に、このブログ(バックナンバー)に記しておいた。
午後1時を回った頃、適当に昼食をとり、帰りは伊勢道路の出口の浦田橋あたりが混雑する事を見込んで、少し遠回りになるが、鵜方から南下し浜島の手前で西進し、南伊勢町回りのサニーロードへと車を走らせた。 道はすいていてすいすいと走れた。 途中で停車する事も無く、鍛冶屋トンネルを抜け横輪口を過ぎてから、右折して上野町の市道に入った。
かなり暑い中ではあったが、いっぷくがてら雨渕川と横輪川の合流点の川原に下り、タオルを水流に濡らして汗を拭った。
ここには、現地性の方解石脈の貫入した蛇紋岩の礫や、曹長石脈入りの角閃岩(伊勢青石)がたくさんあり、横輪川の上流から流下して来た堆積岩類と共に、かなり佳い水石が見つかる事がある。 特に残存曹長石脈が示す紋様には、鑑賞に値する程の見事な「紋様石」となる形姿模様のものがある。
ふと気付くと、タオルを再度水洗したすぐ横に、脈幅3㎝程の曹長石脈の貫入したひと抱えもある青石が転がっていた。
最初はつまらないなと思ったが、方向を変えて眺めると「滝石」に見えないこともない。 裾を少しカットし台座をつくれば、それなりに鑑賞出来そうな気がした。 ダメ元でと思いながら、重い大礫をかかえて車に戻った。
家に着いたら、午後3時を少し回っていた。 予定より1時間程オーバーで、身体はかなりバテていた。
今日8月7日は、24節気の「立秋」である。 この日に合わせたかのように、今朝は小雨模様となった。 時折土砂降りになり、曇天の空は晴れそうに無い。 小笠原諸島付近まで早々と北上して来た、13号台風の影響であろうか … 。
昨日までの猛暑の真夏日が、一変したかの如く嘘のようである。
今夏は、7月の上旬はくずついた梅雨空であったが、7日の「七夕の日」を境に梅雨が明けた。 その後は伊勢地方も猛烈な暑さに見舞われ、下旬の28日までずっと真夏日が続き、伊豆七島付近から西進して来た台風12号の影響で、やっと曇り空となって暫し暑さがやわらいだが、遠州灘からやって来たこの台風が、29日の未明(夜半過ぎ)に伊勢市に上陸をした。
幸いなことに、暴風が明け方まで数時間吹き荒れたものの、大雨にはならず、市内の各河川も大潮の干潮時と重なった為、多少の増水はあったが、昨秋の台風時ように氾濫する事は無かった。
台風一過の7月末から、8月の6日までは、またずっと猛暑日が続き、今夏の「異常気象」による暑さは格別である。
迷走した台風のかつて無かった進路と言い、7月から1ヶ月も続くこんな真夏は、少年時代に体感した夏休みの暑かった日々を除けば、殆ど記憶にない … 。
木立や雑木林では、いろんな蝉がごちゃ混ぜで、今夏の熱波に狂い鳴きをしているように思える。
この真夏の暑さに耐えかねて、ついに納涼に出かけてみた。 志摩の海には行きたいけれど、熱中症になり兼ねないので、いつも行く一之瀬川の川遊びのスポットを思い立った。
しかし、車を走らせてみると、この日(8月3日・金曜日)は、平日にもかかわらず、栗原橋の下も日向橋の下も、先客でいっぱいであった。 それならと、あまり知られていない火打石の「旧天祥橋」の下の渓流に行ってみたが、この穴場も若者や親子連れの人、人、人 … で、車の止め場もなかった。
仕方がないので、我輩だけしか知らない、川遊びの隠れた水場が幾つかある彦山川の渓流に入る事にした。 いつものように水石の探石ではなく、カメラを車に積んでいたので、旧天祥橋のすぐ上(かみ)の一之瀬川への合流地点から、ゴム草履で遡る事にした。
渓流の転石も無視出来ず、目に付くものはウォッチしながらではあるが、いわば童心にかえっての彦山川の探検である。
この全長4~5km程の渓流は、人は全く誰もいなく、我輩貸切の納涼の水場の連続である。 転石は、各種のチャートが多いが、その中に石灰岩や輝緑凝灰岩もあり、頁岩、粘板岩、砂岩といった、良質の水石となる殆どの堆積岩が見られる。
又、当地は谷奥の支流を1km程辿った所に、三重県指定の天然記念物の「燧石」(ひうちいし)がある著名な場所でもあるが、道しるべの「道標」はあっても訪れる人は誰もいない。
ここの燧石は、玉髄質を雑える灰白色~灰黒色のチャート(いわゆるフリント質チャート)の岩塊で、小谷の源流付近に鎮座する転石の巨岩か露岩のようである。
もう何十年も行っていないので、現状は判らないが、その当時、おむすび形の石の表面は苔をむしていて、かなりの部分が欠き採られていた。
彦山川は、いろんな水石の産する、奥伊勢地方きっての「名石谷」である事は言うまでも無い。 石質も豊富で、赤石、青石、石灰石、伊勢古谷石系の泥質岩、紫雲石や梅林石などの輝緑凝灰岩、チャート質や石灰岩質系の五色石、龍眼石、准那智黒石と多種に及ぶ。
形状も、圧砕変形や河川の溶食によって様々な景観を呈し、特に鎧石や段石が豊富であるが、見かけの佳い遠山石(とおやまいし)や土坡(どは)、島形石、溜り石、それに時にはきれいな滝石など、たぐい希な名石となる優れた「山水景石」もよく見つかる。
この他に、ジャスパー化した青玉石脈の入った縞帯模様の変質岩や、奇形石(化け石)、偶然の産物である形象石(姿石)や紋様石なども見つかる事がある。
彦山川は、川原の乏しい渓流の連続で、各所に早瀬や淵、小滝があり、巨岩(巨礫)や岩盤の露われた岩場も少なく無い。 オハグロトンボやハンミョウ、カナヘビなどはもちろんの事、シマヘビもおればマムシもかなりいる。
渓流の途中には、何箇所か堰堤(えんてい)があって、元は数mのきれいな瀑布であった場所には、ロック・フィルの堰堤が築かれていて、その真下には巨大な滝壺があり、ポット・ホールも点在している。
ここには灌漑用水の取水口や、素掘りの導水路(水濠)がある。
この日は、丁度渓流中ほどの右岸の林道沿いにある、炭焼き窯(人家小屋)の少し先の水流のきれいな堰堤までにした。
車は林道に止めては川を行き来し、まくり上げたズボンはびしょ濡れになったが、川蛭や薮蚊・ブヨもいなく、朝から昼過ぎまでの数時間を、心地よい渓流の独り歩きに没頭し、気象庁の言う「命にかかわる猛暑」、「熱中症に注意」の呼びかけをそっちのけにし、ひたすら爽快感に浸った。
ちなみに、彦山川は豪雨時には「暴れ川」と化すので、久しぶりに来て見て、随分と形状の変わっていた渓流の「石溜まり」の中から、気に入った水石数個を揚石したのは、言うまでもないが…。
( 彦山川渓流等の掲載写真は、全て2018年8月3日に撮影 )