伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

秋晴れの志摩半島を、久しぶりにドライブ !!

2013年10月22日 | 伊勢志摩旅情
Nakiri_beach

 先週、伊豆の大島(東京都)に、大雨と強風によって甚大な土砂災害をもたらせた台風26号が通過し、伊勢志摩は爽やかな強風の秋晴れとなった。それも束の間、週末の土・日にかけては、その台風に引っぱられるように上空に寒気が南下し、台風のもたらした南からの暖気とぶつかり前線が発達、日本列島の太平洋側は雨雲の通り道となって、終日ドシャ降りの大雨にみまわれた。 そして、週明けの月曜日、再び汗ばむ程の快晴の秋日和となった。
Futamigaura
 台風一過のあと、再び快晴となった秋半ばの絶好の日和に誘われて、10月21日(月曜日)、朝から久しぶりに志摩半島に車を走らせた。二見ヶ浦から堅神に出て、伊勢二見鳥羽ライン(高速道路)の出口から逆行し、新設の第二伊勢道路に入る。
Dai_2_isedouro
 伊勢、二見からだと有料道路を経由しなければ、この新しい道路には入れないので少し不便である。そのせいか交通量が少なくスムーズに走れるが、殆どがトンネルである。全部で4つ、手前から「朝熊トンネル」「堅神トンネル」「鳥羽河内トンネル」「白木トンネル」である。この内、鳥羽河内トンネルは最長で、3kmを越え、トンネルの半ば過ぎから左カーブとなっている。最後の白木トンネルを抜けると、アルファ形のループになった下り道路をひと回りして、国道167号線へと合流する。

Kamishima
 白木から鳥羽に向かい、安楽島を経てパールロードに入った。有料だった昔に比べて、かなりの交通量がある。それも今浦大橋を渡った本浦辺りまでで、本浦から先は志摩半島の臨海道路ではあるのだが、箱田山鳥羽展望台を除けば、道路は雑木のブッシュに視界を遮られ、海景は殆ど眺望出来ない。 それでも的矢湾に近づくと、ちょっとした展望スペースが設置されていて、今では高層ホテルのビルが樹立する相差町や、的矢湾の湾口を挟んで、安乗半島から先志摩へと続く、志摩半島東岸のリアス式海岸が見渡せる。Ousatu
 途中に「志摩スペイン村」があるが、改修中の的矢大橋に差しかかると、一見フィヨルドの湾入を思わせるような、曲がりくねった的矢湾の穿入蛇行した溺れ谷を目にする。 パールロードを抜け、バイパス道路を経て再び国道167号線に入ると、なだらかなアップダウンの隆起海食台上の志摩の幹線道路が、波切(大王町)を経て先志摩の御座へと続く。
Hirohama
 この日は和具の広浜に行き、潮騒と共に、少し荒れた磯波の打ち寄せる砂浜海岸に下りて渚を散策、打ち上がったアラメの続く中、小粒のビーチ・グラスを拾う。以前は随分あったこのきれいな海Beach_glass_3
からの還元品は、水に濡れて宝石さながらであるが、地元民らに拾われているのか、どの海岸に行っても今はまばらである。 帰りは海辺の村道をとり、布施田の海岸に立ち寄ってから、お気に入りの名田(大王町)の大野浜に下りた。
Fuseda
 よく晴れわったのどかな日和の下、荒波の打ち寄せる秋半ばの志摩の海景は、心地よい海風を全身に受け、どの海岸に行っても実に快適であったが、昼下がりには残暑を思わせる程の、汗ばむ陽気となった。
 交通網が整備され、真新しい道路も増えて利便性が充実して来たせいか、志摩地方の道路を走るのは、気晴らしには持ってこいである。 午後3時前、伊勢の街に戻ってみると、行き交う人々の半分は半袖姿であった。

Ounohama


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系外惑星とセカンド・アース(第二の地球)

2013年10月07日 | 科学エッセイ
Sun_shain

 宇宙科学の進歩と共に、ハップル望遠鏡など人工衛星による大気圏外からの観測や、大気の希薄な山岳高地に建設された、巨大口径の大望遠鏡での天体観測等がめざましい進歩を遂げ、コンピュータでのデータ解析も加わって、「系外惑星」(太陽系以外の惑星)の発見が相次ぎ、合成画像(グラフィックス化)による可視観測も夢ではなくなって来た。今やその数は数百個にのぼっている。 その殆どが、木星タイプの巨大ガス惑星のようだが、中には表面が岩石圏で出来た、「地球型」の非ガス惑星も幾つか含まれている。

 銀河系宇宙(天の川銀河)の中に限っても、地球に似た惑星の数は、数百億個はあるという。今までの我々の常識では、惑星と言えば太陽の周りを周回する「太陽系(内)の惑星」だけであった。昨今は、冥王星のはるか彼方に、幾つかの小型惑星が発見され、その数も1.5倍近くになっている。
Sedna 太陽系に限ってみれば、惑星のタイプも従前の「木星型」と「地球型」の2つの分類から、少し変わってきて、冥王星が「准惑星」に格下げされ、近年になってから、冥王星の外側に発見が相次いだ「セドナ」(2003 VB12)を初めとする冥王星サイズの小型惑星は、全て同様のタイプである。
 これらの共通点は、そのサイズの矮小性にあるが、多くは表面が氷で覆われた「彗星母体」のような小型の「氷球惑星」や、大気の存在は別として、「月」や小惑星のように、岩石圏がむき出しの高密度の「ロック型惑星」(仮称)である。
 このように見ると、従来の「衛星」の殆どは、元は太陽を回る小型惑星であったものが、母惑星に捕捉されて「衛星」となった感じである。「准惑星」を設けた事によって、それら本体の属性を考えると、「衛星」と「惑星」の区別も少しあいまいになったようだ。

 我々の知る太陽系の惑星を分類し直すと、惑星(系内惑星)には火星の外側に「巨大ガス惑星」があり、これらは木星、土星、天王星、海王星の4個で、各惑星の共通点は図体(ずうたい)の大きさに比べて、その密度の低さと共に輪を持ち、自転速度が速く、数個以上の衛星を従えている事である。 そして、太陽に近い所に存在している小型の「地球型惑星」であるが、現時点で表面に「海」を持つのは地球だけである。内側から見ると、水星、金星、地球、火星であり、これらの内、水星以外は大気を持ち、又地球と火星はそれぞれ1、2個の衛星を従えている。
 他のタイプは、既述の「准惑星」であり、一般にはさらに細かな「小惑星」となる。これらは、全地表が氷結状態の「氷球惑星」であったり、岩石圏の地表を持った「岩石球」のタイプである。将来、さらに増えるであろう准惑星の中には、地表が「金属質」や「全球砂漠」、さらに固相と液相のミックスした、「アイス・シャービック状態」のような地表を持つタイプ、さらに水とは異なる「異物質の海」を持つような、「木星や土星の衛星」類似の准惑星も無いとは言えず、やがては発見されるかも知れない。地表を取り巻く大気圏の存在の有無は、准惑星としての分類にはそれ程影響はしないようだ。
Keigai_wakusei_02
 さて、太陽系以外の「系外惑星」となると、それらの地表を直接観測するにはまだ先の事ではあるが、われわれの知らないタイプの惑星も結構見つかっている。太陽の出来損ないのような「ホット・ジュピター」(高温の巨大ガス惑星)や「褐色(矮小)惑星」、「スーパー・アース」(巨大地球型惑星)などの他、主星を持たない「浮遊惑星」(ジプシー・プラネット)や、複数の太陽(恒星)の周りを周回するKeigai_wakusei_01
「連星系の惑星」、さらに「双子惑星」や「三つ子惑星」もあるようだ。 
 系外惑星の中には、そのポジションやサイズが地球に似ていて、いわゆる「ハビタブル・ゾーン」(生命の可住領域)に位置する惑星が幾つか発見されているが、地表に程よい割合で「海洋」に相当する「H2Oの液相の水圏」を備え、酸素を含む程よい濃度の大気圏のある「セカンド・アース」的な惑星があるのかどうかである。
 さらに、親星のサイズや表面温度などが主系列の「太陽タイプの恒星」(赤色矮星)てあり、程よい地軸の傾きと自転速度、適度の重力や地磁気、バン・アレン帯のような有害宇宙線からの防御バリアの存在、程よい距離に程よいサイズの「月」のような衛星の存在も不可欠であろう。 加うるに地表の水・陸の面積比や大気圧、そして夜の適当な暗さ(これは銀河系内の星系の位置に起因)など、幾つかの条件をクリアするとなると、地球のように生命を宿し、長い地質時代を介して何度かのカタストロフィー(大破局・大破滅)と氷河期を経て、地上に人類のような知的高等生命にまで生物を進化させ、バイオスフェア(生物圏)を持ち、生態系を完成させた惑星が果たして幾つあるのだろうか。
Umi
 もし、このような「セカンド・アース」がたくさんあって、それらの何割かに動・植物がいて、その内のさらに何割かに知的文明が芽生え、人類が成し得たように、科学文明の産物である「非自然電波」(人工的な電磁波)を宇宙にばら撒き、アレシボ・メッセージのような呼びかけ電波を発し、ボイジャーのような探測機を宇宙に放出するレベル以上の「超・地球外文明」の存在を、近未来に果たしてキャッチ出来るのだろうか。 世界中の高性能のパソコンなどを駆使して、いわゆる「異星人からのメッセージ探し」は、かなり以前から試みられてはいるし、メガ・プロジェクトによるシステム化された「電波望遠鏡」も各地に建設されつつある。 
 しかしながら、このような人類の科学文明の寿命を考えてみると、この先1万年は持たないであろう。人口の増加がピークに達した後は、地表の資源はむさぼりつくされ、国家群の再編成とともに、一旦はスペース・コロニーに移住しても、やがてはその維持が出来なくなり、生理的寿命の頭打ちとともに、結局は病原菌との戦いや再生医療テクノロジーも、その生化学的、医学的、倫理的限界等から破綻をきたし、温暖化し続ける地表の空調システムもエネルギー不足となって、環境悪化に至る道筋は、想像に事欠かない。 
 地球文明の寿命を、この先約1万年と見積もって見れば、系外惑星の「セカンド・アース」のそれも似たり寄ったりであろう。移住など全くの空想科学に過ぎないのだ。このように考えると、地球外の知的文明が約1万光年より遠方において見つかっても、それは「異星人の文明があった」と言う過去形での発見に過ぎないのだ。

 天文学からスタートした「宇宙科学」や、太陽系の各惑星の探査、宇宙ステーションの建設等を主とする「宇宙開発」の進歩は、日夜目覚しいものだと感心する。 今や太陽系の各惑星の素顔等が明らかになり、かつてあった「火星の海洋」や河川の営力による「堆積岩」の存在、そして、分厚い大気に覆われた土星の衛星「タイタン」の地表も、物質こそ違え、地球的な水・陸・空にまたがる極低温下での諸現象の酷似なども明らかになって来た。
 しかし、宇宙を観測し科学する人間も、社会環境から切り離されれば、幾ら知的であっても、各個体は地球上に生じた生命物質の、一世紀にも満たない短い命(生理的寿命)の営みに過ぎない。 周りにいろんな生物がいて、生態系の保存された環境下で「生物の多様性」を感じれば感じる程、一握りの政治家による国政の結果としての、「歪んだ社会進化」から導かれる地球文明の加速度的な動脈硬化は、どの国家においても不可避なのかと思う次第だ。 おそらく、宇宙の遥か彼方の「セカンド・アース」においても、そこの知的生命(異性人)が形成した「超・文明社会」の成熟後の行く末は、「我が地球」と似たり寄ったりではないのだろうか?





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