伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

5月の連休初旬の4日に、伊勢市とその近郊の気になっていた場所を見回る。

2024年05月04日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

一之瀬川に注ぐ 「彦山川」 の落合河口の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影

 先月は、曇天の中を少し強行に伊勢市内の気になる場所を3箇所見回ったが、5月に入って時を待つかのように天気がやっと五月晴れとなった。 このゴールデン・ウィークの連休は、伊勢神宮や鳥羽・志摩への道路は混雑極まりないと思い、伊勢市郊外の奥伊勢へと車を走らせ、気になっていた場所を見回ってみることにした。
 伊勢・鳥羽・志摩の観光地をはずれた伊勢から奥伊勢にかけての道路は、それ程の車の往来も無く、暑いぐらいの春日和の郊外へのドライブは、新緑の山野を目にしながら実に快適である。


「日向橋」 の川上から眺めた一之瀬川の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影


 最初に立ち寄ったのは、一之瀬川の日向橋の橋下の川原である。 ここは一之瀬川では名石の集積する一番広い川原であるが、下りやすい事もあって、週末などには川遊びの家族連れや、鮎釣りのシーズンには川漁師が何人も竿を投げ入れている。 しかし、水石の趣味はどちらかと言えば、高齢者のたしなみのせいか、川原の転石を見回る探石者は全く見られなくなった。

「日向橋」 川上の川原で揚石をした、手のひら大の 「梅林石」の転石礫
「日向橋」 川上の川原で揚石をした、手のひら大の 「滝石」 の転石礫 ~ 2個にカット
 この川原は、かつては「梅林石」がよく採れたが、表面が巣立ち状のものが多いので、鑑賞用に磨き上げる作業が大変である。 他には青玉石化した「紫雲石の化け石」が時たま揚石できるが、この石は当地方では最高級の石質であり、すぐ上流の一之瀬川の支流、火打石の彦山川からの流出礫である。
 彦山川を遡って丹念に探石をすれば、時たま名石が見つかる事がある。 中には珪化作用よって、見事な程の「青玉石」( 碧玉 )の層状脈を呈する美石もある。
 この日は彦山川の上流には入らず、一之瀬川との合流地点の渓流の小狭い川原 ( 旧 天祥橋の直下 )に下りてみたが、ただ見回っただけであり、こぶし大の「紋様石」1個を揚石したものの、全くの期待外れであった。


旧 「天祥橋」 下の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影

「旧 天祥橋」 下の川原で揚石をした、こぶし大の 「紋様石」


 この先の支流の「小萩川」へは、昨年に入っているので、火打石で折り返して伊勢市の横輪町に立ち寄ってみた。 桜花のシーズンが過ぎた今は、散策に訪れる人もまばらであるが、横輪川は昭和年代には数々の名石を産し、水石の趣味者にはよく知られた山里の谷川である。 当地に交流施設の「風輪」が出来て10数年が経過した今は、水石よりは田舎風の食品や農家直売の野菜などの販売がメインであり、地産の「横輪芋」は高味な特産物となっている。


「共栄橋」 の川下から眺めた横輪川の川原 ~ 2024 年5月4日 撮影


 この川の転石礫は、「風輪」付近から上流は五十鈴川川上の高麗広から続く古生層が分布しているせいか、転石礫も高麗広付近と殆ど同じである。 特に鎧石や伊勢赤石、伊勢古谷石などは、大・小の見ごたえのある超名石がかつては多産し、昭和年代には県外からの業者の探訪が、何度も繰り返されてあったと聞く。
 今は、この山里の住民が皆高齢者となったせいか、地元民らの水石集めも以前のような熱意が冷め、川原を見回る人などいなくなり、横輪川の流れだけが変わる事なく、昔時のままに転石礫を眺めさせているにすぎない。


横輪川の川原で揚石をした、こぶし大の転石礫 ・2個( 右 : 伊勢赤石、左 : 伊勢古谷石 )

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春のたけなわ、曇天の4月21日に、伊勢市内の気になる場所を見回る。

2024年04月21日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク


五十鈴トネル入口右横の 「水晶谷」 ~ 4月21日の午前中に撮影


 今年も四月の下旬となり、春たけなわのシーズンとなった。 今月の上旬から中旬にかけては、九州から延びた停滞前線が紀伊半島の沿海にかけて、断続的に発生しては消え、小型の温帯低気圧が前線上に何度も発生し、足早に通り過ぎたせいか、曇天やぐずついた雨天がくりかえされ、真冬のような寒気に見舞われたかと思えば、移動性高気圧の張り出しで、気温の上昇した夏日のような汗ばむ日々もあった。
 丁度桜のシーズンを迎えたものの、桜雨( さくらあめ )に花冷え、菜種梅雨と言った感じの日々であったせいか、桜の名所である「宮川堤」も思った程の人出もなく、早々と葉桜に移行し、新緑の芽吹く皐月( さつき )目前の野山となった。

 伊勢市内で人出の多いのは、伊勢神宮の内宮界隈だけで、土曜日~日曜日や祭日などは、天気にかかわらずごった返し、市営の駐車場も自家用車で満杯である。 こういった人出の多い町なかには、なるべく行かないようにしている。 多くの人々がマスクをせずに平然と雑踏を形成し、庶民の感染意識もかなり薄れて来てしまっているが、新型コロナウイルスの蔓延は未だに収まっていないからである。

 フィールドに全く出向かず、引き籠りがちの生活を続けていると、幾つかの気になる場所が頭をよぎり、なかなか脳中がクリアされない。 そのような場所は、少しでも見回れば気が済むのだが、今までは天候の影響とガソリン代の再高騰で、買い物以外は車での外出を控えていた次第だ。
 しかし、4月の下旬になっても、例年のように春暖の日和が続かず、西から延びる前線による不安定な空模様がずっと続いているゆえ、五月晴れまで待てずに、4月21日の日曜日に気晴らしをも兼ね、伊勢市内に限って朝から少し見回ってみた。


「御側橋」下の整地された五十鈴川の川原 ~ 4月21日の午前中に撮影


 最初は、何といっても五十鈴川の「旧 御側橋」撤去工事後の橋下の五十鈴川の川原である。 地均しが成され元のレベルにまで低まった川原には、隅から隅までブルドーザーのキャタピラの跡だらけであり、サラ地と化した川原は見渡す限りの転石礫が全て泥土まみれであった。 降雨による増水で一度洗われなければ、探石が出来ない状況である。 この日は川渚のきれいな僅かなスペースに行き、かろうじて緑色岩の「三角礫」2個と、岩質不明の「神足石」1個を見つけて持ち帰っただけである。
4月21日に採集の 「三角礫」 ~ 辺稜幅の最大値は約8cm
4月21日に採集の 「神足石」 ~ 縦幅約11cm


 次に見回ったのは、五十鈴トンネルの入り口右横の「施餓鬼谷」( 古名、俗称「水晶谷」)である。 蛇紋岩や斑糲岩の崩落角礫に幾つかの鉱物が含まれるが、かつては多産した針状の方解石や、放射束を成す霰石の美晶がこの谷のメインであり、磁鉄鉱やクロム鉄鉱、パイロオゥロ石、水滑石、水苦土石、透輝石、ジュエイ石、琅玕( ろうかん )質の蛇紋石などもかなり採れた。


「水晶谷」 の堰堤下の石溜り ~ 4月21日の午前中に撮影


 今は、五十鈴トンネル前の売店の裏側から通じていた草分け道も無くなり、地主によって整地されたスペースにはチェーンが張られ、「立入禁止」となっていたが、忍びで砂防下まで行き、少しだけ石溜りを見回ったものの、枯れ葉の散乱もあり採集は全く駄目で、写真だけを撮った。


「朝熊川」 の小狭い川原 ~ 4月21日の午前中に撮影


 さらに、昨夏より少しだけ気になっていた朝熊山北麓の「朝熊川」を見回ってみた。 ここも3年程入川していないので、その後どうなっているのか、雨の降りだしそうな中を、1ヶ所だけ立ち寄ってみた。
 小狭い川原の転石礫は、三波川変成帯の広域片岩類( 殆どが緑色片岩 )に、朝熊山の複数の沢谷から流下した塩基性深成火成岩類が、3割程度入り混じっている。 後者の中には巨晶斑糲岩の転石があり、運が良ければ異剥石の見事な巨晶の密集小塊や晶洞も見つかる。

4月21日に揚石の 「朝熊石」 ~ 横幅約13cm

 しかしながら、主目的は、やはり形状の良い水石としての「朝熊石」の探石である。 流路の状況は変わっていないものの、昨夏の豪雨の影響なのか、川原の堆積礫の様子は一変していた。 この日は思う程の良石には出遭わず、空振りに終わりそうであったが、ひと握りの斑糲岩質の転石を1つだけ持ち帰った。 底面をカットし、仮台を当てがってみた処、残丘の突出したまずまずの段石風の「朝熊石」となった。



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伊勢市五十鈴川の「 御側橋 」付近の川原が浚渫され、「 神足石と三稜石(三角礫)」が続出 !

2024年02月25日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク


工事中の五十鈴川の 「御側橋」 右岸直下の川原 ~ 2月24日に橋上から撮影

 先月末より始まった、五十鈴川に架かる新設の「御側橋」( おそばはし ~ 伊勢市中村町 )と並んで残っていた「旧 御側橋」の撤去作業が、昨年の初夏の洪水で堆くなっていた、この橋を挟む川原の浚渫工事と共にずっと続いている。 現場には何台かの重機( ユンボ )が入り、クレーン車が居座り、ショベルカーやブルドーザーが動き回り、行き来するダンプカーが多量の土砂が運び出していたが、大半は大きな土嚢袋に袋詰めにされたまま川原に並べ置かれ、今月の半ばになって、ようやく「御側橋」川下直下の右岸の川原の一部が解放されていた。 ごく狭いスペースではあるが、どうにか立入りが出来るようになった。

   

工事中の五十鈴川の 「御側橋」 右岸直下の川原 ~ 2月24日に対岸から撮影


「御側橋」 右岸直下の解放された僅かな川原 ~ 2月24日に橋上から撮影


 2月24日( 土曜日 )は、ここ1週間程断続的に続いていた降雨が上がり、久しぶりに冬晴れとなった。 肌寒さを除けば、日射しは春半ばを感じさせるような輝きで、梅雨晴れのような天気であったが、その後の工事現場の様子を見に立ち寄ってみた。 川原に並べられた土嚢袋の先には、ショベルカーによって彫り込まれた幅1m~2mの複数の溝に水が溜まっており、3連休のせいか作業が中断していたので、立ち入れるようになった僅かなスペースの右岸の川原に下りてみた。
 川原には、まだキャタピラーの跡が生々しく残り、掘り起こされた転石礫は土砂まみれでかなり汚れていた。 期待をせずに20分程歩いた処、その中に思わない程幾つかのハート形の転石礫と共に、比較的きれいな緑色岩の「神足石」が数個見つかった。

2月24日に採集の五十鈴川産の 「神足石」 ~ 最長縦幅約8cm

 五十鈴川の浦田橋( 伊勢市宇治浦田町 )より川下の川原では、昨年のブログに記したように、風食面のある三稜石( 三角礫 )が比較的数多く見られるが、この日歩いた川原でも、こぶし大以下の「三稜石」がちらほら認められ、標本になる形状のものを数個採集した。 歩き回った時間と川原のスペースを考えると、「神足石」と共に続出と言ってよい程の高確率であった。
 工事中の「御側橋」直下から川上にかけての、浚渫後の川原の見回りが待ち遠しく楽しみである。

 2月24日に採集の五十鈴川産の 「三稜石」 ~ 辺稜の最長幅約6cm

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「辰年」の新年1月2日に、暖かな日和に誘われ1年半ぶりに一之瀬川を遡る。

2024年01月04日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

度会町火打石の冬枯れの一之瀬川の風景 ~ 2024年1月2日 天祥橋下の川原にて撮影

 今年の元旦は、午前中は年賀状の返信を20枚程書いて過ごし、昼過ぎに伊勢郵便局に投函に行ったきりで、暇つぶしにと、以前志摩の海浜で採集をした海藻を、冬枯れの枯れ木に見立て、棚ざらしに置いてあった添配用の小物品等を添えて、部屋飾りの「置物品」を作ってみた。


新年の元旦に作製をした、手作りの部屋飾り作品 ~ 台座板の横幅は約15cm


 そして、夕方になってお湯を沸かしに台所に行き、電気ポットをセットした時にゆっくりとした小刻みな揺れが床を揺すり、家全体が少し揺れたので、震度2程度の「地震」かなと感じ、すぐに収まるだろうと炊事を続けたら、以前「阪神大震災」の時に体感したような、ゆったりとした揺れが数十秒程続いたので、どこか遠方で大きな地震が発生したなと思い、ポケット・ラジオをつけたら、能登半島の大地震( おおじしん )の緊急地震速報があり、NHK の女性アナがヒステリックに津波の発生について、繰り返し大声でがなり続けていた。
 即パソコンを立ち上げたら、輪島市辺りが「震度6強」と出ており、後で近隣の志賀町が「震度7」と追加され、大津波警報も発令された事を知った。

 この地域はここ2~3年来、群発地震が多発していたので、さほど驚かなかったが、まず興味をもったのは、気象庁がこの地震の発生メカニズムをどのように解析するかであった。 アナウンサーの言う事はあてにならないから、この先々は単一の活断層の再活動後のスプリング・リバウンドによる余震群がずっと多発するのかなと思いつつ、共役する潜在活断層や雁行断層群などへの影響も懸念され、熊本の地震のような「双子地震」の発生が頭をよぎったが、被害状況の報道や関係省庁等の事後対応も、いつも通りだと思いつつ、夕食の準備を続けた。

 一夜明けた「辰年」の新年1月2日は、朝から自宅前の舗装道路が少し湿っていたので、夜間に小雨でも降ったのかと思いながら、空を見たら上天気で、風も無く実に穏やかな日和であった。 伊勢市内の道路は、高速道路を来る外来客のマイカー等の侵入が規制されているので、どの道もガラすきである。
 午前中は、昨日の大地震のニュースの続報をパソコンで暫く見ていたが、昼前になっても真冬とは思えない程のホカホカ陽気なので、この暖かな日和に誘われて、久しぶりに伊勢市の郊外に自家用のポンコツ車で外出をしてみた。 そして気の向くままにと、1年半ぶりに一之瀬川を遡ってみた。


左岸の護岸整備が成されていた小萩口付近の一之瀬川 ~ 2024年1月2日 撮影


 昨夏の豪雨による宮川の大洪水後には、横輪町以外へは全く出向いていないので、一之瀬川の川原がその後どうなっているのかと、ちょっとだけ眺めに行った次第である。
 いつものように、度会町の川口から左岸の県道を遡り、小萩林道まで走ってみた。 林道を少し行った山林の入口は、小萩川左岸の雑木や植林木がかなり伐採され、川岸まで小広く盛土で埋められ、渓流の川原や石溜りが一変していた。 いつもの探石場所は谷川の流路となり、きれいな滝石や五色石、紫雲石、小萩青石などの良石が採れた石溜りは、どこもかも上流から流れ出た汚れた転石礫や、水苔に覆われたゴロタ石に置き変わり、探石に下りる気になるまでもなく、林道から唖然と水流を眺めるだけであった。


小萩川との出合い地点の一之瀬川の川原 ~ 2024年1月2日 撮影


 時間に合わせて、帰りに小萩川が一之瀬川に合流する出合いの左岸の川岸に立ち寄った。 ここも河岸の立木やブッシュが丸裸に伐採され、真新しいガードレールが川下方向に100m程設置されていて、その下の岩盤が露わになり、かつての川原もかなり狭められていた。
 10分程の寄り道であったが、ここでは手頃なサイズの小萩青石の「滝石」と、花柄模様の出る方解石の白脈入りの「紫雲石」をひとつずつ揚石した。

1月2日に、小萩川との出合い地点の一之瀬川の川原で揚石をした小萩青石の 「滝石」 ~ 石の横幅は約13cm

1月2日に、小萩川との出合い地点の一之瀬川の川原で揚石をした 「白花紋脈入りの紫雲石」 ~ 石の横幅は約15cm


 その後、メイン目的の火打石の「天祥橋下の川原」に立ち寄った。 ここは真冬の渇水期でもあり、川原は細長く広がっていたが、その半分ほどは細かな砂利や川砂に覆われ、五十鈴川のような真新しい堆積礫の刷新は無く、ただ歩いただけであった。
 しかしながら、諦めかけていた最後の最後に、細脈ながら大変珍しいの紫雲石の「赤筋滝」の妙石を手にした。

1月2日に、天祥橋下の一之瀬川の川原で揚石をした赤筋脈の 「滝石」 ~ 石の横幅は約14cm


 今年も、「水石」の探石に始まってしまった。 「辰年」にちなんで、出来れば「龍」の紋様石か形象石( 姿石 )を見つけたいものである。


天祥橋の橋上から眺めた川下方向の一之瀬川 ~ 2024年1月2日 撮影



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10月末から11月上旬にかけて、宇治橋下流の五十鈴川の全川原を踏査

2023年11月07日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

「新橋」 川上の晩秋の五十鈴川の風景 ~ 2023年11月3日 撮影

 秋の深まりと共に、10月末から11月初旬にかけては天候も安定し、初冬のような肌寒い日はあったものの、11月の3連休は連日好天の小春日和となった。 伊勢神宮は、外宮・内宮共に平日でも観光客が大勢押し寄せ、例年以上に賑わっているように見える。


「新橋」 から眺めた、その先の五十鈴川川上の風景 ~ 2023年11月3日 撮影

「新橋」 から下流の 「浦田橋」 にかけて広がる五十鈴川右岸の川原 ~ 2023年11月3日 撮影


 この好天を利用し、夏以降ずっと気になっていた、五十鈴川の氾濫後の未踏査の川原を遡り、11月4日の土曜日までかけて、宇治橋のすぐ下流の川原まで踏査をした。 全長約1.5km程であるが、「浦田橋」からその上流の「新橋」までの川原は、昼間は観光客らの遊歩もあるので、石探しの恰好で歩き回るのはどうかと思い、いずれの日も早朝に試みた次第だ。


かつて 「神足石」 の多産した、五十鈴川の 「新橋」 直下の川原 ~ 2023年11月3日 撮影


 日の出に合わせて午前6時半頃から、何回かに分けて歩いたが、川原の堆積礫の真新しさもあり、1~2時間がすぐに経過した。 午前8時半を過ぎると、右岸の河川敷の市営駐車場にも何台かの車が入ってくるし、対岸の観光街である「おかげ横丁」のあるお祓い町通りや、五十鈴川沿いの裏小路にも清流を眺めながら行きかう人々が絶えなくなるので、やむなく朝露に湿っている川原の石を見回った次第だ。


11月3日 に 「新橋」 下流の川原で採集をした、大変きれいな緑色岩の 「三稜石」 ~ 辺稜の長さは7cmから12cm

10月末から11月3日までに採集の、五十鈴川産の小型の 「神足石」 ~ 最長約7cm

 特に、「浦田橋」からその上流の「新橋」直下の川原は、かつては「神足石」の宝庫であったが、今回もそれなりの成果はあった。
「浦田橋」から川下の「御側橋」にかけては、干上がると只っ広い平坦な川原が出現し、広すぎて1度や2度では見回りきれない。 過日ブログに投稿した掲載記事のように、ここでは「神足石」と共に「三稜石」が比較的多く見られるが、一通り踏査はしたものの見逃しも随分あったと思っている。 しかし、今回で気になっていた川原は全て見回ったので、五十鈴川での今年の採集と探石は、これで終了と致します。
 以上の文中並びに、以下に掲載の転石等の写真は、今回の最新の成果です。


11月3日に採集の 「赤玉石」 の貫入脈のある転石  ~ 写真の左右幅約6.5cm

11月3日に揚石のきれいな珪質岩の 「滝石」 ~ 横幅約9cm

11月3日に揚石の残存曹長石の紋様石 「銘 ・ 笹舟に乗ったカッパの子」 ~ 高さ約5cm
10月29日に揚石の、残存曹長石脈の浮き出た 「白花の紋様石」 ~ 横幅約10cm

10月29日に揚石の白紋入りの緑色岩の 「紋様石」 ~ 高さ約11cm


上載写真左下の 「白紋」 の部分アップです

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伊勢市・二見浦海岸の「 漂 礫 」について

2023年08月27日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

立ち昇る旭に神々しく輝く二見浦東端の 「 神前岬 」 ~ 2023年8月26日に撮影

 伊勢湾の南岸に位置する、伊勢市二見町の二見浦(ふたみがうら)の海岸は、立石崎を境に、西方には緩やかな弧状を成す遠浅の砂浜海岸が延々と4km程続き、その先端は五十鈴川の河口で、今一色の突堤が突き出し、対岸は大湊の三角州となっている。 この砂浜海岸の原地形は、立石崎から西方に突き出した波状の高まりを有する砂州 ( 砂嘴 ) であり、完新統の時代を通して南方から北方へと低湿地として成長を続け、昭和40年代までは防風林の松林の続く比高数mの海岸砂丘となっていた。


二見町の昭和年代の地形図 ( 国土地理院発行 5万分の1より )


 この砂丘群の最大の高まりは、最西端の今一色にあった「二見砂丘」であり、付近には波食により頂角のやや丸まった「三稜石」がかなり見られたが、今は防波堤等の護岸工事で原地形が消滅し、見る影も無くなっている。
 一方、伊勢神宮の海の玄関口にあたる「夫婦岩」のある立石崎から東方は、鳥羽市の池の浦湾までリアス式の岩石海岸となり、砂礫の海浜と荒磯が神前岬 ( こうざき ) まで続いている。 神前岬には注連縄の掛け飾られた「海食洞門」(「潜り島」と称する ) があり、直前に「アレサキヒメ」を祀る小さな祠がある。
 二見地方では、古来「立石」とのセットで、それぞれが男性神・女性神として崇拝されて来ている。 この事は、以前にブログに記述をしているので、今回は地形や地質、伝承等の詳述は控えさせて頂く。


二見浦 ・ 江海岸の突堤から眺めた夫婦岩のある 「 立石崎 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 さて、この二見町の立石崎より東方の「江の川」を挟む海岸の漂礫であるが、海食崖や海食台、離れ岩、岩礁等を形成する岩盤は、全て中央構造線直南の外帯「三波川変成帯」の広域変成岩であり、緑色片岩が卓越する中に、千枚岩や石英片岩、砂岩片岩等が介在し、それぞれが現地性の漂礫となって砂利浜を断続的に形成している。


二見浦 ・ 神前岬手前の荒磯から眺めた 「 江海岸 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 漂礫はよく淘汰され、殆どがこぶし大以下の亜円礫であるが、神前岬の手前には角礫や亜角礫も散在している。 普通に考えれば、結晶片岩や千枚岩の漂礫は、偏平な片ペラ石になり勝ちで、含有鉱物も限定され面白みに欠けるので、これまでは殆ど見回ることが無かった。
 しかし、今夏は遠出をせずに、水石の探石も小石( 岩石・鉱物 )の採集も伊勢市内限定にしているので、退屈凌ぎ程度に2回に分けて立石崎より東方の海浜を歩いてみた。


二見浦 ・ 神前岬手前の荒磯の小狭い 「 砂利浜 」 ~ 2023年8月26日に撮影


 思っていたより、多くの堆積岩の浜砂利が見られ、これらはかなり昔に、五十鈴川の上流から運ばれて来たと思われる珪質岩 ( チャート )や砂質岩、泥質岩、輝緑凝灰岩などであり、現地性の結晶片岩類の漂礫と共に、石英脈由来の白色の「白石玉小石」( 石英礫 ) もかなりの頻度で混じり、赤石や赤玉石の漂礫と相まって、狭いながらも神前岬付近の砂利浜はきれいな感じであった。
 立石崎から神前岬まで続く当地の海浜は、およそ2km程度の距離であるが、漂礫の種類は思っていた程単調では無く、珍奇な奇形礫 ( キノコ石 ・ 穴あき石 ・ 波食皿石など ) も見つかり、結構楽しめた2日間であった。
二見浦海岸産 「 きれいな結晶片岩のカット小片 」 ~ 左右幅約4cm
今夏採集の二見浦希産の砂岩片岩の 「 波食皿石 」 ~ 左右幅約5cm

 帰宅後に、思い立って「二見浦海岸の石」( 9種類 )のミニ標本を試作してみました。 この中には、長年唯一保存をしていた「二見砂丘」直前の海浜から産出の那智黒石の「三稜石」を組み入れました。( このミニ標本は、ヤフオクに出品を致しました処、即落札されました。)


今夏に試作のミニ標本 「二見浦海岸の石」 ( 漂礫等9種類  )
唯一保存していた二見砂丘直前の海浜産、那智黒石の 「 三稜石 」( 絶産標本 )

二見浦・神前岬の砂利浜産 「 緑石英のカット石」( ルース )

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7月中旬の3連休の最終日の休日(7月17日)に、再度五十鈴川に出向く。

2023年07月18日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク


堰堤の右岸から眺めた御側橋下の川原 ~ 2023年7月17日に撮影

 7月の中旬になって、梅雨前線が日本海へと北上し、伊勢市はこの3連休共にカンカン照りの真夏日となった。 昼前になると外気の温度が30度を越え、風が殆ど無いので炎天下では10分と身体がもたない。 高校野球の球児たちの炎天下での元気いっぱいのプレーを思うと、つくづくと後期高齢者になった我が身の衰えを感受せずにはいられない。

 郊外に出ようにも、1週間程前に故障した車の修理が遅れているので、もっぱら近くへの外出は徒歩と自転車で、少し遠くの量販店などへの買い物はバスとタクシーの利用である。 伊勢市から初めて戴いた「お出かけ乗車券」( 100円券の40枚綴り )があるので、大変助かっているし、脱自家用車の生活は不便であるが、健康の為にはこの方が良いかも知れない。
 加齢を除けば、昭和30年代の生活にフィードバックしたような感じである。

 連休の最終日となった7月17日は、酷暑の中をバスで五十鈴川に出向く事にした。 河川の氾濫後に行くのは、見に行っただけの日も含めて4度目である。
 幸い自宅が宇治山田駅まで徒歩3分程度の至近距離にあり、外宮から内宮へと向かうメイン道路の「御幸道路」が、我が家の真ん前を走っているので、自宅先の2つのバス停 ( 岩渕と前田古市口 ) へも100m程度の距離である。

 この日は、最小限の携行荷物をウェスト・ホルダーバックに入れて、宇治山田駅前に行き、8時29分発の「宿浦」行のバスに乗った。 五十鈴公園最寄りの「浦田町」のバス停までは、このバスが一番早く便利である。 片道の運賃は330円なので、「お出かけ乗車券」3枚と30円を支払った。 始発駅からのバスの乗客は3人だけで、2人の若者達は「皇学館大学前」で下車をしたので、後は路線途中のバス停に全く人影は無く、信号ストップだけで、冷房の効いた車内は貸し切りの直行便となった。
 所要時間は休日で道路の混雑も無く、約15分で着いた。 バス停の時刻表よりも5分以上早く着いたと思う。 このバスは乗客がカラのままで、伊勢道路へと走って行った。


水量の減り始めた五十鈴川 ~ 2023年7月17日・浦田橋より川下を撮影


 浦田橋を渡りかけ、橋上から川下を眺めると、少しだけ川原が中州状に見え、増水した水が引き始めていた。 橋を渡り、五十鈴公園横の右岸の土手の道路を100mほど歩き、河川敷の市営駐車場のスペ-スに降りて「御側橋」手前の堰堤まで行き、地均しされ埋高くなった川原に降りた。
 

御側橋すぐ川上の五十鈴川の堰堤 ~ 2023年7月17日に撮影

流木の集積する、御側橋すぐ川上の堰堤の下 ~ 2023年7月17日に撮影


 最初に堰堤下の水溜りの流木の集積場を見回ったが、目ぼしいものは無く、御側橋の真下の日影まで川原を歩き回った。 この川原では、どうにかミニサイズの砂岩礫の「三稜石」を1個だけ拾っただけで、「神足石」は皆無であった。
2023年7月17日に採集をした、唯一のミニサイズの砂岩礫の 「三稜石」

 だだっ広い炎天下の川原での採集なので、照り返しの眩しさと共に、集中力が緩慢になるのはやむおえないにしても、前回のようには見つからなかった。


地均しされた御側橋下の川原 ~ 2023年7月17日に撮影


 右岸の土手上の道路に戻り「御側橋」を渡って、初回に収穫のあったすぐ川下の川原に降りた。 照り返しの眩しい中、汗の吹き出し始めた身体に鞭打って川原の末端まで歩き、この間に周囲の夥しい堆積礫を見落とさないように「神足石」と「三稜石」の転石に目を凝らした。 形状の良い風食面のよく判る「三稜石」礫は全く無かったが、「神足石」は間もなくこぶし大の緑色岩を1個見つけ、さらにミニサイズのきれいなハート形の緑色岩の小礫と、ミニサイズの典型的な足形の形状をした輝緑凝灰岩の小礫を見つけ、全部で3個採集し得た。
 この間の川原での採集に消費した時間は、約30分であった。
2023年7月17日に採集をした、握りこぶし大の 「緑色岩の神足石」
2023年7月17日に採集をした、ミニサイズの 「神足石」 ~ 左側のサイズは縦幅約4.5cm

 帰りは、昼の買い物をすべく、楠部町の「イオン伊勢店」まで、1.5kmほどの道のりを汗だくになりながら歩き、ひと息ついてから買い物を済ませた。
 帰路は、待つこと約5分で、「イオン伊勢店」発10時9分の「大倉うぐいす台」( 松尾観音経由 )行のバスに乗ったが、このバスも乗客は小生1人だけであり、途中停車は「伊勢病院前」だけで、乗車客は誰もいないままにスタートし、往路と同様に最速の直行便となり、「前田古市口」のバス停までの所要時間は10分ほどで、実に快適な乗車であった。
 バス料金は210円で、「お出かけ乗車券」2枚と10円硬貨1枚だけを支払い、往復運賃の出費は現金40円だけの交通費で済んだ。
 自宅には午前10時半過ぎに戻り、予定していた午前11時 ~ 12時を大幅に早まった次第であった。


転石礫が60㎝程新たに堆積し、盛り上がった御側橋川下の川原の末端 ~ 2023年7月17日に撮影

上載写真のアップです ~ 2023年7月17日に撮影

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河川の氾濫で、濁流の引いた「 五十鈴川の川原 」を見回る

2023年06月27日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

御側橋から眺めた氾濫後の 「五十鈴川の川原」 ~ 2023年6月25日撮影

 今月の上旬に、伊勢市を襲った線状降水帯による断続的な集中豪雨で、五十鈴川や横輪川が氾濫し、伊勢市内も低地は水浸しとなった。 幸いにも自宅裏の勢田川は、昨年に嵩上げをした護岸のコンクリート壁まで、目いっぱい増水し急流と化したものの、溢れる事はなく、過去のような洪水による水害には至らなかった。

 しかし、五十鈴川は、豪雨や台風の度に何度も氾濫を繰り返し、普段とは一変した「暴れ川」となってしまうので、水流の引いた濁流後の河床は堆積物が浚われ、雑草に覆われた夏場の川原は、背高に生え繁る植生が一掃され、転石礫も刷新された広々としたサラ地と化す。
 川の両岸には夥しい流木の山が出来、土砂やごろた石が土手の芝草をなぎ倒して、所々に盛土や地盤が剥き出しになっている。


氾濫の痕跡の残る五十鈴川左岸土手下の草むら ~ 2023年6月25日撮影


 氾濫後の川原は、古木や石の趣味者にとっては、又と無い絶好の探索を兼ねた遊び場なのである。 今月は、その後も晴天と雨天が繰り返していたので、ずっと気にはなりながらも、6月18日の日曜日の晴天までは見回りを控えていた。
 今月の18日は、朝から眩しい程の夏陽のふり注ぐ、真夏さながらの快晴であった。
 五十鈴川の「御側橋」へと、午前9時に家を出た。 車を走らせ約15分で目的地に着く。 既に護岸の流木は殆ど片付けられ、五十鈴公園に隣接の河川敷の市営駐車場も、普段通りにきれいに整備されていた。


氾濫で雑草が一掃された、御側橋すぐ川下の五十鈴川の川原 ~ 2023年6月25日撮影


 先月まで雑草に覆われていた御側橋すぐ川下の川原は、真新しい転石の広々としたサラ地さながらであり、左岸土手下のコンクリート舗装の小道からの川原への段差も、川原を覆った新たな堆積礫で半分程度に低まり、このチャンスにとゴム草履のまま楽々と川原に飛び降りた。
 隣接の県営陸上スタジアムから、競技をしているのか喧噪なスピーカーの大声や、観客群衆の声援が聴こえてくるものの、川原には誰ひとり見当たらなかった。

6月18日採集の緑色岩の 「神足石」 ~ 長さ約10.5㎝


6月18日採集の砂岩の 「神足石」  ~ 長さ約6.5㎝


 とにかく川下方向の川原の先端まで行き、折り返しジグザグに探石を開始すると、間もなく幸先よく労をせずに、ひと握りの典型的な「神足石」を見つけた。 その後は砂岩のこぶし大程の「神足石」を得たものの、川原の半分程歩いた所でへたばってしまった。 シャツも汗だくでどうしようもなく、このままでは熱中症になってしまいそうだったので、残り半分程の川原は翌日にでもと思いながら車に戻った。
 それでもとっくに1時間は経過し、車の時計は11時少し前になっていた。 気が付けば、ポケットにはこぶし大の「含マンガン赤鉄鉱」の転石が一つ入っていた。
 この日の収穫は、この3石だけである。
6月18日採集の 「含マンガン赤鉄鉱」 の転石 ~ 横幅約7.5㎝
6月18日採集の 「含マンガン赤鉄鉱」 の転石 ~ 上載写真の裏面です


 残りの川原は、翌日にと思っていた処、又天気が崩れ曇天と雨天が続いたので、翌週25日の日曜日まで出向けなかった。 この日は薄雲が広がるものの鈍い陽射しもあり、景色はくっきりしない日であったが、先週程の暑さはなく、午前中ずっと川原を探索することが出来た。

6月25日 採集の 「神足石」 の類似礫2個です
6月25日 採集のミニサイズの 「神足石」 ~ 右の3個は緑色岩

 しかし、前回 ( 18日 ) のような見事な「神足石」には出会えず、類似礫2個と、ミニ標本用の小形の「神足石」を数個採集しただけであるが、帰りに立ち寄った御側橋真下のブルドーザーで整地された右岸の川原を歩き、すぐ前の堰堤まで流木を見に行った処、冠雪を載せたような座り抜群の「遠山石」を見つけた。
 この石は緑色岩 ( 角閃岩 ) の風化岩であり、残存曹長石脈の一部が程よく「冠雪」を呈しており、少し手入れをすればちょっとした名石になるかも知れないと思い、持ち帰った次第である。
 今回揚石をした水石は、唯一この石だけである。


6月25日揚石の 「冠雪を載せた遠山石」 ~ 左右幅約13㎝

 
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新年最初の見回りは、浚渫工事中の五十鈴川の川原

2023年01月29日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク

浚渫工事中の 「御側橋」 下の五十鈴川の川原 ~ 2023年1月29日撮影

 今年の新年は、断続的な寒波にみまわれ、伊勢市の市街地にも雪が積もった。 1月20日の「大寒」は過ぎたものの、今が真冬の真っ只中なので、多少の寒さは仕方がないが、それにしても今冬は寒冷すぎる。 先週から続いている強烈な寒波による外気の異常低温も、完全に収まった訳ではないので、上天気の日々もずっと自宅に引きこもりがちのままに、1月も月末となった。
 しかし、自宅で暖をとっていても、気になっている事があるのは精神的に良くないので、風の凪いだ1月29日の昼前に、買い物に出たついでに、嫌がる身体に鞭を打ち、昨年末に一度眺めて来ただけの、浚渫工事中の御側橋( おそばはし )橋下の五十鈴川の川原( 伊勢市中村町 )に立ち寄った。


「御側橋」 川下の干上がった五十鈴川の川原 ~ 2023年1月29日撮影


「御側橋」 川下の雑草の枯れた五十鈴川の川原 ~ 2023年1月29日撮影


 時期的に少なくなった流水路は狭まり、川原を覆っていた雑草もすっかり枯れて、むき出しになった河床の転石が日射を受けて、だだっ広く広がっている。 市街地でこのような場所へ車を横付けにし、石拾いの出来るのはここだけであろう。

残存曹長石脈の白い紋様石 ~ 左右幅約9cm ・1月29日に揚石

 五十鈴川は、中央構造線以南の外帯を横切るように流下する清流で、中 ~ 上流は伊勢神宮の内宮の神域やその背後の宮域林であり、中 ~ 下流域の乏しい河川である。 転石に花崗岩や片麻岩類は全く見られないが、殆どの堆積岩や塩基性火成岩類、緑色岩を主とする変成岩など、良質の水石を形成する岩石の種類は豊富である。

残存曹長石脈の白い紋様石 ~ 高さ約9cm ・1月29日に揚石

 石質の良さに加え、奇石( 奇形石 )や紋様石、形象石などもいろいろと産するし、「異剥石」の巨晶など転石中の鉱物も見逃せない。 この日は約1時間見回っただけなので、大した収穫はなかったが、一応目にしてきた水石となる岩石と鉱物を列記しておこう。

神足石( 中央 ・ 長さ約8cm )とその類似礫 ~ 1月29日に採集

朝熊石の 「三稜石」( 横幅約12cm )~ 1月29日に採集

 ◆ 水石となる岩石 朝熊石(蛇紋岩等の風化岩)、伊勢青石(角閃岩)、伊勢赤石(赤チャート)、紫雲石(輝緑凝灰岩)
 ◆ 奇石(奇形石) 神足石、三稜石
 ◆ 紋様石(緑色岩に伴う残存曹長石脈)
 ◆ 鉱物 石英(水晶 ~ チャート中の分泌石英脈中)、二酸化マンガン鉱、含マンガン赤鉄鉱、鉄石英(赤玉石)、
   磁鉄鉱(塩基性岩中)、曹長石、方解石、緑簾石、異剥石(塩基性岩中)

斑糲岩の転石中の 「異剥石」( 約2cm )~ 2023年1月29日に採集

 
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2022年最後の日曜日 ( 12月25日 ) に、横輪川川下の川原で石拾い。

2022年12月27日 | 伊勢志摩~奥伊勢のフィールド・ワーク


12月25日に拾った横輪川産の 「白花模様の紋様石」 ~ 左右幅約12cm

 師走に入って瞬く間もなく、クリスマスが過ぎ、本年も早や年末となった。 今年の晩秋から初冬にかけては、例年に比べて寒暖の差が激しい日々が繰り返し、特に朝夕の冷え込みは体に堪えた。 今年を振り返ると、全くフィールドには出ずじまいで、鉱物採集は数年来0回が続いている。 趣味の水石の探石も、晩秋に一度だけ五十鈴川に立ち寄ったきりで、これはと言った名石を全く揚石をしていない事に気づいた。

良石の集積する、雨渕川(左)と横輪川の合点の川原 ~ 12月25日に撮影


 このままでは年を越せないと思い、今年最後の日曜日 ( 12月25日 )のクリスマスの日に、昼前になって冷たい雪風の中を、一番の近場である横輪川とその支流の雨淵川の合流地点の川原に出向いた。 日差しはあるものの、伊勢市にも積雪をもたらせた前日の寒波の影響で、底冷えを覚える程の寒気流が川風となって肌身に染入った。
12月25日に拾った横輪川産の 「蛇紋岩の山水景石」 ~ 左右幅約14cm

 ここは、横輪川が宮川に合流する河口から1kmばかり先の川上で、川の両岸には県道の馬渕橋から車の走れる土手道が通じている。 自宅からは約8kmの距離で、車で15分程で付く。 一見しただけでは、大した水石などありそうもない広域変成岩地帯の川原であるが、穿入蛇行する横輪川が、上野町から円座町にかけて分布する蛇紋岩体の丘陵地を穿って流下しているので、川床の岩盤由来の方解石脈に富む現地性の蛇紋岩の転石が、上流から流下して来た古生層の堆積岩類や緑色の変成岩 ( 主に角閃岩 ) に入り混じり散乱している。 目的の川原は、車横着けの土手道の真下であり、運が良ければつかの間に、降りた先で感じの良い 方解石脈や曹長石脈の 「滝石」 が見つかるし、奇抜な形状の 「朝熊石」 の類似礫 も拾える。 ここのメインは、白花模様など、残存曹長石脈の呈する様々な「紋様石」である。
12月25日に拾った横輪川産の 「滝石」 ~ 左右幅約10cm
 鉱物採集にターゲットをおけば、当地では各種の蛇紋石の他、異剥石、滑石、石綿、方解石、曹長石、緑簾石、黄鉄鉱、武石、石英、鉄石英、含マンガン赤鉄鉱、二酸化マンガン鉱、珪ニッケル鉱、磁鉄鉱などが採集できる。  当地の横輪川は、冬場は干上がっている事が多いので採集はたやすいが、川風の通り道ゆえに寒さ対策をして出かけねばならない。
12月25日に拾った横輪川産の 「晶腺のある段石」 ~ 左右幅約12cm 
 この日は、冷たい北西風に晒されながら、全川原の3分の1程度を見回っただけで、体のケアから年に一度となった 「探石」 を早々と切り上げた。 それでも1時間がとっくに過ぎており、布製の手提げバケツには、拾い上げた転石が幾つか収まっていた。 少し手を加えれば、いずれも鑑賞に値するレベルのちょっとした名石である。


12月25日に拾った横輪川産の 「白花の紋様石」 ~ 高さ約12cm

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