伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

パソコンの事~志摩のパソコン教室の大先生には、心より感謝 !!

2012年08月29日 | 随筆・雑感・回想など
Miyagawa


 定年前に長年務めていた高等学校を早期退職し、丸2年経った三年程前に、高校時代の剣道部の後輩に紹介されて、鵜方(志摩市阿児町)の町街地はずれのマンションで、パソコン教室を開校しているT先生を訪問し、無理を言ってその教室に入校をさせて頂いた。無理を言ってと言うのは、当時、その教室は女性限定であり、しかもその先生は、若いきれいな女生徒しか入校させていなかった?・・・からであった。彼も又、同じ高校の二級下の後輩であった。

 そして・・・、途切れ途切れではあるが、3年が経った。テキストも無く通う度に雑談をしながら、次々とパソコンの操作を教わった。現職の時、職場にパソコンが導入され、いとも簡単に使いこなす後進の先生らに恐る恐る教わりながら、聞きかじりで散々苦労しつつどうにか仕事はしていたが、退職してからは、もう触るのさえイヤ気がさし、パソコン・アレルギーもいい処であった。そんな我輩だったが、T先生のお陰で、ノートパソコンをどうにか生活の必需品道具として使用出来るまでになった。
 教室では、家庭教師しかりのマンツーマン指導の学習形態であった。知りたい事ややりたい操作を学びとらせる、いわば生徒任せの質疑応答中心の指導で、一見ぶっきらぼうで、のんびり屋のように見受けられたヒゲ面の妙齢の先生ではあったが、この先生、パソコン技術の確かな出来る御仁で、腕達者な只者では無いなかなかの人物、「大先生」であった。あれやこれや同じ事を忘れては教わり、必要以上の時間を使ってしまったようだが、やっとパソコンでの商取引が出来るまでにして頂いた。飽きもせずによく通ったものである。先生には感謝の極みである。

 だが・・・、不安は付きまとう。それは、予期せぬトラブルへの対処方法や、誤操作のやり直し手順とか、パソコンのアップデイトにメンテナンス、次々と送られて来る不必要な情報の見極めなど、判らない事だらけであり、あまりにも機械の機能が複雑ゆえ、少しだけ慣れたとは言え、自立への道は遥かに遠い。寿命が尽きてしまっても到達出来そうにない。しかし、ありがたい事に、大先生は終了後も、電話にてアフター・ケアのサービスをして下さる。合掌せずにはいられない。

 そして、ふと近未来社会を考えると、通信や商取引、情報の操作ばかりで無く、経済活動すべてがパソコンで成され、人間の神経回路がこの機械と一体化して物事が進めば、人としての精神作用や遊び心はどうなって行くのだろうか。電脳化し続ける至便化社会システムと個人個人の生き様のギャップは、間もなくピークに至ろうとする地球文明の社会進化の中でも、確実に「適者生存」の生物進化同様の道を辿るに違いない。それは、少数生き残りが勝ちと言うよりは、不可逆的変化ゆえに、やがてはネット・システムの乱用から、パソコン操作による世界大戦に至るのかも知れない。そうなれば、日本などひとたまりもないだろうと・・・。

 気がつけば、朝夕には秋風のそよぎ・・・。睡眠不足や気疲れもピークに達したのか、パソコンを離れて思いきり自然の中で遊びたい気持ちが蔓延し始めている。 Machinakanoyabu1b
 神経回路がショートし爆発する前に、このジレンマを先生に相談すべきなのか、否か・・・。


 










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ブログの空白期間に何が…。

2012年08月28日 | 随筆・雑感・回想など

 今春四月以降、ブログがストップしてしまった。この間約4ヶ月、「伊勢すずめ」に何があったのか ?



 中断してしまった一番の理由は、老母の交通事故(バイクの当て逃げ)による転倒骨折での入院の世話(1~3月)。そして、リハビリ退院後の四月からの自宅介護(入院中に認知症を発症)、母親居住の本宅(伊勢すずめのお宿は、この母屋に隣接する別棟である)の内部の改造、そして、五月初旬のショート・ステー施設(特別養護老人ホーム)での老母の急死(享年89歳)・・・。それらのあと始末を全て一人でせざるを得なかったゆえ、哀悼も湧かず回想するいとまも無く、毎日の猫どもの世話も放ったらかしには出来ず、とてもパソコンどころではなかった・・・。
 骨揚げ、埋葬から、お寺や弔問客への対応、そして初盆供養など、とにかく忙しいままに夏を過ごし、秋を前に母屋の片付けがようやく一段落し、伊勢すずめもどうやら以前の日常に戻ったようだ。


 


 さて、ブログもホームページも更新すること無く以前のままではあるが、この夏中に何とか自宅二棟の片付けをしながら、住まいの生活空間と環境を整え直し、数十年来の数々のコレクションを整理しながら、以前のように、自然界と人間社会の狭間にいて、喘ぎもがきながらもパソコンとともに、感性の趣くままに余生を生きられるだけ生き続けなければ・・・、と思う次第である。



 我が家にいた「飼い雀」は、体調の不調(脱毛)に気がつくのが遅れ、去年の夏のさ中にダニにやられて病死させてしまった。8月の23日がその命日であり、3年1ヶ月の天寿となってしまった。今まで飼育した何羽かの雀の中では、一番の長生きであった。野鳥としての雀の寿命(生態的寿命)は2~3年と聞く。亡骸は雀の故里、堀坂山の中腹に埋葬し、人知れず土に返してやったが、「四年雀のチーちゃん」として二見の太江寺で供養し、塔婆もあげた。

 他の居候動物は、野鳥二羽(キジバト、他)共に元気そのもので、間もなく丸四年となる。猫共はと言うと、チョビトラが大きく一人前の雄猫「トラ」となり、その後お宿の猫軍団に加わった雌の黒猫「ナナコ」(はい戸に放り込まれた仔猫を、やむなく保護したのが成猫となった)が、去年の暮れに堕胎・避妊手術をするも、その後ブクブクと太って5キロ猫になってしまった。そして、去年の夏の台風時に見るに忍びず、保護したトラの雌の仔猫がさらに一匹加わり、7匹となってしまったが、この猫だけは一年経つのに大きくならず、親猫の半分のサイズの子猫の体長ままで、今だによくジャレ遊ぶ。良い仔猫だったので「タマ」と名づけた。

 二階に住むミィ(白黒の雄のブチ猫)と、母親が飼っていた檻飼いの洋猫「チビクロ」を除けば、伊勢すずめのお宿の猫共は、ボス猫「オオグロ」の傘下にあって、毎日夜中に家の裏庭で、このボス猫の合図でバランス保持の為なのか、どうも密会を開いているようだ。

 伊勢すずめのコレクションはと言うと、お宿の二階の書斎兼研究室(ここにはミィが独り住みつき、言わば守衛として留守番をしてくれている)の専門書(地学関係の本)と鉱物標本以外は、猫の匂いが及ばないように留意しながら、この部屋隣接の開かずの間と、母屋の二階とに分散させて保管している。衣服だけは、毎日洗濯と消臭を繰り返しているが、動物園ほどではないにしろ、多少はいた仕方のない事である。

 それに加え、毎晩、裏庭の網戸越しにノラネコが何匹かやって来るので、7匹全ての居候猫には予防ワクチン(5種)を接種し、首輪には音色の違う鈴をつけて、猫小屋と座敷に出し入れをしながら過ごさせている。別に好き好んで野鳥や猫を飼っている訳でもないのだが・・・。


Tamatonanako



 

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