今冬は師走の半ばになっても、一向に北西の季節風のすさぶような、冬の日らしい肌寒い天気の日々が続かないでいたが、下旬になった24日は、太平洋南岸の紀州沖に発生した低気圧の影響で、夕方から一晩中冬雨が降り続き、今年のクリスマス(12月25日)は寒波に見舞われるとの予報が出ていた。
しかし、一夜明けた当日は肌寒い季節風も全くなく、朝から凪いだ冬晴れの好天となった。 屋外に出てもマフラーがいらないくらいの陽気で、暖冬ぎみのせいか雨天の後も、例年に比べてかなり暖かい。
午後からは、足早に移動していった低気圧が関東沖で発達し、東海地方も冬型の気圧配置となるとの事で、午後以降にはこの冬一番の寒波の到来が予想されているので、午前中に買い物や所用を済ませようと、朝の8時に家を出た。
まず例年のように、神棚用の「剣祓の御札」の授与を受けに、乗用車で内宮 ( 皇大神宮 ) に行く事にした。
自動車の行き交う御幸道路は、雨上がりの朝日を受けてしっとりと鈍く濡れ輝き、倉田山に差しかかると、常緑樹林の中に、まだ紅葉がちらほらと残っていて、まばらではあるが黄色や橙色の葉をつけている。
15分程で、五十鈴公園先の神宮司廳のある朝熊道 ( 尾根道の旧道 ) の分岐点に着いた。 適当に路肩に駐車をし、神宮司廳の下の全く人通りの無い内宮へと通じている裏道を歩くと、数分で内宮境内にある大山祇神社 ( おおやまつみじんじゃ ) の下 ( 宇治橋を渡り終えた境内の入口 ) に出る。
この昔からの裏道は、神宮関係業者等専用の自動車道でもあるが、一般参詣客の境内側からの立入は禁止である。 但し、12月31日の大晦日から元旦にかけては、市民や観光客らに解放され、年越し詣りや初詣の地元民らがひっきりなしに行き交う。
小生は、いつも忍びで利用しているが、詰所の衛士にとがめられた事はない。
水を散いたように、まだ雨水を含んでいる玉砂利の先には、「どんど火用」の木材が積まれ、シートで覆われている。 その脇には、奉納品の酒樽が囲いのようにぎっしりと積まれている。
この風景は、絵葉書などには見られない、年末ならではの境内独特のちょっとた風物詩である。
このすぐ前の参集殿先の御札の授与所に行き、「剣祓の御札」を一枚を求めたが、意外と昨年末の倍の値段であり、1,000円を納めて授かった。 昨今の値上げがここにも及んでいるのかと、この節の物価高にはちょっとため息をついた。
その帰りに、宇治橋を逆に渡ってみると、参詣客の一群が絶え間なく渡って来た。
宇治橋の渡り口に出ると、大鳥居を前に記念写真を撮る人々の姿があり、行き帰りに深々と拝礼をしてゆく年配の参詣客らも何人か目にし、今昔たがわない皇大神宮の威厳と神々しさに、地元民の一人として薄れていた「お伊勢さん」を改めて体感した。
引き返しがてら、宇治橋の欄干に唯一残っている、江戸時代からの刻字入りの「擬宝珠」を撮影し、足早に駐車へと戻った。