伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

伊勢志摩の知られざるパワー・スポット

2010年11月28日 | 伊勢志摩国立公園の自然と風物

 古代人達の超パワー

 古代の人々は、大自然の偉大な営みに「神の存在」を信じ、太陽を崇め、海洋を拝し、大地に宿る神霊を祀った。時には敬い、時には祈願し、生活エリアの安泰とともに、自身の生命の健康を願った。近代科学が、順次自然界のしくみや諸現象を解明するまでは、人々は神とともに暮らしてきた。しかしながら、エジプトのピラミットやマチュ・ピチュの高山都市、ナスカの地上絵など、世界各地に点在する巨石文明の遺跡や遺物を目の当たりにする時、そこには、人智を遥かに超えた古代の驚愕すべき絶大なパワーを読み取る事が出来る。 未だに解明されていない巨石の加工や運搬、構築技術、それに拘る幾何学の応用や高度な土木技術など、古代人達の超パワーを感じずにはいられない。


 巌(いわお)や巨木のパワー

 古代の謎とされる巨石文明とは別に、私たちは、峻険な巌(いわお)や樹木の巨木などにも神がかり的なパワーを見せつけられ、今は観光名所や津々浦々の天然記念物になっているものの、古代の人々には、摩訶不思議な大自然のパワーを宿した神の化身であったに違いない。一例を挙げれば、夫婦岩があり、石割桜があり、屋久島の縄文杉がある。わが国におけるこのような例は、「史跡・名勝・天然記念物」の本を見れば、幾らでも拾い出す事が出来る。


 都会のパワー・スポット

 最近、都会などでは、「何処どこのパワー・スポット」というのがあって、若い女の子らに人気を博し、そこを訪れる事で「元気」を分けてもらえるとか・・・。さながら名所巡りの感覚で持てはやされている。都会のど真ん中なら観光タワーの他、焼け残りの古風な洋式建築のビル(戦争遺物)や、工場の巨大煙突、教会、洋館の尖塔など・・・。郊外や地方であれば、古寺・仏閣や由緒ある寺院、海の見える丘陵地や河口の突堤、岬の灯台などである。謂れのある巨木や巨石、池泉、滝つ瀬、五重塔、陵墓、城跡などもいいのかも知れない。


 伊勢志摩の「パワー・スポット」

古い名所絵図見る岩屋  ところで、もし、伊勢志摩でこのような場所を探すとすれば、はてさてどこだろう。まず挙げられるのが「伊勢神宮」(外宮・内宮)神域の杉・檜の巨木の林立する参道や別宮であろう。昔は外宮の森の背後の高倉山に登る事が出来、その頂上に「岩屋」があった。伊勢参宮のガイド・ブックであった数々の昔の名所案内や案内図には、「天の岩屋」とか「岩戸」として必ず図が描かれていた。ここは、今は行けなくなったが、古墳時代の豪族を葬った、羨道と玄室からなる伊勢地方最大の古墳(高倉山古墳)である。筆者も中~高生の頃、何回か見学に行ったが、その当時、特別なパワーを授かったかどうかは定かではない。次に、かつてあ然とする程、海のパワーを感じた場所に、波切の「米子の浜」があった。今は崩壊し無くなってしまったが、そこの海岸には巨大な天然橋のような「海食洞門」があって、暫し目を見張った。この「波切」(なきり)という地名は、太平洋に突き出した小高い岬が、沖海から押し寄せる激しい怒涛を南北に分断しており、波を切って、沖海を遠州灘と熊野灘に分けている場所柄から生じたのであろう。確かに海の「大王様」を垣間見るのにふさわしい海食の激しい岬である。昔は、船の難所として船乗り達に恐れられ、

 伊勢の神前岬(こうざき) 国崎の鎧 波切・大王なけりゃよい

と、謳われていた程、当地は海からのパワーあふれる場所である。


  探そう、伊勢志摩の知られざる「パワー・スポット」

 本稿は、未完である。というのは、「伊勢すずめ」は、歳を喰っていて、若い女の子らのように、今風の鋭い感性やバイタリティーを持ち合わさず、若者の好みなども全く知らないし、最先端の流行センスに疎いからである。情けないが、パワーを感じることの出来る、いい感じの静かなスポットがあれば、ぜひ教えて頂きたいものだ。伊勢志摩には、それぞれ地元の人しか知らない「パワー・スポット」が、いろんな場所に潜んでいるはずである。たとえ車では行けなくても、「 ここは、成る程な ? 」と思える、とっておきの場所を見つけたい。しかし、そのような場所は、公表をしない方がよいかも知れないけれど、馬齢を喰んだ我輩「伊勢すずめに」には、命の糧に新鮮なパワーが必要で、自身の為にも「パワー・スポット」を探しに、これからも伊勢志摩を飛び回るつもりである。いつか、パワー・スポットの「ベスト・3(スリー)」とか「トップ・10(テン)」として、又、紹介できればと思う次第である。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 2010年4月にスタート致しました、ブログ「伊勢すずめのすずろある記」で、「伊勢志摩の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など・・・・・」として掲載致しました、当地方の観光地やエリア情報等を紹介したエッセイは、今回で終了と致します。

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四季の抒情詩とフォトで辿る郷愁のフィールド

2010年11月17日 | 随筆・雑感・回想など

一之瀬川・小萩 2 小学生から中学生だった少年の頃に、よく遊んだお気に入りの場所と言うのは、なかなか昔のままには残っていない。かつては田畑の広がるのどかだった田園地帯や、たわわな果樹園だった丘陵地、鬱蒼とした林間の径(こみち)など、伊勢市内やその周辺の自然環境は、都市開発や宅地造成が進み、ここ半世紀ほどで随分変わってしまった。数十年の時を経てそんな場所を訪ねてみると、新設道路や新興住宅地がいかに増えたことか・・・。何もかも消えてしまった場所も少なくない…。

一之瀬川・小萩 03  里山とその環境を育む生態系や、絶滅生物保護の必要性から、生物種の多様性が叫ばれ始めた昨今ではあるが、都市周辺部では野生との共存よりは、人間社会の経済効率の必然的価値観の方が優先する以上、もはや「郷愁」に等しいと思う次第だ。そんなかつての風景を思い浮かべながら、学生時代にスケッチした歌唱曲用の四季の抒情詩が残っていたので、掲載することにした。

 

  春の抒情詩

 「春はあけぼの・・・、」-古典に描かれた、著名な随筆の書き出しである。これ以上の表現は無いと思う。ほのぼのとした春の情景は、いろんな唱歌として歌われているが、筆者もひとつふたつ書きとめている。

   春 の 歌

うららな春の 陽射しを浴びて
蝶々がひらひら 菜の花畑
小川でちびっ子 メダカ捕り 
空晴れて楽しく 春風よ

うららな春の 田舎の小径(こみち)
タンポポ咲いてる 愛らしく
畑でおばさん 野良作業
空晴れてさわやか 春風よ

うららな春の のどかな景色
陽炎ゆらゆら 電車軌道(みち)
木陰でおじさん お昼どき
空晴れてほかほか 春風よ

うららな春の 小村のはずれ
仔牛が啼いてる のんびりと
お寺の境内 花盛り
空晴れてほのぼの 春風よ

 

 これは、大学生の頃書いたものだと思うが、中学生の終わり頃によく遊びに行った、伊勢市の近郊、小俣町明野の大仏山の周辺がモデルである。春の情景をまとめ上げ、簡単なメロディーを付曲し、その後ピアノ伴奏をつけたが、口ずさむ程度で、完全な楽曲には仕上げていない。

 

  夏の抒情詩

 「松原遠く ・・・」、「夏が来れば 思い出す ・・・」など、子供の頃に歌った夏の唱歌は実に沢山ある。毎年、夏になると、お決まりのように二見ヶ浦に泳ぎに行った。夏休み前の学校行事としてみんなで行ったこともあれば、真夏の暑い日に祖父に連れて行ってもらったこともあった。子供のころの楽しかった夏の日海の思い出は、幾つになっても実にいいものだ。

    夏 の 海

夏陽(なつび)に誘われて 海に遊んだ
思い出 なつかしく よみがえる
浮き輪にすがりつき 波間を漂って
大波に かえされて ざぶりんこ

渚の潮だまり 磯の小動物(いきもの)
たわむれ ヤドカリ つついてた
浜砂(はまさ)に寝転んで 灼(や)いてた白い肌
燃えたぎる 陽射しに こんがりこ

潮風にさらされて 海を見ていた
彼方の 入道雲(にゅうどう) むくむくと
沖行く白帆に 乗れたらいいな
幼き日 わたしの 夏の海

 

 この原詩は、大学生の頃書いたもので、後日、少女の目線にリライトして少し詩のフレーズを整えた。付曲済みというよりは、メロディー先行で、無理に言葉をつないでいるので、どうしてもぎこちなさがぬぐえない。

 

  秋の抒情詩

一之瀬川・小萩 04  「静かな 静かな 里の秋・・・」、「秋の夕陽に 照る山もみじ・・・」、など、子供の頃に覚えた唱歌をはじめ、秋が来れば、つい口ずさんでしまう秋の名曲は実に多い。それ程、秋の情景は、昔も今も、人々の心に「詩歌」や「楽曲」として浸潤し、詩人やアーティストたちの創作意欲を書き立てて止まない。

 筆者も幾編かのフォーク・ソングをはじめとする「秋の曲」を書き、アレンジして頂いて、C.D化した楽曲も持っているが、中学生の頃に、曲先(メロディー先行)の秋の小曲として、ハメ込みで歌詞を創り、後日リライトしたのが次の詩(歌詞)である。

   秋 の 歌

暑い夏過ぎて そよ風とともに
野の花揺れ咲く 
実りの秋が
恋する乙女に忍び寄る
秋は野山を色づけて
ときめく心を和ませる

暑い夏過ぎて 虫の音(ね)とともに
涼しい風吹く
恵みの秋が
乙女のみ胸(むね)に灯(ひ)をともす
秋は木(き)の実を弾かせて
悩める心を慰める

 

一之瀬川・小萩 05  この歌詞は、言葉やフレーズに苦労したが、平凡で分かりきった出だしのフレーズ「暑い夏過ぎて」だけは、全体に影響を与えているので、最後まで換えられなかった。詩としては、第三者の立場で客観視しながら、秋の情景プラス、秋を迎え恋に悩める乙女心を組み込んでみた。全く拙い歌詞であるが、この原曲は、既に記したように、中学時代に楽器無しで書いたものだ。

 

  冬の抒情詩

 冬の唱歌と言えば、「真っ白におく霜 峰の雪・・・」や、「雪やコンコン 霰やコンコン・・・」などを思い浮かべるが、歌唱曲集をひもどけば、「冬の星座」をはじめ、幾つかの懐かしい曲が思い出されるはずである。冬は寒くて冷たくて、どこにいても大変だ。雪国などでは、冬籠りをしながら春待ち歌が歌われているのでは、と思う次第だ。そんな情景を想像し、付曲した作品がひとつだけあった。

    冬 の 山 里

木枯らし吹雪いて 冬ごもり
仔猫(こねこ)といっしょに 冬ごもり
お炬燵(こた)で蜜柑 食べながら
春待ちわらべ歌 口ずさむ

雪雲晴れて ほかほかと
爺やと縁側 日向(ひなた)ぼっこ
膨(ふく)ら雀の さえずりに
お庭の青竹も 雪撥(は)ねる
 
山影(やまかげ)侘しい 村はずれ
寒空(さむぞら) 残照(ざんしょう) ちぎれ雲
灯点る茅舎(くずや) ひっそりと
凍てつく底冷えに ほっかむり

ここは雪国 深山(やま)の里
昔ながらの 隠れ里
ちゃんちゃんこ かんじき 雪遊び
お堂の小狐(きつね)さん 隠れんぼ

 

 今にして読み返せば、全くの創作として書いたものゆえ、随分ざっぱな詩である。この「冬の山里」も、歌にはしたものの、ぎこちなくてとてもオープンには出来ないレベルのものだ。それでも、冬の詩を書くことで、沢野夏穂の「四季の歌唱アルバム」の大もとが一通り出来た。

 

  エピローグ

一之瀬川・小萩 06  このエッセイのタイトルを、「四季の抒情詩とフォトで辿る郷愁のフィールド」としたのに、「秋の歌」と「冬の山里」は、実体験の描写を全く含んでいない。これは、伊勢の冬は、寒い日はあっても雪を見るのは珍しく、なかなかいい情景が記憶に無いからに他ならない。少年の頃、冬の遊びと言えば、外宮の勾玉池での氷滑りとか、空き地での凧揚げだった。
 又、秋の日は、椎拾いをしていたのはよく覚えているが、他に記憶に残るようないい思い出や、旅行の体験があまり無いのだ。

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沢野夏穂の志摩の歌謡詞

2010年11月07日 | 随筆・雑感・回想など

初夏の「日和浜」~志摩町御座~

 

 作詞・作曲家「沢野夏穂」の筆名(ペンネーム)で活動し始めてから、既に十数年が経ちました。その間に志摩の海をテーマにして、幾つかの歌謡詞を書きましたが、付曲し、歌謡曲として公表した楽曲の中から、ベスト3の作品を紹介させて頂きます。

 

  志摩半島

夏を告げる 季節の風が
シグナルくれた 海辺(うみ)への旅
ほのぼの ゆらゆら 女独りで
夢むロマンス 走る特急(ライナー)
降り立つ駅は 真珠輝く
ああ 憬れの 志摩半島

磯に想いを 寄せ来る波が
鮑の殻に うち明ける
ざわざわ さらさら 恋の隙間に
漂う夕映え 着く巡航船
訪ねし宿は 海女のふるさと
ああ 潮騒の 志摩半島

岬の漁村 潮の匂いが
リアスの海湾(うみ)に 想い出刻む
ルンルン ランラン 心が揺れた
逞し陽焼け あなたに似た若者(ひと)
白亜の灯台 黒潮騒ぐ
ああ 初夏(なつ)の日の 志摩半島

 

1999年リリースの「志摩半島」  この詞は、ビッグ歌手、石川さゆりさんの歌う「能登半島」をE.P盤で聴き、「志摩半島」のタイトルの曲が無いので、自分で書いてみようと思い立って、1998年に作詞をし、「ひと夏のプレゼント」( 詞・北村英明、曲・沢野夏穂、編曲・五代香蘭 )のカップリング曲として、冬月梨音( ふゆづき りお )さんのボーカルで、1999年にキングレコードにて商品化した作品( 曲・沢野夏穂、編曲・五代香蘭 )です。

 現在も、「ひと夏のプレゼント」とともに、Usen( 旧、大阪ユーセン放送 )のリクエスト対応曲となっていますが、アレンジが少し唱歌っぽく、ボーカルも純ポップス系の歌手でなかったので、初盤のみで終了としました。

 後年、鳥羽市出身のビッグ歌手、鳥羽一郎さん( 日本クラウン )が、同じタイトルで別の演歌を歌っておりますが、最近はあまり聴かなくなりました。この曲のその後の情報はよく判りません。

 上記の歌詞の1番は、近鉄「賢島駅」を念頭に置いて書きましたが、歌詞の第二フレーズの後半に「三重の旅」が隠されています。2番は英虞湾の描写です。3番は、多分、大王崎のイメージかも知れない ・・・。

 

 志摩半島にて

  ~ 恋のメモリー独り旅 ~

夏のあなたの 思い出を
抱いて訪ねる 志摩半島
潮の香(か)載せた 海風(うみかぜ)に
渚の恋が よみがえる
浜木綿(はまゆう)咲いてた まぶしい砂浜…
波乗り一緒に 灼(や)いた肌

海の青さに 晒されて
連れなく辿る 志摩半島
岬の丘に たたずめば
寄せ波砕けて 胸を撃つ
あの日のあなた 告白したのに…
赤蜻蛉(アカネ)が私を 慰める

旅に想いを 委ねつつ
秋さわやかな 志摩半島
行き交う海女に 見送られ
巡航船で 帰り行く
真珠の湾海(うみ)よ 口づけしたのよ…
あなたを偲んで 独り言

( 2009.9.20・「哀愁の志摩半島」を改題 )

 この詞は、最初「哀愁の志摩半島」のタイトルで発表しましたが、後日、同じタイトルで他の作詞家( 篠原芳文 氏 )とともに、別メロの旅情歌謡曲( 作詞: 篠原芳文、編曲:五代香蘭、歌:Shoko)を創った為、改題したものです。

「国府白浜」にて

 1番は国府白浜でもあり、市後浜でもある。2番は、安乗岬のイメージで書きました。但し、3番は英虞湾に限定されますよね。

 この楽曲は、詞とメロディー同時進行で作った作品です。その後、シンガー・ソング・ライターの松崎昌子さん( 横浜市在住 )がアレンジとボーカルを引き受けてくれ、C.D化しました。但し、リリースはしておりません。

 

 夕紅の志摩の旅

女(おんな)未練の 悲しみを
何処(どこ)に捨てよか 独り旅
海に呼ばれて 着いたのは
霧雨煙る 英虞の湾(うみ)
遊覧船の 舳先に立てば
潮風御髪(おぐし) 掻き乱す

夏の終わりの 通り雨
悲しみ拭い 流せども
はぐれカモメが 追いかける
離れず着かず ゆったりと
女心を 見透かすように
ひと声鳴いて 去ってゆく

真珠筏の 浮かぶ湾(うみ)
ひと雨上がり ひっそりと
夕紅に 染まる頃
恋の胸傷(むなきず) 凪いでゆく
見晴台の 重なる人影(かげ)に
独りじゃ淋しい 志摩の旅

 

夕紅の志摩の旅  この詞は、2008年の8月下旬、小雨の煙る中、Kさん親子とその友人のO 君らの一行を案内して、賢島から遊覧船(エンペランサ号)に乗った時に取材し、帰ってからすぐに創った作品です。

 付曲後に、五代香蘭さん(日本作曲家協会会員、神奈川県在住の作・編曲家)にアレンジをして頂き、伊勢市出身の新人歌手、中西里絵さんが歌ってくれました。一般にはリリースしていませんが、C.D化した作品です。

     

安乗崎灯台

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