伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

台風一過の志摩の外海岸を歩く ~ その2~

2015年09月15日 | 志摩

安乗岬へと続く、安乗の外海岸の海景


 9月11日の金曜日は、昨日よりさらに秋晴れの上天気となった。少し薄ら寒いものの、朝の秋風が心地よい。空は快晴の青空である。この日は、少し早く午前9時半に伊勢市の自宅を出て志摩に向かった。
 五十鈴トンネルから、伊勢神宮の宮域林(きゅういきりん・神路山~島路山)を縫うように走り、左サイドに水量の増した島路川の渓流を見ながら、処々に湧き水等の流れる伊勢道路を行く。まだ青々としている樹林のアーチを幾つかくぐって、やがて逢坂峠の下の志摩路トンネルへと入る。トンネルを抜けたこれから先が、かつての「志摩の国」(現在の志摩市)である。

 カーブの連続する下り坂を降りると、右手に石の鳥居とバス停がある。天の岩戸(瀧祭窟・たきまつりのいわや、水穴鍾乳洞)への分岐路で、伊勢道路のすぐ横(右サイド)に貯水池の神路湖がある。先日の大雨で青々と満水を湛えている。この貯水池は、神路川を堰止めたロック・フィルダムで出来ている。
 さらに構造谷のある日向郷を越えて進むと、磯部町の恵利原には和合山(わごうさん)があり、この山上に著名な鸚鵡石(おうむいわ)がある。遊歩道と供に「語り場」と「聞き場」が整備されていて、佐久間象山の詠歌を記した立札が立っていたのを覚えているが、ここへは久しく行っていない。

 「天の岩戸」と「鸚鵡石」は、昔ながらの志摩の二大名所であるが、現在ではこれに「神路ダム」(神路湖)が加わった感じである。磯部町にはさらに、伊勢神宮の別宮である「伊雑宮」(いざわのみや・いぞうぐう)がある。


国府漁港付近の荒磯から眺めた国府白浜


 国道260号線に通じるバイパス道路を通り、磯部町迫間から阿児町鵜方を経て、国府へと向かう。国府白浜に出ると、昨日とは打って変わり磯波も海風もおさまっている。秋晴れの心地よい絶好の海日和だ。
 昨日の場所に車を止めて海浜を眺めると、平日の午前10時半過ぎだと言うのに、数名のサーファーがボードを抱えて渚を歩いている。ここも、夏場の海水浴ばかりではなく、年間を通じてのサーフィンの名所なのだ。


道端立っている国府漁港の表示板

漁港の掘っ立て小屋と、防波堤の上の日干しワカメ

国府漁港

湾内の渚から眺めた国府漁港


 昨日、滝石を拾ったここの岩場へは帰りに寄る事にし、目的地の国府漁港への右手の小道に入る。普通車が一台通れる程の丘道を上り、カーブした下りに差しかかると、右端に赤い鳥居の小さな祠があり、その脇に「国府漁港」と記した表示板があった。すぐ目の前に入浜が開けている。
 安乗への国道からは2~3分である。防波堤に囲まれた初めて見る外海の小漁港であるが、掘っ立て小屋が一つある切りだ。すぐそばの防波堤の上にワカメが干してあったが、国府漁港は空っぽであった。漁船は既に出漁しているのか、台風をさけて、波の静かな的矢湾岸の船囲い場に迂回避難をしているのか、船は一隻も停泊していなかった。


国府漁港の湾入


 防波堤を越えて、外洋の海浜に降りる。引き潮時のようではあるが、大潮で無いと北側の岩場を回って荒磯を辿るのは無理である。南側へは磯浜が続いている。ちょうとした出鼻を越えれば100m程は辿れそうでなので、とにかく歩いてみた。少し先の岩場からは、国府の白浜が見通せる。
 目的の岩盤や崩落礫を探しながら、行ける所まで歩いたが、白脈の入った黒っぽい岩は殆ど無く、海食崖等は風化し黄土化した的矢層群の急斜した互層ばかりである。ここでは、写真を数枚撮っただけで、何も採集出来なかった。


安乗付近の外海岸の湾入 ~ ビーチ・カスプが見られる

安乗付近の外海岸の海景


 再び国道に戻って、少し走り安乗の外海岸への道を下る。道路沿いの防波堤の右先は、遠州灘から続く太平洋の荒海だ。道路の左サイドには、旅館や民宿、人家が続く。降りた防波堤の所から右下に続く、先ほどのような小道に入る。1分も立たずに隠れた防波堤に出るが、その手前の広場は私有地で、ここは流木を燃やす為の焼却施設となっている。
 防波堤の右サイドに、海岸に下りる細い磯道が付いているが、ここも初めて来る場所で、車を止めてこれを下ると、突端に囲まれた感じのちょっとした入浜となっている。対置海岸(海岸地形の一種)ゆえか、ここも湾入はごく僅かである。

 やはり、ここでも北側の岩場回りは無理なので、海浜を南下する事にした。先ほどよりは長く辿れそうである。海食崖のすぐ真上に、立派な館風の大きな屋敷が立っている。資産家の別荘か何処かの保養寮のようであるが、車を止めた所でチラッと見た屋敷の入口の門構えも威風であった。

 早速、目的の岩盤や崩落礫を探しながら、複数の岩場を越えて行ける所まで歩いたが、ここでも白脈の入った黒っぽい岩は殆ど無く、海食崖等は同様に風化し黄土化した的矢層群の急斜した互層ばかりである。


海食崖の上の大きな屋敷

磯波の打ち寄せる外海岸(荒磯)の岩場

外海岸(荒磯)に続く海食崖


 しかしながら、その上部には、不整合に重なる厚さ数mの水平な砂礫層(鵜方層・うがたそう、更新世時代の海成段丘堆積層)が、連続して積載している。地質構造の露頭の名所となるような、実に見事な「傾斜不整合」である。


海食崖に見られる傾斜不整合

傾斜不整合の露頭のアップ


 ゆっくりと見渡し、何か無いかと時間をかけて丹念に調べたが、ここには所々に崩落した角礫が散乱するだけで、さほど漂着物も無く、磯浜は比較的きれいであった。
 結局、「滝石」となるような岩盤等は皆無で、昨日の国府白浜北端の岩場にしか無い事が判った。少しがっかりしたが、それでも標識となるような見事な傾斜不整合に出会い、何枚かの海岸の風景と供に写真を撮った。


岩塊を勝割って持ち帰った「滝石」~ 台座を含む高さ約16cm

上の写真の滝石の背面 ~ 1cm程方解石脈が溶食されいてる

3条の滝筋の懸かる「滝石」~ 横幅約16cm


 帰りには、昨日の場所で岩盤や崩落した岩塊を勝割り、2~3個ほど白脈の入った手ごろな「滝石風」の角礫を得た。
 その後、少し時間があったので、名田の大野浜に寄って、怒涛のおさまった渚を歩いた。打ち寄せられて堆くなった浜砂利の中から、一つだけ形の良い「茸形の漂礫」を見つけて持ち帰った。
 台座をつければ、海石(うみいし)の奇石(茸石)として鑑賞出来そうである。


大野浜で見つけた「茸石」~ 高さ約10cm

大野浜から安乗岬を眺めた海景 ~ 水平線に神島が見える

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台風一過の志摩の外海岸を歩く ~ その1 ~

2015年09月13日 | 志摩

台風一過の大野浜

 今夏は、台風と大雨で終わってしまった。9月ももう半ばとなり、秋の彼岸(秋分の日)が近づいた。今年は彼岸を含めて5連休となるのだが、日本列島はどこもかも、この9月初旬の雨台風(台風18号)で水浸しとなった。
 河川の氾濫や土砂災害にみまわれた被災地では、とても連休どころではなく、特に関東や東北地方の大水害は、想像を絶するばかりである。事後片付けや自活の再起へのご苦労を考えると、とても心が痛む…。

 当地伊勢志摩地方も、この台風では記録的な大雨にみまわれ、伊勢市内の五十鈴川が危険水位を超えて、流域の各町々に避難勧告が出されたが、浸水被害は楠部町の数件だけであった。我家のすぐ裏の勢田川も、両岸の「犬走り」までは水がついたが、改修された護岸からあふれ出すことは無かった。
 宮川も川原は全て水没し、ピーク時には河川敷まで水位が上がっていたが、ここ数日で徐々に水が引き、普段に比べて増水してはいるものの、延期となっていた宮川の「伊勢神宮奉納花火大会」(9月12日)も、好天のもと無事に終了した。

 8月下旬から9月の初旬にかけては、天気予報もあまり当てにはならず、伊勢市でも天気の変化が著しく、天候がさっぱりしない日が続いた。
 大雨をもたらした台風が、日本海沖で温帯低気圧に変わったものの、その速度が遅くて停滞性の秋雨前線を吸収し、東海地方から関東・東北地方まで伸びていて、さらに大雨が続いた。この気象現象は、気象庁によると、各地に南北方向の「線状降水帯」が形成されたからだとの説明であった。
 この聞きなれない用語の解説を調べてみると、「線状に延びる降水帯で、積乱雲が次々と発生 し、強雨をもたらす。規模は、幅20~50キロメートル、長さ50~300キロメートルに及ぶ」とある。


 中旬に入って、10日(木)~ 13日(土)と久しぶりに秋晴れが続いたが、大雨にうんざりしていたので、10日・11日と台風一過の志摩の海(外海岸・そとかいがん)を見に行った。午前中は少し強めの秋風が心地よく、どこを通ってもまぶしい程の陽射しの降り注ぐ中、雑木林では「ミンミンゼミ」と「ツクツクボウシ」が盛んに鳴き競っていた。

 志摩の海岸で、我輩が漫(すずろ)歩きをする場所と言えば、まず国府白浜から海水浴場のある阿児の松原を経て、甲賀の砂浜海岸~城ノ崎、志島の市後浜、そして名田の大野浜~名田漁港にかけてである。
 10日の木曜日は、いつもの逆のコースを辿ってみた。


台風一過の大野浜の渚

大野浜東端の離れ岩にぶつかる怒涛

大野浜西端の海食崖に逆巻く波しぶき


 最初に行ったごく小さな名田漁港も、そして隣の大野浜も磯波が荒れ狂い、怒涛となって渚に打ち寄せている。大野浜のビーチ・カスプは全て崩され、うるさい程の潮騒と供に、浜砂利が音を立てて浚われては返し、傾斜した渚で転げ回っている。
 両端の突端を成す離れ岩や海食崖には、次々との大波が打ち寄せ、高々と波しぶき上げて逆巻いている。
 海風も半端じゃない。ともすれば吹き飛ばされそうで、無論誰一人といない。いつもなら渚に降りて石拾いをするのだが、この日はそれどころではない。荒磯の激しい海食作用と、実に生々しい荒波の運搬作用を目撃しただけである。

 志島を通り過ぎ、漁港のある城ノ崎~甲賀の砂浜海岸に行っても、状況は同じであった。甲賀漁港には、もやい綱に繋がれた十数隻の無人の漁船が、回り込む大波に激しく揺れていた。
 その北方の砂浜の渚には、ここ数日来流れ着いた夥しい数の大小の流木群が、整然とした列を成して打ちあがっていた。それらの流木の一部が、浜辺の所々に寄せ集められ積まれている。後日焼却する為であろう。
 甲賀の砂浜海岸北端の出鼻から、阿児の松原海水浴場を眺めると、たたみかけたバラック組みの数軒の「海の家」あり、海風にさらされていた。この日はさすがにサーファーもいなかった。


台風一過の国府白浜


 最後に国府の白浜北端の岩場に立ち寄った。この白浜海岸は遠浅であり、波消しブロックの効果もあってか、押し寄せる大波も連続ではなく、吹き付ける海風もさほど波しぶきを含んでいない。昼下がりの日射が、長々と続く白砂の浜と防波堤のコンクリートに照り返してさらに眩しく、秋晴れの残暑に全身が汗ばむ程だ。

 砂浜に下りると、陸水の流れ出るちょっとした水路があり、砂浜をえぐって海へと続いていた。そこには大小の黒っぽい角礫が散乱していた。手にとって見てみると、多くは砂質岩のようだ。的矢層群(中生代の白亜系)のグレイワッケ型砂岩だろうか。中には剥離性に富む泥質岩(泥岩~黒色頁岩)も混ざっている。多分、このすぐ横(白浜北端)の海食崖を成す荒磯から崩落した、現地性の角礫であろう。

 幾つか見ていくうちに、幅1cm程の白い筋脈の入った角張った塊を見つけた。純白ではあるが結晶粒の認められない陶器状の方解石脈のようだ。ひょっとすると、水石として「滝石」になりそうなものがあるのではと思いながら、目の前の岩場に行った。
 似たような角礫は幾つかあったが、筋脈が海水の溶食作用(溶解浸食)でえぐられすぎているのと、岩石に多数の節理や破れ目、亀裂もあって、すぐに砕けてしまいそうなものばかりである。うまく勝ち割れば、何とか「滝石」にみなせそうではあるが、とても山水景石とはならない。
方解石脈の入った、現地性の砂岩角礫 ~ 小片の方は握り拳大


 もっと北方の安乗までの間の外海岸に行けば、古谷石のようないいものがあるかも知れない。多分、地元には鑑賞用の流木を拾い集める人はいても、このような水石趣味者はいないであろうし…。

 明日又ここに来て、まずはこの先にある隠れた入浜の国府漁港に行き、ゆっくりと国府白浜から安乗にまで続く外海岸を見回ってみる事にした。この日は、手ごろな滝石風の岩片を一つだけ持ち帰ることにした。台座をつければ、ちょっとした「滝石」として鑑賞出来そうである。

 志摩の外海岸に来てみて、「滝石」の新産地を発見した事もあり、さらに国府漁港には一度も行った事が無いので、帰路に着いた帰りは久しぶりに明日が楽しみであった。
国府白浜北端産、仮台に載せた「滝石」~ 左右幅約11.5cm

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