![富士山登山記念の「滑石製の土産物品」~ 昭和年代半ば頃の製品、左右幅約9.5cm 富士山登山記念の「滑石製の土産物品」~ 昭和年代半ば頃の製品、左右幅約9.5cm」](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/e2/551972d98bbd3deee7110caceb04f6fd.jpg)
以前、このブログに、石で製作された土産物品について少し書いてみた事があるが(バックナンバー「石を使った観光地の土産物品」~ 2015年5月18日 参照)、その後も色々と知見を得る機会があり、再度、少しだけ紹介をする事にした。
宝飾品以外の玉石細工の工芸品をみると、材料となる原石の豊富さにおいても、有史以来培われてきた加工技術においても、多彩で精巧な中国の玉石(ぎょくせき)製品にはかなわない。
わが国においては、各地の遺跡や古墳から翡翠や碧玉(ジャスパー)、瑪瑙、玉髄、
赤玉石(レッド・ジャスパー)、水晶、琥珀と言った玉石類を使った勾玉や菅玉など、数々の宝飾品の遺物が出土していて、古代の石文化の繁栄とその頃の流通を垣間見るのだが、その後は中国文化の移入によって国産品が途絶えてしまい、石といえば巷の巨岩や怪石の崇拝、祭・祈祷になっていった。
平安時代の遣唐使によって、宝飾品や石薬と共に、鑑賞石(水石)や盆石などもわが国に伝来し、公家や大名、神官や僧侶、一部の文人・墨客、茶人らの「茶の湯の文化」と相まって、少しは水石を鑑賞し愛蔵する向きはあったが、なかなか庶民には広まらなかった。
爾来、庶民が鉱物や岩石を身近な石製品として活用したのは、石筆石(滑石)やきらら石(白雲母)、硯石、砥石、燧石(火打石)、磨き砂ぐらいであった。むしろ、わが国の石の文化は、工芸品の発達ではなく、庶民にとっては「謂れ石」や「名物岩」などの信仰であり、民俗学的な色彩の伝承文化であった。
明治期以来、西洋文化が怒涛となって渡来する中、舶来物の宝飾品が女性を着飾り、わが国では玉石に代わって、真珠養殖の技術が三重県を発祥に全国に広まり、目覚しい躍進を遂げるに至っただけである。(但し、真珠は生体鉱物ではあるが、原石(石材)ではない。)
玉石工芸の材料となる原石等の豊富な地方によっては、観光土産の工芸品や細工品が細々とあったようだが、各地のいろんな製品が一般に知れ渡り出回るのは、ずっと後の昭和時代の半ば以降である。
日本列島は北から南まで、セメント等の原料鉱石となる石灰岩だけは豊富であり、唯一自給自足の出来る地下資源である。各地に分布するカルスト地帯には、現在も大小の石灰鉱山があり、地下には多くの鍾乳洞が発達している。この中の幾つかは、観光鍾乳洞として開発され、その地方きっての名所となり、四季を問わず多くの団体観光客や行楽客が訪れている。
その観光記念の土産物品を見ると、実に多くの玉石細工の工芸品があり、地元産の石灰岩や大理石、近辺の無名鍾乳洞から採石した鍾乳石などが、外来の石材(原石)と共にかなり使用されている。
以上の他、観光火山や温泉、渓谷、名勝滝、山岳地、海岸の観光地形や洞窟、観光化された遺跡公園や古墳公園、鉱山跡の遊園地(マインランド)、岩石の著名な採石場跡やその記念館(玄武洞~兵庫県、大谷資料館~栃木県、他)などで、玉石細工の土産物工芸品を見かけるが、各地の自然史博物館等においても、岩石・鉱物の標本類と共に、ローカル色のある石の土産物品が販売されている。
![閉山間際に紀州鉱山の購買部で販売していた「紀州の岩石と鉱物」~ 内箱の横幅約20cm 閉山間際に紀州鉱山の購買部で販売していた「紀州の岩石と鉱物」~ 内箱の横幅約20cm](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/0b/fd03cee5924a1e6f829b60ffc8d0b358.jpg)