伊勢市の清流であり、伊勢神宮・内宮境内の「御手洗場」ともなっている五十鈴川は、その源流を高麗広( こうらいびろ )山奥の剣峠付近の峻険な山地に発し、途中に大・小の支流を幾つか合流し、二見浦( ふたみがうら )西端の伊勢湾南岸のへと流下し、東西へと続く西南日本外帯の帯状の地質区を横切るように侵食し、壮年期地形に顕著なV字谷の河谷を形成している。 その結果、中流が殆ど無く、宇治橋の川上から川下にかけての2km程の川原には、主に古生層由来の各種の堆積岩や、現地性の塩基性深成 ~ 半深成火成岩類、さらに外帯の北限となる中央構造線直南の三波川変成帯の広域変成岩類も数多く見られ、岩石種の豊富な転石礫の堆積する平坦な川床となっている。
特に、内宮境内の南側を東西に流れる最大の支流である「島路川」は、塩基性深性火成岩 ( 橄欖岩・斑糲岩・蛇紋岩 )類が豊富であり、五十鈴川本流へのこの種の転石礫の供給源となっている。
日本全国が観賞用の「水石」ブームとなった昭和年代の半ば頃には、伊勢神宮の宮域である五十鈴川の上流からも、高麗広の地元民らによって「神代石」( 後の「伊勢古谷石」類似の石質 )や「伊勢赤石」「鎧石」等の銘石が数多く持ち出され、世に紹介されてから当地は一躍「名石」の多産地となった。
高麗広を含む神路山から島路山、朝熊山にかけては、殆どの山河が伊勢神宮の宮域であるので、岩石の探石・揚石はもちろんの事、動物の捕獲や植物の採集等全てが厳禁であり、五十鈴川を遡る左岸の県道の通行利用以外は、一般人の立ち入りは禁止されている。
従って水石の探石は、宇治橋川下の川原でしか出来ない。
五十鈴川の紹介で、前書きが長くなってしまったが、この五十鈴川からは、かつて「神足石」と称する奇石が多産し、既にブログで何度か紹介をさせて頂いてきた。「神足石」は、昨今は希産となってしまっていましたが、今夏の豪雨によって五十鈴川が氾濫し、その後の渇水で刷新され堆くなった宇治橋川下の川原を、先月まで何度かに分けて踏査した結果、この特殊な形状の転石( 奇形礫 )である「神足石」と共に、その半長径程の形状の大小のきれいな「ハート型」の類似礫も、転石としてかなり含まれていることが判った。
さらに、これとは別に「三稜石」類似の三角礫や多面礫も数多く入り混じっていたので、連載をし続けてきた「伊勢・志摩・度会の石紀行」に、本年の締め括りとして加えることに致しました。
砂漠や海岸砂丘などの風食礫である「三稜石」は、水流には関係しない特殊な成因の定形角礫ですが、五十鈴川の川原に見られる「三稜石」は、風食と共に水食も加わり、頂角や辺稜が少し丸味を帯び、純然たる「三稜石」とは言い難いものが多産するので、今回は「三角礫」として、上述の「ハート型の転石」と共に写真を掲載し、紹介をさせて頂く事に致しました。
「ハート型の転石」も「三角礫」も、あらゆる岩石種に形成されていますが、かつてブログに記しましたように、「神足石」は緑色岩の場合は、交差する母材角礫の節理に関係して形成されているようで、地質作用のプロセスが成因であるとみなせますが、緑色岩以外の転石礫にもかなりきれいなものが生じている成因は、何故なのかよくわかりません。 五十鈴川が古来、神聖地の「神がかり」的な河川だからなのでしょうか。
ちなみに、「三角礫」は、砂質岩( 砂岩や硬砂岩 )と緑色岩( 主に角閃岩や緑色片岩 )に比較的多く見られますが、他の岩石礫にも生じています。