伊勢すずめのすずろある記

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三重県産の 「きれいな非金属鉱物」 ~ 伊勢すずめの鉱物コレクションより

2019年08月24日 | 三重県の鉱物など

紀州鉱山産の 「入鹿鋪石」 (蛍石の群晶 ~ 高さ約15cm)

 昨年の12月に、長年蒐集をして来た鉱物コレクションの中から、金属鉱物をピックアップし、 「三重県産の 『きれいな鉱石標本』 」 として、このブログに標本写真とその説明文の記事を掲載させて頂きました。 (バックナンバー・2018年12月07日 参照)

 今回は、三重県産の非金属鉱物の結晶に重点を置き、筆者の鉱物コレクションの中から、特に見栄えのする標本を幾つか取り上げ、 「三重県産の 『きれいな非金属鉱物』 」 として、同様に写真を掲載して紹介を致します。
 なお、産地名につきましては、採集当時の行政区画のまま記載を致しました。


水晶山産の「庇面式トパーズの巨晶」


 1.四日市市宮妻町山之坊、水晶山産の 「庇面式トパーズの巨晶」

 昭和の終戦間際に、水晶山のリチウム・ペグマタイト脈を坑道掘りで掘削し、含リチウム雲母を採掘していた鉱山跡真下(林道直下)の山林斜面から産した、戦後では最大の結晶標本です。
 当地は、平成4年(1992年)に筆者が再発見した場所で、山林斜面の表土のさらに下に、隠れるように埋没していたトパーズを含むペグマタイト・バラストのズリの中から、その翌年にかけて500個ほど採集したトパーズの内の最大の単晶です。
 結晶は淡黄白色半透明 ~ 不透明ですが、こぶし大程の大きさがあり(高さ約6.5cm)、四周完全な庇面式の巨晶です。 重量は約280gです。


堀坂山産の 「底面付きの黄水晶」


 2.松阪市伊勢寺町、堀坂山産の 「錐面を切る底面付きのきれいな黄水晶」

 この黄水晶は、昭和40年頃に、堀坂山の雲母谷(きらだに)上方の尾根沿いにあった珪長石鉱山跡のズリで見つけたものです。
 柱面はやや平板(ひらばん)になっていて、晶面はスリガラスのように光沢が鈍いものの、半透明黄白色、こぶし大の四周完全なきれいな黄水晶です。
 当地には、標準的な結晶形の水晶と共に、平板形や変形・奇形水晶も多産しますが、この標本は上端に、上下軸(C軸)に直交し、錐面を切る格好で底面(C面)が付いている大変珍しい結晶です。高さは約6.5cmです。


堀坂山産の 「鉄礬石榴石」(単晶)


 3.松阪市伊勢寺町、堀坂山産の 「県内最高級の鉄礬石榴石の単晶」

 堀坂山の雲母谷林道を登り詰めた谷筋にある、珪長石の試掘場跡のズリに何回か採集に通い、ズリの土砂に埋没した結晶粒をパンニングによって選別採集し、ひとまとめにした標本です。
 中にはかけらもありますが、主に酒赤色の偏菱形24面体形の遊離した単晶を成し、完全結晶の最大径は約1.2cmです。
 三重県下では一番きれいな鉄礬石榴石です。


白山鉱山産の 「鉄礬石榴石」(母岩付の美晶)」


 4.一志郡白山町山田野、白山鉱山産の 「母岩付き鉄礬石榴石の桃赤色の結晶」

 稼行当時の昭和40年頃に、鉱山のズリにて採集した標本で、桃赤色、梅干大の母岩付きの鉄礬石榴石の結晶です。 偏菱形24面体式の真っ黒な結晶が多い中で、全体がやや丸まっていますが、かなりきれいな良質の結晶標本です。
 結晶の最大径(長径)は約2.2cm、母岩全体の横幅は約10.5cmです。


青川産の 「灰鉄石榴石」


 5.員弁郡北勢町新町、青川産の 「晶洞に群晶粒を成す灰鉄石榴石」

 この標本は、青川上流の治田鉱山跡付近か流出したと思われる、スカルン鉱物を伴う川原の転石です。 レンズ状に細長く開いた空隙(晶洞)を2つにかち破って得た片破れの標本です。 小粒ですが、きらびやかな橙赤色の結晶が簇生しいてます。
 母岩は、半ばホルンフェルス化した緻密な緑色岩(角閃岩?)で、標本全体のサイズは、左右の横幅約11.5cmです。


名張市長坂産の 「灰礬石榴石」


 6.名張市長坂、方解石採掘場跡産の 「灰礬石榴石のきれいな単晶」

 長坂産のこの灰礬石榴石は、昭和39年頃の採集標本です。当時、現地は集落上方の段々畑の背後に、畑の肥料用として、方解石を採掘したような素掘りのほら穴があり、その直前の畑に無数の方解石片がばら撒かれていました。
 この中に、標本のような橙色の斜方12面体や偏菱形24面体の灰礬石榴石の単晶が混じっており、かけらなどは方解石の結晶粒(劈開破片)と共にいくらでも拾えました。
 当地のこの産状は、明らかに接触変成によるスカルン型で、他にも珪灰石や透閃石等があったと思います。
 この結晶標本のサイズは、直径約1.5cmです。


海山町木津産の 「電気石の美晶」


 7.北牟婁郡海山町木津、橡山林道産の 「電気石の美晶」

 この電気石は、筆者の発見した原産地での採集標本です。 昭和48年(1973年)の夏頃に、海山町の相賀(あいが)から銚子川の左岸を遡った「魚飛渓」上方の橡山林道の工事場に立ち寄った際に、その新設林道の切通しの崖面で、かなり粘土化したペグマタイト質脈を見つけ、この鉱脈中に遊離状態で晶出していた内の最大級の単晶と、放射束細柱状の集形になります。
 柱状を成す単晶は、親指大サイズで黒色不透明ながらも、ガラス光沢の著しい四周完全な端面付きの美晶です。
 サイズは、写真左側の柱状結晶の長さが約3.4cmです。


紀州鉱山産の 「蛍石の見事な群晶」


 8.南牟婁郡紀和町板屋、紀州鉱山産の 「蛍石の見事な群晶」

 かつて、国内屈指の複合型熱水性銅鉱床の鉱山であった紀州鉱山は、大・小さまざまな晶洞に富む銅鉱脈から成り、脈石や晶洞鉱物として、数々の美・巨晶を多産していました。
 特に蛍石は、立方体を成す無色透明の単晶から、淡青色(水色)や青色、緑色、黄色、桃色、紫色など、数多くの美・巨晶の群晶を産し、黄銅鉱や黄鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、磁硫鉄鉱、方解石、マンガン方解石、緑泥石、水晶、紫水晶などの群晶と共に、観賞用の 「入鹿鋪石」 (いるかしきいし)の代表鉱物として、盛んに販売されていました。
 この淡青色の蛍石の見事な群晶は、鉱山が稼行していた昭和48年、鉱山事務所を訪ねた際に、 「入鹿鋪石」 として販売されていた美晶クラスターの一つで、その当時産出の購入標本です。
 標本のサイズは、左右の横幅約10.5cmです。


紀州鉱山産の 「方解石の美晶」


9.南牟婁郡紀和町板屋、紀州鉱山産の 「晶洞晶出の母岩付き方解石の美晶」

 この母岩付き方解石の美晶は、稼行当時の昭和48年、「入鹿鋪石」の購入に何度か紀州鉱業所を訪ねた時に、居合わせた所長様から、じきじきに教材用の参考標本にと、特別に譲与して頂いたものです。 極めつけの完全な結晶です。
 この結晶のサイズは、径約3.8cmで、母岩全体の左右の横幅は約10cmです。


鳥羽市白木町産の 「マスカット色の葡萄石」


 10.鳥羽市白木町、藤原重機採石場産の 「大変きれいなマスカット色の葡萄石」

 かつての鉱産地として、白木町にあった採石場の跡は、近鉄志摩線の「白木駅」前の国道167号線沿いで、新設の第二伊勢道路の 「白木トンネル」 を志摩方面に出た、ループ道路のある辺りです。
 現在は、地山が完全にカットされて、平坦化した跡地の殆どは造成された住宅地と化しています。
 当地は、安楽島-五ヶ所構造線に沿って貫入している蛇紋岩体の最大肥大部です。昭和時代の戦後に、バラストを稼行の対象とした複数の採石場が開かれ、現在もすぐ近くで丸又鉱業が採石を継続しています。

 元あったこの場所には、昭和40年頃には丸又鉱業と藤原重機の二社が、隣り合わせで採石を稼行していて、その当時、蛇紋岩体に捕獲された形で、ロジン岩 ~ 斑糲岩・橄欖岩相の巨大な岩塊が露出し、そのコンタクト部や内部に、白色の炭酸塩-珪酸塩鉱物より成る複合脈状体が多数貫入し、脈内の空隙(晶洞)には、多数種のきれいな鉱物の結晶等が簇生していました。

 その中の一つに葡萄石があり、ソーダ珪灰石やソーダ沸石、霰石、方解石、脈性の灰礬石榴石等と共に産し、僅かながら単独脈もあって、掲載写真のようなマスカット色の大変きれいな葡萄石を晶出していました。
 この標本のサイズは、左右の横幅約8cmです。


伊勢市辻久留産の 「小球状を成す蛋白石」


 11.伊勢市辻久留三丁目産の 「小球状を成す蛋白石」

 この標本は、伊勢市辻久留三丁目にある新谷土建の採石場にて、昭和39年頃に採集した蛋白石の一つです。
 現地は、通称 「論出(ろんで)の土採り場」 と称し、三波川変成帯の石墨千枚岩や緑色片岩等に貫入した蛇紋岩の岩脈があって、この岩脈内とその周辺に、破れ目を充填する炭酸塩鉱物の白色脈の貫入がみられます。
 レンズ状に膨縮したこの鉱脈の中空(晶洞)には、時に方解石や苦灰石の表面を被覆する形で、仏頭状や小球状(魚卵状)のきれいな蛋白石や玉髄が皮薄層を成して晶出しています。
 現在は、切羽(露頭)の直前まで住宅が立ち並んでいて、土採り場は休業のまま放置され、立入り禁止の状態となっています。
 この小球状標本の直径は約0.4cmです。


伊勢市西行谷産の 「霰石の美晶」


 12.伊勢市宇治館町、西行谷産の 「菊花状の放射束を成す霰石の美晶」

 この菊花状に晶出した、放射束針状集形を成す霰石の美晶は、昭和37年頃の産出標本です。
 その当時、内宮側から朝熊山に登る新設道路 「伊勢志摩スカイライン」 の工事が、急ピッチで進められていましたが、その折に、西行谷を跨ぐ小橋架橋の基礎工事で、両岸の岩盤を成す蛇紋岩体が大規模に発削されていました。
 その工事に伴って、脈幅1mを超える程の海綿状を成す霰石脈が谷壁に露出し、この空隙(晶洞)に方解石や水苦土石、ジュエイ石、蛇紋石を伴い、一時的に産出したものです。 まもなく谷壁の晶洞はコンクリートで固められました。
 黄色の色合いや産状は、束沸石と見間違う程の美晶で、全国的に見ても、極めつけの希産標本と言えると思います。
 この標本全体のサイズは、左右の横幅約7cmです。


大野浜産の 「玉髄 ~ 瑪瑙質の漂礫」


 13.志摩市大王町名田、大野浜産の 「玉髄 ~ 瑪瑙質の漂礫」

 大野浜産のこの漂礫は、こぶし大程度のやや大きい目の浜砂利ですが、表面が玉髄 ~ 瑪瑙質に変質しています。 破れば内部は、貝殻状断口を示す灰色っぽいフリント質チャートと思われます。
 この漂礫は、不整合を成して基盤の中生代・白亜紀の地層(的矢層群)を被覆する、海成段丘堆積層(更新統)由来の珪質岩の亜円礫のようですが、変質のプロセスは定かではありません。
 この漂礫のサイズは、長径(長軸幅)約6cmです。

大野浜産の 「玉髄 ~ 蛋白石質の漂礫」

 14.志摩市大王町名田、大野浜産の 「玉髄 ~ 蛋白石質の漂礫」

 大野浜は、中生代白亜系(白亜紀の地層)である的矢層群由来の砂質岩や泥質岩、珪質岩(チャート)などの漂礫の堆積する砂利浜(じゃりはま)ですが、それらの扁平円礫 ~ 亜円礫に混じって、表面が黄土色 ~ 茶褐色の卵形や不規則で歪な小礫がごく僅かに打ちあがっています。
 この小礫は、的矢層群を被覆する形で不整合を成して堆積する海成段丘堆積層(鵜方層)由来の珪質岩の漂礫と考えられますが、元は礫層中の灰白色~灰黒色のフリント質チャートのようで、大野浜に広がる浜砂利とは別物です。
 それがなぜか表面のみならず、内部までが玉髄や瑪瑙、時には蛋白石と言ってもよい程の質感に変質し、著名な青森県袰月海岸産の玉髄 ~ 蛋白石の漂礫である、舎利石(地元で言う錦石)と見比べても、見分けがつかない程の美観を呈しています。
 掲載写真の内の、かち破っていない小礫のサイズは長径(長軸幅)約4.5cmです。


 「アクアマリン級の緑柱石の美晶」


 15.員弁郡大安町石榑南、水晶谷上流谷奥・晶洞産の 「アクアマリン級の緑柱石の美晶」

 この標本は、1992年(平成4年)に、石榑南の砂山に南側から登る登山道中腹沿いのカラト谷にある蛍石坑(日産鉱山)跡、並びに花崗岩ペグマタイトの調査に行った時に、偶然にその途中で晶洞を見つけて採集した標本の内の2個です。
 その当時、水晶谷上流の谷奥では砂防ダムの新設工事が成されていて、えぐられた谷壁の花崗岩の岩盤に、人頭大程のポケット状の晶洞が僅かに開口していました。

 晶洞の中は袋状に広がり、黒褐色の晶洞粘土(黒ボク)が詰まっていて、煙水晶の錐面とカリ長石の頭が見えていましたが、内部は未開口、未採集のままでしたので、黒ボクを掻き出してパンニングを試みた処、多くのチンワルド雲母や煙水晶、曹長石などと共に、小型のトパーズ数個と、ライトブルー(淡青色・水色)で透明な、細柱状 ~ 柱状を成すきらびやかでクリアランスな緑柱石の美晶、大・小合わせて30個ほどが採集出来ました。
 これらの結晶の内、特に細柱状の殆どは、柱面と共に両端に底面(C面)の揃った、無傷で四周完全な美晶です。

 掲載写真は、採集標本の内、プリズムを彷彿とするアクアマリンに匹敵する、一番細長くてきれいな細柱状の結晶と、宝石レベルの一番太い柱状結晶を選びました。
 標本のサイズは、右側の細柱状の結晶が長さ約3.6cm、左側の柱状の結晶が最大径約0.6cmです。

 ちなみに、三重県下では緑柱石は、阿山郡大山田村(旧行政企画になります)の三谷や広瀬の珪長石採石場(跡)で、淡黄緑色の不透明な小指大の柱状結晶が、一時期僅かに産出しただけで、このような宝石レベルの緑柱石の産出例は、三重県内はもちろん、全国的にみても、滅多に無いのではないかと思われます。


 以上の他、未公開ですが、三重県内の各地で採集した美・巨晶を含む鉱物標本を、私物コレクションとしてたくさん所持しています。又、機会をみて紹介をしたいと思います。

 

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