神無月も下旬になって、この処ようやく秋らしい日和となった。 中旬の10月14日(日曜日)は、朝熊山上の金剛證寺・奥之院からの通知葉書で、母親の他界後に伊勢の慣例に従って、供養の為に建立した卒塔婆の「合祀供養」の法要に朝から出向いた。
母親が亡くなってから6年が過ぎた。 卒塔婆は所定の年数が経過すると、建立した年の半年分ずつがまとめて取り払われてゆく…。
午前10時からだと葉書に書いてあったので、朝食後の9時に車で出かけた。 外は空一面曇天で、路面は昨夜の小雨の後が乾かずに、朝露のようにしっとりと濡れていたし、風があって少し肌寒かった。
これでは、朝熊山に登っても景色はダメだろうと思いながら、一応デジカメは持って行く事にした。
伊勢志摩スカイラインに入ると、300m 程登った所で霧に出くわした。 地上から見上げれば雲の中だろうと思いながらも先が見通せたので、層雲の吹き上げて来る中を、曲がりくねった山腹の坂道を一気に上りきった。
朝熊山の山上には、虚空蔵菩薩を祀る金剛證寺があり、境内を含めて山上一帯が観光地化された「山上広苑」となっている。
駐車場に車を止め、極楽門から林立する卒塔婆の続く参道を100m ばかり歩くと、奥之院があり、その前に昔ながらの富士見茶屋がある。 この茶店は平日は閉まっている事が多いが、土・日になると80歳半ばになると言うお婆さんが来てみえて、奥の院への参詣客らをもてなしてくれる。
奥之院での合祀供養は、100人以上の喪服姿の関係者らが狭い境内に集まり、老若男女で溢れる中、午前10時半にご住職の短いご挨拶で始まった。 その話の冒頭に、年末になると喪中葉書が来るが、その文面に「誰々が何月何日に永眠致しました…。云々」とあるが、「永眠」という言葉は仏教では使わず、あれはキリスト教の言葉であって、仏教では人の死を「他界」と言うのだと諭された。
そして、「六界」について簡単にご説明をされたあと、数人の僧侶の詠唱による、「なむからたんのー とらやーやー … 」で始まる「大悲円満無礙神呪」(だいひえんもんぶかいじんしゅ・大悲呪)の読経が成され、すぐに焼香となった。
早々に焼香を済ませると、富士見茶屋でシキビ(お花)を買い求め、母親の卒塔婆に供えてお経をあげた。 「般若心経」と「大悲呪」を完全に暗誦しているので、強風の吹く中で合掌しながらふたつを唱えた。
その後、山上の展望台と売店に寄ってみたが、伊勢湾方面の景色は冬の日本海のような鉛色(なまりいろ)ではないにしても、海も空も区別がつかない程真っ白であった。
そして時折強風が吹き荒れ、薄着で来てしまったので、真冬のような寒さが体に堪えた。 まばらな観光客らも、皆がこの強風のもたらす寒さには閉口していた。
よく晴れたら、週末にでももう一度来ようと思いながら、車内に少しだけヒーターを入れて、伊勢志摩スカイラインを元来た伊勢方向へと引き返した。
昼前になっていたので、もう層雲は無く霧は晴れていたが、下りながら眺める、二見浦から続く眼下の伊勢の景色に日射しは全く無く、モノクロ写真のようであった。
< 追 記 >
週末の10月20日(土曜日)は、風も無く爽やかな秋晴れの青空で、外は見るからにフォト日和であった。 これならば、朝熊山に登ってもいい風景写真が撮れるだろうと、デジカメを持って再度出かけた。
山上に行くと、伊勢湾のはるか上空から東の遠州灘 ~ 熊野灘にかけては、積雲が浮かび高層雲などがたなびいていたが、シーイングはかなり良好で、富士山が見えるのではないかとさえ思われる程、遠くまで見わたせた。
このブログに掲載のフォトは、前回と同じルートを辿りながら、全てこの日に撮影してきたものです。