伊勢すずめのすずろある記

伊勢雀の漫歩…。
 伊勢の山々から志摩の海までの、自然史スポット&とっておき情報など…。
  感性の趣くままに-。

赤福餅添付の「伊勢だより」の版画栞に見る「伊勢志摩のレアな風景・風物 など」

2024年06月19日 | 随筆・雑感・回想など

赤福添付の版画 「志摩ノ海女 貝の口あけ」 の絵柄 ( 伊勢だより )
赤福添付の版画 「志摩ノ海女 貝の口あけ」 <br>
 裏面の解説 ( 伊勢だより )

 伊勢名物の赤福餅( 箱入り )に添付されている「伊勢だより」の版画栞( しおり )は、サイズは概ね縦幅 8.2cm、 横幅
約 15.2cm( 全て同寸同大 )で、和紙風の中厚紙に印刷されています。これまでに、数百種類の版画が製作されているそうです。


赤福添付の版画 「伊勢志摩 波切 大念佛踊」 の絵柄 ( 伊勢だより )

赤福添付の版画 「伊勢志摩 波切 大念佛踊」 裏面の解説 ( 伊勢だより )

 内容は、「伊勢神宮」の年中行事( 催事 )などの他、伊勢志摩や近隣地域の「伊勢神宮関係」のもの以外にも、三重県下の風景や風物、名物 ( 物品や地物 )、催事、伝統工芸品などが幅広く取り上げられ、地方色豊かな資料物の印刷物となっています。


赤福添付の版画 「伊勢名物 くり物店」 の絵柄 ( 伊勢だより )

赤福添付の版画 「伊勢名物 くり物店」 裏面の解説 ( 伊勢だより )

 やや大きめの短冊サイズながら、多くは地方色豊かな飾り絵にもなる、きれいな色刷りの風景や風物などの絵柄であり、裏面には「伊勢だより」として、版画の解説( 簡単な説明文 )が記され、資料価値を高めています。


赤福添付の版画 「神宮御浅沓司 西澤利一師」 の絵柄 ( 伊勢だより )

赤福添付の版画 「神宮御浅沓司」 裏面の解説 ( 伊勢だより )

 この「赤福」限定品のオリジナル版画「伊勢だより」は、大変好評で観光客のみならず、地元内外の庶民にとってもかなりの人気があり、これを目当てに赤福の本店を訪れる方々や、全国各地には蒐集家が多数みえるようです。
 特に印刷枚数の限られた数少ないバックナンバーは、かなりレアな資料物の印刷物として、ヤフオクなどにも出品されています。

赤福添付の版画 「五十鈴川 神足石」 の絵柄 ( 伊勢だより )

赤福添付の版画 「神足石」 裏面の解説 ( 伊勢だより )


 今回は、投稿者所蔵の数多くの「伊勢だより」の版画の中から、伊勢志摩のレアな風景・風物・伝統工芸品など数枚をピックアップし、ブログに掲載をさせて頂きました。

  追記 上載の赤福添付栞の絵柄の内、「神宮御浅沓司 西澤利一師」は、投稿者の小学生時代からの親友であり、伊勢市の「伝統工芸士」の第一人者でしたが、10年程前に60歳台の半ばで急逝をされました。 お弟子さんもみえたのですが、その後は「後継者」が無く、江戸時代より伊勢の地に継承され、平成年代まで続いておりました伝統工芸の「御浅沓」の製作は、完全に途絶えてしまいました。



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緊急のご連絡「 i.epman の名称で発信の【偽メール】のばらまき 」に、充分にご注意をして下さい。

2024年06月10日 | 随筆・雑感・回想など

 

 最近、発信者名が「 i.epman 」の名前で、不特定多数様宛に「電子メール」や、ヤフー株式会社様の「ヤフーメール」で、不審な内容の【メール】がばらまかれておりますが、全て投稿者本人とは無関係の【偽メール】( 迷惑メール )ですので、内容いかんに拘わらず充分にご注意をして下さい。 決してメッセージ等を開かずに、即「削除」をお願い致します。


【 迷惑メール 】 に振り分けられた中の 「疑メール」 の一部です


 小生の電子メールは「 i.epman@chic …… 」ですが、パソコンを買い換えました1昨年末より、個人様宛にも複数の方々へも、「電子メール」での文章等の発信は、全く致しておりません。 従いまして、どなた様にも当方から「電子メール」を発信して差し上げる事は一切御座いませんし、「電子メール」でのメッセージ等の受信を致しましても、「返信メール」の発信は控えさせて頂いております。

 大変失礼ではありますが、電子メールの発信者様から戴きました当方への「受信メール」に、パソコンから電子メールでの「御返事」や「御返答」等を、「返信メール」として発信をさせて頂きます事は、全く致しておりません。
 今後につきましても、通信手段に当方から「電子メール」を使用をする事は、一切御座いませんので、どうぞ御諒承の程、よろしくお願い致します。

 当方への文書での通信手段は、携帯電話の「SMS」( ショートメール )だけで御座います。 なお、「電子メール」をパソコンに受信させて頂きましても、ご返信が出来ないようにセッティングをさせて頂いております。

 本件につきましては、目下対策を検討中で御座いますが、今回はとりあえず「ブログ」にて【緊急のご連絡】をさせて頂きます。
 以上の件につきまして、お心当たりの御座います方は、どうぞご理解と御容赦の程、よろしくお願い致します。

 以下に、【偽メール】 「迷惑メール」( 不特定多数の方々へのばらまきメール )の一例を記させて頂きます。

   迷惑メールの一例

  i.epman 【AEON】カード利用確認手続きのお知らせ 【i.epman】(発信者 i.epman <kqk@christophemaLi.com>)
  Amazon.co.jp 【重要なお知らせ】お客様のお支払い方法が承認されません  Amazon お客様!
  三井住友カード 【重要】三井住友カードの緊急連絡、情報を確認してください
  東京電力エナジーパートナー 【重要なお知らせ】未払いの電気料金について連絡させていただくものです
  イオン銀行 6月ご請求額のお知らせ イオンフィナンシャルサービスからのお知らせ

 以上の「メール」は、このブログの投稿者( 本人 )には全く身に覚えのない、無関係の【迷惑メール】です。


 さて、季節は初夏へと移行し、急に蒸し暑くなって参りました。 このブログにアクセスをして下さいました方々には、時節柄、心より御清祥を祈念申し上げます。



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伊勢市内の断層地形と活断層を再検討

2024年02月01日 | 随筆・雑感・回想など


宮川河床( 辻久留2丁目 )の中央構造線上の岩盤を切る断層群の露頭

 伊勢市内の活断層については、既にブログのバックナンバー( 2010年05月29日 / カテゴリー「伊勢」)に記しましたので、その記事にてご覧を頂けると思いますが、今年の元日に能登半島で、震度7( 気象庁の定める震度階級の最大震度 )の大地震が発生し、当地方一帯の市町村に甚大な被害を及ぼし、現在も中~小規模の浅発地震が余震として頻繁に続いている。
 気象庁は、毎日のニュースで、地震活動は徐々に収まって来ているが、ここ1~2週間程度は震度5強程度の地震の発生する可能性があると、繰り返し注意を呼びかけている。


津市の南が丘団地の造成中に露われた、安芸層群( 鮮新統 )の地層を切る逆断層


 果たしてそうだろうかと、日頃より他の地震学者らの発言を注視し拝聴していると、気象庁の発表する見解とには、かなりの温度差がみられる感じである。 そもそも能登半島一帯では、2~3年前から群発地震が多発しており、その震源域が徐々に浅くなって来ており、ここ1年程は複数の既知の活断層群に沿って線状に発生していた傾向を示していたにも拘わらず、志賀原発が立地しているせいか、政府の関係機関等も、日本海側〔 特に能登半島 〕の大地震の可能性については、「南海トラフ」のように繰り返し情報を発信していなかった。
 現在の地球科学では大地震の予知は出来ないとの理由や、群発地震の原因を地下の流体( 水や熱水など )の上昇と移動がその原因だとし、当地方が活断層の密集地帯である事を全く考慮せずに、立場上からも慎重になりすぎたのか、地域住民への注意を怠っていたように思われてなりません。


 地震予知は出来なくても、人体には感じない揺れの無感地震( 震度0の微動地震 )の多発は、今も減少傾向には無くずっと続いていると思われます。 能登半島から断続的に東方へと延びている佐渡西方沖の複数の活断層などが、今回の大地震では動いてなくても、例えるならば、先の大地震の地震波の影響で「震撼している」( かすかに震え揺れている )かもわりません。
 ここ2~3ヶ月の間に、連動してひずみエネルギーの解放が無ければ幸いなのですが、地域住民の方々は日頃より前兆現象( 宏観異常現象・まえぶれ )の観察に気を配り、自らが地学的な知識と防災意識を備えていなければ、他に手立ては無いのが現状です。
 「天気予報」のように当たりはずれもあるなどとの感覚で、他人任せに暮らしていては、今回の地震活動によるような生活圏の再度の被災は免れません。 自然界のこの地質現象は、「観天望気」のように予想が目には見えないのですから …。


中央構造線直南の地溝帯に形成された 「五桂池 ~ 栃ヶ池」 〔 断層地形 〕


 さて、我が伊勢市は、三重県の東紀州以南に甚大な被害を与えた終戦間際の東南海地震( 昭和19年に発生 )以来、大規模な地震災害には見舞われていないし、直下型の大地震などは全く発生していない。 江戸時代以前に遡っても、内陸の活断層の再活動による大地震も記録が見当たらない。
 しかし、市域に活断層が無い訳では無く、日本列島最大の活断層である「中央構造線」が市内のど真ん中を西南西から東北東にかけて、沖積地( 完新統 )の地下に潜在している。
 この中央構造線は、多気町丹生付近に複数個所その露頭があり、北方( 内帯側 )の領家変成帯の片麻岩や花崗岩類と、南方( 外帯側 )の三波川変成帯の千枚岩や結晶片岩類が、高角度の北傾斜の逆断層で接し、直線的な露頭界線を形成している。
 断層破砕帯も幅数10m以上に及び、副断層群を伴う「断層帯」を構成し、多気町の五桂池から栃ヶ池へかけての地溝帯を形成し、玉城町積良付近を経て宮川を横断し、やや北方に屈曲をしながら、伊勢市の市街地の地下へと続いている。 但し、玉城町以東では「潜在活断層」となっている。


中央構造線の露頭 ~ 伊勢自動車道の勢和インター( 多気郡多気町 )付近


 この中央構造線は、南北方向に並行して流下する五桂池付近の小谷群の流路の類似した地形の変形から、完新世の時代( 過去1万年程の期間 )になってから、左ズレの水平移動断層の様相を示し、地形図上での計測によると、中央構造線上の地形の屈曲した変位は、西方へ概ね80m程移動していることが判る。



 日本列島最大の活断層である「中央構造線」は、丹生から西方へは櫛田川の河谷に沿って高見峠に至り、その先は奈良県から和歌山県の紀ノ川沿いに西進し、紀伊水道をよぎり、四国の吉野川( 徳島県 )の河谷を形成し、新居浜付近を通って四国を縦断し、佐田岬半島( 愛媛県 )を経て、九州まで達している。
 この中央構造線の西端には阿蘇山があり、この阿蘇山の周辺に始まった中~小規模の浅発地震群の震源が、ここ数年来東進をし続け、どうも活動域が和歌山県にまで進ん出来たような感じがする。 さらに東進をし続ければ奈良県の山岳部を経て三重県へ、そしてついには伊勢市の市街地から伊勢湾へと移動するのではないかと、懸念される次第である。
 震源地が地下10km程度の場合、極く小規模な地震で済めばよいのだが …。 その前に第2東南海地震や第2南海地震が発生したり、中部国際空港付近の海底にある、「伊勢湾断層」( 活断層 )の再活動による直下型の大地震( 第2三河地震 )が発生すれば、もはやそれまでである。


西行谷( 伊勢市宇治館町 )に露われた 「朝熊ヶ岳断層」 の破砕帯


 かつて筆者は、学生時代の卒論を機会に、現職の頃に伊勢市の地質を調べた事がある。 その時に撮影した断層 ( 地質断層 ) や活断層の露頭の写真が出て来たので、その一部を紹介がてら掲載を致しました。


中央構造線直南の断層地形である、二見浦から続く鳥羽湾口の 「飛島島列」


 伊勢市内の活断層は、先の中央構造線の他、「朝熊ヶ岳断層」と地形のリニアメントから推定される「昼河山断層」( ひるごうやまだんそう・仮称 )があります。 前者は地形の変換点が明瞭で、山麓の風景として地形への反映が眺望されますが、その露頭は殆ど未確認です。
 後者は、伊勢市朝熊町北方の波状を呈する高度100m前後の山地を東進し、二見町の南方から池の浦湾を経て、鳥羽市の小浜半島中央の凹地( キレット状の小地溝 )までの伸長が読みとれます。
 その他、二見浦から鳥羽湾口へと続く「飛島島列」も、中央構造線に支配された直南の断層帯の沈水地形とされています。




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少し気がかりな三重県周辺の浅発地震 ~ 忍び寄る「 中央構造線地震 」の東進

2022年08月26日 | 随筆・雑感・回想など


8月22日の 「伊勢湾の地震」 ~ 気象庁発表の画像より

 8月22日の12時42分頃に、鈴鹿市の海岸東方沖10数kmの伊勢湾海底を震源とする小規模な地震があった。気象庁の震度発表のデータ地図を見ると、鈴鹿市で震度2、三重県は津市、四日市市、伊勢市、名張市、亀山市、伊賀市で震度1となっていた。 比較的珍しい震源の地震である。

 伊勢市を除けば、いずれも中央構造線以北の内帯地質区である。 松阪市や明和町など、周辺の市町村に震度記録が無いのに、我が伊勢市だけぽつんと震度1となっていたが、これぐらいの距離では「異常震域」とは言えない。
 震源の深さは20km、マグニチュードは3.2とあったが、この程度の地震では、気象庁は地震のメカニズムについて発表することは無い。

 震源からの直線距離や地盤の地質の違いによって、地震動 ( 揺れ ) の大小が決まるが、特殊な地質構造だと、断層や構造線での波動の屈折や反射、増幅、収束などが生じるので、飛び地でも意外と震度が大きくなる事が知られている。
 又、地震波の直接波に対して、地下の高密度の岩盤を高速で伝播する屈折波もあるが、伊勢湾の地下だと、どれだけの深さに高速度層が存在するのかは定かでは無い。

 そこでまず考えられるのは、伊勢市以外の外帯側の市町村には全く地震動が伝わっていない事から、伊勢市の市街地をほぼ横断する「中央構造線」の存在である。 しかるに、今回の伊勢市の震度1は、この中央構造線の影響と考えられなくもない。


多気町丹生付近に露われた 「中央構造線」 の露頭


 中央構造線は、九州のど真ん中に始まり、四国の北部を縦断し、紀伊水道を経由し和歌山県、奈良県、そして県境の高見峠付近を経て櫛田川沿いに東進し、多気町丹生付近から五桂池を通り、その先は度会郡玉城町野中から積良の辺りで、段丘堆積層や沖積地の地下に埋もれ、潜在断層となって伊勢市の宮川まで達している。
 ここでやや北に屈曲し、辻久留、浦口、八日市場、本町、岩渕、神久、黒瀬等の市街地の地下を横切り、二見町の今一色付近へと続くことが推定されている。


地下を 「中央構造線」 が通過すると推定される伊勢市岩渕の市街地 ( 中央は宇治山田駅 )


 伊勢湾には、埋積された海底の木曽川の河谷 ( 埋積谷 ) があり、これに沿って活断層である「伊勢湾断層」の存在が知られている。 もしこの伊勢湾断層が活動を始めたとすれば、この先々が少し気かがかりである。

 気がかりと言えば、先に記した「中央構造線」も断続的な活断層である。 三重県では、丹生から五桂池付近にかけては「左ズレ」を伴う逆断層であり、各地にその露頭が露われている。
 完新世の時代 ( 完新世=沖積世 ) になってからは、小谷の河川流路の地形の変形などから、西方に80m程相対的に移動し、活動した形跡が読み取れる。

 最近、九州の熊本県に始まった巨大地震の余震域が大分県へと広がり、中央構造線沿いに中~小規模の浅発地震 ( 震源の深さ10km ~ 20km ) が次々と発生し、豊後水道へ経て四国の内陸から紀伊水道、和歌山県へと東進し、さらに奈良県の西部まで広がって来ている。


三重県の主な活断層 ~ 筆者の加筆作図より


 今の処、この中央構造線沿いの中~小規模の浅発地震は、三重県にまでは広がって来ていないようだが、伊勢市の方向へと迫って来ている感触は否めない。
 もしも … であるが、昭和19年 ( 1944年 ) の東南海地震と、昭和21年 ( 1946年 ) の南海地震以降に、巨大地震にみまわれたことの無い伊勢市では、市内や近辺の中央構造線沿いに大規模な地震が発生したら、ハザードマップはあっても、市民の地質学的な知識の乏しさや、形式的な防災・避難訓練の経験だけでは対処しきれず、どれだけの被害が出るか計り知れない。


活断層である 「一志断層」 の露頭 (  松阪市小片野町にて撮影  )


 特に市街地では、段丘地形の真上に建てられた学校や、住宅地の密集した真っただ中にある、高層マンションと隣接するガソリンスタンドがセットになったような場所などは、巨大地震の際には危険極まりなく、日頃から生き延びる為の手段と避難ルートを、充分にチェックしておく必要があるのではないかと思う次第だ。
 中央構造線地震が三重県にも忍び寄る中、対岸の火事をながめるように、平穏で無関心な日常を過ごしている我が伊勢市にも、近未来に襲い来るであろう熊野灘海底の巨大地震や、未曽有の大規模災害などの発生も、今年はいつになく気がかりである。



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師走もあと数日となり、雨上がりの冬晴れの12月25日、朝から内宮へと … 。

2021年12月26日 | 随筆・雑感・回想など


朝日の昇る内宮の 「宇治橋渡り口の大鳥居」 ~ 12月25日撮影

 今冬は師走の半ばになっても、一向に北西の季節風のすさぶような、冬の日らしい肌寒い天気の日々が続かないでいたが、下旬になった24日は、太平洋南岸の紀州沖に発生した低気圧の影響で、夕方から一晩中冬雨が降り続き、今年のクリスマス(12月25日)は寒波に見舞われるとの予報が出ていた。
 しかし、一夜明けた当日は肌寒い季節風も全くなく、朝から凪いだ冬晴れの好天となった。 屋外に出てもマフラーがいらないくらいの陽気で、暖冬ぎみのせいか雨天の後も、例年に比べてかなり暖かい。


古い絵葉書に見る、市電の終点でもあった 「昔の内宮前の風景」


 午後からは、足早に移動していった低気圧が関東沖で発達し、東海地方も冬型の気圧配置となるとの事で、午後以降にはこの冬一番の寒波の到来が予想されているので、午前中に買い物や所用を済ませようと、朝の8時に家を出た。
 まず例年のように、神棚用の「剣祓の御札」の授与を受けに、乗用車で内宮 ( 皇大神宮 ) に行く事にした。


内宮の境内に続く 「昔からの裏道」 ~ 12月25日撮影


 自動車の行き交う御幸道路は、雨上がりの朝日を受けてしっとりと鈍く濡れ輝き、倉田山に差しかかると、常緑樹林の中に、まだ紅葉がちらほらと残っていて、まばらではあるが黄色や橙色の葉をつけている。
 15分程で、五十鈴公園先の神宮司廳のある朝熊道 ( 尾根道の旧道 ) の分岐点に着いた。 適当に路肩に駐車をし、神宮司廳の下の全く人通りの無い内宮へと通じている裏道を歩くと、数分で内宮境内にある大山祇神社 ( おおやまつみじんじゃ ) の下 ( 宇治橋を渡り終えた境内の入口 ) に出る。


内宮の裏道沿いに残されている 「道しるべの標石」 ~ 12月25日撮影


 この昔からの裏道は、神宮関係業者等専用の自動車道でもあるが、一般参詣客の境内側からの立入は禁止である。 但し、12月31日の大晦日から元旦にかけては、市民や観光客らに解放され、年越し詣りや初詣の地元民らがひっきりなしに行き交う。
 小生は、いつも忍びで利用しているが、詰所の衛士にとがめられた事はない。


宇治橋を渡った 「内宮境内入口の大鳥居」 ~ 12月25日撮影


 水を散いたように、まだ雨水を含んでいる玉砂利の先には、「どんど火用」の木材が積まれ、シートで覆われている。 その脇には、奉納品の酒樽が囲いのようにぎっしりと積まれている。
 この風景は、絵葉書などには見られない、年末ならではの境内独特のちょっとた風物詩である。
年末ならではの 「内宮境内の風景」 ~ 12月25日撮影


境内に積み飾られた 「神宮御料酒」 の樽  ~ 12月25日撮影


境内に積み飾られた 「三重県産清酒奉納」 の樽々 ~ 12月25日撮影


 このすぐ前の参集殿先の御札の授与所に行き、「剣祓の御札」を一枚を求めたが、意外と昨年末の倍の値段であり、1,000円を納めて授かった。 昨今の値上げがここにも及んでいるのかと、この節の物価高にはちょっとため息をついた。
 その帰りに、宇治橋を逆に渡ってみると、参詣客の一群が絶え間なく渡って来た。

宇治橋から眺めた 「五十鈴川川上の水面」 ~ 12月25日撮影


 宇治橋の渡り口に出ると、大鳥居を前に記念写真を撮る人々の姿があり、行き帰りに深々と拝礼をしてゆく年配の参詣客らも何人か目にし、今昔たがわない皇大神宮の威厳と神々しさに、地元民の一人として薄れていた「お伊勢さん」を改めて体感した。
 引き返しがてら、宇治橋の欄干に唯一残っている、江戸時代からの刻字入りの「擬宝珠」を撮影し、足早に駐車へと戻った。


内宮・宇治橋欄干に、唯一残っている「江戸時代の擬宝珠」( 中央右の2つ目 )~ 12月25日撮影


内宮・宇治橋欄の 「擬宝珠のアップ」( 元和五 未己年の刻字が見られる )~ 12月25日撮影

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三月もラストとなり、伊勢の町にも桜が開花し始めました。

2021年03月27日 | 随筆・雑感・回想など

自宅裏の 「勢田川沿道の桜」 ~ 2021年3月24日撮影

 2月から3月にかけては、温帯低気圧の通過と移動性高気圧の張り出しで、 「三寒四温」 を繰り返しながら、3月もいよいよラストとなった。 今年の 「弥生」 は、比較的雨天が多く、桜の開花がやや早まった感があり、自宅裏の勢田川沿道の桜も中頃には開花をした。
 かつては桜の木々は、メイン道路の街路樹をはじめ、市街地の至る所にあって、花見をする市民の目を楽しませていたが、今は殆どが断ち切られるか、巨木や老木は枝払いをされ、数少なくなってしまった。


檜尻川左岸の 「土手道沿いの桜」 ~ 2021年3月27日撮影


 伊勢市の市街地の 「桜の名所」 と言えば、昔ながらの 「宮川堤」 が第一であり、他には倉田山の 「徴古館」 や 「五十鈴公園」 、 「檜尻川左岸」 ( 船江3丁目の土手道沿い ) 、 「豊宮崎文庫跡」 、そして 「牛谷坂」 の数本の桜の木立ちぐらいである。
 町街地以外では、二見町の 「音無山」 や 「三郷山」 ( 辻久留3丁目 ~ 二俣町 ) 、横輪町の 「風輪」 界隈の 「横輪桜」 など、数ヶ所が掲げられる。

二見町「音無山の桜」 ~ 2021年3月27日、登り坂の下から撮影

二見町 「音無山の桜」 ~ 2021年3月27日、登り坂の上から撮影


 この桜のシーズンにフィットした鑑賞石と言えば、以前にも紹介したと思うが、京都市亀岡市原産の 「桜石」 ( 紋様石 ~ ホルンフェルス中の菫青石の仮晶 ) があるが、ピンク色のきれいな水石としては、何と言っても 「桜マンガン石」 であろう。

観賞用に研磨をした、栗原鉱山跡産の 「桜マンガン石」 ~ 高さ約12cm


 この水石の原石は、全国各地のマンガン鉱山などから比較的多産する、菱マンガン鉱やバラ輝石等のマンガン鉱物 ( 鉱石 ) であるが、伊勢市近郊では奥伊勢の栗原鉱山跡 ( 度会郡度会町栗原 ) で産し、以前はかなりきれいな菱マンガン鉱がたくさん採集出来た。
 その鉱石を、観賞用の 「桜マンガン石」 に研磨をしたり、カボション・カットなど、貴石の 「インカ ・ ローズ」 に准ずる美石にも加工出来たが、昨今は現地に行っても殆ど採集出来なくなった。

栗原鉱山跡産の、手のひら大の 「桜マンガン石」 の原石 ~ 重さ約1.2kg

 今回は、コロナウイルス蔓延下での感染防止対策から、あまり外出する事がなかったので、春にちなんで 「桜」 の事を少し書いてみた次第である。




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新年の 1 月 6 日、志摩の名田漁港に行き 「 新型コロナウイルスの世界的蔓延について考える 」

2021年01月10日 | 随筆・雑感・回想など


志摩の名田漁港 ~ 2021年1月6日撮影

 新年になった正月 ・ 松の内の 1 月 6 日、寒波の少しやわらいだ冬日和に、修理の終わった車の調子を確かめるべ く、ふと思い立って名田漁港 ( 志摩市大王町 ) までドライブをした。
 こじんまりとした漁港には、真冬の荒波が打ち寄せるだけで、全く誰もいず、海風の吹く防波堤に行き、写真を撮った。 そして、寒さに耐えながら、昨今の時事問題をいろいろと考えてみた。
 今回は、その考察等を記してみた次第である。

 まず、第一は 「コロナ」 である。 この言葉ですぐに思い当たるのは、トヨタ自動車の乗用車の名前であり、地学や天文学の関係者なら 「太陽コロナ」 を思い浮かべるであろう。
 「コロナ」 の意味とその語源を調べてみると、ギリシャ語の 「王冠」 を意味する 「 corona ( コロナ )」 に由来するものだそうで、外来語辞典 ( カタカナ新語辞典 ) によると、
  ① 太陽の光冠  ② 教会などの円形シャンデリア  ③ キリスト教の僧の冠りもの
とある。

 次に、パンデミック ( pandemic ) と言う言葉は、日本語的には “ 感染爆発 ” などと訳され、感染症や伝染病が全国的 ・ 世界的に大流行し、非常に多くの感染者や患者を発生 … 云々、と説明されている。 英和辞典には、 「 (病気が) 広地域流行の 」 と和訳された形容詞となっている。
 さらに語源を調べると、これも元はギリシャ語の 「パンデミア」 で、パンは 「全て」 、デミアは 「人々」 を意味すると記されている。

 類似した用語に 「パンスペルミア」 と言う言葉があるが、これは地球の生命の起源に関する仮説のひとつで、パンスペルミア説 ( パンスペルミアせつ、 panspermia ) は、生命は宇宙に広く多く存在し、地球の生命の起源は地球ではなく、他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したものである - とする学説である。

名田漁港の防波堤と明神島 ~ 2021年1月6日撮影


 昨今は、 「コロナ」 と言えば 「新型コロナウイルス」 並びにその変異種を、即意味するようになった。 今や全世界的にこのウイルスが蔓延し、どの国も感染者が増加の一途か高止まりの様相であり、減少に転じたとのニュースは入って来ない。

 特に、医療関係者にとっては、その感染者らの治療や処置等の対応に追われ、心身の休息やケアの時間もゆとりも無く、院内感染のリスクを背負いながらも、道義的責任から日夜奮闘し、疲労困憊の日々であろう事を思うと、一庶民としては感謝の極みである。


 さて、ウイルスと言うこの 「ろ過性病原体」 は、細菌のレベル処ではなく、どこからでも体内に侵入する、超ミクロな始末の悪い生き物である。
 抗生物質が効かない事は勿論、やっと開発に漕ぎ着けた複数の製薬会社のワクチンの接種がどうにか始まったものの、人種や年齢、性別、体質、持病、病歴などに対して、果たして 100 % 万全なのか、その有効性の検証期間や臨床結果の蓄積データが殆ど伝わって来ないので、一抹の不安が無いでもない。

 もはや時間との戦いで、一つの国ではどうしようも無い程、一刻の猶予もない程にまで蔓延していて、地球規模での危機的状況なのではないだろうか … 。
 我が日本は、政府も含め、多くの国民の行動や社会的対応を傍観していると、国境が海洋に囲まれているせいか、はたまた、国民の微生物学的な知識や、医学 ( 感染症 ) に対する根本的な知識が欠如しているせいなのか、 「緊急事態宣言」 が成されても、まだまだ他人事のようにのんびりと暮らしている感が否めない。 都道府県レベルでの行政がいくら規制をかけようと、首都圏や大都会、都市部においては、その効果や感染のピークすら未だに見えて来ずに、 「医療崩壊」 が肉薄しているのではないだろうか … 。
 もはや、手遅れだとも言う医療関係者の発言も、ささやかれているようである。

 筆者は、寒波の到来で大雪にみまわれた地方は、さらに大変な状況ではないかと危惧しつつも、四国から東海地方、関東から東北地方の太平洋沿岸で、今にも巨大地震が発生しそうだと考えると、近未来はどうなるのであろうかと思わずにはいられない。
 医療のみならず、行政機関の崩壊に至れば、敗戦時のような混乱のもとに、富める者だけが生き延び、貧しい者は滅びゆくか、暴動に至る狂気の沙汰か、そんな宿命が待ち受けているようにさえ思われる。

 コロナウイルスの起源は、地質時代の原始の海にまで遡るであろう。 先カンブリア時代の海に発生した単純なプレ有機物 ( 有機物の先駆体 ) が化学進化を遂げて、単細胞生物へと進化し、約 6 億年に及ぶ地質時代の間に、動 ・ 植物の大発生や絶滅を繰り返し、幾度かのカタストロフィ ( 破局、破滅、生物の大絶滅、地球規模の大異変 ) に遭遇し、この間に古動物たちは、数知れない細菌やウイルスと体内で戦っていたであろう。
 それらに対する免疫をうまく獲得したものだけが、地質時代を生き延び、約 200 万年前に哺乳動物の繁栄した新生代の第三紀が終わり、第四紀の更新世時代になって、幾度もの氷河期を生き延びた動物の一種が、類人猿から始まって、人類へと進化したのは誰しもが知る処である。

 その後、約1万年の完新世時代の間に、人類は文明社会を構築し、地表を国家群へと区画し、地球生態系の破壊を省みずに、自然界の一部 ( 地形 ) を次々と営利的に至便化社会環境へと加工し続けて、その 「社会進化」 の度合よって、先進国、発展途上国、後進国等との区別や呼称が生まれた。
 しかし、地球を包む大気や海洋を満たす海水は、国家区画や社会進化とは関係なしに、毎年汚染を加速しながら周回し、地球の三圏を流転している。


志摩の海岸から神島を眺望 ~ 2021年1月6日・名田漁港にて撮影


 元来、コロナウイルスには複数のタイプがあって、各々の野生動物に寄生 ( 感染 ) をし、共存して来ていると考えられる。
 人類にとっては 「新型」 であっても、野生動物にはごくあたりまえの普通の病原体なのであろう。 それに感染していても全く発症しないのは、多くの野生動物は地質時代を通して既に免疫を獲得していて、その耐性形質が親から子へと代々遺伝するのだと考えられるのだが … 。
 生まれつき体力のないひ弱な仔動物などは、変異種には勝てなかったであろうが、現存しいてる野生動物の多くは、人にうつす事はあっても、人からうつるウイルスは希で、感染するのは 「真菌」 ぐらいではないかと思う次第だ。


 新年になった今、日本列島のみならず、世界中が新型コロナウイルスとその変異種の増加による、発症者多発の危機に直面している。
 もはや、一人ひとりが何をし、どうすれば感染を防いで生き延びられるのかを、第一に考えなければならないであろう。
 マスクを二重 ・ 三重にしての外出、室内 ・ 外での 3 密を避けるのはもとより、帰宅時の充分な手洗い、身体と衣服の完全なまでの消毒、喉や口腔のうがい、検温、並びに眼と鼻腔、耳穴などの洗浄も欠かせないはずである。


 そして、真近に迫っている太平洋沿海での巨大地震と、伊豆半島沖から富士山にかけての活火山の噴火も懸念されている。 この事もしっかりと念頭に置いて、日々の生活をすべきであろう。
 特に富士山は活火山であり、いつ何時に、およそ 300 年周期の大噴火が発生しても不思議ではないのです。
 ちなみに、直近過去の大噴火は 1707 年 ( 宝永四年 ) でした。




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霜月もあと数日、晩秋の小春日和に紅葉 ( こうよう ) を見に行く

2020年11月25日 | 随筆・雑感・回想など


紅葉の映える 「晩秋の五十鈴川」( 宇治橋川上の 「飛び石」 にて撮影 )

  祭日の 「勤労感謝の日」 までの三連休が過ぎ、霜月もあと数日となったこの処、ずっと小春日和が続いている。 伊勢市の市街地は、 「 Go To キャンペーン 」 で来訪の観光客らの歩く姿も殆ど無くなり、通勤・通学の時間帯を除いて、人通りがめっきりと減った。
 スーパーに買い物に行くと、早々とクリスマスや正月の B.G.M が流れている。
 師走の足音が迫る中、見頃となった紅葉を眺めに、伊勢市内から少し先の近郊まで、なるべく人のいないスポットに出かけてみた。


かつて、市街地の街路に色づいていた 「プラタナスの並木路 」( 2016年11月 撮影 )


 御幸道路を始め、市街地の色づく街路樹は悉く枝払いをされ、晩秋の紅葉の映える並木路は全く無くなってしまった。
 以前は、厚生小学校横の 「月夜見宮」 の辺りから宮町の大通りへと続く街路に、鮮やかに黄色く色づいていたプラタナス ( すずかけの木 )も、見るも無残な痛々しい姿となってしまっている。


朝日に映える、神宮司廳内部道路の 「銀杏並木」


 市内には、只一箇所だけ 「銀杏並木」 の残っている場所があるが、市民の出入りの出来にくい 「神宮司廳領頒部第二奉製所」 ( 宇治館町 ) のゲートを入った内部道路で、その入口から 100m 程、黄色一色の見事な銀杏の並木路 ( みち ) が続いている。


神宮司廳・第二奉製所入口のゲートから続く 「銀杏の並木路」


 昨今は色づいた楓やもみじ、桜、銀杏、ポプラ等の並木は、市街地では殆ど見られなくなったし、漆やナナカマド、ナンテンの実、カラス瓜、アケビ、蔦等の灌木や蔓草のブッシュ ( 藪 ) も、少し近郊に出ないと眺められなくなった。


大仏山公園内の 「晩秋の雑木林の散策路」


 晩秋の色とりどりの紅葉の立木やブッシュを眺めながら、そっと散策を楽しめるような小径は、県営の 「大仏山公園」 ( 伊勢市小俣町 ~ 玉城町・明和町 ) ぐらいしか無くなってしまったのが、今の伊勢市の現状である。
 ハイテク化が進む時代の進行に合わせた、町街地のインフラ等の整備は大変結構な事だが、「伊勢の町」 が歴史や文学、芸術、スポーツ等の振興・奨励都市であるだけに、四季折々の風情を感じさせなくなった晩秋の並木路の殺風景には、昭和時代を長く過ごしてきた者にとっては、一抹の寂しさを禁じえず、都市整備の行政に対して残念な気がしてならない。


紅葉の綺麗な 「晩秋の一之瀬川」(日向橋下の川原にて撮影)


   ( ※ 掲載写真5枚は、2020年11月24日に撮影を致しました。 )

  

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神無月もあとわずかとなった秋日和に、五十鈴川に出向く

2020年10月28日 | 随筆・雑感・回想など


御側橋のたもとより川上を眺めた 「秋の五十鈴川」

 神無月もあとわずかとなった10月27日は、朝からよく晴れわたり、太陽が昇るにつれてホカホカ陽気の秋日和となった。 どこもかしこもコロナウィルスが蔓延する中では、小旅行も控え、今夏以降は伊勢市の近郊へすら全く出ていない。
 伊勢市内はと言えば、道行く人々は皆マスク姿ばかりである。


五十鈴川の土手道から眺めた、架け替えられた 「御側橋」


 紅葉にはまだ少し早いものの、秋の深まりを感じながら散策をするのに、伊勢市内で最も手近な場所と言えば、宮川橋より川下の宮川右岸の雑木林か、五十鈴公園付近の五十鈴川界隈ぐらいである。
 この日は買い物に出たついでに、昼前の暖かな好天に誘われるままに五十鈴川に行き、御側橋の川下を少し歩いてから、五十鈴公園に立ち寄ってみた。


旧道橋の横に新設された 「御側橋」( 右側 )

まだ通行の出来ない新設の 「御側橋」 の入口


 楠部町から中村町の田畑を迂回する舗装道路を回り、架け替え工事が終わった 「御側橋」 付近の土手の下に車を止めた。 旧道の御側橋の真横に並ぶように完成した新架橋には、まだロープが張られていて、「立入禁止」 の札が下がっている。
 真っさらなコンクリートのこの架橋を少し眺めてから、その川下の川原へと向かった。


尾花とセイタカアワダチソウの咲き乱れる、五十鈴川左岸の土手下の小道」


 五十鈴川左岸の土手下の小道を辿ると、尾花 ( すすきの穂 ) とセイタカアワダチソウが咲き乱れていて、カメラを手に散策する人や、ジャージ姿でジョギングする人がいたが、雑草をかき分けて川原にまで降りている人は、誰一人といなかった。
 デジカメを手にし、イノコヅチ等がまとわりつくのを覚悟しながら、背丈程の雑草をかき分け、久しぶりにお気に入りの川原に行き着いた。


「神足石」 の見つかる御側橋下流の五十鈴川の川原


 ここでは、かつてきれいな 「神足石」 を何個か見つけたが、この日は10分程の間に 5 ~ 6 cm 程度の 「類似礫」 2個と、ちょっと面白そうな手のひら大の 「朝熊石」( あさまいし ) 1個を拾っただけで、すぐに引き上げた。


五十鈴川の川原で拾った 「神足石」 の類似礫

五十鈴川の川原で拾ってきた、手のひら大の 「朝熊石」


 帰りに、椎の実を拾いに五十鈴公園に立ち寄ったが、先客が大勢いた。 近くの幼稚園か保育園の園児達である。 女の先生らと一緒に楽しそうに、ビニール袋を手にして椎拾いをする黄色い帽子のちびっ子達も、皆マスクづくめであった。


秋の五十鈴公園に、椎の実を拾いに来ていた近くの園児達


 この五十鈴公園も昔は、鬱蒼とした随分広い憩いの森林であったが、そのスペースの大半をさいて体育館やスタジアムが出来、最近はさらに隣接地の雑木林を大々的に切り開き、広々とした駐車スペースが増設された。
 公園内に遊歩道はあるものの、そのスペースは昔時の半分以下となってしまっている。


昔に比べ随分と狭くなった 「五十鈴公園」 内の遊歩道


 それでも、幾つかの椎の大木は昔時のままで、昔ながらの秋ならではの風物詩を奏でていた。 椎拾いは諦め、写真を 2 ~ 3 枚撮ってすぐ車に戻った。
 帰宅したのは、午後1時半頃であった。



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春半ば … 、 久しぶりに横輪町の 「共栄橋」 下の川原を歩く !

2019年04月23日 | 随筆・雑感・回想など

共栄橋越しに写した、「横輪桜」満開の横輪の春風景

 4月に入って、伊勢地方も例年のように桜の季節となったが、今春は雨天の日もまじえ、半ばまでは寒・暖の日々を繰り返した。
 先週は、天皇・皇后両陛下が御退位の報告に、伊勢新宮におみえになられ、御幸道路沿いの我が家の前は、17日から19日の三日間はお通りになられる時間帯毎に、警備の警察官や歓迎の人だかりでごったがえした。

 いつもの事であるが、お通りになられる時間の3時間程前からは、家の中にいても屋外が騒々しくてたまらない。 17日は雨天だったので、人溜りにまじって拝顔する事もなく、午後は別棟のシャッターを下ろし、戸締りをして室内に閉じこもっていた。
 しかし、一夜明けた18日はからりとよく晴れた、穏やかな春爛漫の日和となった。


横輪町入り口の「横輪橋」から眺めた里山の風景


 伊勢市内各地の桜は、既に散ってしまったが、久しぶりにデジカメを持って愛車で郊外に出かけた。 いつも行く奥伊勢の探索コースを辿ってみたが、春らしい風景も川原の転石も、目にとまるものは皆無であったので、午後のひと時、久しぶりに伊勢の山里、桜の新名所(横輪桜で有名) でもある、横輪町の 「共栄橋」下の川原を歩いてみた。


「風輪」の真横を流下する横輪川

共栄橋の下に降りて撮影した「横輪川の川原」


 サニー道路から矢持町に通じる分岐路を、数100m程入ると横輪橋があり、ここから先が横輪町の村落である。 橋を渡った右サイドの左岸林道の入り口に、真新しい石碑があり、「 この自然 いつまでも残そう 子孫へ 」 との文字が刻まれている。


横輪橋を渡った袂の「石碑」と紅白桜


 そう言えば、ここ横輪町のように周囲の自然環境に対して、人の暮らしの手が必要最小限度しか加えられていない 「里山の風景」 は、伊勢市内では殆ど無くなった。
 我輩の知る限りでは、ここ横輪町界隈と小高い丘の上の神園町ぐらいではなかろうか … 。


「風輪」の前にある当地の「案内地図」


 横輪町の共栄橋の袂に、「風輪」(ふうりん) という道の駅風の交流施設がある。 その真横を回り込むように、横輪川が施設裏の駐車スペースの広場の背後にカーブし、蛇行して横輪橋へと流れている。
 共栄橋の真下は、こじんまりとした中州のように川原が盛り上がり、絶好の探石場となっている。


共栄橋の袂から眺めた上流方向の「横輪川」


 岩石の種類も豊富で、西南日本地質区外帯、秩父層群の各種の堆積岩類が転石となって堆積している。 水石で言えば、伊勢赤石や鎧石等の珪質岩(チャート) や紫雲石(輝緑凝灰岩)、伊勢古谷石(泥質石灰岩~珪質石灰岩、等) の他、那智黒石風の泥質岩(頁岩・粘板岩)や砂質岩(砂岩・硬砂岩)、石灰石(石灰岩)、龍眼石(石灰岩と輝緑凝灰岩の混成堆積岩) などである。

この日揚石した唯一の「赤鎧石」( 横幅約15cm )

 この中で、特に多いのは伊勢赤石と赤鎧石である。 もう少し横輪川を遡って矢持町の下村~菖蒲の村落に行くと、石灰岩の転石が増え、北方の山々は鍾乳洞のある石灰岩地帯となっている。 さらに上流の床の木に至ると、転石はまた赤石が増え、赤・白の鎧石が目立つようになる。


風輪のオープン時に揚石した、伊勢赤石の「川の字」状の滝石


 昭和30年代の半ば頃から昭和50年代初頭にかけての、いわゆる 「昭和の石ブーム」 の時代には、この横輪川(平家谷一帯) には業者らの盗石が後を絶たず、当地が三重県きっての名石の産地であり、数々の銘石を世に送り出していた経緯がある。
 横輪町の殆どの民家の庭には、今も立派な庭石や幾つかの名石があって、中には築山を備えた石庭のある家さえも見られ、まさにその事を如実に物語っている。



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