引退ブログ
どうもこんにちは。4年目のおおにしいずみです。
引退ブログと言いましても、書くことが思いつかないので、4年間の振り返りをしたいと思います。面白くなかったらすみません。
とりあえず、久我くん並みに長くなりそうなので、先に、好きな言葉を書いときます。めんどくさい人はこれだけ読んで貰えればと思います。
センスがあるか無いかなんて進むのが早いか遅いかの違いさ。
この言葉、ALL OUT!!っていう漫画のセリフなんですけど、良くないですか?
私はこの言葉と高校の頃出会って、そのころはボート始めた頃だったから下手くそで、ボートって結構、身長とか体力とかが実力差に直結することが多いじゃないですか。持久系のスポーツやってた人とか結構すごいじゃないですか。あとは、私自身、シングルがド下手くそで、チームで最下位、みたいな感じだったんですよね。
でも、ボートの競技特性的に、頑張った分だけ結果が付いてきやすくて、時間はかかるかもだけど、そこに行けるんだぞ、追いつくんだぞって気持ちにさせてくれたので、今でも忘れずにいます。
まあ、上の人も伸びていくスピードが速いんでしょうけど、
諦めない限り、届かない場所は無いんだろうなと思わせてくれるから、結構この言葉は好きです。亀みたいなスピードでしょうけど、この言葉のおかげで進み続けれたのではないかなと思ってます。
あ、もう疲れた人はここで読むのやめて大丈夫ですよ。大事なことは終わりました。ありがとうございました。
それでは4年間を振り返ってみます。
まず、入部の経緯ですが、もともと高校でやっていたので、入部することは決めていました。高校のボート引退後にボートロスがありまして、こんなにロスになるくらい素敵なボート競技にずっと関わって恩返しがしたいと思いまして、とりあえず、好きなことができて、身体もブンブン動くうちは選手として競技の復興に貢献できればと思い、入部を決めました。
とか言ってますけども、ボート漕ぐの楽しいんですよね、冬連は嫌いだけど。
私は保健学科だったので、医学部ボート部に入ろうかと悩んだんですけど、高校の顧問に、絶対全学のほうで頑張ったほうがいいといわれたので、まあ、無理なら医学部のほうに行けばいいかなと思って全学のほうにしました。大変な時もあったけど、全学でがんばれてよかったと思っています。
私はそんな理由で入部したんですけども、コロナが始まって1年目で私以外に入部した輩がいまして、そいつらはボートにも乗ってないのに入部していて変な奴らだなと思っていました。今も変わらず変なやつらばっかりです。
未だに、1年生の4月にやっていたオンライン練習のこと、吉田がオールのハンドルとブレードを逆につけていたこと、岩本とひなっちゃんが遅れて入部してきたことは昨日のことのように思い出せるので、私自身の引退は全然実感がないんですけど、同期が引退するのはすごく親みたいな気持ちになります。
今度、2、3年ぶりに同期で集まります。なんでこんなに集まっていないかは誰にもわからないんですけども、まあつまりはみんなボートしかしてなかったんですね。
そういえば1年目にしてインカレ選考に挑戦しまして、理由としては、コロナが始まった年でほんとに何もできてなくて、何か頑張りたいと思いましたからです。なんとか選考でクォドに乗ることができました。
Sえりさん、3 おおにし、2 山谷さん、B 矢部さん
結果は敗復落ちで、全国との差を感じました。
先輩と乗れて、たくさん教えてもらって、あとは、とりあえず、2000mレースのほうがいろいろ考えられて楽しいなということがわかりました。
2年目も、コロナに苦しめられましたね。春にも、秋にもコロナで部活動の制限、インカレの延期で新人戦がなくなりました。新人戦は、水産学部の同期と乗りたくて、たくさん準備したのに流れて、結構悔しかったです。
あとは、保健学科だけ部活動禁止だったみたいで、教員にインカレに行くことを伝えてしまって、行くなら2週間大学来るな、それでテスト受けられないで留年かインカレかの二択を迫られました。結局、先生方のご厚意でインカレに行くこともテストも受けることもできましたが、予定よりだいぶ遅い合流で迷惑をかけてしまいました。
Sえりさん、3えりちゃん、2大西、B珠美さん
ひなっちゃんがピンク頭!!!
なんでかわかんないですけど、私がいない間、戸田でクルーの雰囲気が悪くなってしまって大変だったみたいです。救世主だったみたいです。
インカレ直後に、初めて同期のえりちゃんと喧嘩と呼べるか分からない喧嘩をしました。次の日くらいにすぐ仲直りしたんですけどね。奥田さんとかひなっちゃんとかに助けてもらった記憶があります。
このころはインカレが10月に延期したことで、学校が始まっていて、オンライン授業や課題が終わらなくて毎日3時間睡眠を繰り返していて、練習も佳境になっていて、正直死ぬかと思いました。私の練習を支えてくれていたのはアミノバイタルでしたね。アミノバイタルのまなかった日はもう練習中バテバテでした。だからもうインカレ終わったら絶対1か月くらい休んでやると思っていましたが、なんか休み方がわからず、冬練や来シーズンの話が出てきてしまって、そのままずるずるやりましたね。まあちょうど、納艇時期だったので茨戸にも行けなくなったので早起きがなくなって授業と両立がどうにかできたんですけども。
まあそんな感じでインカレ前からなんだかんだ精神状態は良くなかったんで喧嘩してしまったんですかね。色々重なってしまいましたね。
もしえりちゃんが全学にいてくれて、それで4年生になったとき、一緒のクルーでインカレとか出れたのかなってたまーーに考えます。えりちゃんならエルゴもどんどんタイム出てたと思うので、スピードとかめたんこ速かったのかなぁって思います。喧嘩もするかもしれないけど、楽しそう。HOBで乗ったダブルとか楽しかったし超がんばれたし、茨戸の水で水分補給してしまったし、思い出深い( ˘ω˘ )
お互い連絡とるのは得意じゃないから超ご無沙汰な感じだけど、今でも同期だと思ってるし、元気にやってるかなって思ってます。元気が1番。またご飯いこうね。
3年目は、なんかずっと体調が悪かった記憶があります。
4月は寒い中バックスプラッシュかかって(玉川の)、家帰って高熱、まあ3日くらいで治ったんですけど、復帰後調子乗って練習していたら、風邪が治りきっていなかったみたいで、湿疹が出まして、さすがに親にも怒られ、完全に治るまでは休めと言われて休みましたね。それで湿疹も治ったと思ってまた行ったら、治ってなくて湿疹が再発し、また怒られ、また休むことになってしまいました。休めるうちに休むのは大事で、完治させることも大事で、何よりも、自分の体調を過信せず、調子に乗らずに練習を再開することがほんとうに大事ですね。
生理痛もきつくて、毎月1回は休んでしまったし、最後の最後はインカレでコロナになってしまって、踏んだり蹴ったりでしたね。
でも(?)、福政さんとのダブルは過去一笑いながら練習しました。楽しかった記憶たくさんです。東北戦は相手さんに10艇身差付けて勝つと言われまして、ちゃんとそのくらい差を付けられてしまってとっても悔しかった記憶があります。
今見るとド下手くそで、改めて今乗ったらどのくらいのタイム出るのかなって思います。
11-12月の実習後もなんか体調崩して全然動けなかったし、動けないことが辛かったです。とりあえず年明けから少しずつ部活参加出来るようにはなりましたが、間に合わなかったなぁーと思いました。なので、みんなには細々とでいいから冬練続けて欲しいです。健康を保つのも練習というか慣れというか、自分で正解を見つけなきゃいけないものだなって思います。
4年目は半分以上、病院実習で休んでしまいました。でも、とても濃い時間を過ごしたような気がします。
4月から2ヶ月×2の病院実習があり、1つめの病院は今思うと厳しい病院だったのかなと思います。
分野は循環器(心臓とか血管とか)で全然知らない分野で、春休みはボートしか漕いでなかったのでしょうがないですけど、病院の人には「完全に勉強不足」と言われ、毎日毎日遅くまで勉強して、それでも毎日分からないことばかりで聞かれたことにも答えられなくて、本当にしんどかったなぁと思います。出勤も不定休って言うんですかね?平日休みもあるけど、土日に出勤も多く、平日休みに茨戸に行こうと言う気持ちにならなくて、休むことで精一杯でした。言い訳ですかね。。。
久々に茨戸に行ったときには、福政さんや奥田さん、久我などなど、たくさんの人に目の輝きが失われている、だとか、社会の荒波に揉まれてすさんでるとか言われました。
今思うと、ほんとうに病んでたんでしょうね。
こんなに練習できていない状況で毎日練習を頑張っている人たちと肩を並べられるわけもないので、インカレに出てもいい結果なんて残せないからもう出たくないとまで思っていました。
でも、まだ元気な頃に申し込んでいた茨戸レガッタは頑張って出るか~って思って出たら、やっぱりボートこぐと楽しいな~ってなって、どうしようかな~、やめるっていうのも周りに迷惑かけるし、多分辛いし、やってみるかな~ってなりました。唯一救いだったのは、2つめの病院がちょっと近いところにあって、少し優しくて、少しだけ余裕が生まれたことですね。
こんな練習参加してないやつがインカレ挑戦しますって言っても、喜んでくれた女子のみんな、コーチ、監督、本当にありがとうございました。大西がインカレには必要ってコーチが言ってくれたのもちょっと嬉しくて頑張らなきゃな~ってなりました。
東北戦も頑張って見に行ったら、みんなが去年よりも東北に迫っているのを見て、すごく嬉しくて感動したけど、同時にそこに居ない自分に悲しくなりました。やっぱりボート部でみんなと頑張りたいし、活躍したいんだな~って思いました。
東北戦の次の週に国体の予選があって、その次の週に選考があったので、エルゴをしてはいたんですけど、週1くらいだし、まじでへろへろだしで、国体予選も選考も負けちゃうかもなって超超超弱気でしたね。
でも勝ちたくて、久々に超緊張して挑んだ国体予選は後輩の大向にちゃんと負けましたね。あのレース、ほんとに体力が足りなくて負けた、って感じで結構悔しかったんですけど、江川さんは練習不足だねってグサッと言ってきて、男子なんか、エッセンルームで私が大向の後ろにいるのに、みんなで大向に拍手してて、大向が頑張ってて、すごく成長したことはみんな知ってるし、わたしなんか3ヶ月近くなんもやってないからしょうがないけど、みんな私のこと考えてる?って思ったし、ボートってほんとに勝ちしか意味ないなって、思いました。
ていうか、わたしって結構負けず嫌いなんだなーって思いました。(多分みんなは知ってる)
でも、なんだかんだちょっとずつ体力は戻ってきてて、選考の2000TTはもうちょい頑張れるかな~って思いました。
実際はそんなことなくてクソきつかったんですけども、福政さん、奥田さん、伊藤亮太さん、といった5年目の先輩方がめちゃんこ応援してくれて、どうにかタイムが出て、対校クォドに乗れました。
S 大西、3 たま(玉川)、2 せき(関)、B ます(増田)
やっぱりちょっとTシャツはダサく見えるからかっこいいの揃えなね。
そういえばこの頃からです、キモ生活を送っていたのが。
土日とは別に平日週1回、茨戸で練習してから病院実習に行ってました。
病院は家から自転車で30分、茨戸から70分です。まあさすがに体力的に無理なので、茨戸から30分チャリ漕いでバス乗ってました。
つまり、こうです。
前日23時くらいまで課題→3時半に起きて茨戸→チャリ40分→練習→チャリ30分→バス30分→病院→バス→チャリ20分→自宅
まあ週1だけなので、どうにか耐えました。病院では意識が飛ばないように必死でした。何回かウトウトしてるのを見られました笑 優しい指導者さんで良かったです。
毎日自転車で行っていたので汗だくでもなにも違和感なくて、完璧でした。いうてもこの生活は1ヶ月くらいしかやってないので、計4回くらいだと思いますが。
それでもこの一日がハードすぎて、他の日は土日に向けてエネルギーを回復させることしかできてませんでしたね。笑
こんなふうに頑張った感あるんですけども、この前、某大学の某選手のブログでは実習中も毎日ウエイトかエルゴとかで練習していて、院試も合格していて、ああ、まだ頑張りがたりなかったのかなと思ってしまいました。まあでも、そのときそのときで、私は生きるのに必死だったし、人には人のキャパってあるなって思ってとりあえず合格としたいです。
そんなこんなで、実習が終わって本格的に動き出せたのは8月2週目からでした。今思うとよく間に合ったなと思います。実際間に合ってはいないかもしれないですが(笑)
クルーづくりにしても、体力的にもギリギリでしたね。体力は整調で、嫌でも漕がされたので、1.5倍速で体力が戻った気がします。なんなら上回ったかもしれない。とりあえず色んなメニューに対してのハードルが下がりました。まああれかもですけど、ラストの年なので気力で動いてたかもですね。
たまもますもせきもよく頑張りました。クルーが完成するのは絶対ギリギリだとは思っていたので、そんなに焦ってはいなかったけど、予想を上回って頑張ってくれました。ありがとう。
たまはまだ下手くそなところ沢山あるけどゆっくり直していこうな!!!
私のレートはたま次第だったね、沢山支えてくれてありがとう。300mで辛いのは気のせいだったでしょ、もう一生そこで落とすなよ(*^^*)
せきちんはあなたほんとに1年生?っていう漕ぎと考え方を沢山持っててびっくりしたよ。多分まだまだ教え切れてない気がするからまだまだ伸びるね。えらい子なので、無理はしないようにしようね。せきの雄叫びのおかげで踏ん張れましたよ。ありがとう。全国で関が活躍してる姿を見て、私が育てたようなもんって胸を張るのが夢です。ほぼ何も教えてないけど(笑)
まっすー!あんたちゃんとバウで漕げるようになったじゃないかい!一時はどうなることかとヒヤヒヤしたよ。たくさんたくさんコール入れてくれてケツ叩いてくれてありがとうね。ますのコールで何回も心折れかけながら漕げました。我とますのコンビで戸田での航行もバッチリだったね。ぴーす。茨戸最後のTTはブイパコ2回の超蛇行したけど。爆笑ばくしょう。
1,2年のときにでたクォドは敗復落ち、それを考えると、B決勝に行けたことは、出場クルーの運もあるけど確実に実力が着いてきたと考えていいのかなと思います。前もブログに書いたかもしれないけど、とりあえず全国で戦うスタートラインにやっとたてました。
B決勝では他の3艇とは10秒以上の差が開きました。賞状争いに参加することも出来なかった。悔しい悔しい。でも今の私たちの全力が出せたレースでした。出力が落ちることもほとんどなく、最後まで勝ちにこだわって攻め続けてくれました。それが私は本当に嬉しかったです。
課題は浮き彫りになったと思うし、また一回り大きくなった北大を来年の戸田で見せて欲しいなと思います。
女子キャプテンとしては不在にしてた時期も含めて本当に何もしてなくてごめんなさい。頑張ってくれた同期のみんな、3年目のガールズありがとう。
北大ボート部、どんどん良くなってきてると思ってます。全員戦力で戦えるように、急がずに、でも休まずに。
そういえば、ボート歴7年目にして初めて整調としてレースに出ました。
私、あんまり自信がないので、漕いでるリズムが合ってるのか不安になりますし、後ろが落ちたら付いてこいよみたいな漕ぎはできず、一緒に落としてしまうし、あんまり整調タイプじゃない気がしますけども、なんかだんだん私がしっかり漕がなきゃという気持ちも芽生えてきて、整調っぽくなれたのかなって思いました。うん、だから、多分、誰でもできます。段々できるようになるんです。だからこれを読んでるそこの君、自分に自信もってもりもり漕いでくれ、それでなんか言われたらちゃんと修正して、たくさんたくさん思いっきり漕いでほしいな。
不安になったらお手本にしてる動画でリズム取って漕げばどうにかなったので、大丈夫だ!
艇を速く進めること。ただそれだけなのに、なかなかうまくいかなくて、でも正しいアプローチだったときはちゃんとタイムに出て、ローイングの奥深さと楽しさを感じます。エルゴなんてものはくそつまらないけど、ボートに乗ると楽しくて許してしまいます。
本当にこんなに打ち込める競技に出会えて、素敵な先輩後輩、同期に恵まれて、幸せです。
きっとわたしが完璧な漕ぎになるまでにはあと何年もかかるんだろうなって思います。ちょっと上手くなってきたところなので、もう少し上手になりたい気持ちもあるんですけど、とりあえず少しだけ休憩させてもらおうかなって思っています。女子の学生コーチがいなくなってしまうので、やろうと思っていたのですが、院試が不合格でして…(´・_・`) ボート漕ぎすぎました。申し訳ないです。
とりあえず進路考えなきゃなのと、国試の勉強と、未来有望な下級生たちをきちんとサポートしたいと思います。
想像以上に長くなったし、思いついたことを適当に書いたのでまとまりはないですが、これで終わります。ほんとにこんな長いし大したこと書いてないのにここまで読んでいただきありがとうございました。
漕ぎたくなるかもしれないけど引退!!!!
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