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語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~

2015年11月11日 | ●佐藤優
 (承前)

(3)最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い
 イスラムには法という人間の行動の善悪を定める客観的な基準があるが、キリスト教にはない。
 すると、どうなるか。最後の審判への態度が大きく変わる。
 最後の審判こそ、キリスト教の性格を形づくり、さらに資本主義を解く鍵になる。
 イスラム教の最後の審判では、本人が何を行い、何を考えたか、生前の詳細な記録が背後にいる天使によって記録される。一人一人にデータファイルがつくられる。イスラム法に照らせば、記録された行いが正しかったか違反したか、すぐわかる。悪行と善行、どちらが重いか秤にかける。こうして責任を追及されるが、弁明のチャンスもある。
 そんな手続きを踏んで判決が下る。合理的だけれど、もし善行と悪行どおりに判決が下るなら神の「裁量」の余地はない。裁かれる人間は判決が予測できる。
 判決が予想できるなら、イスラム教の最後の審判では切迫感や終末観は薄れていく。
 他方、キリスト教の最後の審判はデータファイルを必要としない。善行も悪行も関係ない。神(イエス・キリスト)がすべてを知っているわけだ。弁明も許されない。だから、どのような判決が下るのかわからない。極めて恣意的だ。裁く側の思いのままだ。しかし、本来、キリスト教はすべの人間は原罪を持っていると考えるから、全員有罪の判決しかあり得ない。
 「信じる者は救われる」と、聖書に直接そう書いてあるわけではないが、みんなそう信じている。「信じる者は救われる」ならば、敬虔なキリスト教徒は全員無罪だ。しかし、原罪があるから全員有罪もあり得る。一言でいえば、最後の審判で救われるかどうかは、神の胸三寸だ。イスラム教と比べてキリスト教の最後の審判はとても不確定な状況だ。
 でも、キリスト教の最後の審判を待つ人の心境は、ビジネスの現場にいる人間の心理に近いだろう。自分の努力ではいかんともしがたい力・・・・運が作用するから、いまは成功しているかもしれないけれど、安心できない。もっと頑張らねば、と危機感を持つ。あるいは一発逆転の希望もある。
 私たちは人生数十年、まあまあ長い人生を生きている。生きているうちか死後かわからないが、必ずイエス・キリストが復活して、最後の審判がはじまる。無罪ならばいい。しかしいくら善行を積んでも、無罪になるわけではない。有罪の裁きが下ったら、自分の人生は何だったのだろうか、と大きな喪失感を抱くのではないか。
 有罪になると、エルサレムの近くのゲヘナという場所に連れて行かれ、生きたまま永遠にあぶり焼きにされる。苦しい。こんな最後の審判を信じていたら、地上でおちおち生きていられない。
 キリスト教が広まったころは、すぐ終末が訪れると考えられていたから、誰もそんな細かいことを真面目に考えていなかった。最後の審判と言われても、ピンときてなかった。
 けれども、そのうち社会秩序ができあがり、どう考えてもキリスト教の教えと関係ない封建社会、身分制社会ができた。領主に支配される農奴は、「何で俺は農業をやらなきゃいけないんだ。そんなことは聖書に書いてあるのか、聖書は読んでないけれど、こんな世の中は間違っていることぐらいわかる」と思うわけだ。
 そんな不満を持つ人びとに、教会の聖職者はいう、「おまえたち、いまは苦しんでいるかもしれないけれど、教会税をきちんと払っているだろう。それは教会が、最後の審判のときに、執りなしてやるからなんだぞ」。そう言われて貧乏人や不幸な人びとも納得する。
 しかし、教会がイエスに「こいつを救ってやってほしい」と言えるのであれば、地上の不合理を固定化してしまう作用を持つ。
 しかも中世のカトリック教会は罪を軽減できる贖罪状(免罪符)を発行した。教会や聖職者は神との取り次ぎもしたのだ。信徒にとって教会は絶大な権威だった。
 ルターの時代、教会で売る免罪符は「お金がチャリンと音を立てさえすれば、亡くなった親の魂は、煉獄の炎のなかから飛び出して天国に舞い上がるのだ」みたいに宣伝された。むろん、そんなことは聖書に書いてない。それならもう、これはビジネスだ。来世をネタにした地上ビジネス。
 問題は、この地上型ビジネスは、ナザレのイエスの思想と何ひとつ関係がないこと。信徒もよく考えればおかしいと思うのは当然だ。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  
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【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~

2015年11月11日 | ●佐藤優
 (承前)

(2)なぜ人間の論理は発展したのか
 なぜ人間の論理は発展したのかといえば、神と言い争うためだ。そして、神と人間の争いは今のところ人間の連戦連勝。さもなければ、すでに人間は神に滅ぼされている。
 神は、人間に論理と自意識を与えたがゆえに、悪そのものに見える人間を滅ぼせない。神は人間をつくった製造者責任の論理に縛られているのかもしれない。
 これは、ひとりキリスト教のみならずユダヤ教やイスラム教も同じことだ。
 同じ神を戴くのに、どういうわけか、資本主義に対する適性、不適性が分かれる。
 イスラムにはシャリーアがある。ムスリムはシャリーアに従っている限り自分は正しい、と考える。法律ではあるが、神から与えられたものだから神の意思そのものだ、という認識だ。
 キリスト教はこれをやりたかったが、できなかった。シャリーアに相当する法をつくり損ねた。だから、イエス・キリストというひとりの歴史的人物と、それが神である信仰と、そこにまつわるさまざまな言説だけを頼りにして、人間の行いを正当化するための論理をこねくりまわすしかなかった。
 モーセは120歳まで生きた。ムハンマドは62歳で死んだ。しかし、イエスが磔にされたのは30代だ。二人に比べてイエスの活動期間は極めて短かった。言行録も非常に少ない。だから、便利なアナロジーを使って尾ひれをつけて行った。
 アナロジーは常識的に考えれば人間が展開したのだが、キリスト教はねじれている。アナロジーを展開する主体が聖霊や神になる。
 人間がやったのに神がやったことにするなんて、本来の一神教にはありえないロジックだ。キリスト教が唯一神教ではないのは確かだ。三一神論では神はひとつだが、父、神の子イエス、そして聖霊という三つの現れ方をするとしている。一神教のルールブックがあるなら、反則技だ。
 ユダヤ、イスラムのような正統の一神教から、キリスト教は大きくずれてしまった。シャリーアという固定した法に従うイスラムと違い、アナロジーに頼るしかなかったキリスト教は、人間の行動がどんどん変化していく余地がある。
 イスラムには法という人間の行動の善悪を定める客観的な基準があるが、キリスト教にはない。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎

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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~
【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~
【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~
【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~
【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  
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【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~

2015年11月11日 | ●佐藤優
 『あぶない一神教』は序章を含めて6つの章で構成されている。
  序章 孤立する日本人
  第1章 一神教の誕生
  第2章 迷えるイスラム教
  第3章 キリスト教の限界
  第4章 一神教と資本主義
  第5章 「未知なるもの」と対話するために

 ここでは第4章をとりあげる。この章は資本主義との関係で主にキリスト教をとりあげるが、ユダヤ教やイスラム教にも言及する。第4章は次の各節からなる。
 (1)資本主義は偶然生まれたのか
 (2)なぜ人間の論理は発展したのか
 (3)最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い
 (4)15世紀の教会はまるで暴力団
 (5)隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか
 (6)自然は神がつくった秩序か
 (7)働くことは罰なのか
 (8)市場経済が成り立つ条件
 (9)神の「視えざる手」とは何か
 (10)なぜイスラムは、経済がだめか

(1)資本主義は偶然生まれたのか
 宗教と資本主義の関係は100年も200年も前から、さまざまな人びとが議論してきた。最もよく知られているのはマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だ。
 プロテスタント、なかでもカルヴァン派の禁欲的な態度が資本主義を生み出した。いったん資本主義が生まれると、たちまち世界に広がっていった。この見方はウェーバーの重要な業績として、多くの人びとが知っている。
 だが、プロテスタンティズムにもカルヴァニズムにも資本主義を生み出す力はなかったのではないか。資本主義につながる何かを偶然掴んだだけではないか。
 換言すれば、①論理で説明すべきか、②歴史的経緯で説明すべきか。②なら偶然の要素が絡んでくる。<例>気象条件、民族、戦争の勝敗。
 神学的には、ウェーバーは誰を通してキリスト教を知ったのかが問題だ。注目すべきは、ウェーバーと一時期、同じ建物に住んでいたドイツの宗教哲学者エルンスト・トレルチだ。
 トレルチは、イエスの人生を実証、研究するなかで、イエスの実在は証明できないと結論づけた。その後、キリスト教の教義は歴史実相的に検証した結果、正しいとはいえないという答えに達した。このプロセスをトレルチはウェーバーと議論している。
 トレルチは、①論理だけでキリスト神学が語られるなか、②歴史学、つまりは偶然の要素を取り入れようとしたユニークな人物だ。ウェーバーはトレルチに大きな影響を受けた。
 トレルチとの関係を見ても、ウェーバーの資本主義論は、①論理的なるものと②歴史的なるものとが渾然としている。
 では、①資本主義はキリスト教の論理からかたちづくられたのか、②偶然産み落とされたのか。
 まず①論理面から見ていくと、キリスト教と資本主義を考える上で重要なポイントがいくつもある。原罪、自己正当化、最後の審判、自然、権利、所有権、貨幣、価値。あとは、教会、ヒエラルキー、労働。
 まず前提としてウェ-バーは、カルヴァン派の禁欲的な態度が資本主義が生まれる基盤を準備したと説いた。だとすれば、資本主義、そして原罪のグローバル経済はキリスト教が生んだのだからキリスト教世界と相性がいいと考えられる。
 しかし、キリスト教世界と資本主義は相性が悪いとも考えられる。なぜか。キリスト教には原罪があるからだ。人間は正しくない、自己肯定ができない、神がいなければどうしようもない。キリスト教では、人間をそう捉える。
 現実のビジネスは、自己利益の追求だ。もともと間違いを犯す人間が、自分の利益のため全力をあげているわけだから、キリスト教が是認できるはずはない。キリスト教と資本主義は対極にあるように見える。
 旧約聖書では、神はこんなどうしようもない人間連中は洪水で殺してやるとか、しばいて叩き直してやろうとか、とにかく攻撃的に怒り狂う。ユダヤ教のヤハウェはまさに怒れる神だ。
 しかし、この人間はただやられているわけではない。神から論理の力を貰っているから、神の言葉でさえ常に論理ではね返そうとする。「創世記」冒頭で、「木の実を食ったか」と神に問われたアダムは、「あなたがつくったこの女に勧められたから食った」と言い訳する。さらに、「あなたが、そもそもこの女をつくるから、こんなことになったんだ」と神に責任を押しつける。なにがあっても自己正当化する。

□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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 【参考】
●第3章 キリスト教の限界
【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~
【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~
【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~
【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~
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【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~
【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~
【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~
【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~
【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~

●第4章 一神教と資本主義
【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~
【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~
【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~
【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~
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【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~
【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~
【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~

  
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