語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】近代戦は個人の能力よりチーム力 ~昭和史(7)~

2015年11月06日 | ●佐藤優
 (承前:昭和史を武器に変える10の思考術)

(7)近代戦は個人の能力よりチーム力
 (1)-⑨ノモンハン事件(1939年)の実態はいまだによくわかっていない。あまりの惨敗に、責任追及を恐れた軍部が記録をあまり残さなかったからだとも言われている。しかし、敗戦は戦訓の宝庫だ。ここでは航空戦について見る。
 ノモンハンにおけるソ連の主力戦闘機は、I-15とI-16だった。Iはイストロビーチェリ(戦闘機)。
 I-16は実戦で使われた世界初の単葉機で、脚も引き込み式だった。しかし、旋回が悪くて空中戦に剥かないので、速度は遅いけれども旋回性に優れるI-15(複葉機)も並行して造った。ソ連軍は、この混成部隊だ。
 最初、日本軍の九七式戦闘機(単葉機)とI-15との空中戦が始まる。やがてI-15はスッと逃げてしまう。すると上空からものすごいスピードと強力な火力を持つI-16が急降下で襲ってくる。それまで戦闘機戦といえば、互いに顔を見合わせて羽根を振って挨拶してから一対一の決闘をしていた。ところが、ノモンハンの空中戦は、パイロットの技量に頼る個人戦から編隊によるチーム戦に変わった。
 それと、日本の戦闘機は滑走路がないと離着陸できない。しかし、ソ連の戦闘機は、見た目は不格好だが、畑の上に下りて畑から飛び立てる。実際の戦闘を考えて造られている分、強かった。
 個人戦よりチーム戦。これは後に圧倒的に優秀な零戦を前に米軍が取った戦法でもあった。
 ノモンハンの貴重な戦訓を活かさなかった日本軍は、近代的な組織にうまく転換しきれなかった。
 同様に近代的なシステムに転換できなかったのがインテリジェンスだ。日露戦争ではストックホルム駐在の明石元二郎・大佐が活躍するなど、日本のインテリジェンスは大きな成果を挙げた。
 ところが、それが昭和の戦争では発揮できなかった。なぜか。
 日露戦争のころは、明石のような余人をもって代えがたい“情報の神様”が莫大な資金を武器に展開する特務機関方式が日本のお家芸だった。つまり、個人の能力に頼っていた。
 ところが、次第に明らかになったのは、他国は組織で情報戦を戦っているという事実だった。それに気づいた陸軍が中野学校をつくったのが1938年で、海軍はもっと遅れをとっていた。
 外務省は、戦時中のベルリンでは日本円がもはや信用されず、物資を調達できなくなった。で、ベルリンの大使館員はスイスへ行った。スイスでは、日本円がいくらでもスイス・フランに交換できた。それまでは大使館用の金塊などをこっそり潜水艦で日本から運んできたのだが、それが分かってからは日本円を大量にスイスへ運べばいい。
 問題は、このとき、なぜスイスで日本円が使えるのか、誰もその理由を考えようとしなかったことだ。
 実は、スイスで交換された日本円は、米国のダレス機関に渡っていた。スパイを日本に上陸させて活動させる工作資金として日本円が必要だったからだ。
 要するに、ベルリンの大使館員は、米国の諜報用の紙幣を自ら進んで提供したわけだ。
 これも、経済も含めた総合的なインテリジェンスの世界に、戦前の日本が追いついていなかった証左の一つだ。

□佐藤優「昭和史を武器に変える10の思考術」(「文藝春秋SPECIAL」2015年秋号)
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 【参考】
【佐藤優】戦略なき組織は敗北も自覚できない ~昭和史(6)~
【佐藤優】人材の枠を狭めると組織は滅ぶ ~昭和史(5)~
【佐藤優】企画、実行、評価を分けろ ~昭和史(4)~
【佐藤優】いざという時ほど基礎的学習が役に立つ ~昭和史(3)~
【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~
【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~

  

【佐藤優】戦略なき組織は敗北も自覚できない ~昭和史(6)~

2015年11月06日 | ●佐藤優
 (承前:昭和史を武器に変える10の思考術)

(6)戦略なき組織は敗北も自覚できない
 大東亜戦争に突入したのは陸軍の暴走だ、と言われることが多いが、安全保障のための緩衝地域、資源などの権益を求めて大陸へ進出して行ったプロセスは、進出の是非はさて措き、それなりに考え方の跡をたどることはできる。
 理解しがたいのは、むしろ海軍の戦略だ。本気で米国と戦おうと考えていたのなら、なぜ「大和」や「武蔵」のような無意味な巨艦を造ったのか。島嶼戦を考えるならば、海軍陸戦隊を海兵隊に再編すべきだった。実際の海軍の戦略には、実戦への覚悟が感じられない。
 結局は、成功体験にとらわれ、日本海海戦の延長戦上で考えていたからだ。「最後は艦隊決戦だ」という日露戦争以来不変の戦争観だった。だから海軍は、敗北を認識するのも遅かった。すでにサイパンもグアムも玉砕しているのに、「武蔵」が沈んで初めて
 「まだ『大和』があるけど、もしかしたらダメかもしれない」
などと気がついた。敗北に気づくのが遅れたのは、勝利のためのプランがそもそも成立していなかったからだ。
 日本の軍隊では、ロジスティックス(兵站)という思想が非常に脆弱だった。陸軍は、食い物が欲しかったら軍票を渡すから現地で調達しろ、という。これでは住民との関係が悪化するしかない。海軍は海軍で、艦隊決戦主義だから、敵の商船妨害はおろか、味方の輸送船警備もおろそかにしていた。
 しかも、海軍は戦争末期まで資源などの分配をめぐって、陸軍と争い続けた。陸海軍ともに、官僚組織の病弊であるセクショナリズムが骨の髄まで染み渡っていたからだ。
 こうした兵站軽視とセクショナリズムが端的に表れたのが、1932年以降、
   陸軍が一生懸命航空母艦を造った
ことだ。ミッドウェー海戦のあと、海軍が輸送船の護衛をしてくれないから、陸軍は「あきつ丸」ほか4隻の揚陸艦を航空母艦に改装した。海軍が分けてくれないから、といって艦載機まで自力開発している。世界広しといえども、陸軍で空母を造ったのは日本だけではないか。
 そのとき海軍は何をしていたか。
 回状を回して「陸軍の造った船であって敵艦ではないので、沈めないように」と知らせただけだ。
 実際、海軍は、陸軍艦を敵艦と勘違いして、けっこう沈めている。まさに絵に描いたような縦割り組織の自滅だ。 

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 【参考】
【佐藤優】人材の枠を狭めると組織は滅ぶ ~昭和史(5)~
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【佐藤優】いざという時ほど基礎的学習が役に立つ ~昭和史(3)~
【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~
【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~

  


【佐藤優】人材の枠を狭めると組織は滅ぶ ~昭和史(5)~

2015年11月06日 | ●佐藤優
 (承前:昭和史を武器に変える10の思考術)

(5)人材の枠を狭めると組織は滅ぶ
 官僚化した日本軍は、すさまじい受験社会でもあった。海軍ならば兵学校の卒業席次をさす「ハンモックナンバー」、陸軍ならば陸軍大学校卒業時の「天保銭組」であるか否かが後々までついてまわり、出世にも影響した。
 しかし、苛烈な試験を行えば人材が集まり、育つというわけではない。むしろ、選抜をひとつの方式に偏らせてしまうと、エリートであればあるほど、それに過剰反応を起こしてしまう。
 人材という観点から昭和前期を見ると、大正時代に培った人材(高度な教育を受けた)を無造作に消費していった時代だ。
 大正時代の日本は、教育が大きな成果を挙げた時代だ。大学令(大正8年)は、大正デモクラシーより大きな出来事だ。帝国大学以外に、公立大学、私立大学を認め、高等教育を受けられる人口を飛躍的に増やした。
 そうして養成した人材が、昭和前期には戦争で消費された。放物線の計算ができなければ航空母艦に体当たりできないといって特攻機に乗せられた学生がいた。大蔵省の若手官僚が、経理将校として前線に送られ、戦死した。
 人材が使い捨てにされる中、比較的トップエリートを温存した組織は外務省だ。外務省は早くから「負ける」とわかっていたから、戦時中に若手エリートをヨーロッパに研修に出した。語学と教養を身につけさせた。その結果、戦後は外務省の時代になった。幣原喜重郎、吉田茂、芦田均といった外交官出身の首相が相次いだのは偶然ではない。
 また、組織にはコアなエリートばかりではなく、異質な人材も必要だ。どんな不測の事態が起こるかもしれないからだ。状況が激変したとき、似たタイプのエリートばかり集めていては全滅する危険性がある。普段はさほど役に立たないように見えたり、クセが強いような人材でも、いざというときのためプールしておくことが、組織としては重要だ。
 しかし、昭和は前期も後期も、そういう異質な人材をプールしておく余裕に乏しい時代だった。日本のエリート育成システムは、明治・大正までは専門などによっていくつものコースを選び得る複線構造になっていたが、昭和になると、最終的に軍を頂点とする単線構造になってしまった。戦後、軍隊がなくなると、今度は経済に一本化された。団塊の世代にしても、学生運動をあれだけやった後で、みんな企業戦士になってしまった。
 エリートは、本来、分散化していなければならない。ビジネスで成功する者、官僚、政治家、作家、学者・・・・みな適性が違う。したがって、より幅広い人材を活用できる。そのほうが、組織も社会も安定性が高まる。

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 【参考】
【佐藤優】企画、実行、評価を分けろ ~昭和史(4)~
【佐藤優】いざという時ほど基礎的学習が役に立つ ~昭和史(3)~
【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~
【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~

  

【佐藤優】企画、実行、評価を分けろ ~昭和史(4)~

2015年11月06日 | ●佐藤優
 (承前:昭和史を武器に変える10の思考術)

(4)企画、実行、評価を分けろ
 (2)の「うまくやれ」型組織原理が行き着く先は、「現場の暴走」だ。上が下に丸投げしているのだから、いざという場面で統制がきくはずがない。
 つまり①企画立案、②実行(遂行)、③評価のいずれも現場が行う。すると、どんな作戦でも、報告されるのは「成功」か「大成功」になってしまう。
 まともなリーダーシップが機能している組織では、こうはならない。
 いま、日本の外務省のホームページでは、あらゆる会談や外交はすべて「成功」で終わっている。それは、①が外務省、②も外交官、そのシナリオどおりに政治家が動き、③も外務省自身が行うからだ。
 外務省は、昭和の日本軍の轍を踏んでいる。そうした自己評価による「成功」と「大成功」の集積が、結局敗戦という「大失敗」に日本を導いていった。

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【佐藤優】現場にツケを回す上司のキーワードは「工夫しろ」 ~昭和史(2)~
【佐藤優】実戦なき組織は官僚化する ~昭和史(1)~