(承前)
(6)第一次世界大戦という衝撃
キリスト教は第一次世界大戦を境に大きく変わった。イギリスの歴史家エリック・ボブズボームは1789年(フランス革命)から1914年(第一次世界大戦終了)までを「長い19世紀」と名づけた。「長い19世紀」は啓蒙の時代だ。多くの人が基本的には科学と人間の理性に頼ることで理想の社会が作られていくと考えていた。
「長い19世紀」はナショナリズムの時代でもあった。第一次世界大戦で国家や民族という大義の前に命を投げ出す土壌がつくられてしまった。
19世紀は基本的に啓蒙の言葉を継承していた。しかし、理性を基本にした社会から世界大戦が生じてしまった。伝統的な神学はこの世界を追認することしかできなかった。この限界を克服しようとする過程でバルト神学が生まれた。
啓蒙主義より前のプロテスタンティズムでは、神は天上にいると考えられていた。しかし、それでは天体学や科学などと矛盾してしまう。矛盾しない場所に神を置く必要に迫られた。
そんな時期、シュライエルマッハーは、神は心の中にいるという説を唱えた。
しかし、神が心の中にいると、自分の主観的な感情と神を区別できなくなる。絶対的な存在の神を心の中に認めることで、人間の自己絶対化の危険性も生まれた。
このシュライエルマッハーの考えを否定したのがバルトだ。
神は物理的な意味で上にいないことを理解しながらも「神は上にいる」と主張した。人間は神ではないから神について知ることはできない。語ることもできない。しかし、牧師や神学者は信徒に神について語らなければならない。だから神学は「不可能の可能性」に挑戦するがくもんだと主張した。
バルトが「不可能の可能性」と語ったのは第一次世界大戦後の1918年。その翌年『ローマ書購解』が刊行された。この本から、神の居場所がシュライエルマッハーのいわゆる「心の中」から「上」に変わったといえる。
宗教や思想の領域を見るかぎり、第一次世界大戦が与えたショックは甚大で、第二次世界大戦はその二番煎じにすぎなかった。
ボブズボームは、第一次世界大戦からソ連崩壊までを「短い20世紀」と言った。その中でも第一次世界大戦から第二次世界大戦までを合わせて「31年戦争」と呼ぶ。あれは二つの戦争ではなく、一つの戦間期だったと。
第一次世界大戦の受け止め方は、日本とヨーロッパではまったく違う。日本にとっての第一次世界大戦は、帝国主義国として国際社会でのし上がっていくための一つのプロセスだった。棚からぼた餅のように国際連盟の常任国にもなれた。日本から見るとラッキーな戦争だった。第一次世界大戦がヨーロッパに与えた深刻な雰囲気を日本は知りようがない。
米国も日本と同様に、ヨーロッパを覆った暗い空気を共有できてはいない。
米国は、ヨーロッパが一枚岩になることをもっとも恐れている。ソ連と西欧が争う不均衡な状態は米国にとっては好都合だ。
同じヨーロッパでもドイツ、スイス、チェコでは第一次世界大戦の受け止め方がまったく違う。
(a)ドイツにとっては破滅であり、破壊だった。この先どうなるか、先が見えなかった。だから民衆だけでなく、多くの神学者がナチズムに救いを求めて接近していった。
(b)スイス人だったバルトは、そこから距離を置いた。バルトは、ナチスに宣誓を求められたとき、国家公務員として一言だけ添え書きをした。「ただし、福音主義(プロテスタント)教会のメンバーとして従える範囲において」と。それでクビになった。最終的にはバルトは反ナチズムのドクトリンを築くのだが、当初は条件付きだが、忠誠を示した。中途半端な立ち位置はいかにもスイス人的だ。
(c)チェコにとっては、解放だった。オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、チェコスロバキアが独立した。500年間も統治を続けたハプスブルグ家のくびきから解き放たれて、開放的な雰囲気が漂った。
□佐藤優『あぶない一神教』(小学館新書、2015)/共著:橋爪大三郎
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【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」
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(6)第一次世界大戦という衝撃
キリスト教は第一次世界大戦を境に大きく変わった。イギリスの歴史家エリック・ボブズボームは1789年(フランス革命)から1914年(第一次世界大戦終了)までを「長い19世紀」と名づけた。「長い19世紀」は啓蒙の時代だ。多くの人が基本的には科学と人間の理性に頼ることで理想の社会が作られていくと考えていた。
「長い19世紀」はナショナリズムの時代でもあった。第一次世界大戦で国家や民族という大義の前に命を投げ出す土壌がつくられてしまった。
19世紀は基本的に啓蒙の言葉を継承していた。しかし、理性を基本にした社会から世界大戦が生じてしまった。伝統的な神学はこの世界を追認することしかできなかった。この限界を克服しようとする過程でバルト神学が生まれた。
啓蒙主義より前のプロテスタンティズムでは、神は天上にいると考えられていた。しかし、それでは天体学や科学などと矛盾してしまう。矛盾しない場所に神を置く必要に迫られた。
そんな時期、シュライエルマッハーは、神は心の中にいるという説を唱えた。
しかし、神が心の中にいると、自分の主観的な感情と神を区別できなくなる。絶対的な存在の神を心の中に認めることで、人間の自己絶対化の危険性も生まれた。
このシュライエルマッハーの考えを否定したのがバルトだ。
神は物理的な意味で上にいないことを理解しながらも「神は上にいる」と主張した。人間は神ではないから神について知ることはできない。語ることもできない。しかし、牧師や神学者は信徒に神について語らなければならない。だから神学は「不可能の可能性」に挑戦するがくもんだと主張した。
バルトが「不可能の可能性」と語ったのは第一次世界大戦後の1918年。その翌年『ローマ書購解』が刊行された。この本から、神の居場所がシュライエルマッハーのいわゆる「心の中」から「上」に変わったといえる。
宗教や思想の領域を見るかぎり、第一次世界大戦が与えたショックは甚大で、第二次世界大戦はその二番煎じにすぎなかった。
ボブズボームは、第一次世界大戦からソ連崩壊までを「短い20世紀」と言った。その中でも第一次世界大戦から第二次世界大戦までを合わせて「31年戦争」と呼ぶ。あれは二つの戦争ではなく、一つの戦間期だったと。
第一次世界大戦の受け止め方は、日本とヨーロッパではまったく違う。日本にとっての第一次世界大戦は、帝国主義国として国際社会でのし上がっていくための一つのプロセスだった。棚からぼた餅のように国際連盟の常任国にもなれた。日本から見るとラッキーな戦争だった。第一次世界大戦がヨーロッパに与えた深刻な雰囲気を日本は知りようがない。
米国も日本と同様に、ヨーロッパを覆った暗い空気を共有できてはいない。
米国は、ヨーロッパが一枚岩になることをもっとも恐れている。ソ連と西欧が争う不均衡な状態は米国にとっては好都合だ。
同じヨーロッパでもドイツ、スイス、チェコでは第一次世界大戦の受け止め方がまったく違う。
(a)ドイツにとっては破滅であり、破壊だった。この先どうなるか、先が見えなかった。だから民衆だけでなく、多くの神学者がナチズムに救いを求めて接近していった。
(b)スイス人だったバルトは、そこから距離を置いた。バルトは、ナチスに宣誓を求められたとき、国家公務員として一言だけ添え書きをした。「ただし、福音主義(プロテスタント)教会のメンバーとして従える範囲において」と。それでクビになった。最終的にはバルトは反ナチズムのドクトリンを築くのだが、当初は条件付きだが、忠誠を示した。中途半端な立ち位置はいかにもスイス人的だ。
(c)チェコにとっては、解放だった。オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、チェコスロバキアが独立した。500年間も統治を続けたハプスブルグ家のくびきから解き放たれて、開放的な雰囲気が漂った。
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【参考】
●第3章 キリスト教の限界
「【佐藤優】イエス・キリストは「神の子」か ~ キリスト教の限界(1)~」
「【佐藤優】ユニテリアンとは何か ~ キリスト教の限界(2)~」
「【佐藤優】ハーバード大学にユニテリアンが多い理由 ~ キリスト教の限界(3)~」
「【佐藤優】サクラメントとは何か ~ キリスト教の限界(4)~」
「【佐藤優】何がキリスト教信仰を守るのか ~ キリスト教の限界(5)~」
「【佐藤優】第一次世界大戦という衝撃 ~ キリスト教の限界(6)~」
「【佐藤優】なぜバルトはナチズムに勝ったのか ~ キリスト教の限界(7)~」
「【佐藤優】皇国史観はバルト神学がモデル? ~ キリスト教の限界(8)~」
「【佐藤優】米国が選ぶのは実証主義か霊感説か ~ キリスト教の限界(9)~」
「【佐藤優】無関心の共存は可能か ~ キリスト教の限界(10)~」
●第4章 一神教と資本主義
「【佐藤優】資本主義は偶然生まれたのか ~一神教と資本主義(1)~」
「【佐藤優】なぜ人間の論理は発展したのか ~一神教と資本主義(2)~」
「【佐藤優】最後の審判を待つ人の心境はビジネスに近い ~一神教と資本主義(3)~」
「【佐藤優】15世紀の教会はまるで暴力団 ~一神教と資本主義(4)~」
「【佐藤優】隣人が攻撃されたら暴力は許されるのか ~一神教と資本主義(5)~」
「【佐藤優】自然は神がつくった秩序か ~一神教と資本主義(6)~」
「【佐藤優】働くことは罰なのか ~一神教と資本主義(7)~」
「【佐藤優】市場経済が成り立つ条件 ~一神教と資本主義(8)~」
「【佐藤優】神の「視えざる手」とは何か ~一神教と資本主義(9)~」
「【佐藤優】なぜイスラムは、経済がだめか ~一神教と資本主義(10)~」
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