(7)官邸ばかりではない。読売と「原子力ムラ」との癒着は、3・11が遠ざかるにつれ露骨になってきた。
橋本五郎・特別編集委員が登場した原発広告(6月14日付け読売新聞)が分かりやすい。「なぜ原子力が必要なのか」を訴える電気事業連合会の全面広告だ。橋本編集委員が「国民を代表して質問」という設定もヘンだが、橋本編集委員は「過去の経験を活かし、正面から原子力に向かっていく時だ」と対談を締めくくった。
過酷事故は「過去の経験」なのか。今も放射能が垂れ流されている現実に目を背けている。
ペンで生きる編集委員が原発の広告塔になる。地域経済への支配力と潤沢な広告費を抱える電力会社にメディアはすり寄った。その反省を生んだのが、福島の惨事ではなかったか。
(8)「川内再稼働 来月10日にも」・・・・他紙に先駆けて報じたのも読売だ。
原発再稼働は、支持率低下に喘ぐ政権の難題だ。安保法制、70年談話、普天間基地の辺野古移転などと絡み、安倍政権への評価につながる。仕切り役は、今井秘書官。経産官僚として原子力政策を担当してきた。「読売の記事は今井の観測気球」と言われている。
報道を先行させ、既定の事実として世間に印象づける。記事への反応次第では予定を変える。気脈の通じた記者に書かせる。それが俗にいう観測気球だ。周到な段取りを考える官僚と担当記者が以心伝心で記事を作る。
官邸情報は読売が早い、と評判だが、外れる記事も少なくない。「官邸の筋書き」だけで物事は決まらないからだ。
紙メディアの衰退が言われている。規模が大きいほど、業種転換も困難とされる。権力、情報、カネが集まる強者に寄り添って生き残る。それでジャーナリズムと相いれないものがあっても、企業として存続することを優先する。
(9)読売の連載「時代の証言者」(日経の「私の履歴書」に相当)に、7月から森喜朗・元首相が登場した。「楕円のボールを追いかけるように走り続けた人生を語ってもらう」という。新国立競技場の建設で我がままぶりを見せつけた「影の五輪担当相」だの聞書だ。興味深い人だが、なぜ今森喜朗なのか。日本ラグビー協会会長から東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長になり、東京五輪の元締めという地位や権限と無関係ではあるまい。東京五輪はメディアにとっても様々な商機なのだ。
(10)新聞社は、新聞事業だけでは成り立たない。テレビ局のネットワークを築き、文化事業や不動産事業にも手を広げた。ビジネスを広げるほど、提携先、銀行、お役所との関係が深まる。取材対象がいつの間にか事業パートナーだったり、監督官庁になる。経営者が気を遣う相手は増えるばかりだ。
好業績の頃は気にならなかった「外への配慮」も、経営に陰りが出ると景色が変わる。
読売ほど露骨にして率直でなくても、大手メディアに共通する弱点は「関係性」だ。「借り」が増えると、真綿で占めるように記者の自由を脅かす。ブランド・人材・発行部数を誇る大手新聞も、強者に切り込むのは容易ではない。
(11)自民党が作ったアニメ「教えて! ヒゲの隊長」のパロディ版が話題になっている。
本家のほうは、集団的自衛権の行使による米国との連携強化は、日本の抑止力を高め、中国・北朝鮮などの脅威から人びとの暮らしを護る。この趣旨に沿って、ヒゲの隊長が「あかりちゃん」に電車の中で安保法制を説明するというストーリーだ。
パロディ版は音声を差し替えて、法案の曖昧さをあかりちゃんが隊長に詰め寄るものだ。自民党の宣伝を逆手にとったパロディの傑作。安保法制と聞いただけで難解に感じる世間の反応を、面白い表現で伝える手法はなかなかのものだ。
パロディが指弾した「問題点」は、新聞に詳しく、あれこれ書き込まれているが、関心ある人しか読まない。記者がこれでもか、とゴシゴシ書いても、大多数に伝わらない。伝わらなくてはメディアの役割を果たせない。選挙で一票を入れる人は、新聞の解説記事を丹念に読む人ばかりではない。
(12)立憲主義の危機を心配する人より、中国や北朝鮮が心配と思う人が多いのも事実だろう。「安保環境の変化」を強調する政府は、中国・北朝鮮が怖い国だと煽る。
そうした宣伝に対抗するには、脅威=国防強化という思考が近隣との関係をかえって悪くし、脅威を高めることになる悪循環を、
面白く、
分かりやすい表現で
伝えることではないか。
(13)米国の軍事介入は、地域の秩序を壊し、世界平和どころか混乱を助長している。
日本が後方支援することは、自衛隊員の犠牲のみならず、日本がテロの標的になる恐れさえある。危うさをどのように表現したら人の心に届くだろうか。
安保法案は、聞けば聞くほど理解しがたい。だから支持されない。
ただ、「中国・北朝鮮への不安」は人の心にしみ込んでいる。そのことをどんな表現で説明できるか。超えるべき課題はここにある。
(14)「アベ政治を許さない」の評語は、運動の中心だった中高年から学生や女性に広がっている。女性誌にも「戦争の不安」が載る。
女性自身「美智子さま『私は“戦争の芽”を摘み続ける』
女性セブン「今こそ耳を傾けたい天皇陛下『いのちのお言葉』」
女性に広がる不安を感じ取った編集者が読者に届く表現で「アベ政治を許さない」を形にした。
多様な人の参加が新鮮な表現を生む。
記者(大手メディアの会社員)には思いもつかない表現が生まれることが運動の広がりを支えるだろう。SNSを手にした新たな表現者が増えている。
敗戦の夏。日本が米国に付き従って戦地に赴く法案を多様なメディアはどう表現するか。
□神保太郎「メディア批評第93回」(「世界」2015年8月号)の「(2)官邸癒着メディアと「機敏な反撃」」
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【メディア】官邸癒着メディアと「機敏な反撃」 ~新聞と官邸~」
「【メディア】“愚者の砦”と化したNHK(2) ~かすかな希望~」
「【メディア】“愚者の砦”と化したNHK(1) ~強行採決を中継しない不作為~」
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橋本五郎・特別編集委員が登場した原発広告(6月14日付け読売新聞)が分かりやすい。「なぜ原子力が必要なのか」を訴える電気事業連合会の全面広告だ。橋本編集委員が「国民を代表して質問」という設定もヘンだが、橋本編集委員は「過去の経験を活かし、正面から原子力に向かっていく時だ」と対談を締めくくった。
過酷事故は「過去の経験」なのか。今も放射能が垂れ流されている現実に目を背けている。
ペンで生きる編集委員が原発の広告塔になる。地域経済への支配力と潤沢な広告費を抱える電力会社にメディアはすり寄った。その反省を生んだのが、福島の惨事ではなかったか。
(8)「川内再稼働 来月10日にも」・・・・他紙に先駆けて報じたのも読売だ。
原発再稼働は、支持率低下に喘ぐ政権の難題だ。安保法制、70年談話、普天間基地の辺野古移転などと絡み、安倍政権への評価につながる。仕切り役は、今井秘書官。経産官僚として原子力政策を担当してきた。「読売の記事は今井の観測気球」と言われている。
報道を先行させ、既定の事実として世間に印象づける。記事への反応次第では予定を変える。気脈の通じた記者に書かせる。それが俗にいう観測気球だ。周到な段取りを考える官僚と担当記者が以心伝心で記事を作る。
官邸情報は読売が早い、と評判だが、外れる記事も少なくない。「官邸の筋書き」だけで物事は決まらないからだ。
紙メディアの衰退が言われている。規模が大きいほど、業種転換も困難とされる。権力、情報、カネが集まる強者に寄り添って生き残る。それでジャーナリズムと相いれないものがあっても、企業として存続することを優先する。
(9)読売の連載「時代の証言者」(日経の「私の履歴書」に相当)に、7月から森喜朗・元首相が登場した。「楕円のボールを追いかけるように走り続けた人生を語ってもらう」という。新国立競技場の建設で我がままぶりを見せつけた「影の五輪担当相」だの聞書だ。興味深い人だが、なぜ今森喜朗なのか。日本ラグビー協会会長から東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長になり、東京五輪の元締めという地位や権限と無関係ではあるまい。東京五輪はメディアにとっても様々な商機なのだ。
(10)新聞社は、新聞事業だけでは成り立たない。テレビ局のネットワークを築き、文化事業や不動産事業にも手を広げた。ビジネスを広げるほど、提携先、銀行、お役所との関係が深まる。取材対象がいつの間にか事業パートナーだったり、監督官庁になる。経営者が気を遣う相手は増えるばかりだ。
好業績の頃は気にならなかった「外への配慮」も、経営に陰りが出ると景色が変わる。
読売ほど露骨にして率直でなくても、大手メディアに共通する弱点は「関係性」だ。「借り」が増えると、真綿で占めるように記者の自由を脅かす。ブランド・人材・発行部数を誇る大手新聞も、強者に切り込むのは容易ではない。
(11)自民党が作ったアニメ「教えて! ヒゲの隊長」のパロディ版が話題になっている。
本家のほうは、集団的自衛権の行使による米国との連携強化は、日本の抑止力を高め、中国・北朝鮮などの脅威から人びとの暮らしを護る。この趣旨に沿って、ヒゲの隊長が「あかりちゃん」に電車の中で安保法制を説明するというストーリーだ。
パロディ版は音声を差し替えて、法案の曖昧さをあかりちゃんが隊長に詰め寄るものだ。自民党の宣伝を逆手にとったパロディの傑作。安保法制と聞いただけで難解に感じる世間の反応を、面白い表現で伝える手法はなかなかのものだ。
パロディが指弾した「問題点」は、新聞に詳しく、あれこれ書き込まれているが、関心ある人しか読まない。記者がこれでもか、とゴシゴシ書いても、大多数に伝わらない。伝わらなくてはメディアの役割を果たせない。選挙で一票を入れる人は、新聞の解説記事を丹念に読む人ばかりではない。
(12)立憲主義の危機を心配する人より、中国や北朝鮮が心配と思う人が多いのも事実だろう。「安保環境の変化」を強調する政府は、中国・北朝鮮が怖い国だと煽る。
そうした宣伝に対抗するには、脅威=国防強化という思考が近隣との関係をかえって悪くし、脅威を高めることになる悪循環を、
面白く、
分かりやすい表現で
伝えることではないか。
(13)米国の軍事介入は、地域の秩序を壊し、世界平和どころか混乱を助長している。
日本が後方支援することは、自衛隊員の犠牲のみならず、日本がテロの標的になる恐れさえある。危うさをどのように表現したら人の心に届くだろうか。
安保法案は、聞けば聞くほど理解しがたい。だから支持されない。
ただ、「中国・北朝鮮への不安」は人の心にしみ込んでいる。そのことをどんな表現で説明できるか。超えるべき課題はここにある。
(14)「アベ政治を許さない」の評語は、運動の中心だった中高年から学生や女性に広がっている。女性誌にも「戦争の不安」が載る。
女性自身「美智子さま『私は“戦争の芽”を摘み続ける』
女性セブン「今こそ耳を傾けたい天皇陛下『いのちのお言葉』」
女性に広がる不安を感じ取った編集者が読者に届く表現で「アベ政治を許さない」を形にした。
多様な人の参加が新鮮な表現を生む。
記者(大手メディアの会社員)には思いもつかない表現が生まれることが運動の広がりを支えるだろう。SNSを手にした新たな表現者が増えている。
敗戦の夏。日本が米国に付き従って戦地に赴く法案を多様なメディアはどう表現するか。
□神保太郎「メディア批評第93回」(「世界」2015年8月号)の「(2)官邸癒着メディアと「機敏な反撃」」
↓クリック、プリーズ。↓
【参考】
「【メディア】官邸癒着メディアと「機敏な反撃」 ~新聞と官邸~」
「【メディア】“愚者の砦”と化したNHK(2) ~かすかな希望~」
「【メディア】“愚者の砦”と化したNHK(1) ~強行採決を中継しない不作為~」
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