語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【メディア】“愚者の砦”と化したNHK(2) ~かすかな希望~

2015年08月22日 | 批評・思想
 (7)7月16日、衆議院本会議の中継もテレビ欄になかった。
 抗議の声が多かったとみえて、NHKは急遽、国会に中継班を出した。
 その映像は、驚くべし、画面の右上に、はじめから「安全保障関連法案 衆院本会議で採決へ」という字幕がずっと出ていた。「中継などしなくても、結果はわかっている」と言わんばかりだ。そして、「60日ルール」をまた繰り返した。
 60年安保条約のときには、参議院が審議せず、6月19日に自然成立した【注1】。
 安倍首相は、理念においても手法においても祖父をしっかり踏襲している。
 自然成立の二日前、当時の新聞は7社共同宣言を出し、全学連の暴力を排し、議院内閣制擁護にまわり、日米安保への批判を緩めた。
 「マスコミは安保で死んだ」と言われた。今は、NHKがそれを絶望的に踏襲している。

 (8)逆説的な希望もある。
 こうした荒廃した時代に、<人の話はけっして間違っていない。間違っているのではなくて、愚劣であるか、何の重要性ももたないかだけなのだ>【注2】。ここから導き出されるのは、「孤独と沈黙」の重要性だ。あえて「沈思黙考」することで、初めて「言うに値する言葉」が生まれるというのだ。
 2015年の「声なき声」は、安倍政治の傲慢を見抜き、メディアの不作為を見極めている。

 (9)<年寄りは、静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ>【注3】
 本書の冒頭は、NHKの西口玄関ロビーで起こるテロ事件だ。事件を操っていたのは後期高齢者。実行者は、職もないおとなしい若者。この小説にリアルを感じるかどうかは別として、ドローンが登場したり、テロの最終目標が原発であったり、日本社会の深い「沈黙」と「闇」がテーマになっている。
 しかし、沈黙する者のみに届くかすかな声が二つある。
 一、7月16日の衆院採決の当日に放送されたクローズアップ現代「イラン核協議“歴史的合意”の舞台裏」・・・・核をめぐる協議で米国とイランが急接近し、ホルムズ海峡の機雷封鎖の現実味は遠のいた。今回の安保審議の過程で、安倍首相が何度も引き合いに出して有名になった海峡だ。
 国谷キャスターは、「こうした脅威が、今日、衆議院で可決された安全保障関連法案の根拠の一つとなっていましたが、その緊張の緩和につながる歴史的合意が、武力ではなく話し合いによって生まれました」と説明。要するに、「存立危機事態」について、首相が強調してきた例外的な海外派兵の想定が無効になったことを静かに指摘したのだ。
 二、18日放送のNHKスペシャル「戦後70年 ニッポンの肖像 保守・二大潮流の系譜」・・・・経済復興を重視する吉田茂と、自主憲法制定を掲げる岸信介を対照的に描いたものだが、今国会の磁場を通せば、安倍晋三という政治家がいかに祖父・岸信介の幻影に取り憑かれているかがわかる。
 岸は、満州国経営に深く関与し、戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨に収監され、釈放後は自主憲法制定に執念を燃やした。
 <吉田さんをはじめとした戦後の日本というものを肯定して育ってきた政治家と、追放解除を受けた政治家との間にはやっぱりその考え方に差がある>【吉田の流れを汲む宮澤喜一・元首相の証言】
 戦後回帰に執念を燃やす政治家への最大級の侮蔑だ。
 その岸が「警察官職務執行法改正案」と「安保改定」で支持率を急落させたストーリーを、このタイミングで見せたNHK制作者の低い声が聞こえてくる。

 (10)60年の「日米安保改定」は、確実に変質しながら「安全保障関連法案」に流れ込んでいる。米軍への基地提供、費用の過剰な負担、米軍の行動の自由に対する無条件に近い保障などに加えて、今度は米軍などとの集団的自衛権を行使しようというのだ。今日のようなグローバルな戦略環境の下では、時空を超えて日本が危険に晒されるのは間違いない。

 (11)米国は、戦後どんな戦争を行ってきたか。
    トンキン湾事件でのでっち上げから始まったベトナム戦争
    国連決議なきコソボ空爆
    9・11同時テロへの報復としてのアフガン空爆
 いずれも国連の集団安全保障の理念に則った武力行使ではなかった。
 米国が次に相手にするのは、あの「イスラム国」だ。その米国と、日本はスクラムを組むというのだ。愚かな選択の次なる犠牲者は、この国の若者たちだ。つまるところ、安倍首相は、祖父が60年前に果たせなかった安保の軍事的双務化を完成させ、憲法9条から訣別しようと企てているにすぎない。

 (12)丸山真男は、この日を予測するかのように語っていた。
 <国際連盟も国際連合も安全保障というのは一般的安全保障なんです。地域的安全保障というのは軍事同盟の別名なんです。(中略)自衛とは国家を単位とした言葉である。国家が大勢集まって自衛ということはあり得ない。「集団的自衛権」という言葉を使って、あたかも国連の是認を経たかの如く言うのは言葉の欺瞞>【注4】
 首相の言葉がますます軽くなる。
 地方議会の安保法案反対決議が、じわじわと国会を取り巻きつつある。自民党議員たちは、地元に帰れば、年寄りや若者たちから「丁寧な」説明を迫られる。
 国会デモに、公明党の支持母体・創価学会員がついに姿を現した。英字紙 The Japan Times も、“Wrong Choice”と書いている。
 
 (13)「60日ルール」のあとの衆議院での議決は、3分の2以上の賛成が必要になる。今回の衆議院の採決は、かろうじて3分の2を超えたにすぎない。十数人の脱落者が出れば、流れは変わる。
 次は、メディアが安倍政権の欺瞞と矛盾を内外に徹底して暴露する番だ。

 【注1】条約承認の場合は30日ルール。
 【注2】ジル・ドゥルーズ(宮林寛・訳)『記号と事件--1972~1990年の対話』(河出文庫、2007)
 【注3】村上龍『オールド・テロリスト』(文藝春秋社、2015)の帯のコピー。
 【注4】『丸山真男話文集 続3』、みすず書房、2015

□神保太郎「メディア批評第93回」(「世界」2015年8月号)の「(1)“愚者の砦”と化したNHK」
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 【参考】
【メディア】“愚者の砦”と化したNHK(1) ~強行採決を中継しない不作為~



【詩歌】財部鳥子「修辞の犬」

2015年08月22日 | 詩歌
 曠野の果てから野犬のように風が走ってくる
 と書いて その言葉に好ましくないものを感じた
 それがむだな修飾だったからだろう
 暁暗の曠野を風ともつかぬ野犬ともつかぬものが走ってくる
 これが最初の目撃を言葉にしたものだ
 事実は曠野の果てから風のように野犬が走ってきた
 数頭の餓えた野犬がかたまりになって走ってきたのだ

  風は毛ものの匂いがする
 
  風は得体の知れない毛をなびかせている

  風は獰猛にぶつかりあう

  風は赤児のまわりに渦巻いて低くうなっている

  風はその甘く柔らかいものを浚って走る

 まだ夜は明けないから
 犬はつむじ風のようにも見えたのだ
 片付け切れない難民の死骸がそこに転がっているとしよう
 犬より風のほうがいくらか「詩的」だろうか
 いくらか自己救済になるのだろうか
 結局 赤児は野犬に食われてしまうのである
 そういう現実があるとしても
 私は風と野犬を区別したくない
 どちらも毛をなびかせて走るではないか  

□財部鳥子「修辞の犬」(『中庭幻灯片』、思潮社、1992)
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 【参考】
【詩歌】財部鳥子「西湖風景 --白娘子に」
【詩歌】財部鳥子「龍 --杭州で」
【詩歌】財部鳥子「凍りついて」
【詩歌】財部鳥子「いつも見る死 --避難民として死んだ小さい妹に」