語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【メディア】“愚者の砦”と化したNHK(1) ~強行採決を中継しない不作為~

2015年08月21日 | 批評・思想
 (1)戦後70年の夏、NHK放送センターは、ついに(やはり)“愚者の砦”と化してしまった。
 7月15日、「安全保障関連法案」に関する衆議院特別委員会の最終日、強行採決が予想されたもっとも重大な日に、NHKはテレビ中継をしなかった。これは、国民の知る権利を大いに侵害する愚挙だった。
 55年前(1960年5月19日)、安倍首相の祖父(岸信介・首相)は日米安保条約改定の強行採決を行った。それを上回る暴挙が予想されたにもかかわらず、新聞のテレビ欄に9時開始予定の「安保法案特別委員会・中継」の文字はなかった。

 (2)実際には、正午過ぎの強行採決の瞬間だけが生中継された。
 実は、委員会では長妻昭・議員が、安保法案の前提として首相の歴史認識を尋ねる場面があった。長妻議員が「先の大戦を過りと認めるか」となんど問うても、安倍首相は「先の戦争の反省に立って」としか答えなかった。
 反省の前提となる「なにをなぜ過ったか」という歴史認識にふれることを徹底して避けたのだ。
 首相は、「まだ十分に理解されていないかもしれないが、今後も丁寧に説明していきたい」と受け流し、さっさと強行採決を断行した。
 かくて、「丁寧に」は「押しの一手」の同義語となり果てた。

 (3)90%以上もの憲法学者が「違憲」または「違憲の疑い」を指摘し、1万人もの学識者が法案に反対している。
 しかし、首相とその取り巻きは、「学者と政治家の責任は違う」と、まったく聞く耳を持たない。
 200年以上も昔、カントは<実務にたずさわる政治家は、理論的な政治学者を(中略)机上の空論家と蔑視>すると書き(『永遠平和のために』)、学者の意見を聞かない政治家たちが、戦の種を残す平和条約を結んでは戦争を繰り返す愚を批判した。
 中谷防衛相は、答弁を二転三転、時間を空費し、安倍首相は軽薄なヤジを飛ばし、自分の出番には長広舌をふるい、時間を潰す。場外では、アベ親衛隊がメディアを「懲らしめろ」「潰せ」などと喚き、その収拾で貴重な時間を横奪した。
 浜田委員長は、消化試合をこなした後、「法律10本を束ねたのはいかがなものか」と記者団に答え、「十把一絡げ」を認めた。

 (4)中継しなかった理由を、NHK広報は「総合的判断」による、と答えた。答弁に窮した首相がよく使う遁辞だ。
 かくて、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」籾井会長の任期も長引く。
 後代の史家は、NHKが安倍政治の“惨劇”をメディアウォールで覆い隠すという愚かな選択をした日と記述するであろう。

 (5)深夜の「NEWS WEB24」は、画面下に視聴者のツイートを載せる。SNS連動型のニュースだ。
 昼間の強行採決に対する視聴者の反応は、特筆すべき意見も情報もなかったが、採決の瞬間、野党議員たちが怒号とともに「アベ政治を許さない」などのプラカードを掲げる映像が流れると、ツイートに変化が生じた。
 「政治家が国会でプラカードで主張って、なんか違うと思う」
 「テレビカメラを意識したパフォーマンスに見えちゃって」
などと冷ややかな反応が目立った。
 世論の傾向と微妙にズレている。
 次に、国会を取り囲む人びとの夜の空撮が流れると、
 「国民の声なき声に耳を傾けてもらいたい」
と誰かがツイートした。これは60年代安保の強行採決のとき、岸首相が連日のデモの「声ある声」に対して、プロ野球に興じ、銀ブラを楽しむ男女の「声なき声」に耳を傾けたい、と言ったのを髣髴させる。
 55年前は、プラカードを持ったデモ隊が国会正門を破って議事堂前に乱入、血を流した。
 今度は、人びとのプラカードが大量にコピーされ、委員会室に溢れた。民衆は、映像によって“国会乱入”を果たしたと言えなくもない。

 (6)メディアとしてのNHKは何をしたか。
 大量のツイートを流すことで、見せかけの民主主義を装いながら、自説を絶対に述べない政治部記者が、「なぜ国会の議論がかみ合わなかったのか」という問いに答えた。
 答その一、「自衛隊の機密に関わることなので、具体的に語ることはできなかったから」
 答その二、「憲法との整合性というそもそも論が出て、個別具体的な部分に議論が進まなかったから」
 結局何も答えていない。
 記者が自信を持って語ったのは、「60日ルール」【注】だけだった。
 NHKは、視聴者参加型ニュースを演出しながら、「もはや何をしても無駄」という政治的アパシーを撒き散らした。これは、「声なき声」につけこんだ「不作為の作為」に他ならない。

 【注】参院で60日たって採決されない場合、衆院の3分の2以上の賛成で再可決し成立できる。

□神保太郎「メディア批評第93回」(「世界」2015年8月号)の「(1)“愚者の砦”と化したNHK」
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【詩歌】財部鳥子「西湖風景 --白娘子に」

2015年08月21日 | 詩歌
 うつしみは苦を忘るべし
 ここはもう人が水に還るところ
 それなら地獄だろうか いえ いえ

 ここの人の心は水と区切りがなく
 あまく霧たち
 やわらかに日に幾度もながれだす
 だからあなたは飽きもせず
 わたしたちの恋の話をしているのだろうか
 山水の絵を模した景色は夏の霧のあいだから
 人魚のようにかがやき
 湖は龍船を浮かべて
 人を苦しい記憶から連れ去ろうとするけれど
 さらに声になる
 うつしみは苦を忘るべし

 ほの白く明るい空に真向かい華やいでいる水の
 水に浸かされているわたしたちなのに
 不安の砂を積まなければ洪水が起きるとは
 だからあなたは濡れた項をのばし
 恋の終りの話をしているのだろうか
 やわらかなあなたの舌を感じると
 私も水棲の生きものだったことを思い出す
 蛇の姿にも戻らずに生き延びてきた
 あなたはそのことを言う そのことを恨む
 くどいほどそのことを言う
 湖水の面の化粧にたぶらかされ
 水に委せた心を引き裂かれ洪水が起こり
 ついに苦しみと恋をしたこと
 洪水がくりかえしくりかえし起きて恋をしたこと

 うつしみは苦を忘るべし
 ここでは絡み合った蛇の腕をといて
 白堤の柳条の緑の水に沿って
 この世をすりぬけることができる? かも
 傷ひとつない湖にいく筋かのひびを入れて
 金木犀の香りの風が人々の心を酔わせているうちに
 あなたもわたしも龍船の上から消え失せ
 あとはたとえようもなく水の
 世界になる
 *白娘子は「白蛇伝」の主人公

□財部鳥子「西湖風景 --白娘子に」(『中庭幻灯片』、思潮社、1992)
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 【参考】
【詩歌】財部鳥子「龍 --杭州で」
【詩歌】財部鳥子「凍りついて」
【詩歌】財部鳥子「いつも見る死 --避難民として死んだ小さい妹に」