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毎年、8月15日の前夜に新宗連の集いが千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開かれている。私は毎年続けてこの集いに参加している。今晩も、16の教団がそれぞれのスタイルで戦争犠牲者を追悼し、平和を祈願した。1時間30分にわたって蝉時雨を聞きながら、戦争犠牲者を追悼するひとときを持った。明日は、昼前から政府主催の戦没者追悼式(日本武道館)に参加し、その後にコミケに駆けつけたいと考えている。「マンガ・アニメ」の表現規制につながる法案が衆議院法務委員会で審議されたことを若い世代はどう考えているのだろうか。生の声を聞いてみたいと思っている。 . . . 本文を読む

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2006年8月15日、靖国神社に現れた小泉元総理は、歓声が飛び交う中を「公式参拝」した。小泉元総理が毎年繰り返した「靖国参拝」のラストシーンは最高潮に達して、否が応にもこの問題についてしっかり考えなければいけないという機運が醸成された。私は、靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑の歴史的資料を探り、社民党内に「千鳥ヶ淵戦没者墓苑・平和祈念施設提言委員会」を設置し、読売新聞の渡邉恒男会長・主筆を招いて勉強会を開催するなど約1年をかけてプランを練った。本日、私は社民党在京幹部会の後で記者会見し、「国立追悼施設をつくる道筋を4年以内にとりまとめたい」と数年間にわたって温めてきた構想の概要を語った。 . . . 本文を読む

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昨年と同じ、8月15日の正午前に私は「社民党党首代理」として、政府主催の全国戦没者追悼式式典に参列した。福田総理が式辞を述べた後、正午、天皇・皇后両陛下と共に戦没者追悼の黙祷を捧げた。そして、各界代表が追悼の辞をのべたが、河野衆議院議長の言葉が、今年もひときわ鋭く胸に残った。 . . . 本文を読む

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 63回目の終戦記念日がやってくる。今日は、夕刻から国立・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、新日本宗教団体連合会・新日本宗教青年会連盟主催の『第43回戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典』に福島みずほ党首ともに参列した。私は、この行事に過去5回ほど参加している。式が始まる前には、新日本宗教団体連合会理事長の庭野日鐵さんに御挨拶をした。 . . . 本文を読む

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昨日、日本武道館で行なわれた政府主催の戦没者追悼式で「追悼の辞」を述べた河野衆議院議長だが、隣に座っていた安倍総理を痛烈に批判し、「戦後レジームの脱却」などの言動を忌避厳しく批判する内容を述べた。「私たち日本国民が、62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは「決して過ちは繰り返さない」ということでした。そのために、私たちは一人一人が自らの生き方を自由に決められるような社会を目指し、また海外での武力行使を禁じた「日本国憲法に象徴される新しいレジームを選択して今日まで歩んでまいりました」と語り、さらに改めて河野官房長官談話を継承するように「また、私は日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでいる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います」とつけ加えるのも忘れなかった。 . . . 本文を読む

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今年の夏は、ひときわ暑い。体温を超える異常高温が続いていて、熱中症で倒れたり亡くなる人も多い。私も、週末に街頭演説を行なったが、皮膚がヒリヒリ焼けたようになり、熱風に向って叫ぶという具合になった。海水浴場にサメが出没したり、イルカが荒川を遡上したりしたのも、海温の変化からだったのだろうか。そして、今日62回の「終戦記念日」=「敗戦記念日」を迎える。 . . . 本文を読む

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今朝の東京新聞によると、28日に政府は、小泉内閣当時に打ち出された「新国立追悼施設」の調査費を凍結し、建設しない方針を明らかにした。今年もふたたびやってくる「戦争と靖国を問う夏」の前に、靖国神社一本化路線で議論も凍結しようということなのだろう。安倍総理は、就任後初の訪米を終えて、中東に向かっている。外交とは相互信頼に基づく合意事項の尊重であり、信義の積み重ねである。「新国立追悼施設」は、安倍総理の前任者である小泉総理が対外的に公表したプランであり、国内的にも推進しようと志した政策である。これを「凍結」「中止」するのであれば、説明責任が問われるのは言うまでもない。 . . . 本文を読む

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社民党で千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充と平和祈念施設を提言するための作業を続けている。歴史をたどることで、戦後61年の風雪に埋もれて判然としなかった事情の一部が明らかになってくる。昨日は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑という名称が決まる前に日本遺族会と戦争犠牲者援護会との間で交わされたと言われる「覚書」の写しとともに、「閣議決定のやり直し案」を見ることが出来た。1953年12月28日、吉田内閣は「無名戦没者の墓」の建設を閣議決定している。今回、明らかになったのは、この閣議決定のやり直しの案で、実際には行われていないことから「幻の案文」とも言える。まず、1953年12月28日の閣議決定を見てみよう。 . . . 本文を読む

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雨の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に行って、浄土真宗本願寺派の第26回千鳥ヶ淵戦没者追悼法要に参列した。台風下の悪天候の隙間をついて、大きなテントの下に大勢の僧侶と参列者と共に、来賓席に案内された。なぜ、9月18日なのか---「15年にわたるアジア・太平洋戦争につながっていった「満州事変」の発端である「柳条湖事件」が1931年(昭和6年)に起こったその日であります」(千鳥ヶ淵戦没者追悼法要委員会のパンフより)という理由だ。 . . . 本文を読む

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先日、9月7日に国会近くで読売新聞・渡辺恒雄会長・主筆に約2時間にわたってお話を聞く機会があった。「千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充構想」について、渡辺氏の構想を聞き国民的な議論に資するために、社民党としても幅広い視野で各界の有識者の意見に耳を傾けるという企画の第一弾だった。ベタ記事で報道された新聞もいくつかあったが、どのような提言だったのか。私のメモから書き起こしてみたい。  社民党「千鳥ヶ淵戦没者 . . . 本文を読む

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 小泉総理の8・15参拝の可能性が高くなってきた。  本ブログでも、もし8・15参拝に踏み切るのなら明らかにしてほしいと「01年8月13日総理の談話」との整合性を問いかけてきたが、整合性がないのが小泉純一郎なのだという声も聞こえてきた。「一内閣一閣僚」などの公約はなかったも同然だし、内閣改造にあたって自らの「公約」にも何ら言及しなかった。自民党の事情で、「やれやれ」と言われて踏み切ったということなのか「公約」などその程度の扱いでしかない。 . . . 本文を読む

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この季節になると高揚し、アグレッシィブになるのが小泉総理の性格なのだろうか。8月15日靖国参拝を示唆する言動が続いている。「公約を守ることは大切だ」と言い続けているが、このブログで指摘しておいた「2001年8月13日談話」については、一言も触れずまるでそんな談話などなかったかのような態度だ。この談話は、なぜ靖国参拝を行ったかについて説明しているだけでなく、なぜ「8月15日靖国参拝」を断念したのかについて内外に示したもの。しかも、「総理として発言したことを撤回するのは、慙愧にたえないが」とまで踏み込んで、8月15日に参拝しない理由を述べている「談話」は、文字通りの「総裁選公約の修正」だった。「公約の修正」を内閣総理大臣の談話として公表すれば、総裁選候補として掲げた「最初の公約」よりも重い総理としての公の約束事である。 . . . 本文を読む

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千鳥ヶ淵戦没者墓苑が出来る前に、日本遺族会と官邸の間に交わされた覚書があったと一昨日書いた。ところが、本日調査を依頼していた国会調査室から意外な事実を知らされた。官邸側の覚書の当事者とされていた「砂田重政内閣官房副長官」は実在しなかった。砂田氏はその当時、鳩山一郎内閣の下で防衛庁長官をつとめているが、覚書があったとされる1955年(昭和30年)にはすでに船田中氏に後任を譲っている。この「覚書」について触れているのは、『英霊とともに30年――靖国神社国家護持運動の歩み』(日本遺族会・1986年刊行)だが、この記述が誤っているのだろうか。砂田氏当時、は戦争犠牲者援護会会長をつとめており、千鳥ヶ淵戦没者墓苑建設に熱心に取り組んでいたとされる。保守合同直後の自民党国対委員長もつとめており、なぜ「幻の官房副長官」という肩書きの覚書を交わしたことになったのか、さらに調査を進めていきたい。 . . . 本文を読む

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千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充案が政府・与党内で議論されている。自民党総裁選挙でも、「靖国参拝」について実りある議論が交わされる気配がないので、これから8月15日の間に私のファイルから歴史をひもといていくシリーズを書き綴りたい。 靖国神社をブッシュ大統領や胡錦濤主席を参拝しないのは多くの人が知っているが、それでは千鳥ヶ淵戦没者墓苑にはなぜ行かないのかという疑問に明確に答えられる人は少ない。それは、千鳥ヶ淵が創られた当時の日本遺族会と内閣の間で交わされた「覚書」の存在があるからである。この覚書に「国際慣行による我国訪問の外国代表者等に対し、我国政府関係者が公式招待又は案内等をなさざること」と書かれていることに注目したい。 . . . 本文を読む

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8月15日が今年もやってくる。メディア関係者と会うと、小泉総理は靖国参拝を行うに違いない、と予測している。昭和天皇の靖国参拝中止の理由を書き取った「富田メモ」の報道にも「(自身の靖国参拝については)影響はない」と語る小泉総理は、任期を前に5年前の総裁選で公約した「8月15日に靖国参拝を行う」という発言通りに実行するだろうというのだ。ところが、もし大方の予想通りに「8月15日靖国参拝」を行ったとすれば、総裁選公約よりも重い「2001年8月13日・総理談話」に背いてしまうことになる。 . . . 本文を読む

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