千鳥ヶ淵戦没者墓苑が出来る前に、日本遺族会と官邸の間に交わされた覚書があったと一昨日書いた。ところが、本日調査を依頼していた国会調査室から意外な事実を知らされた。官邸側の覚書の当事者とされていた「砂田重政内閣官房副長官」は実在しなかった。砂田氏はその当時、鳩山一郎内閣の下で防衛庁長官をつとめているが、覚書があったとされる1955年(昭和30年)にはすでに船田中氏に後任を譲っている。この「覚書」について触れているのは、『英霊とともに30年――靖国神社国家護持運動の歩み』(日本遺族会・1986年刊行)だが、この記述が誤っているのだろうか。砂田氏当時、は戦争犠牲者援護会会長をつとめており、千鳥ヶ淵戦没者墓苑建設に熱心に取り組んでいたとされる。保守合同直後の自民党国対委員長もつとめており、なぜ「幻の官房副長官」という肩書きの覚書を交わしたことになったのか、さらに調査を進めていきたい。
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