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今年も何人かの大切な人たちと別れなければならなかった。菅原文太さんとは、下北沢でよくお会いして、ゆっくり話す機会をいただいた。また、私の会にも何度か駆けつけてくれて、「脱原発」を力強く訴え、また激励してくれた。宮城県仙台市の同郷でもあり、文太さんの憤りと憂いを引き継いでいきたいと思う。 . . . 本文を読む


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8月20日朝、「訃報」と題したメールを受け取ってドキリとしました。もしや、と思いながら開くと、やはり、ユリカさんが亡くなったという知らせでした。発信元は、ユリカさんと一緒に『シモキタらしさ――まちと暮らしの未来を拓く』という本を執筆していた建築家の小林正美さんでした。 . . . 本文を読む


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 さる9月1日、大場啓二世田谷区元区長が享年88歳で御逝去されました。今日の世田谷区政の礎を築いた功績に心からの敬意を表すと共に、安らかな御冥福をお祈りするばかりです。9月4日に通夜、9月5日には告別式が豪徳寺にて行なわれました。私は世田谷区長として「弔辞」を読み上げることになり、大場さんの著書をひもときながら、過去の記憶をたどりながら次のように弔辞を読み上げました。ここに掲載しておきます。 . . . 本文を読む


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昨日、喜納さんの事務所から電話があり、喜納昌吉さんの父である喜納昌永さんが亡くなったとの知らせだった。今朝の新聞にも訃報が掲載されたが、何度か生命の危機にかかわる病魔をはね返してこられただけに残念だ。喜納昌永さんは激戦地の南部で捕虜になり、ハワイの捕虜収容所で丸い缶を利用して三味線の代用品を作り民謡を蘇らせた。 . . . 本文を読む


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昨日の朝、ノ・ムヒョン前大統領が自殺した。自宅近くの30メートルの裏山に登って、岩の上から身を投げたという。当初は「滑落死」と伝えられたが、身辺に不正資金疑惑問題が起きて、捜査が迫ったことが、前大統領を追いつめたとのことだが、非業の死を遂げたことに心から哀悼の意を示したい。 . . . 本文を読む


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忌野清志郎さんが、亡くなった。 58歳。ガンと闘病中だったことは知っていたが、まさか、こんなにという「早すぎる訃報」だった。道を歩いている時や何を始めるぜという時に、ぼくの耳の後ろに響いていたのは「雨あがりの夜空に」だったり、「ディドリームビリバー」だった。カラオケで歌ったのも数限りない。その激しくも明るい情感をポップに開花させる清志郎の歌は、お茶目ないだずらっ子に戻ったかのような元気をくれた。 . . . 本文を読む


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牟田悌三さんが亡くなった……震えた聞き取れない声で、世田谷区で教育市民運動を共にしてきた星野弥生さんから電話があった。何を言っているのかよく聞き取れず、「牟田さんが……」というのは判った。小さくなる声に耳をすませると「亡くなった……」と聞こえた。エッと驚き、言葉を失った。牟田さんとは、この15年もの間、「教育」「こども」をめぐって語りあい、ともに何をしたらいいのかを考えた「仲間」だった。 . . . 本文を読む


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牟田悌三さんが亡くなった……震えた聞き取れない声で、世田谷区で教育市民運動を共にしてきた星野弥生さんから電話があった。何を言っているのかよく聞き取れず、「牟田さんが……」というのは判った。小さくなる声に耳をすませると「亡くなった……」と聞こえた。エッと驚き、言葉を失った。牟田さんとは、この15年もの間、「教育」「こども」をめぐって語りあい、ともに何をしたらいいのかを考えた「仲間」だった。私が半ば強引に、イギリスに連れていきチャイルドラインを見に行った時のことを、05年9月14日のブログに書いている。 . . . 本文を読む


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 元民主党の衆議院議員永田寿康さん(39歳)が、1月3日朝に自殺した。心からの弔意を表したい。昨年11月にも自殺未遂が報じられただけに、日毎に死に向けて追いつめられていたのだろうか。3年前に同じ予算委員会にいた議員として、「偽メール事件」が完全に風化し、その一部始終を背負って短い生涯を終えた永田元議員の悲しい顛末に心が痛む。 . . . 本文を読む


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福島みずほさんの父、福島行人(ゆきと)さんが亡くなった。17日の木曜日の夜に容体が急変し、気丈な彼女は翌日の参議院厚生労働委員会での野党3党提案の雇用対策4法案の審議に参加して宮崎に飛んで帰るはずだったが、残念ながら間に合わなかった。今日は、宮崎メモリドホールのお通夜に杉並区内での街頭演説を午後3時に終えて電車と飛行機を乗り継いで駆けつけた。1時間あまりの読経と参列者の御焼香を終えて、福島みずほさんが挨拶した。 . . . 本文を読む


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筑紫哲也さんが7日午後、肺ガンのために亡くなったというニュース速報をみた。まだ、73歳。2年前からガンの療養中だったとはいえ、身近で会った人によると、「一緒に議論をしたり、食事をしたりしてきた」と言うので、まさかそんなに早く亡くなるとは思わなかった。1989年から続いたニュース23も、「筑紫哲也の」という冠が外れてすでに数カ月になる。硬派週刊誌『朝日ジャーナル』の編集長時代に、私は『学校解放新聞』というミニコミ(といっても最盛時には5000部)を主催していて、インタビューをしたことがあるし、私がジャーナリストとして文章を書き始めたのも『朝日ジャーナル』だった。政治の世界に入ってからは、土井たか子さんや、辻元清美さんの会でご挨拶を交わすぐらいだったが、もうお会いすることが出来ないのかと思うと残念だ。 . . . 本文を読む


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青山葬儀場で小田実さんの告別式が行われた。強烈な太陽が大地を照りつける中、すでに多くの人が集っている。吉川勇一さんの別れの言葉を聞きながら、69年から70年にかけての『ベ平連』(ベトナムに平和を! 市民連合)の集会やデモを思い出す。「ひとりひとりの市民が、ひとりひとりの意志で、行動しています」と呼びかける当時のベ平連のスタイルは、既存の政党や労働組合、平和団体などとも一線を画していた。現在も、多くの組織はピラミッド型に構成員を束ねる支部が、市町村や都道府県単位に積みあがり、全国組織の指導部は中央執行委員会などの機関で構成されている。ところが、ベ平連はつかみどころがなかった。 . . . 本文を読む


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衝撃のニュースが流れてから一晩が明けた。自らの政治資金について、国会で答弁を拒み続けていた松岡農水大臣が自殺をはかったという第一報が聞いたのは、午後1時頃だった。昨日は、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で「拝礼式」があった。毎年、世界各地の戦跡から収集される第2次世界大戦の軍人・軍属の遺骨を厚生労働大臣が納骨するという儀式である。安倍総理や遺族代表、各国大使、各党代表も参列した。私も社民党代表としてそこにいた。厳粛な儀式の中、鳥が二羽さえずり、やがて羽ばたいていった。そんな静かなひとときを破るように上空でヘリコプターの音がした。さらに、マナーモードにしていた携帯電話が何度か震えた。儀式が終わると、「松岡農水大臣が自殺をはかり重体」とのメールが入っていた。やがて、「心肺停止状態」と伝えられ、その後には「亡くなった」との報道が続く。とても驚くとともに、突然の訃報に故人のご冥福をお祈りしたい。 . . . 本文を読む


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友人から電話があり「今朝、灰谷さんが亡くなった……」と聞いた。先月、電話でお話したのが最後だった。「ぼくも調子を取り戻すから、国会でしっかり頑張って」と激励をしてくれた。折しも、教育基本法が国会で審議されようとし、戦後教育を支えてきた土台が大きく揺さぶられている時だった。灰谷さんが元気なら、国会に駆けつけて、マイクを握って「子ども」「教育」を熱く語ってくれたことだろう。亡くなったのは、23日午前4時30分、静岡県内の病院。享年72歳だった。 . . . 本文を読む


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先刻、弁護士の山口貴士さんから電話があり「代表の米澤が今朝亡くなりました」とのこと。コミックマーケット準備会代表の米澤嘉博さんが、今朝4時40分に肺ガンのために死去したという訃報だった。米澤さんとは昨年の暮れの30日に、東京ビックサイトで開催された『冬コミ』のスタッフルームでお話したのが最後となった。来場者10万人をさばき、元気にボランティアに囲まれて活躍しているさなかの姿を9カ月前に見ているだけに、信じられない思いだ。「また、じっくり話しましょう」と声をかけて別れたのに……。ご冥福を心からお祈りしたい。 . . . 本文を読む


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