千鳥ヶ淵戦没者墓苑が出来る前に、日本遺族会と官邸の間に交わされた覚書があったと一昨日書いた。ところが、本日調査を依頼していた国会調査室から意外な事実を知らされた。官邸側の覚書の当事者とされていた「砂田重政内閣官房副長官」は実在しなかった。砂田氏はその当時、鳩山一郎内閣の下で防衛庁長官をつとめているが、覚書があったとされる1955年(昭和30年)にはすでに船田中氏に後任を譲っている。この「覚書」について触れているのは、『英霊とともに30年――靖国神社国家護持運動の歩み』(日本遺族会・1986年刊行)だが、この記述が誤っているのだろうか。砂田氏,当時は戦争犠牲者援護会会長をつとめており、千鳥ヶ淵戦没者墓苑建設に熱心に取り組んでいたとされる。保守合同直後の自民党国対委員長もつとめており、なぜ「幻の官房副長官」という肩書きの覚書を交わしたことになったのか、さらに調査を進めていきたい。
私たちの目の前にある「靖国問題」とは、過去の戦争をどのようにとらえ、その戦争で生命を亡くした人々をどのように追悼するのかを問いかけてきている。そのために、歴史の迷路に忘れられた千鳥ヶ淵建設をめぐる諸事情のひとつひとつをじっくりとたどりよせて検証しなければならないのも、私たちの使命であると考えている。ところが、5年前のことも平然と忘却するような言動もある。8月15日を前にして、靖国参拝の布石とも思われるような小泉総理の発言が流れてきた。「小泉内閣メールマガジン」で小泉総理は次のように述べている。
一、戦争で亡くなった方々に、どのような形で哀悼の誠をささげるのかは、個人の自由だ。わたしは首相就任以来、心ならずも戦争で命を落とさざるを得なかった方々へ哀悼の誠をささげるために毎年一度靖国神社に参拝している。
一、わたしを批判するマスコミや識者の意見を突き詰めていくと中国が反対しているから靖国参拝はやめた方がいい、中国の嫌がることはしない方がいいということになる。
一、わたしは日中友好論者だ。いつでも中国の首脳と会う用意がある。ところが中国は、わたしが靖国神社に参拝するなら首脳会談を行わないと言っている。こういう考え方は理解できない。もし考えが違うから、ある国と首脳会談を行わないとわたしが言ったら、おそらく多くの国民はわたしを批判するだろう。
相変わらずの言い方だが、「中国が反対しているから」と言うのは独特のスリカエだ。日経新聞の記事で伝えられた昭和天皇の靖国神社参拝中止に関する報道もあって、「対外問題としての靖国」以前に「国内問題としての靖国」が存在することは多くの人々が認識をしているところである。以前に指摘した2001年8月13日の内閣総理大臣の談話で明らかなように、8月15日に参拝しない理由について、「持論は持論として」「発言を撤回するのは慙愧に堪えないが」変更したと「総理の談話」で述べていることも、御本人の記憶には薄いのかもしれない。
やや脱線するが、「内閣総理大臣談話」と「内閣総理大臣の談話」は扱いが大きく違うということを御存知だろうか。「村山談話」のように「総理談話」と呼ばれるものは、閣議決定をへて発表されるもので、「総理の談話」と呼ばれるものは「の」が入っているので閣議決定を要しない時々の談話となるのだという。見直してみれば、8月15日に靖国参拝をしない理由を述べた談話は「小泉総理の談話」だった。「閣議決定したわけじゃない。自分の談話の内容など5年も経ったんだから変わるのはあたりまえ」とタカをくくっているのかもしれない。
郵政民営化をめぐる小泉劇場で見飽きた「同語反復」と「中国の言いなりになるな」という論点の単純化が繰り返されている。そして「考えが違うから首脳会談を行わない方が理解に苦しむ」という発言は、「問題なのは中国だ。自分は首脳会談を拒んでいない」という自己正当化につながる。この程度の「言い分」をリピートし、向かうところ敵なし状態で「安倍官房長官」が圧勝するとしたら、アジア外交は展望ゼロである。このテーマはしばらく続けたい。
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