その1はこちら。
護郷隊を組織した将校たちが、陸軍中野学校出身であることが語られてから、このもうひとつの沖縄戦の意味が明らかになっていく。
人格者として、戦後も沖縄の地を何度も踏んだ彼らが意図したものはなんだったか。少年たちを組織したのは、非戦闘員に見えたことと、おそらくは洗脳しやすかったことがあったのだと思う。同郷出身者を同じ隊にしたのも組織の論理だ。
そしてその組織の論理は、負傷者を簡単に“始末”することにつながる。米軍に投降すれば、自分たちの身が危ないと。
「大日本帝国」で、“勇壮な軍人”として描かれた西郷輝彦が、現地民の少女(夏目雅子)を射殺したのと同じ論理。
もうひとつの例も。離島に、教員というふれこみでやって来た青年。しかし彼の名は勤務校の沿革誌にも見当たらない。
温厚で紳士に見えた彼は、ある日突然、日本刀を振り回し、島民をすべて西表島へ移住するように強要する。当時の西表島はマラリアが猖獗を極めていて、島民はバタバタと死んでいった……その、温厚な青年も、陸軍中野学校出身者だった。
彼は島の家畜をすべて始末するように命ずる。そのための者もやってきた。これは軍に肉を提供するための方便だったことがのちに判明する。
「戦場ぬ止み」の三上智恵と、戦争被害を追い続けてきた大矢英代のふたりは、これらの事実を丹念に追い、中野学校からやってきた彼ら軍人の肉声にもたどり着く。
彼女たちの主張ははっきりしている。軍隊の、特に日本軍には“住民を守る”という発想がない。むしろ“民衆と協力”するという名目で相互監視を強化し、統制に走り、利用し尽くし、そして見捨てているではないかと。地元に密着した彼女たちの聞き手の能力に驚く。すばらしい。
ポツダム宣言を受け入れず、本土決戦に持ちこんだら、本土でも沖縄と同じようなことが行われただろう。そして、自衛隊を増強している沖縄の現状は、むかしと同じように沖縄を盾にしているという意味で当時とまったく変わっていない。
もうすぐ公開は終わってしまう。みんな鶴岡まちなかキネマに走れ!