「高田文夫の大衆芸能図鑑」「1981年のビートたけし TOKYO芸能帖」と、高田文夫の著作をつづけて読んだのでご紹介。この人の(特に関東の)芸能への愛着はたいへんなもので、年齢を重ね、病気にもなり、彼がこう考えているのがわかる。
「おれの経験をできるだけ遺しておきたい」
後進の放送作家や芸人たちへの愛情が著作からあふれるほど感じとれる。もちろん、笑いにコーティングしてあるのがこの人らしいところ。いい味だしてるエピソードがいっぱい。
・ハガキ職人といえばその昔、テレビ番組になる前、ニッポン放送で「欽ドン!」(萩本欽一)をやっている頃、とぼけてハガキで投稿していたのが永六輔。何回か採用されていた。
・「私が人生で一番嬉しかったことは……オールナイトの“村田英雄”コーナーで私のハガキが高田センセーに選ばれて、賞品のムッチートレーナーが青森の家に届いたこと」雑誌の対談でナンシー関。
・(伝説のヤクザ)花形の千本ノックを受けた我ら“少年シャークス”は渋谷松濤の“ジャニーズ”と対戦した。この野球チームが数年後、芸能界入りした元祖ジャニーズとなる。あおい輝彦らである。野球チームには子供時代の井上順もいたと記憶。
・2016年に両国国技館で相撲を観てたら、若い女の子に声をかけられた。
「私、(キャンディーズの)ミキの娘です」
・NHK「こども面白館」を立ち上げるのはいいが、生対応できるレポーターはいるんだろうか。すでに数百人のタレントと会ったが、アドリブで喋れるのは……?そんな中に一人、とびっきり反応のいいのがいた。その娘は、ついこの前まで“あゆ朱美”といっていた歌手で、今は戸田恵子と名乗っている。
……こんなあふれるエピソードが彼の芸の基礎になっている。すばらしい。