冒頭、銀行強盗の目線でその犯罪の過程が描かれる。だから犯人自身の姿を観客は知ることができない。行員をおどし、金庫室に潜入。静かに開く扉……
連続して行われる強盗の手口はしかし不可解なものだった。金庫の扉を開けるためには金庫室を閉めなければならず、その鍵は金庫室の中で絶命している(窒息死)行員が持っていた。犯人はどうやってこの部屋を出たのか。つまり、密室殺人なのだ。わくわくするオープニング。
逃げた犯人を追跡した岡本警部補(三橋達也)は、草深い庵で舞う日本舞踊の家元、春日藤千代(八千草薫)に遭遇する。困窮のさなかにいる彼女は、鼓を打つ老人(左卜全)と静かに暮らしていた。しかしその日以降、なぜか藤千代の金回りがよくなったことに不審を抱いた岡本警部補は彼女を尾行。資料を読みこむために訪れた図書館には、静かな司書(土屋嘉男)がいた。
1960年の作品。東宝の変身人間シリーズ(「美女と液体人間」「電送人間」)の最高傑作で、日本舞踊をきっちり描いたものだからアメリカでむしろ大ヒットしたとか。製作田中友幸、特撮監督円谷英二、そして監督は旧朝日村出身の本多猪四郎のゴールデントリオ。
文字通り藤千代の最後の舞台となる劇場。観客席でたったひとり彼女の舞いを見つめるガス人間(ご想像の通り土屋です)、舞台袖で鼓を打つ老人のスリーショットがこの映画のすべてを象徴している。
マッドサイエンティストによって、意識を集中すると気化するガス人間に変えられてしまった土屋の孤独(しかもそのとき彼は藤千代と結婚するために白いスーツを着ている)。舞台の上と下で見つめ合う男女の間にあったのは果たして愛情だったのか、それとも憐憫か(藤千代が演ずる舞いのタイトルは『情鬼』)。
老人は家元に殉じ、家元は芸術に殉じ、ガス人間は自らが愛情と信じたものに殉ずる。すばらしいラストだった。
いわゆる東宝役者陣が味があり(伊藤久哉、田島義文、村上冬樹、松村達雄、佐々木孝丸)、蛍舞う庵のセットなど気が遠くなる。こんな映画がたまたまできてしまうあたりが映画の黄金時代。
八千草薫が、おきゃんな娘役から妖艶な女優に転ずる境目になった作品でもある。彼女と、クールな哀しみをたたえた土屋嘉男の演技だけでも金を払う価値あり。